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2010年代の東京インディーズシーン 第5回 インディーズシーンにおけるデモ音源の変遷

2000年代~2010年代に制作されたデモ音源の数々。
3年以上前2021年07月07日 8:03

さまざまなムーブメントが生まれていた2010年代の東京インディーズシーンを、アーティスト、イベント、場所などの観点から検証する本連載。第5回では、インディーズアーティストが自分たちの音楽を広めるための手段として活用してきた“デモ音源”がどのような変遷をたどってきたかを振り返ってみたい。

取材・文 / 張江浩司 

インディーズシーンの「デモ」の変遷から見える、アフターCD時代の音楽

「デモ」もしくは「デモテープ」という言葉をご存知だろうか。辞書を引くと「演奏者が、レコード制作・演奏会などの資料用として作成するテープ」(大辞泉)とある。つまり、アーティストがレコーディング本番へ向けて準備するために作る仮段階の音源のことだ。そこから転じて、「デビューを望むアーティストが、自身の楽曲をレコード会社やマネージメント事務所など音楽業界にアピールするために作った音源」も指した。

指した、と過去形になっているのは、現在ではその意味をほとんど持たないからだ。2000年代から2010年代にかけて、デモがカセットテープからCD-R、そしてデジタルデータへと姿を変えたのに伴って、その意味合いも大きく変化した。

今回はそんな、これまでほとんど語られてこなかった「インディーズシーンにおけるデモの変遷」という極めてミクロな歴史にフォーカスしたい。Limited Express(has gone?)のギタリストであり、音楽配信・情報サイトOTOTOYや今年20周年を迎える「ボロフェスタ」の経営 / 運営に携わる飯田仁一郎。そしてOfficial髭男dism、スカート、Homecomingsなどを擁するポニーキャニオン内のレーベルIRORI Recordsのレーベル長、守谷和真氏。インディーズとメジャー、双方の現場を知る両名の証言を交えつつ振り返っていく。

ミリオンセールスを記録したシングルや、ディスクガイドに必ず載るような名盤に比べると取るに足らないデモの記録だが、そこからは硬直化したCD産業から脱却するべく図らずも試行錯誤を重ねたインディーズシーンの軌跡が見えてきた。

PCが壊れるほどのCD-Rムーブメント

飯田がLimited Express(has gone?)(以下リミエキ)を始めたのは1998年。その頃のデモといえばカセットテープが主流だった。

「リミエキで最初に作ったデモもカセットでした。(大学のバンドサークルの先輩である)くるりとかもカセットで作ってましたね。でも当時はCDショップでバイトしてたこともあって、ちゃんとCDでリリースすることへの憧れみたいなんがあったんですよ。デモをライブの物販で売ることはあっても、やっぱりそれはあくまでもデモで、CDを出さないと上のランクに行けないような感覚がありましたね」

現在ではブレイクする方法はCDリリースに限らず多種多様だ。しかし、リミエキのようにオルタナティブを志向するバンドでも、当時は「まずCDデビューする」ということが大前提だった。

2000年代に入ると、リミエキはCD-Rでデモを作成。当時メンバーが好きだった国内外のレーベルに送付したところ、ジョン・ゾーンが創設したTZADIK RECORDSから2003年にアルバムをリリースすることになった。

「デモをいろんなレーベルに送ることも、バンド活動の一環だったというか。CDを出せたときはやっぱりうれしかったですね。世界中のCDショップに置かれるわけですから」

ここで飯田が語る「デモ」の意味合いは、先述した「レーベルにアピールするための音源」にまさに当てはまる。言ってみれば、「デビューするための準備」という要素が強かった。

