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Cody・Lee(李)高橋響が世田谷代田で語る「世田谷代田」

世田谷代田駅前に佇むCody・Lee(李)高橋響。
9分前2025年06月17日 9:02

“地名をタイトルに冠した楽曲”を発表してきたアーティストに、実際にその街でインタビューを行うこの連載。「なぜその街を舞台にした曲を書こうと思ったのか」「その街からどのようなインスピレーションを受けたのか」「自分の音楽に、街や土地がどのような影響を及ぼしているのか」……そんな質問をもとに“街”と“音楽”の関係性をあぶり出していく。

数々のバンドを輩出した街・下北沢から小田急線で1駅、歩いて約10分──今やドラマ「silent」のロケ地としてもおなじみの場所・世田谷代田。下北沢の喧騒から少し離れ、環七沿いにひっそりと佇むこの土地を、Cody・Lee(李)が3年前に歌にした。それが「世田谷代田を越え抱いた」というキャッチーかつインパクトのあるフレーズで幕を開ける「世田谷代田」だ。Cody・Lee(李)はそれまでもかなりの頻度で街の名前を歌詞に登場させてきたが、「桜町」「東京」「世田谷代田」の3曲には、地名のみがそのままタイトルに冠されている。高橋響(Vo, G)の地元である桜町や、幾度となくテーマにしてきた東京と並んで、なぜ世田谷代田がタイトルに冠され、曲の舞台として歌われたのだろうか。そしてなぜCody・Lee(李)の曲には、具体的な地名がやたら登場するのだろうか。そんな質問をぶつけたところ、彼のクリエイティブと街との関係性、自身のアイデンティティにもなっているという“地方出身がゆえの東京への思い”など、さまざまな話が飛び出した。

取材・文 / 石井佑来 撮影 / 小財美香子

富士356広場でボーッとしたり歌詞を書いたり

──わざわざ曲名に冠して、サビにも登場させているくらいなので、高橋さんにとって世田谷代田は思い入れの深い場所なのではないかと思っていたのですが、実際のところどうなんですか?

めちゃくちゃ土地勘があるとかではないんですけど、思い入れはありますね。「世田谷代田」と聞いてどの範囲を想像するかは人によって違うと思うけど、自分は新代田の手前から、下北沢 BASEMENTBARくらいまでをイメージしていて。そのエリアにまつわる思い出が、大きく2つあるんです。1つは、新代田FEVERにライブを観に行くときに、だいぶ早めに着いてしまって、よく世田谷代田駅近くをうろうろしていた思い出。そしてもう1つは、BASEMENTBAR付近でCody・Lee(李)の活動がスタートしたということ。その2つが、自分の中での世田谷代田の記憶としては強いです。

──BASEMENTBARまでというと、範囲としてはけっこう広いですよね。

そのへんは自分の中でもかなり曖昧で。例えばBONUS TRACK(下北沢駅と世田谷代田駅の間に位置する商業施設)なんかも自分の中では“世田谷代田にある場所”というイメージです。

──そのエリアの中で、特に思い入れの深いスポットはどこですか?

世田谷代田駅付近だと富士356広場ですかね。大学を卒業してすぐの頃、それこそ新代田FEVERでライブを観るまでの時間をつぶしたり、当時住んでいた三軒茶屋から散歩しに来たり、けっこうな時間を過ごしたと思います。三軒茶屋から歩いて25分くらいだから、往復したらラジオを1本聴き終わるぐらいの距離感で。それもちょうどよかったんですよね。真下が線路だから電車がよく見えるし、夕方なんかは夕日もきれいで。ベンチでボーッと過ごしたり、たまに歌詞を書いたりしてました。

──「世田谷代田」はCody・Lee(李)にとってインディーズ最後の楽曲です。改めてこの曲がどのように完成したのか聞かせていただけますか?

