アイドルグループAMEFURASSHIのメンバー・小島はなが自身のTwitterアカウントで「#小島はなの毎日ものまね」と題して公開しているモノマネが、一部アイドルファンおよびお笑いファンの間で話題を呼んでいる。星野源主演ドラマ「去年ルノアールで」の同名原作やピース・又吉直樹との共著「蕎麦湯が来ない」など多くの著書を発表し、また数々の芸人にコント脚本を提供している作家のせきしろも彼女のモノマネに注目している1人だ。唯一無二の進化をたどる小島のモノマネワールドの魅力をせきしろにつづってもらった。
文 / せきしろ ヘッダービジュアル / 小島はな(AMEFURASSHI)
「これはモノマネなのか?」という疑問
初めてステージ上の小島はなさんを見たとき、「モノマネの子だ!」と興奮したのを覚えている。
小島はなさんのモノマネを知ったのは2021年の夏だ。Twitterのタイムラインに突如「#小島はなの毎日ものまね」のハッシュタグとともにモノマネをしている小島はなさんが現れた。私がフォローしている人の中に熱心なAMEFURASSHI(当時の表記はアメフラっシ)のファンの方がいたから、それは必然であったといえよう。
AMEFURASSHIというグループは知っていたもののメンバーの名前までは知らなかったから、私はその日初めて小島はなさんを認識した。言うならば私は「モノマネ新規」なのである。
そのときやっていたモノマネは「高嶋ちさ子さんのモノマネ」であった。おもちゃのギターをバイオリンのように持っている姿はまさに高嶋ちさ子さんであって感心した。同時に高嶋ちさ子さんをチョイスしているところにセンスを感じた。
次に目にしたのは「おしん」のモノマネだった。完成度の高い画像の中の小島はなさんは、おしんに似てなくはないし、似せる努力もしているが、顔マネと言ってしまうのは違う気がした。おしんのコスプレ、ともまた違う。言うなれば世界観のモノマネである。
加えて「おしん」のチョイスである。「おしん」が放送されていたのは私が中学生くらいだったはずだから、小島さんは知らなくて当たり前の作品だ。再放送で観たのか、あるいは身近なところにおしん好きがいたのか、知るきっかけはさまざま考えられるがそこはいずれでもよい。とにかく高嶋ちさ子さんのときと同様おしんのチョイスという行為に非凡なものを感じた。
いつしか私は小島はなさんのモノマネを観察するようになった。「スラムダンク」で言えば、山王工業の河田が桜木を観察したいと思ったのと同じである。
過去のモノマネを見て、日々更新されていくものを見て、また過去のものを見直すのが日課となった。そのたび小島はなさんのセンスに触れ、それが際立ったものであると確信していった。
同時にぼんやりとした違和感のようなものが生じていった。違和感の正体は「これはモノマネなのか?」という疑問である。自分が知っているモノマネの定義に当てはまらない作品がいくつもあり、私は戸惑い続けた。
とはいえその違和感は決してマイナスのものではなく、その違和感からさらに気になって仕方なくなり、私を小島はなワールドへと引き込む力となった。
やがて1つの結論へたどり着く。これは新しいモノマネなのだと。無駄に年を重ねた私が固執しているモノマネとは違うのだ。
刻々と進化し続ける小島はなのモノマネ
自分が触れてきたモノマネを思い出してみる。幼少の頃のモノマネは、動物の鳴きマネや純粋な歌マネが主流だったと記憶している。やがてコロッケさんが言葉を発せずに曲に合わせて動きだけのモノマネをしているのを見て子供ながらに衝撃を受けた。当時はいわゆるモノマネのモノマネが多く、フレーズだけのモノマネ、例えば「僕ドラえもんです」や「こんばんは森進一です」などを言うスタイルが主流であったが、清水アキラさんがセロテープを使用したり、栗田貫一さんが「もしもシリーズ」を発明したりと既存のモノマネに企画性が加わり進化していった。またお馴染みのフレーズではなくドラマのワンシーンのセリフを完コピするモノマネが登場した。松村邦洋さんの加藤優のモノマネや春一番さんのアントニオ猪木のモノマネなどがそれで、私はそのリアリティに感動した。やがてそのリアルの部分は研ぎ澄まされていき、「細かすぎるモノマネ」となっていった。
小島はなさんのモノマネはその次の段階ということだ。まさに“今”のモノマネなのだ。しかもそれは刻々と進化している。いつしか違和感はきれいに消えていた。
では具体的にどう新しいのか、それを知ってもらうには実際にモノマネを見てもらうのが早い。私が衝撃を受けたモノマネをいくつか紹介しよう。
「フードコートで頼んだものを待っているはなのモノマネです」
通常、モノマネをするには対象になるもの(人間、動物、乗り物など)が必要になる。さらにそれが実在するものなのかそれとも実在しないものなのかに分岐していくのだが、ここではそれはとりあえず置いておいて、このモノマネは対象が自分という稀有な作品である。本来なら「フードコートで待っている小島はなさん」を見ている「小島はなさん以外の人」がやるべきものであるのに、自分で自分をマネている。つまり自分を作品にしている。このモノマネは私小説であり、もはや文学なのである。
