来たる新生活に向けて住み慣れた街を離れ、期待と不安を胸に東京での暮らしを始める人も多いこの季節。本連載では地方出身のアーティストに「上京」をテーマにエッセイを依頼し、東京に“ウブ”だった頃の思い出をつづってもらいます。
今回は青森出身の和嶋慎治さん(人間椅子)が登場。バンド結成40周年を目前に控え、5月には還暦記念ツアー「猟奇新生」を開催する和嶋さんが、サークルの先輩との甘酸っぱい“ランデヴー”の日々を振り返ってくれました。これから上京する人はもちろん、かつて上京を経験した人もそうでない人も、和嶋さんが紡ぐ上京物語をお楽しみください。
小池先輩には弟のように可愛がってもらった
大学受験に失敗し、仙台の予備校に入った。不合格だったのも当たり前で、高校時代の後半は変に無頼派の文学にかぶれて、勉強など一切しなかったからだ。社会のレールに乗っかり、安泰を志向する人生、そのことに意義を見出せなかった。いや、ただ単に大人になるのが怖かっただけかもしれない。立ちはだかる困難や不安から目を背けて、自堕落になっていただけなのかもしれない。
実家のある青森県弘前市から、父親の運転する車で予備校に向かった。校舎のあたりでたまたま同窓の学生たちがたむろしており、彼らに向かって父親が、「よろしくな」と挨拶をした。
父親の期待に応えることは出来なかった。当初は入寮していたが、早々に下宿で一人暮らしを始める。他県から来ていた学生の影響で、原付バイクを買う。怠け心に一層拍車が掛かり、勉学から逃げるように、焦燥感を抱えながら、毎日宮城県内をバイクで走り回った。
もともと入れる大学など少なかったのだが、そんな体たらくだからさらに減る。結局、偏差値(当時)と自分の傾向──何かしらの興味を抱けるとしたら宗教と哲学ぐらいだろう──を鑑み、駒澤大学の仏教学科と、東洋大学の印度哲学科を受験することにした。父親の手前、一応地元の公立大学も。駒澤大学の試験は、受験勉強をまったくしていない僕にしても、いやに簡単だった。とはいえ当然ながらほかの二大学は落第し、そうして僕は上京した。
入学式での、ある教授の言葉が印象に残った。仏教学部は宗門のご子息と在家の方々が混在しているが、いずれにしろ中途退学するものが多い。加えて毎年のように自殺者が出る。皆さん、せっかくのご縁ですから、頑張ってください。
学生課の掲示板をもとに、世田谷区若林のアパートに入居した。環状七号線と世田谷線の交差する線路沿いで、現在コンビニエンスストアが建っているあたりだ。四畳半風呂なし、トイレは共同。ここでは転居するまで、しょっちゅう金縛りに悩まされた。
最初の英語の授業。教科書を開いて、さらには音読する学生の発音を聞いて、愕然とした。まるで中学生レベルではないか。とんでもないところに来てしまった。一人だけ、実に流麗に英文を読む生徒がいて、彼が唯一希望の光に思えたものだが、次の週には退学していた。
サークルを紹介する集会があるのだという。足を運んだものの、最早大学を辞めようかどうか思い悩んでいる僕にとっては、対岸の火事に見える。当時はバブル経済の真っ只中で、テニスやらスキーやら軽薄そうなものばかり。何の感興も湧かない。立ち去りかけたところ、それまでとは雰囲気の異なる青年が登壇した。淀みない物言い、明朗な仕草、壇上が輝いている──僕はその青年に、知性のほとばしりを感ぜずにはおれなかった。「仏教青年会」というサークルだった。
仏教青年会に入部した新入生は、僕一人だった。知性の輝きは、ごくわずかの人間にしか感得出来ないものらしい。件の青年、つまり部長は、小池といった。それからは部室に入り浸る毎日、小池先輩には弟のように可愛がってもらい、「和嶋、バイクの免許取れよ」「わかりました」中古でカワサキのZ250FTを買い、小池先輩のホンダCB250T HAWK通称バブとランデブーする。「和嶋、今のアパートじゃ金縛りするんだろ。俺んところが一室空いてるから、来いよ」「わかりました」三軒茶屋の、全面タイル張りの、前衛芸術みたいなそのアパートに転がり込む。小池先輩は町内の長崎屋で警備員のアルバイトをしていて、僕は先輩の仕事が終わるまでアパートの自室でじっと待つ。帰ってきたら一緒に飯を食い、酒を飲み、レコードを聴き、あたかも同棲生活だ。お互い金がないので、近所の公園に深夜忍び込み、冷水で頭や体を洗う。「キャーッ、冷たい」腹を抱えて笑い合う。
小池先輩のお陰で、僕は大学を中退せずに済んだ。その後、真面目な学生が多くいることもわかったし、参禅の機会を得たことは大きい。それでも──四十を過ぎるまで、何度も繰り返し同じ夢を見た。受験に失敗し、僕は再び高校に入り直す。周りより少しだけ老けている。よし、今度こそは真面目に勉強しよう。
和嶋慎治
1965年12月生まれ。青森出身。3ピースバンド・人間椅子のギタリスト&ボーカリスト。1989年に出演したTBSテレビ系「平成名物TV イカすバンド天国」で高い評価を獲得し、1990年7月にメルダックより「人間失格」でメジャーデビューを果たす。その後インディーズでの活動や、ドラマーの交代などを経ながらも、コンスタントにライブやリリースを重ねる。2025年11月に通算24枚目のオリジナルアルバム「まほろば」を発表。2026年5月に還暦記念ツアー「猟奇新生」を全国8カ所で開催する。
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