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音楽シーンを撮り続ける人々 第15回 ひと癖ある撮影を心がける西槇太一

4年以上前2019年11月27日 9:03

アーティストを撮り続けるカメラマンに幼少期から現在に至るまでの話を伺うこの連載。第15回は元バンドマンで、凛として時雨のマネージャーを8年務めたという異色の経歴を持つ西槇太一に、カメラマンの道を歩むまでの経緯や影響を受けた人物について聞いた。

The Offspringに衝撃を受け、ハイスタ楽曲をコピー

自分は今39歳で、生まれは東京都足立区です。今も実家の近くに住んでいます。幼少期は国語などよりは科学とかに興味がある子供でした。幼い頃から何かを作ることが好きで、幼稚園のときには「キン肉マン」のプラモデルを組み立てていましたし、小学校に入ってからはガンプラも作ってましたね。小学5年生くらいの頃から、あまり自分から前に出るタイプではなくなった気がします。バンドでギターボーカルをやっていたこともありますが、「基本は後ろにいたい」みたいな思いは常に胸の奥にありました。

音楽が好きになったのは中学2年生のとき。姉からThe Offspringの「Smash」というアルバムを借りたことがきっかけです。当時はメロコアという言葉は知りませんでしたが、スピード感があって切なくて激しい音楽性に雷に打たれたような衝撃を受けて「ロックバンドってカッコいい!」と思い、ギターを始めたんです。でも周りにバンド好きがいなくて、1人黙々と弾いていました。高校に入ってからは同じクラスの友達にHi-STANDARDを教えてもらって、ハイスタのコピーバンドを組みました。ハイスタ以外にもTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやGLAYのコピーもやってましたね。当時は家に帰ったらハイスタの曲が12曲くらい入っているMDを再生して、それに合わせてギターを弾いてからごはんを食べる、みたいな生活をほぼ毎日送っていました。

川内倫子と野村浩司からの影響

写真に関しては、中学生くらいまではほとんど興味がなかったんです。その頃って写真に対しては、家族写真みたいないわゆる“記録しておくもの”というイメージしかなかったから。でも大学生の頃、親戚にOLYMPUSのOM-1というフィルムカメラをもらったんです。それからはひたすら自分でカメラを触って、使い方を学んでいきました。何本かフィルムを買って撮ってはみたんですけど、最初はまったくうまくできなくて。ちゃんと写真が写せるようになるまでにかなり時間がかかったと思います。当時はネットもあまり普及していなかったし、周りにカメラをやっている人が誰もいなかったので、全部独学でした。ただこのときもまだ自分の中で写真は“記録しておくもの”という認識で、友達のバンドのライブを撮ることはあったんですけど、カッコいい写真を撮りたいとも思っていなくて。カッコいい写真やキレイな写真を見る機会がそんなになかったからかもしれません。

23、24歳くらいのときに、ヴィレッジヴァンガードで川内倫子さんの写真集「うたたね」と「AILA」に出会って衝撃を受けて、初めて写真集を買いました。載っていた写真が全部6×6のスクエアの写真で。Instagramが流行り出してからは正方形の写真はスタンダードなものになりましたけど、当時はそこまで多くなかったので、6×6で撮り続けるスタイルがカッコいいなと思いました。写真の質感もすごくキレイで、生命を切り取っているような感じがしたんです。倫子さんにはいろいろな面で影響を受けて、スクエアの写真が撮れる二眼レフカメラを買ってたくさん写真を撮ったりしていましたね。そして同じ頃、高円寺で配られていたフリーペーパーで、野村浩司さんの存在を知りました。ヒカル小町という、カメラの内蔵フラッシュに同調して光る機材があって、これを全身に付けた被写体を撮影した写真を見て、驚きました。野村さんの写真は本当に面白いものばかりなんです。自分も撮影のときにはどこかひと癖ある写真を撮るように意識していて、その部分は野村さんの写真からとても影響を受けているのかなと思ってます。

バンドマンからマネージャーに

大学を卒業して本格的にバンドをやり始めて、2000年から2007年まで活動していました。このバンド活動がきっかけで出会えた人もたくさんいますし、自分の人生においては大事な時間でした。自分が作った曲に対して「カッコいい」と言ってもらえることはもちろんうれしかったです。でも音楽で食べていけるとはまったく思っていなくて、将来は普通に就職して、平凡な人生を過ごすだろうと思ってました。その後マネージャーをやる凛として時雨とは、2003年の夏に八王子RIPSで対バンしたことをきっかけに仲良くなりました。当時僕はRIPSで働いていて、時雨のライブが決まってからブッキングスタッフに相談したら、対バンを組んでもらえたんです。その後彼らと仲良くなり、いろいろな経緯を経てマネージャーになりました。

