鮎川誠(SHEENA & THE ROKKETS)の“ロック葬”が本日2月4日に東京・星かげの迎賓館で行われた。
鮎川は1948年に福岡県久留米市で生まれ、1970年にロックバンド・サンハウスを結成。1978年に妻・シーナとともにSHEENA & THE ROKKETSを結成し、同年10月にシングル「涙のハイウェイ」でデビューした。2015年2月にシーナが子宮頸がんのため亡くなったあともオリジナルメンバーの奈良敏博(B)、川嶋一秀(Dr)とともにバンドを継続していたが、昨年5月に膵臓がんが発覚。医師から余命5カ月程という宣告を受けるも「みんなに心配をかけたくない」という強い希望から病気を公表せず、治療を続けながらライブ活動を続けてきた。昨年末に一時入院し、その後はライブへの復帰を目指して回復に努めていたが、今年1月29日に亡くなった。
2015年のシーナの“ロック葬”と同様に、多くの人が弔問に訪れた本日の葬儀。業界関係者、一般の参列者合わせて約4000名が駆けつけ、式場の最寄り駅である代田橋まで列が途切れないほどだった。BGMに使われたのは鮎川がライブの開場時や終演後に使用していた楽曲の数々。式場内にはシナロケの作品はもちろん、チャック・ベリーやボ・ディドリーなどのロックンロールナンバーが流れ、鮎川のバイクやギター、アンプ、シーナの写真、シナロケのレコードやポスターなどの思い出の品々が飾られた。
参列者による弔問の前には画家の長女・鮎川陽子、シナロケのマネージャーである次女・鮎川純子、LUCY MiRRORとしてシナロケのゲストボーカルを務めてきた三女・鮎川知慧子が報道陣の取材に応じた。「父との一番の思い出は?」という質問に対し、陽子は「ライブでレスポールを弾いているお父さんは世界一カッコよくて。ファンの皆様にもいっぱい愛されて本当に幸せだったと思います」と語り、純子は「北海道から宮古島まで昨年ツアーができて、本当に全部が最高の思い出ばかりで。どこの土地も熱いファンの方がいっぱい待ってらして、その時間1つひとつが宝物として心に残っています」とコメント。知慧子は「お母さんが死んだあとに私が歌うことになったんですけど、父の甘くて優しいギターの音色で歌えて、すごく幸せな時間を共有できました」と追想した。
棺の中に入れたものを聞かれると、陽子は「お父さんが着てたものばかりです。本当はレスポールを入れたいんですけど。あと、サングラスをかけてます」と回答。祭壇に飾られた写真については、「『ROKKET RIDE』というアルバムが2014年に発売されたんですけど、そのときにアルバムのジャケット写真と一緒に鋤田正義さんが撮影してくれた写真で。お母さんの遺影と同じタイミングの写真で、同じ雰囲気の写真をこういうふうに飾りたいと思いました」と説明した。
また、純子は「父は亡くなる前までずっと音楽のことばかり考えていて。少しでもSHEENA & THE ROKKETS、そしてお父さんとお母さんがやりたかったことを形に残してみんなに聞いてもらうこと、それが私の願いでもあります」とシナロケに対する思いを口にし、知慧子も「私は父のギターに中毒していて。ないことが耐えられない。先のことは全然考えられないですけど、しばらくはお父さんのレコードを聴いて過ごします」と言葉を紡ぐ。シナロケで一番好きな曲を尋ねられると、陽子は「Sweet Inspiration」、純子は「レイジー・クレイジー・ブルース」、知慧子は「浮かびのピーチガール」を挙げ、改めてシナロケの楽曲の素晴らしさを語った。
なお本日の“ロック葬”では式場を訪れた人のほか、細野晴臣、坂本龍一、浅井健一、藤井フミヤ、堺雅人、サザンオールスターズ、福山雅治ら多くの著名人が供花を送って弔意を表した。