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tofubeatsがメジャー契約を決めた意外すぎる理由とは?

tofubeats
18分前2025年08月01日 10:05

音楽ライターの松永良平が、さまざまなアーティストに“デビュー”をテーマに話を聞く連載「あの人に聞くデビューの話」。ネット発の若きサウンドクリエイターとして10代の頃から注目を浴び、高校在学時にソニーと育成契約を締結、名曲「水星」のヒットで一躍時の人となるなど傍から見れば順風満帆なtofubeatsの音楽人生ではあるが、当の本人は思い通りにいかない戸惑いや焦燥感を長らく抱えていたのだという。後編となる今回は、訴訟すれすれだったという「水星」のリリース秘話やそこから生まれたTOWA TEIとの不思議な縁、ワーナーとのメジャー契約を決めた意外すぎるエピソードなどを語ってもらった。

取材・文 / 松永良平 撮影 / 山口こすも

名曲「水星」誕生

──前編は、ソニーの育成部門で高校3年から大学卒業前まで5年間を過ごしたものの結局デビューできなかったという話でした。でも、その不遇と入れ替わるように起きることがすごすぎるんです。まずtofubeats第一次絶頂期の名曲「水星」が、2010年に生まれます。

第一次どころか、このときの財産で今もやっている感じなんですよ(笑)。

──正式タイトルは「水星 feat. オノマトペ大臣」。大臣とのコラボレーションは、2009年にbandcampでリリースした「Move Your Body」を皮切りに、iTunesでヒットした「BIG SHOUT IT OUT」(2010年)と続いていて。

そうですね。大臣は僕をすごく買ってくれていました。曲をリリースするときも「自分はお金はいらないし、なんでもやりたいことをやろう」と僕を後押しして曲を作らせてくれて。大臣は就職して千葉かどこかに住んでいて、神戸に帰ってきたときに一緒に曲を作って配信のラジオを録るみたいな感じでした。「水星」はそんな日々の中で、突然ポン!ってできた曲です。クラブでパフォーマンスするとすごく盛り上がるので、「これはもしやいける?」という感じになって、まずは自分でフリー音源としてネットにアップしました。あの曲は、じわじわと評判を呼び、これはレコードを出したほうがいいかもという流れになり、その後正式に配信することになり、時間をかけて世に出していった感じです。

──「水星」が徐々に話題になって、12inchレコードが出たのが2011年11月。「水星 EP(配信限定ver)」としての配信開始が、2012年の6月です。僕は、スカートの澤部渡くんが「水星」をSNSで勧めていて、それがきっかけでレコードを買いました。

「水星」は神戸にあったレコード店JET SET(神戸店は2007年に閉店し、現在は京都と下北沢で営業中)のレーベルからリリースしたんですが、そこにも面白いつながりがあって。高校生の頃、JET SETに行ったら自主制作のCD-Rを取り扱っていて、それが衝撃的だったんです。当時、僕はCan☆Doという100円ショップでバイトしていて、バイト代が入ったら隣にあった島村楽器の機材を買うという流れがあったんですよ。でも、高3のときにCan☆Doが潰れちゃったので、どうしたらいいですかねってJET SETの店員さんに相談したら「CD-Rでも出したら?」と言われたんです。「そうか、自分で作った音源を店に置けるんだ!」と気が付いて、それからCD-Rを委託販売してもらうようになり、そのお金でパソコンが買えました。そういう関係もあったので「水星」のアナログ盤はJET SETさんからリリースすることになったんです。

──「水星」のフィジカルが最初にCDではなくレコードで出たのもカッコよかったんですよ。

自分でもレコードで出したいと思っていました。自分の曲がレコードになるのが夢だったんですよ。CDにも思い入れはありましたけど、CD-Rはもう自分で作って売ってたんで、次はレコードで出したいなと。レコードとしては、柳田久美子さんの「君のせいなんだ(TOFUBEATS SEVENTEEN REMIX)」が2008年に出てるのでそれが先なんですけど、自分名義のレコードが出せたらいいなとずっと思っていて。「水星」で夢が叶いました。

──ジャケットに使用された神戸港の夜景の写真がものすごく印象的で、あれも含めて完璧な作品だなと今も思ってます。

自分で撮った写真なんです。今はポートタワーの横に結婚式場が建っていて、あのジャケの景色じゃなくなってるんですよ。天然で撮ったわりには考えてやってたように見えるなと、今となっては思いますね。