マネージャーになってからも写真は撮り続けていて、ツアーの移動中やレコーディング中など、彼らの活動の様子はほぼほぼ撮っていました。そうやって撮った写真をいろいろな媒体で使っていただくこともあって、うれしかったです。今はSNSの時代だから、マネージャーさんがライブのときに写真を撮ってすぐにSNSにアップする流れが定番化してきていて、マネージャーさんの仕事が増えたなと思ってます(笑)。当時はそういう文化がなかったので、とりあえず撮りためて、ツアーが終わったあとにスタッフさんたちにお礼の気持ちを込めてプリントした写真を渡したりしていました。

この頃はプロの方が撮った写真と自分の写真はどこが違うのか、ひたすら見比べていました。学生の頃に練習に励んだギターとも通じるものがありますが、ひた向きさというか、1つのことに打ち込む性格は変わってないみたいです。写真を見比べているうちにプロの方々のアーティスティックな部分が少し自分の中に取り込まれていっているような気がしていきました。

マネージャーからカメラマンに

カメラマンになったきっかけについては、そもそもマネージャーは、時雨だからやっていたというのが大きかったんです。マネージャー業の中で、いろいろな要素をまとめて1つのものを作ることが喜びにつながることももちろんありました。でもやっぱり自分の中に、何かを生み出す行為が好きだという気持ちが残っていて、何か作品を作る側にシフトしようと思って、2014年の6月にマネージャーを辞めました。

2014年の7月には撮影スタジオにスタジオマンとして就職しました。スタジオで2年くらい働いて、そのあとカメラマンに弟子入りし、独立してからカメラマンになるという流れがスタンダードだったりしますが、自分は8カ月ほどでスタジオマンを辞めて、そのまま独立しました。スタジオマン時代、「COUNTDOWN JAPAN 14/15」にDJとしてピエール中野(凛として時雨)が出演したので撮りに行ったんですけど、会場をウロウロしていたら「あれ西槇くん、今日はどうしたの?」とたくさんの人に声をかけていただきました。やっぱり8年もマネージャーをやっていたので、周りの人にはまだその印象が残っていたみたいで。そのときに「時間が空けば空くほど、今まで築いてきた関係は薄れていってしまうかもしれない」と思ってすぐにスタジオを辞めたんです。その後は、営業というと堅苦しいですが、いろいろな人に「お茶しましょう」と声をかけて、写真を見てもらいました。自分の場合はありがたいことに音楽業界で8年間働くことができたので、そこで出会った方に連絡できたことが大きかったです。それからは「せっかくだし、新人のアーティストを撮ってみない?」と少しずつお話をいただけて、仕事が広がっていきました。

海外でも認識されるカメラマンに

人物を撮影するときには、あまり長時間にならないように意識しています。早ければ5~10分で撮影を終えるときもあります。撮影が長いと被写体の気持ちの鮮度が落ちていくと考えているので、ピークは最初に持っていきたいんです。レコーディングだって、テイクを重ねれば重ねるほど鮮度が落ちますよね。写真も同じで、時間をかけると疲れて表情が暗くなっていくと思うので。

ターニングポイントになったのは、カメラマンになった年に撮影させてもらった「LUNATIC FEST.」のアフターパンフレットの撮影でした。LUNA SEAのメンバーさんが、「LUNATIC FEST.」に出演したアーティストの方々と対談するという企画があって、すべての対談の写真を撮らせていただきました。撮影が終わってデータを渡してOKカットが戻ってきたときに「あ、ちゃんとOKを出してもらえるレベルの写真が撮れているんだ」と自信につながりました。最近だとサザンオールスターズのライブ撮影が印象に残ってます。今のサザンの公式Twitterアカウントのヘッダー画像にも使っていただけているんですけど、うれしかったですね。いい写真が撮れた瞬間は、「あ、きたきた!」という感覚があります。

今後は海外でも認識されるようなカメラマンになりたくて、英語を勉強中です。最近撮影を手伝いにきてくれている子が英語の先生をやっていて、写真を教える代わりに英語を教えてもらっています(笑)。自分は楽器関係の撮影をさせていただく機会が多くて、楽器は世界共通のものだから海外へ行ったときに「これ俺が撮った写真だよ」みたいに盛り上がれたら面白そうだなと思っています。

西槇太一

1980年生まれ。東京都出身。アーティストマネージャーを約8年務めたのち、フリーランスのカメラマンに転身。現在はさまざまなアーティストのライブ写真や宣材写真、CDのジャケット写真などを撮影している。

※記事初出時、本文に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。

取材・文 / 酒匂里奈(音楽ナタリー編集部)撮影 / 山川哲矢

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