「世田谷代田」は本腰を入れて作った曲ではなくて、僕がなんとなく歌った鼻歌からできたんですよ。「世田谷代田を越え抱いた」と口ずさんでスタッフに聞かせたら、思いのほかリアクションがよくて。それをそのまま曲にした感じなんです。だから「この曲でメジャーに羽ばたいていくぜ!」みたいな気持ちは全然なかった。ただ、結果的にすごく大事な曲になったし、今聴くと当時の解釈とは違ったいろんな思いが湧いてきます。

──確かに、「世田谷代田」はほかのCody・Lee(李)の楽曲と比べてもラフな手触りがありますよね。

そうですよね。そういう聴きやすさがあったり、フットワークの軽さがにじみ出ていたりするのが、あのタイミングで出す曲としては、むしろよかったのかなと思います。歌詞にはところどころ“インディーズ最後感”があるんですけどね。

「世田谷代田」に詰まった“自分にとっての東京”

──歌詞につづられていることは実体験なんですか?

“世田谷代田を越えて恋人に会いに行く”みたいな経験があるわけではないので、全部が全部実体験というわけではないです。でも、自分が見てきた景色や感じた雰囲気をいろいろ入れてはいて。下北沢から世田谷代田までの道のり、BONUS TRACKの近くにある保育園、新代田のえるえふるで飲んだときに通り抜けた商店街……そういういろんな情景を集めて作った曲ですね。あと、Cody・Lee(李)の音楽が持つイメージを単語で抽出して、それを歌詞に当てはめていったようなところもあって。だからけっこう断片的というか、ある意味走馬灯みたいなニュアンスもどこかに含んでいるんですよ(笑)。世田谷代田は、自分が上京してからわりとすぐの時期にいた場所なので、自分にとっての東京のイメージがいろいろ詰まっていると思います。

──まず「世田谷代田を越え抱いた」というフレーズが浮かんできたのは、やはりこのあたりで過ごしてきた時間の積み重ねがあってのものなんでしょうか。

もちろんそれもあるし……アルコ&ピースの存在も大きいと思います。

──アルコ&ピースの存在?

アルピーのラジオが大好きで、当時から毎週聴いていたんですけど、そこで平子(祐希)さんが「もともと世田谷代田に住んでいた」というお話をされていて。その回を聴いたすぐあとくらいに、このフレーズが浮かんできたんです。だから、特に意識していたわけではないけど、無意識で平子さんから影響を受けたんじゃないかなって。平子さんも「世田谷代田」をきっかけにCody・Lee(李)を知ってくれたらしいので、結果的にいろいろつながってよかったです。

──それにしても「代田」と「抱いた」を掛けて、しかもそれをサビにするってけっこう思いきった発想ですよね。

「世田谷代田」って都内近郊に住む人にしかわからないだろうし、それをサビで全面に押し出すのは、リスキーっちゃリスキーですからね。でも、周りのスタッフだけでなく自分までリスクを気にし始めたらどんどん面白くなくなってしまうというか、一般化されていっちゃうと思って。もともとCody・Lee(李)は固有名詞を使った曲が多いけど、いきなり地名から始まる曲はなかったし、自分たちにとって新しい試みでもあるなと。だったらリスクを背負ってでもやる価値はあるんじゃないかと感じたんです。最初はダジャレだと言われたりもしたけど、結果的にけっこういいワードになったなと思います。ちなみに「代田」って、実際はダイダラボッチが由来らしいんですよ。

──あ、そうなんですか。

ダイダラボッチの足跡みたいな窪地が今の世田谷代田付近にあったらしくて。ダイダラボッチよりは「抱いた」のほうがCody・Lee(李)っぽいんで、ちゃんと自分たちらしい形でまとめられてよかったです(笑)。

世田谷への憧れに今も縛られている

──「世田谷代田」もそうですけど、Cody・Lee(李)は“会いに行くソング”がすごく多いですよね。恋人やパートナーをはじめ、大切な人へ会いに行く瞬間がよく切り取られているなと。

僕が“会いに行く”という行為を尊ばれるべきものだと思っているというのはあるかもしれません。誰かを思って準備をしたり、誰かを思って電車に乗ったり、そういう時間って不純物がないというか。その相手だけに向けられた時間という感じがして、自分が考える“恋”という感覚にすごくフィットする。自分が好きで聴いてきたバンドも、そういう時間を描いた曲が多くて。“会う”という行為に重きを置いた表現が、僕はすごく好きなんですよね。

