谷村新司が10月8日に亡くなったことを、所属事務所の株式会社ダオが本日10月16日に発表した。74歳だった。
今年3月に腸炎の手術を行い、回復に向けて療養を続けてきたという谷村。葬儀は近親者のみにで10月15日に執り行われており、後日故人を偲ぶ場が設けられる。戒名は谷村の「歌を創作し 歌い 伝える旅を続けてきた人生」にちなみ、「天昴院音薫法楽日新居士」(てんぼういんおんくんほうらくにっしんこじ) と付けられた。
谷村の死去を受け、アリスのメンバーである堀内孝雄と矢沢透もコメントを発表。堀内は「突然の別れに驚きを隠せません。来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけに、とても残念です」、矢沢は「谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。思い出せば必ず胸にやってきます、どうか谷村を忘れないで下さい」と追悼の言葉を寄せている。
谷村は1972年3月にアリスのメンバーとしてデビューし、「冬の稲妻」「チャンピオン」など多数のヒット曲を発表。アリスの活動休止後の1982年からはソロ活動を本格化させ、1992年には加山雄三との共作で「サライ」をリリースした。アリスは2000年に活動を再開し、昨年11月には東京・有明アリーナにて活動50周年を記念したアニバーサリーライブを開催した。
堀内孝雄 コメント
チンペイさん
突然の別れに驚きを隠せません。
来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけに、とても残念です。
僕にとってのチンペイさんは、50年来の親友であり、
「アリス」のリーダーであり、
そして良きライバルでした。
学生時代に、「プロにならないかと?一緒にアリスをやろう」と、
誘ってくれたとき、心の底から嬉しかった。
チンペイさんが、あの時誘ってくれなかったら、今の僕はありません。
ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せでした。
また、いつか空のほとりで一緒にライブをやろうね。
もうちょっと待っていてね、キンちゃんと、もう少しだけ頑張るね。
心から、ありがとう。
安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます。
矢沢透 コメント
東京に住む僕と大阪に住む谷村と、何の因果か運命の出会いか
堀内を紹介され3人アリスとして歩み始めました
時にはいがみ合い、時には抱き合い
幾多の苦難も喜びも共有し、無我夢中で駆け抜けた
そして気が付けば51年という長きに渡って谷村と関わるとは…
あの日からは想像もしませんでした。
若さの灰汁も抜け「これからは本当に音楽を楽しんでやっていこうね」
と新しいアリスの始まりに胸躍らせていた矢先のことでした。
谷村なら大丈夫、谷村ならきっと戻ってくる、
根拠のない確信めいたものを感じておりました。
でも谷村は戻ってきませんでした!
もういないんです。悲しいというより悔しいんです。
谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。
思い出せば必ず胸にやってきます、どうか谷村を忘れないで下さい。
今まで谷村をアリスを応援してくださってありがとうございました。