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アーティストの音楽履歴書 第35回 古川本舗のルーツをたどる

古川本舗の履歴書。
3年近く前2021年06月22日 10:02

アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は、2015年に活動終了し、昨年末に5年ぶりに活動を再開させた古川本舗のルーツに迫った。

取材・文 / 橋本尚平

ヴィジュアル系バンドでプロを目指した中学・高校時代

小さい頃のことはあまり覚えていないのですが、性格的には目立ちたがりだったような気がします。でも中学に入ったら出会う人がだんだん増えていって、引っ込み思案になったような……。子供の頃はやたら本を読んでいた記憶があります。父親がかなり読書家だったので、父親の書斎に忍び込んでよく本を借りパクしてました。いわゆる名作系から五島勉の「ノストラダムスの大予言 - 迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日」までいろいろありました。今にして思えばたぶん父親もサブカルクソ親父だったんですね。血ですね。

最初に好きになったアーティストは氷室京介さんでした。2つ上の兄貴がBOØWYとユニコーンのファンだったから、その影響で中学に入ったらBOØWYを聴くようになって。でも兄貴と同じことをしてるのはちょっと嫌だったので、じゃあ俺はソロを聴こう、みたいな(笑)。あと地元の愛媛で当時、佐藤竹善さんが日曜の昼にラジオをやっていたので、それを聴いてSING LIKE TALKINGにハマってました。なので、初めて買ったシングルは氷室さんの「KISS ME」、アルバムはSING LIKE TALKINGの「REUNION」です。

中3で初めて付き合った彼女がヴィジュアル系のファンで、家に行くと「FOOL'S MATE」とか「Vicious」「ロッキンf」とかがいっぱいあったのでひたすら読んでました。それで僕も仲よかったやつとバンドを始めるんですけど、当時は周りでもLUNA SEAや黒夢が流行ってたし、それまで好きだった氷室さんもヴィジュアル系の源流にあるような雰囲気があったし、「バンドってそういうもんなんだ」と思ってヴィジュアル系っぽいことをしてました。バンドでは、誘ってくれたやつがどうしてもベースをやりたいって言ってて、ほかにドラムがうまくて有名なやつとも仲がよかったので、「じゃあ亮(古川の本名)はギターね」って話になって。ギターを弾き始めたのはそれがきっかけです。ボーカルは男前を捕まえてきて歌ってもらいました(笑)。

そのバンドは完全にプロを目指してやっていた、というか、そういうもんだと思ってました。だから最初からライブハウスでオリジナル曲をやってましたね。曲なんて誰も作ったことないから「誰がどうやって作る?」って話になったんですけど、「どう考えても曲を作ったやつが一番金を持ってるっぽいな」というのは子供でもわかるわけですよ(笑)。だから「俺やるわ!」みたいな感じで、そこから曲を作り始めました。当時はプロのバンドの前座をさせてもらったり、レーベルの方に声をかけてもらったりもしてたんです。めちゃくちゃ人気があったわけでもなかったけど、僕らと同じくらいの歳でちゃんとした活動をしてるバンドは地元にはほかにいなかったので。でも結局、高校卒業したらベースのやつが就職して県外に行くことになったので、そのバンドは解散しました。「じゃあもうこのバンドじゃなくていいね」みたいに、けっこうドライな感じで。

その後、地元の大学に進んで音楽サークルに入りました。そこの先輩が音楽に詳しい人たちばかりで、オルタナとかシューゲイザーとかを聴かせてもらって「なんだこれは……」ってビックリしたんです。それまで自分も音楽に詳しいほうだと思ってたんですけど、音楽に詳しいんじゃなくてメタルに詳しいだけだったことに気付かされました(笑)。特にDinosaur Jr.とWeezerとの出会いは大きかったです。「えっ? こんなに下手でいいの?」みたいな(笑)。それまでメタル畑の価値観で、速くてうまい=カッコいいと思っていたのに、これは速くもないしうまくもない。なのになんでこんなにカッコいいんだ?というのが自分的には衝撃でしたね。

