“地名をタイトルに冠した楽曲”を発表してきたアーティストに、実際にその場所でインタビューを行うこの連載。「なぜその街を舞台にした曲を書こうと思ったのか」「その街からどのようなインスピレーションを受けたのか」「自分の音楽に、街や土地がどのような影響を及ぼしているのか」……そんな質問をもとに“街”と“音楽”の関係性をあぶり出していく。
東京事変、横浜銀蝿、仙台貨物……特定の地名を冠したバンドはいくつもあれど、坂の名前を名乗るバンドは珍しい。品川区は大井町をホームタウンとするkurayamisakaは、その名前も大井町から鮫洲方面へと下る「くらやみ坂(別名:旧仙台坂)」に由来し、「kurayamisaka yori ai wo komete」という楽曲とアルバムも発表している。“大井町の5人組バンド”という肩書きを自ら掲げ、バンド名にすら大井町の地名を冠する。さぞかし大井町に根差したバンドなのだろうと思ってしまうが、作品自体に特定の場所を思わせるローカリティは一切ないのがとても不思議だ。では、どうして彼らは“大井町のバンド”というキャッチを掲げ、くらやみ坂をバンド名として名乗るのだろうか。大井町を生活拠点とするメンバーの清水正太郎(G)に聞いたところ、kurayamisaka結成に関する意外な秘話が飛び出した。
取材・文 / 石井佑来 撮影 / 沼田学
お互いに干渉しない感覚が心地いい
──清水さんは、ご出身は愛知県でいらっしゃるんですよね。
愛知です。知多半島という、漁業が盛んなところで育ちました。ウイスキーの「知多」とかが有名なところなんですけど……まあ、ひと言で言えば田舎町という感じです。
──大井町が生活拠点になったのはいつ頃のことなんですか?
上京してすぐの頃は溝の口に住んでいて。就職を機に、大井町に引っ越したんですよ。それが2019年だったので、もう7年は住んでいます。
──数ある街の中からなぜ大井町を選んだのでしょうか?
溝の口で友人とルームシェアをしていたんですけど、その友達が大井町の会社に就職することになったんです。で、なぜか僕も一緒に引っ越して。
──もう一度ルームシェアを始めた。
そうなんですよ。結局僕も大井町で就職することになり、その友達は別の場所に引っ越して……という流れです。
──自ら選んだというわけじゃなく、なりゆきで大井町に住むことになったんですね。
完全になりゆきです。
──もともと大井町にはどういうイメージを持っていましたか?
大手町とよく間違える……。
──そうですよね(笑)。真っ先にそれが出てきますよね。
あとは大井町線の果てというイメージですかね。寝過ごしたときに着いちゃう場所というか。もともとは、そういう印象しかなくて。だから、まさか自分がここまで大井町に愛着を持つことになるとは思わなかったです。
──住み始めてからはどのような印象を持つようになりましたか?
とにかく便利という印象です。都心へのアクセスもいいし、必要なお店はだいたいそろってますからね。ひと昔前のようなネオンを掲げた飲み屋街もあれば、駅から少し離れたところには静かな空間もあって。かなり住みやすいと思います。
──実際に住んでいるからこそわかる大井町ならではの特色はありますか?
特色かあ……。目立った特徴があるかと言われたら、正直あまりないんですよ。でも、だからこそ生活になじみやすいし、お互いに干渉しない感覚が心地よくて。大井町特有のカルチャーみたいなものも感じたことはないけれど、そういう場所のほうが“帰ってきた感”を感じやすいというか。
──カルチャーが強く根付いている街よりも、生活感のある街のほうが肌に合う?