「今日はホテルなので誰しもがやる挟まれてるシーツを足で解放してあげるモノマネです」
ベッドメイキング時にマットレスの下に折り込まれるアッパーシーツ。そのまま寝ると窮屈に感じてしまうために折り込まれている部分を外に出す作業をするわけだが、そのときの様子のモノマネである。
通常ならば「シーツを解放する小島はな」を見せるわけで、モノマネしている小島はなさんが映っていなければいけない。ところがシーツだけが映っている。そのため我々はシーツが解放されていく過程をただただ見ることになる。
そう、これは主観のモノマネなのだ。小島はなさんの目線で見るモノマネである。森進一さんのモノマネをしている人が見ている風景を見せられているのと同じだ。これが新しいモノマネではなくて何が新しいというのだろうか。
「今日はリクエストがあったバンクシーのものまねです!はなが想像するバンクシー!こんな感じ!」
正体がわからず、謎に包まれているバンクシー。モノマネするには圧倒的に情報不足であるが小島はなさんはチャレンジした。
似たようなモノマネとして、歴史上の人物のモノマネがある。音声が残っていないから、声を想像し、いかにも言いそうなことを話すというものだ。人物に関する逸話や肖像画が残っていることが多いため受け手にある程度の情報がある状態でのモノマネであるから、入り込みやすく楽しみやすい。
ところがバンクシーではそうはいかない。ほぼゼロから作らなければいけない。それならばなんでもいいから簡単だろうと思う人もいるだろうが、自由度が高いと難易度は増すものだ。それなのにやり遂げてしまった小島はなさん。「こんな感じ!」の説得力の前に私たちは頷くしかない。
「すい君によるモップのものまねです」
こちらは小島はなさんがモノマネをしていない。しているのは愛犬のすい君である。しかし、すい君が自ら何かしているわけではない。寝ているだけである。その姿がモップに見えたというものだ。つまりこれは、「誰もモノマネをしようとしてないモノマネ」なのである。名付けるのなら「偶然モノマネ」だろうか。人々が行き交う交差点や木々を撮った写真がBOØWYのロゴに見えたというのと同じである。
これは「写真でひと言」の方式でもあるのだが、ただのモップというボケだけで終わらせることなく、モノマネに昇華させた小島はなさんは、モノマネのプロデュース力にも長けていると言える。
「パントマイムのものまねです!どう?よくね?」
ある意味一番の問題作である。
投稿されているのは小島はなさんがパントマイムをしている動画である。これを見たすべての人が思うこと。それは「パントマイムのモノマネではなくてパントマイムなのではないか」ということ。
たとえば「が~まるちょばさんのモノマネ」や「中村有志さんのモノマネ」と書いてあったなら私たちは混乱せずにモノマネを観られるのだが、そうではない。しかしそのそうではないところが小島はなさんの真骨頂である。
いわばこのモノマネはボールを投げる動きをして「野球のモノマネ」と言ったり、ボールを蹴る動きをして「サッカーのモノマネ」と言うスタイルのモノマネだ。「細かすぎて伝わらないモノマネ」を経て、小島はなさんのモノマネは「大きすぎて伝わらないモノマネ」に進化しているのである。
「相田みつをさん風な言葉を書いてみました!これモノマネでしょうか?」
次々と独自のモノマネを繰り出していく小島はなさんであるが迷っていたときもあった。相田みつをさんのモノマネのときだ。「これモノマネでしょうか?」と自問自答している。
「相田みつをが書きそうな色紙」を持っているだけのモノマネであり、「文字マネ」と言えよう。文字を似せるという、平面的で二次元的なアプローチをした、これまた新しいスタイルであるのだが、モノボケから派生したモノマネと見方を変えると、さらに汎用性が高いモノマネとなる。
たとえば桜の木の枝を持って「ワシントンです」と言えばワシントンのモノマネであるし、ケーキを食べて「マリー・アントワネットです」というのもできる。壊れかけたラジオを持って「徳永英明です」もある。コンタクトを落として「達川光男です」すらあるのだ。
小島はなさんの発明である。
長々と書いてきたわけだが、小島はなさんのモノマネには、メンバーのモノマネやファンのモノマネなんかもありつつ、時にはオーソドックスなモノマネもあり、絶妙に緩急がつけられていて飽きることはない。興味を持たれた方はぜひ小島はなさんのTwitterを見てもらいたい。
これほどまでにモノマネについて考えるときがくるとは思ってもいなかった。貴重な機会を与えてくれた小島はなさんには感謝である。
また、小島はなさんのモノマネの話ばかりしてたら書く場所を与えてくれた音楽ナタリーの望月哲さん、そして小島はなさんのモノマネを知るきっかけを与えてくれ、かつ今回のためにモノマネをまとめてくれた新井みかんさんにも感謝である。