──そう考えると「世田谷代田を越え抱いた」というフレーズには、Cody・Lee(李)らしさを形作るエッセンスがかなり端的に詰め込まれていますね。誰かに会いに行く過程と結果の両方が短いセンテンスに含まれていて、なおかつそこに具体的な地名が使われている。

言われたら確かにそうですね。と同時に、「世田谷代田」は初めて自分の意見を歌った曲でもあるんですよ。それまでは風景描写が8割以上で、伝えたいことはサビでちょっとだけ言う、みたいな構成だったけど、「世田谷代田」は「はじめは誰もが賢くなれずに」「未知の先には後悔があるかも」とか、言いたいことを言っている時間が長い。自分の中のリリシズムの芽生えを捉えた曲で、ここから歌詞の幅が広がったような気がします。

──昨年リリースされた「下高井戸に春が降る」について高橋さんが「普段、世田谷線によく乗る」というお話をされていましたが、世田谷代田に限らず世田谷エリアは高橋さんの生活に根付いているんですね。

根付いてますね。やっぱりそこには田舎者の憧れもあると思います。岩手から出てきて、最初は大学があった埼玉に住んでいたけど、卒業してからはずっと世田谷区に住んでますから。岩手にいる頃からフィッシュマンズを通して世田谷を知っていたのもあって、「イケてるやつが集まる場所」というイメージが漠然とあったんですよ。で、BASEMENTBARとかに出るようになり、憧れがますます強くなっていった。BASEMENTBARでのライブ後に埼玉までの終電を逃すと、ブッキングしてくれた人が家に泊まらせてくれたりして。そういう経験を重ねていくうちに、「ここに住んでみたい」と思うようになったんです。

──実際に住んでみて、今は世田谷エリアにどういうイメージを持っていますか?

えっと……高い(笑)。

──あははは。それはたぶんそうですよね。

なので、このまま世田谷に住み続けるか、そろそろ見つめ直さなきゃと思ってはいるんですけど(笑)。ただ、自分を俯瞰したときに、なんとなく世田谷っぽさがある気がするし、「もっとこの街を知りたい」という気持ちはずっと持っていて。今も杉並区と世田谷区の間ぐらいに住んでいて、杉並のほうが家賃は安いけど、がんばって世田谷に住んでいるんですよ(笑)。どうしても消えない執着心があるというか、憧れに縛られているというか……それくらい自分の中で大事な要素ではあるんです。

──“世田谷で暮らしているからこそ生まれる表現”のようなものも、自身の作品にはあると思いますか?

あると思います。世田谷区とひと口に言っても広いので、一部エリアを除いてですけど、例えば品川区とか千代田区みたいなハイソで洗練された雰囲気とは違うじゃないですか。もう少しいなたさがあるというか。なんとなく暖色のイメージがあって、東京でありながら自分の地元に通ずる温かみを感じる。それが、自分の作る曲やサウンドの“洗練されてなさ”につながっているような気がします。

地名が出てくると無性にグッとくる

──世田谷代田に限らず、Cody・Lee(李)の曲には具体的な地名が頻繁に出てきますよね。今回の取材にあたって、場所にまつわる固有名詞が出てくる曲を書き出してみました。

・「トゥートルズ」
「東京へ Night Cruising」
「東京行の船に乗り込む」

・「江ノ島電鉄」
「鎌倉 和田塚 江ノ島を越えて藤沢」

・「東京」
「池袋行の準急電車」

・「桜町」
「桜町 僕らなら いつまでも一緒にいられると思ってた」

・「我愛你」
「ロンドン、香港、タリン、アスマラ」
「ウィーン、ドーハ、リヴァプール」
「高円寺、中野、吉祥寺、下北」
「トロント、バンコク、チュニス、ワルシャワ」
「北京、パリ、マドリード」
「笹塚、三茶、阿佐ヶ谷、新代田」

・「WKWK」
「台場の風は冷たいね」
「東雲JCTと高層タワーマンション」

・「winter」
「冬の冷たさは 東京も変わらないね」

・「しろくならない」
「東京はもうすっかり冬の匂いで寂しいです。」

・「冷やしネギ蕎麦」
「高円寺陸橋 流れるだけの日々を君と辿ったなら」
「山手通りちょっと先」
「素直だね 不動前」
「世田谷線 待ち合わせ キャロットタワーの下にしよ」