それはそうかもしれないです。カルチャーが根付いている場所に行くこと自体はすごく楽しいし好きだけど、住むとなるとまた別ですよね。大井町のような場所のほうがなんか落ち着く。住めば都というか、別の場所に住んだら住んだで楽しいだろうし、なじむとは思いますけど。でもやっぱり大井町に住んでみて、すごくいい街だなと感じるし、自分にはこういう場所のほうが合ってるのかなと思います。
「くらやみ坂」という名前のバンドがいたら……
──お話をお聞きしていると、やはり大井町には相当強い愛着を持っていらっしゃるんですね。
ずっと住んでいるので、さすがに愛着は湧いてきますよね。kurayamisakaが「from 大井町」とアピールしているのも、最初は自分で「なんだそれ」と思っていたし、「まあでも逆にいいか」くらいの気持ちでやっていたんですよ。でも、それも言ってるうちに愛着が湧いてきちゃって。
──kurayamisakaはメンバー5人全員が大井町にゆかりがあるんですよね。
そうなんですよ。でもこれは本当にたまたまで。特に阿左美(倫平 / B)と堀田(庸輔 / Dr)はもう出身が大井町。フクダ(リュウジ / G)も自転車圏内に住んでいたから、これは“大井町バンド”を名乗るべきだなと。
──大井町という場所が5人を引き合わせたのではなく、蓋を開けてみたらみんな大井町にゆかりがあったと。それは確かに「大井町のバンドだ」と言いたくなりますよね。
ほかに“大井町のバンド”と謳っている人は、自分が知ってる範囲ではいなかったので。じゃあ謳ってみようかなと(笑)。
──大井町の中でも、くらやみ坂という特定の場所をバンド名として付けようと思ったのはどうしてだったんですか?
「旧仙台坂(くらやみ坂)」と書かれた看板みたいなものが東大井のほうにあって。通勤時に毎日その看板の前を通っていたんです。自転車に乗りながら毎日看板を眺めていたら、なんかいいなと思い始めて。くらやみ坂って名前いいな、そういう名前のバンドがいたらいいな……じゃあ作るかと。で、作りました。
──あ、バンド名が先なんですね。まずバンドがあって「バンド名はどうしよう」と考えたわけではなく、「くらやみ坂というバンドがいたらいいな」でバンドを作り始めた?
そうですね。完全に名前が先です。
──それはなかなかレアですね。
確かに珍しいかもしれないです(笑)。そこからメンバーを集めだして、この5人でやることになりました。で、結果的に5人とも大井町にゆかりがあって。
──なんとも運命的な。でも、ここまでローカルな地名をバンド名に冠することにためらいはなかったんですか?
あまり深く考えてなかったかもしれない(笑)。
──やりたい曲の雰囲気に合いそうだなとか、そういう予感はあったりした?
いや、どういう曲にするかとかもまったく決めてなかったので。バンド名を決めて、メンバーを集めて、「曲を作らないとポシャっちゃうな」と思って作り始めて……という順番でした。
──本当にバンド名先行だったんですね。
ただ、僕自身は就職してからずっとライブ活動を続けていて。「せだい」というバンドをやっていたんですけど、そのサブプロジェクト的な感じでもう1つバンドをやろうかなと思ったんです。せだいでの活動を通じてノウハウが蓄積されてきた感覚があったから、この状態で内藤さち(Vo)の歌を生かしたバンドを作ったらいい感じのものになりそうだなと。それで始めたのがkurayamisakaです。
──ちなみに、はっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」という曲もありますが、あれは麻布にある暗闇坂という坂のことなんですよね。
「暗闇坂」という名前の坂は、そこも含めて10カ所ぐらいあるらしいですね。以前「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系で放送されていた番組)で暗闇坂を特集していて。「一番暗い暗闇坂はどこだ」という企画をやっていたんですけど、大井町のくらやみ坂が一番明るかったんですよ(笑)。
──あははは。先ほど自分も初めて行きましたけど、確かに想像以上に大通りに面していて、人通りも激しかったです。
イメージと違ったらすいません(笑)。
街として好きだから掲げてる
──kurayamisakaはプロフィールでも「大井町の5人組バンド」という肩書きを掲げていて、ある意味で大井町をレペゼンしていると思いますし、それは1つのイメージとしてリスナーも持っているものだと思います。ただ、ご本人的には先ほどおっしゃっていたように、単に「ほかにやってる人がいないから」という感覚?