少しずつ様子が変わってくるのは2005年前後。アーティスト以外の手が一切入っていないデモの荒削りな魅力が、一部のリスナーに評価されるようになったのだ。

高円寺のレコード店 / イベントスペースの円盤(現黒猫)では、委託された自主制作の音源を販売しており、持ち込まれたデモも1つの作品として扱っていた。のちに関西ゼロ世代と呼ばれるバンドたちなど、アンダーグラウンドで活動する日本中のインディーズミュージシャンのデモをジャンル問わず紹介し、ムーブメントの形成に大きく寄与した。ディスクユニオンのインディーズチャートにも、正式に流通しているタイトルに混ざってデモが上位に顔を出すようになった。

当時、飯田が働いていた京都のTSUTAYA西院店でも、その潮流を感じる瞬間があったという。

「強く実感したのは2006年に出たDE DE MOUSEくんのCD-R(「baby’s star jam EP」)ですね。関西ではうちの店でしか取り扱ってなかったんですけど、すぐ300~400枚くらい売れたんです。そのあたりからパンクシーンのバンドがD.I.Y.でリリースする手段としてCD-Rを使ったり、DJがミックステープをCD-Rでバンバンリリースするようになったり、単なる『デモ』とは括れなくなりましたよね」

個人的な体験を挟んで恐縮だが、筆者がメンバーだったバンドもこの頃デモCD-Rを作ってライブの物販で売り、またディスクユニオンなどに販売を委託していた。私はCD-Rを自宅のPCで焼く(コピーする)役目だったのだが、追加の注文が入るたびに100枚単位でCD-Rを焼いていたら、PCのディスクドライブがうんともすんとも言わなくなった。同じような話は周りからもしばしば聞いたので、「デモ焼きすぎてPCが壊れた」はこの時代特有の「バンドマンあるある」なのかもしれない。

あとにも先にも、音楽シーンにこれほど大量のCD-Rが流通したことはないだろう。その極め付けが、2007年に相対性理論が発表したデモCD-R「シフォン主義」。ライブ会場と一部店舗の委託販売、通販だけでなんと約4000枚を売り上げた。これでは何台PCがあっても足りない。

この勢いに乗って数々のアーティストがインディーズレーベルからCDをリリースし、全国流通させることになる。その際のインフォメーションには「デモCD-R2000枚を完売させた」や「ディスクユニオンのインディーズチャートで1カ月以上連続1位を記録」などの惹句が踊っていた。

これらのCDにはデモCD-Rの時点で人気があった曲が、“ちゃんと”レコーディングし直されて再収録される場合がほとんどだった。「シフォン主義」もリマスタリングされ、翌年に全国流通盤のCDとして再リリースされている。

音楽SNSで可視化されたシーン

時を同じくして出現したのが、ストリーミングで音楽を聴くことができるSNSであるMyspaceだ。誰でも簡単にネット上に曲をアップできるこのサービスは、2006年に日本語版がローンチされ急速に普及。有名無名問わず、インディーズアーティストのデモ音源をどこからでも聴くことができるようになった。

また、Myspaceはフレンド申請を送り合うことによってアーティスト同士が交流できるようになっており、誰と誰がつながっているかはそのページに大きく表示されるので、リスナーにも見えるようになっていた。

元シャムキャッツの夏目知幸は2014年のインタビュー(参照:LIVERARY)で、2007年ごろMyspaceを通してトクマルシューゴから「最近のバンドで、一番興奮しました!」とメッセージを受け取り、そこからライブに行って音源を手渡した様子を語っている。

同じイベントに出演し、楽屋で挨拶して音源を渡して……というような手順を省略して、楽曲のみでつながることができる。デモを媒介としたアーティスト同士の連帯から生まれる人脈は、ライブハウスに還元され、個々のシーンを盛り上げる一因となった。

飯田は当時を振り返ってこう語る。

「2000年代半ばから10年代初めって、みんなmixiもやってた頃だし、それまで口コミだけで広がってボヤッとあったシーンというものが、はっきり可視化された時代ですよね」