・「W.A.N.」
「大井町で君を探す」

・「おどる ひかり」
「隅田川に降る夕陽」

・「在夜市再見 feat. タブゾンビ(SOIL&“PIMP”SESSIONS)」
「台北メトロ飛び乗って」

・「1R DISCO」
「東京 トレンドを逆行」

・「DANCE扁桃体」
「田園都市線の改札前で」

・「下高井戸に春が降る feat. GOMESS」
「下高井戸にあるいつもの喫茶店で」
「京王線はまだ 踏切閉じたまま」

自分でも多いとは思ってましたけど、こう見ると改めて多いなと実感しますね(笑)。

──具体的な地名を頻繁に使うのはどういう理由からなんですか?

これはもう、単純に自分がそういう性質の人間なんです(笑)。昔から、好きなアーティストの曲に地名が出てくると無性にグッとくるような感覚があって。よしむらひらくさんという、すごく尊敬しているシンガーソングライターの方がいるんですけど、その人の曲にも地名がたくさん出てくるんですよ。それを聴くたび、夏の夕方にシャワーを浴びて散歩に出たときのような胸の締めつけを感じてしまう。そういう気持ちに、自分の音楽を聴いた人にもなってほしくて。例えばくるりの「京都の大学生」にも、「四条烏丸」「左京区」とか知らない地名がたくさん出てくるけど、行ったこともないのにノスタルジーを感じたり、そこで暮らしていた人の息吹を感じたりしてグッとくる。出てくる名詞が具体的であればあるほど、意外と誰にでも伝わる表現になるのかもしれない。

──Cody・Lee(李)の曲には地名以外にも固有名詞がたくさん出てきますもんね。

中でも土地にはいろんな人の思いが根付いているから、地名を具体的に出すのは、歌詞の間口を広げることにもなると思うんですよ。より共感してもらいやすくなったり、風景を思い浮かべてもらいやすくなったりする。自分が「京都の大学生」を聴いてグッときたように、その街を知らない人にも共感してほしいけど、やっぱりそこに住んでいた人に何かを思い出してもらえるのが一番うれしくて。

──それこそアルコ&ピースの平子さんが「世田谷代田」を聴いて何かを感じたように。

そうそう。あと、具体的な地名を出すのは、僕がヒップホップを好きだというのも影響しているかもしれないです。

──なるほど。ただ、Cody・Lee(李)の場合は、地元をはじめとした特定の場所やコミュニティをレペゼンするのとはまた違いますよね。東京23区の西側が多いとは言え、出てくる場所は基本的にバラバラで。

それは確かにそうですね。でもバラバラなようでトーンは統一されているような気がします。自分が行ってビビッとくるものがなかった場所については書かないですし。

──ということは、歌詞で使われているのは基本的に行ったことのある場所?

「ウィーン、ドーハ、リヴァプール」とかはさすがに違いますけど(笑)、基本的にはそうですね。例えばアニメのタイアップになっていた「おどる ひかり」は、歌詞が全然思い浮かばなくて、そのアニメの舞台になっている月島に行ったんですよ。そこで「隅田川に降る夕陽」というフレーズが出てきて。それくらい、歌詞を書く取っかかりとして“場所”というのはとても大切。「江ノ島電鉄」も今の妻と旅行に行ったときの体験からできた曲ですし、「W.A.N.」に出てくる大井町も、大井競馬場でのフリマに行ったときに降り立ったはず。たまにファンの方が、歌詞に出てくる場所を聖地として訪れてくれたりするんですけど、たくさんあるから大変だろうなと思います(笑)。

──スタンプラリーとかできそうなくらいありますね。

本当に(笑)。最近はライブで海外に行く機会がけっこうあるので、海外が舞台の曲もこれから作っていきたいです。

あの頃感じた匂いを忘れないようにしてきた9年間

──具体的な地名が頻繁に出てくるのは、Cody・Lee(李)が生活や暮らしを表現の軸に置いていることとも関係ありそうですよね。

そうですね。僕は特別な才能があるかというとそうではなくて。誰も気付かないことに自分だけが気付いて、それを俯瞰した目線で書ける能力とかはないと思っているんです。であれば、自分が体験したことを自分の温度感で伝えるというのが、与えられた使命のようなものなのかなって。そこは生涯通して突き詰めていきたいです。自分が体験したことをその温度感のまま表現するという意味で、曽我部(恵一)さんがロールモデルだと思っています。