それも本当に何も考えてなくて……。「自分たちがこの街を盛り上げよう」という気持ちはあまりないというか、そもそも僕らがいなくても盛り上がってますからね。僕らが盛り上げなくても再開発は進んでいるし、むしろそれに乗っかろうかなという感覚のほうが強いかもしれない(笑)。まあシンプルに「街として好きだから掲げてる」というところが大きいですね。
──大井町という地名を出し続けてきて、活動に影響はありましたか?
駅前にできた「OIMACHI TRACKS」という商業施設にTOHOシネマズがあるんですけど、そこのご担当の方が「大井町レペゼンバンドということで、よかったらライブの上映会しませんか?」と言ってくださって(参照:「劇場版 kurayamisaka」上映決定、地元・大井町の劇場で4日間)。それは「大井町のバンドだ」と言い続けてきたから実現したことだろうし、うれしかったですね。言い続けてきてよかったなと思いました。
──住み続けてきた街の映画館で自分たちのライブが上映されるのは、どんな感覚でしたか?
感動と困惑が……。
──困惑も(笑)。
まあでも素直に感動が一番強かったかな。そもそも、まさか自分の曲が映画館で流れるとは思っていなかったので。すごくいい経験だったし、お客さんもたくさん来てくれてありがたかったです。
──そもそも大井町に“音楽シーン”みたいなものはあるんですか?
ないですね……。ただ、「シブヤ楽器店」という4階建の音楽スタジオがあって。その4階がライブスペースとしても使えるんですよ。100人ぐらい入るし、ちゃんとステージもあって。そこで社会人バンドみたいな人たちが集まってライブをやったりとか、そういうことはあります。僕もせだいで一度ライブをやりました。
──でも、そのライブスペースによく出ているバンドがいて、界隈みたいになっている、みたいな感じではない?
ではないです(笑)。もっと各々が好き勝手に、自由に使ってる感じで。バンド同士の連帯感みたいなものはない気がします。でも、その空気が非常にいいなあと、僕は思ってます。
あの曲がなかったらアルバムができていたかわからない
──1stアルバムの表題曲でもありオープニング曲でもある「kurayamisaka yori ai wo komete」についてお聞きします。今回の記事では、この曲を“地名を冠した楽曲”として扱えればと思うんですが、実際は「くらやみ坂という場所から愛を込めている」とも「kurayamisakaというバンドから愛を込めている」とも取れますよね。ご本人的な正解はあるんですか?
これはもうみんなが思った通りに受け取ってくれればいいなと思ってます。少なくとも愛は込められているんだな、というところさえ感じ取ってもらえたらいいのかなと。
──ある種のダブルミーニング的な。
そうですね。
──アルバムのオープニング曲というのもあって、kurayamisakaというバンドを象徴する曲の1つになっていると思いますが、清水さんにとってはどんな存在の楽曲ですか?