OTOTOYの前身にあたるrecommuniも、音楽に特化したSNSを目指して2004年に作られた。会員が自作に限らず好きな音源をアップロードし、権利者の許諾が得られれば、ほかの会員もダウンロードできるようになるというシステムだ。しかし、メジャーレーベルの許可が降りなかったことによりうまく機能せず、3年ほどで閉鎖。メディア運営とダウンロード販売に方向転換し、2009年にOTOTOYに改名した。飯田はそもそも「楽曲をダウンロードすること」が当時は浸透しなかったことが大きな敗因だったと分析する。

「recommuniの立ち上げに僕は関わってないんですけど、ダウンロードがもっと大きな市場になるということを見越して作られたサービスなんですよね。いまだにダウンロードという文化自体が日本ではニッチなんです。日本は世界でも例外的にCDビジネスが成功していて、それをなんとか延命させようという強い力が働いている。OTOTOYにインターンに来る若い人たちも『CDは手に取れるので温かみがあります』って言いますからね(笑)。洗脳されてる部分もあると思うんです。リミエキで海外にライブをしに行くと、『なんでCD持ってきてるの? 誰もプレイヤー持ってないから買わないよ。せめてアナログ持ってこないと』って言われちゃって。2010年代は、このままだと日本だけ置いていかれちゃうなという危機感をずっと持ってました」

それでも、リミエキの活動にあたってCDリリースは避けられなかった。メディアを含めCDを中心に回っている日本の音楽業界において、CDリリースがないと存在感がどんどん薄くなってしまうからだ。誰もが楽曲をインターネットにアップできるようになったことで、メジャー的なビジネスとは無縁に思えるインディーズバンドでも、業界的な構造に絡め取られていたことが逆説的に明らかになった時期と言える。

ちなみに、2019年にMyspaceは2003~2015年の音源データがすべて消失してしまったことを明らかにしている。ちょうど、前述したように日本のインディーズシーンで一番活発にMyspaceが利用されていた時期の音源である。

CDの売り上げはもはや最重要ではない

守谷氏は2008年にポニーキャニオンに入社。2010年には子会社のPCI MUSICに出向になり、インディーズの流通を担当する。

「この頃はとにかくライブハウスに足を運んでました。まだTwitterがここまで浸透する前なので、盛り上がってそうなイベントには必ず行って、サポートできるアーティストがいないか探してましたね。とあるバンドとは、『リリースする前に実績を作った方がいいから、デモ作ってディスクユニオンのチャートに入ろう』なんていう作戦を立てたりもしましたし。CDショップへももちろん通ったし、MyspaceやAudioleaf、YouTubeも当時からチェックしてました」

ポニーキャニオンに戻りA&Rを務めるようになっても、気になったものには可能な限りアクセスする姿勢は変わらないという。

しかし、新人発掘において、近年変化したことがある。

「会社に送られてくるデモ音源を制作担当のスタッフみんなで聴く、試聴会っていうのが定期的にあったんですよ。でも、送られてくる音源が徐々に減ってきて、2015年くらいからはなくなりました。ちょっと前まで『楽曲はレーベルにリリースしてもらうもの』という意識がアーティストにもあったと思うんですけど、今はどんなアマチュアでも自分ですぐ音源を発表できますからね」

2015年はApple Musicが、翌2016年にはSpotifyが日本でサービスを開始。サブスクリプションサービスが日本で一般化し始めた頃だ。ここが分水嶺となって、「デモ」という概念がなくなっていったと考えていいだろう。

つまり、サブスクで配信されればどんな音源であれ同じ土俵の上であり、「レーベルによるCDリリース=正式」というヒエラルキーもなくなったのだ。

本連載第1回でもコメントを寄せてもらった吉祥寺NEPOのブッキング担当・早瀬雅之氏によると、近年の若いバンドはデモCD-Rを作ることはほぼ皆無で、音源はYouTubeかサブスクで発表しているという。この傾向は2015年頃から顕著になったそうだ。