デビューをあきらめ一旦は就職を決意

──「水星」は、TOWA TEIがプロデュースを手がけたKOJI 1200の楽曲「Blow Ya Mind- I LOVE AMERICA」(1996年)を大胆に下敷きにした曲です。

「水星」はテイさんとのつながりから生まれました。今日も取材前にテイさんとLINEでメッセージのやりとりをしていたんですけど、まさかそんなことができるような仲になれるとは思ってませんでした。最初にフリーで配っていた「水星」は音源(「Blow Ya Mind」)をそのままサンプリングした状態だったので、レコード化するにあたってはフレーズを弾き直さないといけなかったんです。僕も10代から権利関係の問題はわかっていたので、テイさんと同じ事務所に所属していたDorianさん経由で、テイさんに宛てて許諾をお願いする手紙とデモ音源を送りました。ところが、それが手違いでテイさんの手元まで届いておらず、そのうち、吉本興業に「Blow Ya Mind」のフレーズをサンプリングしていることがバレてしまった。吉本からテイさんに「訴えたら勝てますよ」って電話がかかってきたそうです(笑)。それでも、すったもんだありつつ最終的にはクリアランスが取れました。そういう経緯もあって、レコードの発売から配信開始まで間が空いたんです。

──OKになったのは、テイさんの力添えもあった?

僕が吉本から権利侵害で訴えられて身ぐるみ剥がされなかったのは、完全にテイさんの配慮ゆえでした。手元に届いていなかったとはいえ、ちゃんと手紙を出していたし、ほかにもいろんな大人たちが動いてくれたり、僕も持てるすべてのコネを使って奔走していた記憶はありますね。とにかく、僕からしたらあの結末は完全なる命拾いでした。

──「水星」が大きな話題を呼び、ワーナーからのメジャーデビューにつながった?

実はそんなこともないんです。「水星」をレコードで出したときは、たぶんまだソニーの育成部署に所属していたんじゃないかな。僕を担当してくれていた杉生(健)さんはこれでソニーからデビューできるかもと思ったようですけど、僕らとソニーには受け止め方のギャップがあって。レコードが1000枚売れたってメジャーレーベルにとってはたいしたインパクトがなかったんですよね。結局、大学を卒業したら就職することに決めました。実際、内定していた会社もあったんですが、体調を悪くしたので一旦見送りになって。その休んでいる間に、「水星」が売れて、いくらか手元にお金もあったんで、じゃあ最後にこれまでの思い出作りとしてインディーズでアルバムを作ろうという話になったんです。

──それが「lost decade」(2013年)。

はい。これまでの人生のベストアルバムということで、1年間かけて作りました。ちゃんとCDを工場でプレスして、流通させて、同時に配信リリースもして。それらの作業をやりきったら、きちんと就職しようと思ってました。そしたら、アルバムを作ってる最中に「水星」や「BIG SHOUT IT OUT」を配信してくれた会社の人が動いてくれて、ワーナーさんと契約の話をつけてきてくれたんですよ。当時、ワーナー内でunBORDEというレーベルを主宰していた鈴木竜馬さんとお会いして、すごくいい感じだったんで、ここでやりましょうという流れになりました。「lost decade」に関しても、原盤権は僕が持っていて、自宅に1万枚くらいのCDが届いたんですけど、その後の流通はワーナーさんが担当してくれたんです。なので「lost decade」で、半メジャーデビューを果たしたことになりますね。

紆余曲折を経てunBORDEからメジャーデビュー

──デビュー後も上京せずに神戸で活動を続けるのも最初から決めていたんですか?

そうですね。神戸にいる気満々でした。条件を出したというより、「もちろん(神戸にいるままで)いいですよね?」と言ったら、ワーナーの人も「いいじゃん、いいじゃん」って感じで。当時のunBORDEって、メジャーの中のはみ出し者とまでは言わないですけど、変わったアーティストを受け入れようというノリがあったんですよ。神聖かまってちゃんとかtofubeatsみたいなオタクもいたほうがいいからさ、みたいな感じだったのかな(笑)。いろいろ好き勝手にやらせてくれた記憶はあります。