先輩に初音ミクをもらったので、せっかくだからDTMに挑戦

大学のサークルで新しく組んだのは、ギターロックに属するようなバンドでした。そのバンドで地元から東京に活動の拠点を移したんですけど、出てきて1年くらいでメンバー間の揉め事により解散しまして。高校のときはバンドが解散しても、大学に行けば自分を受け入れてくれる新しいコミュニティがあったわけなんですが、東京にはメンバー以外の知り合いがいなかったので周りとの関わりが全部なくなっちゃって。それに、「音楽でメシを食うんだ」って熱い情熱があったというよりは、「そういうルートを通って生きていこうと計画していた」に近い感覚だったので、バンドを辞めたら「あれ? これからどうやって生きていけばいいんだ?」って困っちゃったんですよね。どうしたもんかなと思いつつ、「たった1年で都落ち」みたいに見られるのも嫌だったし、そもそも帰る金もないから東京に残ることに決めたんです。バンドやってたとき、自分がやらないと誰もやらないのでバンドのグッズとかジャケとかを僕が作ってたんですよ。だから「これは仕事になるのでは?」と思って、デザイナーの名刺を作ってヒップホップ系のクラブとかを回って、タダでイベントのフライヤーとかを作らせてもらって、それをまとめたポートフォリオを持って就職活動したりしてました。

数年やっていたらデザインの仕事が普通に回るようになってきたので、「社会復帰できた!」と思ってひさびさに帰省して、解散したバンドのメンバーが地元でやってたバーに飲みに行ったら、昔からよくしてくれてたサークルの先輩がいたんです。「先輩もバンドを辞めてデザイナーになろうと思ってるって言ってたから、亮に話を聞かせてもらおうと思って先輩も呼んだんだわ」ってことで。それでいろいろ話してたら、先輩が「亮こんなん好きなんちゃう?」「俺には合わんかったから使いいや」って言って、初音ミクをくれたんですよ。当時ハードディスクレコーダーで録音してたから、DTMのプラグインをもらってもどうしていいのかわかんなかったし、なんで「好きなんちゃう?」って思われたのか意味がわからないんですけど(笑)。でもせっかくだから使ってみることにしたんです。うちには古いiMacしかなかったので、安いWindowsのPCを1台買ってきて試しに打ち込んでみたら、意外とちゃんと歌うんだなって。みんなこれで作った曲をニコニコ動画に投稿してるんだって教えてもらって、「じゃあやってみるか」となったのが、いわゆる“ボカロP”になったきっかけです。バンドやってたときはライブにお客さんが15人も入ったら宴会なわけですよ。「やったぜ!」みたいな。でもボカロ曲を投稿してみたら、ちょっと経ったら再生数が500くらいになってて。「家から一歩も出てないのにこんなことできるんだ」って感動しましたね。

リスナーとして音楽を聴くときはホントに雑食で、好きな音楽と作る音楽が一致することってほとんどないんです。バンドを辞めたあとは友達に連れられてクラブに行くようになって、STUDIO APARTMENTみたいなハウスをよく聴いてましたし、一方でLiving Colourっていうアフリカ系アメリカ人4人組のメタルバンドも好きでした。初期の古川本舗がエレクトロニカっぽい音だったのは、GarageBandで歪んだギターの録り方がわからなかったからなんです。「Macにどうやってギターのシールド挿すの?」って(笑)。MIDIの知識もほとんどなかったから、パソコンのキーボードを叩いてピコピコした単音を鳴らして、それをうまいこと組み合わせれば曲になるかなと。生ドラムなんて当然録れないから電子音でリズムを作って。そしたら結果的にちょっとSigur Rósっぽい音になったんですよ。そういう静かな曲って、それまでのバンドで作ろうものなら大ひんしゅくを買っていたはずなので(笑)、バンドではできなかったことができるのはすごく新鮮な感覚でした。自分で作るようになったらほかの人の作る曲も気になってきて、アメリカのDoFというエレクトロニカ系バンドとか、I Am Robot and Proudとかを聴きながら「このスッカスカでしょぼい音で、どうしてカッコよく聞こえるんだろう」とか考えたりしてました。