──確かに、曽我部さんは自分の体験すべてをアウトプットしている印象があります。

あと、自分は東京生まれじゃないというのも大きいと思っていて。田舎から出てきた人の視点で東京を見るというのは、自分だからこそできる表現なのかなと。例えば、この連載の第1回に出ていた高城さん(参照:今日もあの街で名曲が 第1回 cero高城晶平が武蔵野で語る「武蔵野クルーズエキゾチカ」)と自分とでは、仮に同じ街を見ていたとしても、また違う目線があるというか。

──特に初期の作品には“地方から東京へ出てきた青年のストラグル”が生々しく描かれていましたよね。その頃と比べて、東京という街への眼差しは変化しましたか?

めちゃくちゃ変化しましたね。上京したての頃に感じた池袋駅の排気ガスやゴミの匂い、もっとさかのぼると中学生の頃に上野のビジネスホテルで感じたタバコ臭さ……そういう匂いへのアンテナが自分の中で弱くなっているような感覚があって。それがすごく怖いです。「そういう感覚すらも東京で生まれた人と一緒になってしまったら、自分の価値はどこにいってしまうんだろう」と、僕は本気で思ってる。あの頃感じた匂いをとにかく忘れないようにしてきた9年間だったというか……でも、だんだん気付かないようになっちゃいましたね。だからこそたまに地元に帰って、感覚をチューニングしてはいるんですけど。

──高橋さんにとって“匂い”が東京と地元の違いを象徴するものなんですね。

やっぱり東京と岩手では匂いがまったく違うんですよ。メンバーの原(汰輝)が東京生まれ東京育ちなんですけど、匂いについての話が全然噛み合わなくて。そこで「これは自分が田舎から出てきたから感じるものなんだ」と気付きました。

──“匂い”への感覚を失うことへ怖れを感じるというのは、自身の中でそれだけアイデンティティとして強いということですよね。

強いというか、もはや「自分にはそれしかない」と言ってもいいかもしれない。妻を大事にしたいとか、そういうことと同じくらい「東京に出てきたときの感覚を忘れたくない」という思いは自分にとって大切なもので。それくらい、上京ってすごく大きな出来事だったんです。9年経った今でも、新幹線に乗った瞬間のことは鮮明に覚えているし、それが音楽を作るうえでの原動力になっている。だからこそ、東京で生まれた人と何もかも同じになってしまってはダメだなと。

──「世田谷代田」のリリース時、高橋さんは「5年後とかに今では想像もつかないような音楽をやっていたとしても、『世田谷代田』を聴いたら、あ、俺らこんなバンドだったなって確認できる曲ですね」とおっしゃっていました(参照:2022年ブレイク筆頭候補バンド・Cody・Lee(李)「人力でやったほうが面白い、そこからあたたかみを感じてもらえたら」)。リリースからまだ3年ではありますが、今この言葉を振り返っていかがですか?

めちゃくちゃ当たってるなと思います。ライブでこの曲を演奏すると「戻ってきた」という感覚になるんです。演奏するたび特大のノスタルジーを感じて、いろんな記憶がよみがえる。それは“自分たちが戻ってくる場所”として機能しているということなのかなって。実は、最後の単語の羅列とかコーラスの感じは、別の曲のデモで試したことがあるんですよ。でも「世田谷代田」みたいな雰囲気は出なくて。やっぱりあのときの自分だからこそ作れた曲なのかなと思いますね。きっと今の自分じゃ作れない。そんな気がします。

プロフィール

高橋響(タカハシヒビキ)

4人組バンドCody・Lee(李)のボーカル&ギター担当。2020年12月にリリースしたアルバム「生活のニュース」のリード曲「我愛你」のミュージックビデオが台湾やアメリカを中心に世界各国で話題を呼ぶ。2022年5月にアルバム「心拍数とラヴレター、それと優しさ」でメジャーデビュー。「FUJI ROCK FESTIVAL」など大型フェスティバルにも多数出演している。

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