──デビュー直後は、神戸へのこだわりがフォーカスされてましたよね。

自分もそこは意識してました。「東京に行ってたまるか」みたいなところもあった(笑)。当時は、関西にいるとトレンディじゃないみたいな風潮があったし、東京が恵まれてることを勝手にすごく意識して、自分の中で仮想敵みたいにしてましたね。やすとも(海原やすよ ともこ)の漫才みたいな心理状況に陥ってた(笑)。東京には東京の難しさがあると、のちに引っ越してからわかるんですけどね。でも、当時は中央にいないで、どれくらい戦えるかということを自分の中で1個のテーマにしてました。自分が地方在住で音楽を作って成立していたんで、こういう感じで活動している人がうまくいってほしいなという願いもあった。そういう思いを身をもって示さないとなって思っていました。

──メジャーデビューするにあたって、自分が変化したと思う部分もありますか?

当時まだ青山にあったワーナーの社屋で「一応デビューのときなんでやっときましょう」と言って、ワーナーのロゴの前で竜馬さんと握手した写真とかを撮ってるんです(笑)。やるからにはがんばらないと、みたいな感じでした。メジャーで活動すると、自分の想像以上にいろんな人が動いてくれるし、その人たちのためにも売り上げが立たないといけない。あと、ソニーの育成部署に所属していたこともあって、「デビュー」ということを意識させられる環境に僕はずっといたわけです。突然声をかけられてデビューしたんじゃなくて、デビューできるかもみたいな状況で5年間活動していて、「やっぱり無理でした」というところまで行ってからのデビューなんで、やっぱりうれしかったですね。音楽家としてデビューできる状況に身を置いてるのに、結局デビューできないんだというコンプレックスみたいな気持ちが心のどこかにずっとあった。だから、念願叶ってデビューしたというよりも、胸のつかえが取れたみたいな感じでした。

──5年間の葛藤あってのデビューですもんね。

メジャーデビューシングル「Don't Stop The Music」(2013年)は、森高千里さんが歌ってくださってますからね。なんでそんなことができたんだろう? 今もたまに思い出して、うーって感極まるときがあります。

──結論を言うと、やっぱりメジャーデビューは特別なもの?

大人になると入学とか卒業みたいな大きな行事って、あまりないじゃないですか? なのでメジャーデビューというものが人生の区切りとしてあるのはよかったなと思いますね。当時はまだ、メジャーかメジャーじゃないかでミュージシャンが判断されていた時代でしたから。メジャーレーベルに所属することで地方のお店にCDを置いてもらえたり、いろんな人に聴いていただけたりするチャンスがそれまでとは比べものにならないくらい増えた。いろんな意味で恩恵にあずかりましたし、メジャーデビューできてよかったなと思いますね。今はメジャーとインディーでも流通の差はそんなにないですけど、タイミング的に自分はめっちゃ恵まれてたなと思います。

「売れたな」と思った瞬間とは?

──そう考えると時代的にもCDヒットがまだ生まれていたし、いいタイミングでした。

そうですね。唯一残念なのが、あのときに握手した面々が今はもうワーナーにいらっしゃらないことです。初めてワーナーの皆さんと食事に行ったとき、品川の京急EXインターの駅前にあった、どでかいホテルにあるレストランに行ったんです。そのとき、ワーナーの人がけっこうお酒を飲んで、めっちゃテンション高い感じで「みんなでがんばっていこう!」とか言ってらしたんです。そしたら退店時に、お店の人が「お忘れ物です」って革のフリンジを持ってきたんですよ。

──フリンジ?

はい。革ジャンとかによく付いてるヒラヒラしてるやつ。それは、のちに僕のA&Rを担当してくれたIさんのカバンに付いてたフリンジやったんです。Iさんがあまりに楽しかったのか、もともとちぎれかけてたフリンジを引きちぎって、バン!って机に置いて、そのまま忘れてきちゃったみたいで。お店の人がそのフリンジをわざわざ持って来てくれたんですよ。なんかワケわからないですけど、それを見て「ワーナーってめっちゃいい会社やな!」と思ったんです(笑)。実はその時点で、お誘いを受けていたレコード会社がもう1社あったんですけど、自分的にはこのワーナーの感じ、すごくいいなと思ったのは覚えていますね。

──ワーナーに決めたきっかけが、ちぎれたフリンジ(笑)。

あと、デビューに関して、もう1個だけ話してもいいですか? これまであまり話していないエピソードなんですが、「水星」のクリアランス問題がこじれていたとき、父親にも「今、こういうことになっていて」みたいな感じで一応状況だけは話していたんです。そしたら、その直後に父親から、テイさんのマネージャーをやっていた人とフランスで知り合ったって連絡が来たんですよ(笑)。

──え? お父さんは芸能関係のお仕事ではないですよね?