行き詰まりを感じ、音楽活動終了

ボカロは便利だし楽しかったんですが、僕はそれを“人の声が出る楽器”として見ていたんです。でも、2012年3月にTOKYO DOME CITY HALLで開催された「ミクの日大感謝祭」というイベントのオープニング演出を作ったときに、初音ミクがステージの真ん中に立って歌ってて、お客さんがそれを観て感動している様子を見て、すごく心を動かされたんですよ。僕はアニメなどのカルチャーに偏見があるタイプでは全然ないんですが、その人たちの姿を見て「初音ミクというキャラクターを心の底から愛せる感覚が自分にはない」と気付いて、であれば僕はもうここには近付くべきじゃないなって。みんなが初音ミクを真剣に楽しんでいる中で、自分だけそれをシンセとして見ているって超空気読めねえやつだし。「俺はもうボカロを使うべきじゃねえ。自分が感動できるやり方をちゃんと突き詰めていくべきだ」と思って、ボカロを使わない活動形態にシフトしたんです。

1stアルバム「Alice in Wonderword」と2ndアルバム「ガールフレンド・フロム・キョウト」は曲ごとに異なるボーカリストを迎えて、それぞれの持つ世界観を1枚に統合させた作品でした。でもそれだと、1曲ごとにボーカルが変わるからライブがやりづらかった。だからライブをやるためにメンバーを固定にして、ボーカルは当時仲よくなったキクチリョウタにお願いして3rdアルバム「SOUP」は全曲歌ってもらうことにしたんです。さらに、女性ボーカルの曲を作っていたので4thアルバム「Hail against the barn door」にはちびたにもメインボーカルに入ってもらって。

その後、ものすごくシンプルに言うと、行き詰まりましたね。そこから先の未来は全然ないと思った。僕は当初は、曲ごとにボーカルを振り分けてまとめるプロデューサー的な立ち位置だったんだけど、だんだんバンドのようなものになっていたんです。でも次回以降の作品もキクチやちびちゃんがメインボーカルを続けるのかと考えるとピンと来ないし、自分もバンドメンバーの1人という状態でそんなことを考えるのも不毛だなと思って。かといって別にメンバーのことが嫌になったわけでもなんでもなかったので、根底からナシにすることにして、2015年に活動終了したんです。その後のことは完全にノープランだったんですけど、勢いで。

バーで耳にした音楽が活動再開のきっかけに

ラストライブのMCで「俺のことだからすぐ戻ってくるわ」って言ったらしいんですよ。正直そんな話をしたことは覚えてなかったんですけど、もしお客さんにそう言ったのであればそれは守らなければという気持ちがあって、いつか音楽活動を再開しようとは辞めたときから決めてました。そっから長かったですね。「休みって楽しいな」と思っちゃって(笑)。活動終了後は音楽は全然聴いてませんでした。多少は曲を作ったりもしたんですけど、「インストだ!」と思って8曲くらい作って「つまんねー!」ってやめたり、飲み友達から「自分で歌うべきだよ」って言われて「なるほど!」と思って何曲か作って「つまんねー!」ってやめたり(笑)。そういうことを2年くらい繰り返してました。

でもあるとき、バーで飲んでたらLeyonaさんのアルバムがかかってて。曲が流れてる間、なんてことない会話だったのにめちゃくちゃ話が弾んだんですよ。それでマスターにアルバムのタイトルが「わすれちゃうよ」だって教えてもらって、ひさびさに音楽を買うという行為をしたんですが、家で聴いてても酒がうまいし、これはいったいどういうことなんだろうと思って。今までは音楽を聴くときに「いい曲を聴きたい」って構えて聴いてたり、クラブに行って「踊りたい」と思って聴いたり、自分が曲を作るうえでの勉強になりそうと思って聴いたりしてたんだけど、そのどれとも違う、本当に自分の生活のBGMのような流れ方をしていたんです。そんな感覚は人生で初めてだったので、「俺が今やりたいことはこれだ。自分の作った曲を他人の人生のバックトラックとして流したい」と思って、活動再開後の指針ができあがったんです。