守谷氏によると、この変化はメジャーレーベルの根底の仕組みにも影響を及ぼしているという。

「最近はほとんどサブスクで新人をチェックしていますが、ものすごくクオリティが高い音源だなと思って調べても、インディーズレーベルや事務所に所属していないことが増えています。IRORI Recordsと契約したKroiもそうだったので、マネージメントも含めてうちが担当することになりました。これまではメジャーデビューさせるとなると、インディーズでのCD売り上げや、それこそデモCD-Rを何千枚売ったというある程度の実績が必要だったんですが、そこは今はもう重視されなくなりました。そもそも、メジャーに在籍しているアーティストでも、CD売り上げよりもサブスクの再生数のほうが重要になっています。会議でも、昔はCDのイニシャル(初回出荷枚数)が最重要議題でしたけど、より長期的な視点が必要になっていますね」

サブスクに音楽ビジネスの軸が移ったことで、楽曲の拡がるスピードが上がったことを感じているという。きっかけさえあれば、予想だにしなかった範囲にまで届いていく。

2010年代までは「リスナー=CD購入者」だったが、サブスクとYouTubeで音楽を聴いている層も含めれば日本の音楽業界全体にとってのリスナーは増えていると守谷氏は考える。

「CD時代の末期は『MVをフル尺でアップしたら売り上げが落ちるんじゃないか』みたいな謎の議論が社内であったんですけど、今思うとあれはなんだったんだと(笑)。音源に関しては、リスナーの耳に届くように映像や宣伝も含めたクリエイティブの質を上げていくだけなので、とてもシンプルになったと思います。音楽ビジネスとしては健全ですよね(笑)」

飯田も現状を肯定的に捉えている。

「2010年代の、CD産業に全員が固執してた頃が一番よくなかったなと。メジャーにもインディーズにも悪影響があったと思います。サブスクが出てきてそこが変わってきたんで、『ほらやっぱり』っていう(笑)。今の若い子たちはYouTubeもサブスクも使いこなして、自分たちで売るセンスも手段もありますよね。一方でカネコアヤノさんみたいにアナログにこだわってる人もいて。ブレイクするためのレールをわかりやすく引けない時代になったので、面白いと思いますよ」

変わりえないライブの価値

状況がビビッドに変化しつつあった矢先の2020年からのコロナ禍だが、OTOTOYにはどう影響したのだろうか。

「ダウンロード販売はコロナ禍前からもジワーッと右肩上がりだったんですが、コロナ禍になって急激に2倍から3倍に伸びました。外出自粛でCDショップには行けないけど、高音質のデータで所有したいというリスナーのニーズに合ったんでしょうね。ハイレゾ配信はほかのサイトでもやってきたけど、ロスレス配信を以前からやっていたのはOTOTOYだけなので。メジャーとのバランスをとりつつ、インディーズのアティテュードを忘れずにやってきた成果かなと思ってます」

守谷氏は、アーティストと契約するか否かの判断をコロナ禍前は必ずライブを観てからしていた。しかし、ライブができない現状の中、サブスクで音源を聴き惹かれたアーティストと、ライブを観ずに契約に至ることもあるという。

では、今までインディーズシーンを支えてきたライブハウスはこのまま存在価値をなくしてしまうのだろうか。

「レーベルの人間なので、音源のプライオリティは高いですが、ライブはアーティストの人間的な魅力やポテンシャルが伝わる場所なんですよね。その価値はなくなりようがないと思います。楽曲の再生方法は変わっても、ライブを観る手段はほかにないですから。配信ライブもみんな飽きてきてるわけですし(笑)。ライブが主戦場のアーティストはその楽曲のよさを発信しやすくなっているし、ライブが苦手な人もアピールする場所が増えたということだと思います」

サブスク、YouTubeに続き、TikTokやまだ見ぬメディアから続々と新しいアーティストが登場する一方で、ライブハウスの可能性も尽きることはない。変わる部分と変わりえない部分の両輪が、これからもシーンを前に進めていくだろう。