はい。当時、父親は仕事でよくフランスに行っていて。現地のレストランで偶然知り合った日本人がテイさんのマネージャーを最も長く務めた方だったんです。でも、僕の父親はそんな方だとは知らずに、単に息子が抱えている問題として「水星」の話をしたらしいんですよ。そしたら、その方が「私、テイさんの元マネージャーやで。ちょっと言っておくわ」って(笑)。父親にちょっと救われたというエピソードです(笑)。

──マジですごい縁! かつては「食えてなかったらそれは職業じゃないからね」と諭されたけど、そのお父さんに相談したことが音楽で生きる運を引き寄せた。

そういう流れもあって最終的にテイさんから許諾がもらえたとき、自分はツイてるかもなとつくづく思ったんです。それでこの先も「できるかも?」って勘違いしたんですよね。幸か不幸か、それが人生の選択肢を誤った瞬間かも(笑)。

──いやいや、勘違いではないでしょう(笑)。

テイさんもそうだし、大臣にも、杉生さんにも感謝ですね。ずっと粋な人に助けられてるだけっていう状態でもあります(笑)。

──では最後にうかがいます。自分がメジャーデビューしたとtofuさんが実感した瞬間は?

デビューとはちょっと違う意味かもしれないんですけど、「売れたな」と思った瞬間が自分にはあります。僕の実家ってオートロックじゃないんですよ。初めて一人暮らしした家もそうじゃなかった。メジャーデビュー前後ぐらいに読んだ西村しのぶ先生のマンガ「神戸・元町“下山手ドレス”」の影響で神戸の下山手通に引っ越して、そこで生まれて初めてオートロックの家に住んだんです。その家に帰ってくるたびに「僕、売れたな」と思ってました(笑)。30いくつになった今でも「音楽でオートロックの家に住めてるんだな」とむちゃくちゃ実感してます。「美容室で自分の曲が流れてきた瞬間です」とか言えよって感じなんですけど(笑)。

tofubeats(トーフビーツ)

1990年生まれの音楽プロデューサー / DJ。2007年頃よりtofubeatsとしての活動をスタート。2013年に「水星 feat.オノマトペ大臣」を収録した自主制作アルバム「lost decade」をリリース。同年、森高千里をゲストボーカルに迎えた「Don't Stop The Music feat.森高千里」でワーナーミュージック・ジャパンからメジャーデビュー。その後、6枚のフルアルバムのほか多数の音源をリリース。ソロでの楽曲リリースやDJ・ライブ活動はじめ、さまざまなアーティストのプロデュース・客演、映画・ドラマ・CM等への楽曲提供から書籍の出版まで音楽を軸に多岐にわたる活動を続けている。最新作は地元神戸のラップデュオNeibissとの共作「ON & ON feat. Neibiss」。2025年、主宰レーベル / マネジメント会社HIHATTは10周年を迎える。10月から11月にかけて全国ツアー「tofubeats JAPAN TOUR 2025」を開催。

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tofubeats JAPAN TOUR 2025

2025年10月3日(金)宮城県 darwin
<出演者>
LIVE:tofubeats
GUEST:Neibiss
VJ:VIDEO BOY
LIGHTING:BACH TOKYO

2025年11月1日(土)石川県 REDSUN
<出演者>
LIVE:tofubeats
GUEST:Neibiss
VJ:VIDEO BOY
LIGHTING:BACH TOKYO

2025年11月8日(土)愛知県 名古屋CLUB QUATTRO
<出演者>
LIVE:tofubeats
GUEST:Neibiss
VJ:VIDEO BOY
LIGHTING:BACH TOKYO

2025年11月9日(日)京都府 KYOTO MUSE
<出演者>
LIVE:tofubeats
GUEST:Neibiss
VJ:VIDEO BOY
LIGHTING:BACH TOKYO

2025年11月16日(日)東京都 恵比寿ザ・ガーデンホール
<出演者>
LIVE:tofubeats
GUEST:Neibiss
VJ:huez
LIGHTING:BACH TOKYO

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