まだ正直コンセプトについては模索中なところがあるんですけどね。完全にBGMにしちゃうと本当につまんない音楽になるし(笑)。2年くらい前にローファイヒップホップを聴いて「これは自分も作れそう」と思ったものの、いざ作ってみたらどうでもいいような曲になっちゃって。だから「BGMだけどどうでもよくないもの」にできるように、今はどこまで主張するべきかのバランスを探っているところです。

「自分が作るものが誰かの生活に溶け込んでほしい」なんて言っている一方で、僕がリスナーとして一番好きなのは、eastern youthやJERRY LEE PHANTOMのような「人の心に土足で居座り続けるような音楽」なんです(笑)。自分には作れないからこそ「カッコいい!」と魅せられてるところはあると思う。純粋な憧れなので、マネしようなんて全然思えないです。ライブの傾向とかはタイプの違う2組ですけど、どちらもあらゆるバンドの中で一番の理想形ですね。

今は日本のヒップホップに夢中

ここ1年は日本のヒップホップばっかり聴いてましたね。ラッパーではWARAJIのJambo Lacquerさんとかチプルソさんが好きで。あとMSCが大好きなんです。僕はちょっと前までヒップホップの知識はほとんどなかったんですけど、「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日系)を観てまんまとハマってしまいまして(笑)。「すげえな、なんでこんなこと即興でしゃべれんの?」って思いながら夢中で観てるうちに、出演してる人たちの音源とか、バトルで使われてる曲とかも掘り下げて聴くようになって。そのうちOZROSAURUSやTOKONA-Xにハマって「超カッコいいじゃん! なんで今まで知らなかったんだろう!」ってなったんですよ。世代的に通っててもおかしくなかったですけど、食わず嫌いなところもあったし、接点が本当になかった。それが悔しいです。最近は、若い頃にCDショップで手当り次第買って聴いてたときと同じレベルで、「へえ! このアルバムめちゃくちゃ有名なんだ!」とか思いながらヒップホップを聴きまくってるので、楽しいですね。

今聴いてるようなヒップホップを自分の音楽にどう落とし込めるのか、今のところ思い付いてないですけど、意外とできなくはないかなと。まあ本当にヒップホップをやるのかは置いておいて、昔やってたことと同じことをやっても仕方ないですよね。活動再開するにあたって一番大事だなと思ったのは、別に同窓会をやりに帰ってきたわけではないってこと。昔から応援してくれている人たちに「ただいま」を言うだけなら初めから辞めなきゃいいじゃんって話なので、一度辞めて戻ってきた以上は新しいことをしないと、辞めた意味がないと思ってます。

古川本舗(フルカワホンポ)

楽曲制作からデザインまで幅広い分野を手がけ、作品の世界観を多岐にわたる方法で表現するソロアーティスト。10代の頃より作曲活動を始め、数々のバンド活動を経て宅録に目覚める。2009年に初音ミクを使ったオリジナル曲「ムーンサイドへようこそ」をニコニコ動画に投稿し、これを皮切りにネット上で人気曲を次々に発表。エレクトロニカやポストロックを取り入れた、ノスタルジックかつ幻想的な独特の作風で一躍人気ボカロPとなった。2011年には8人のボカロPによる、新しい形の音楽流通を目指すレーベル「balloom」の設立に参加。同レーベルの第2弾作品として、野宮真貴、カヒミ・カリィらをゲストに迎えた初の流通盤アルバム「Alice in wonderword」を発表した。2013年にシンガーソングライターのキクチリョウタがすべてのボーカルを担当したアルバム「SOUP」をリリースし、2015年に活動を終了。2021年に「知らない feat. 若林希望」「yol feat. 佐藤千亜妃」を配信リリースした。

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