すごく気に入ってますね。「そろそろアルバムをまとめ上げなきゃな」と考えていた時期に、どうしても1曲目によさそうな曲が思いつかなくて。どうしようかと悩んでいる中で、この曲が生まれたんです。そこから寝るのも忘れて曲を仕上げて、完成したときに「これでやっとアルバムが作れるな」と思いました。
──アルバムを作るうえでの羅針盤になったというか。
アルバム全体の方向性を示してくれた曲ですね。もちろんその時点で全貌が見えていたわけではないけど、とにかく1曲目はこれで決まりだという感覚があって。そう思える曲ができたことにすごく安心したことを覚えています。
──5年後、10年後にkurayamisakaの歴史を振り返っても、昨年アルバムを出したことはかなり重要な出来事のはずなので、そのアルバムを完成に導いたこの曲もまたすごく重要な存在だということですよね。
そうですね。あの曲がなかったらアルバムができていたかわからないですからね。危なかったな、という感覚です。
──「大井町の5人組バンド」と謳っているのであれば、作品にもっと“大井町感”みたいなものが出てもおかしくないと思うんですけど、この曲も含めkurayamisakaにその雰囲気はあまりないですよね。そこがすごく不思議だなと思っていて。
薄情ですよね(笑)。でもやっぱり、意識せずに出ている大井町感はあると思いますよ。長い年月を過ごした街であることに変わりはないんで。何かしらにじみ出ている部分はあると思う。ただそれが、隠し味ぐらいのテイストになっちゃってるというだけで。
──その「何かしらにじみ出ている部分」って具体的にどういうものだと思いますか?
なんだろう……。僕があまり自分自身のことを歌詞にしないので、パッと出てこないんですけど、1stアルバムの最後に収録されている「あなたが生まれた日に」という曲だけは自分のことを書いていて。その中で顔を洗って歯を磨いていたのは、確実に大井町だったと思います。
──その曲以外はすべてフィクションで、清水さんの一人称的な視点ではない?
基本的にはそうですね。
──2022年にリリースされたミニアルバム「kimi wo omotte iru」も、架空の2人の少女に焦点を当てた作品なんですよね。その頃から「架空の世界を作り上げる」という感覚が根付いているんでしょうか?
架空と言ってしまったら、その2人はどこにもいないことになっちゃいますし、2人が暮らした場所や時間がなくなっちゃうので、それは難しいところなんですけどね。あったのかもしれないし、いたのかも……いるのかもしれない。という感覚は残しておきたくて。例えば故郷から離れるような経験をした人が、そういう自分の経験と作品を重ね合わせて聴いてもらってもいいですし、「この部分はすごくわかるな」というところがあれば自分に当てはめて聴いてもらってもかまわない。「自分の体験とは全然関係ないところにあるけど、なんかいい曲なんだよな」と思いながら聴いてもらってもいいですし。「どこそこを思え」とか無理強いすることはしたくないので。
──あくまでリスナーに開かれた存在にしておきたいと。
逆に言うと、聴いた人が「この曲は大井町が舞台だ」と感じたのなら、それも1つの正解だと思います。僕が何を思って作ったかは、皆さんそこまで尊重してくれなくて大丈夫。もう自由に聴いてください、という気持ちでいます。
──例えば、5月にセルフカバーがリリースされたRAYへの提供曲「sagittarius」は、「最終電車を見送りながら歩いている君の好きな歌を 何故だか思い出していた」という具体的な描写で始まりますが、これも清水さんの実体験ではないかもしれないし、実体験かもしれないわけですよね。
そうですね。ただ、その曲に関しては、アイドルの方が歌う曲だというのもあって、これまでとだいぶ違う作り方をしたんですよ。「聴いてくれた人がポジティブな気持ちになってくれたらうれしいな」という気持ちで作ったものなんです。これまでそういうことを考えて曲を作ることはまったくなくて。「こういう感情になってほしい」とかは本当に考えたことがなかった。作った時点で満足しちゃうし、聴き手が主体であってほしいという思いが第一にあるので。だからこそ、「sagittarius」で初めて「ポジティブな気持ちになってほしい」と思いながら作ったことで、自分の表現の広がりを感じましたね。こういうこともできるのかって。
いつかきゅりあんでライブを
──大井町に関連して「今後こういう活動をしてみたい」と考えていることはありますか?
駅前にきゅりあんという区民会館があって。そこでライブをやってみたいです。キャパ1000人くらいの会場なんですけど、いつかできたらいいなと。
──きゅりあんでのライブはぜひ観たいですね。先ほどカルチャーが根付いている街と大井町との比較がありましたが、すでに何かしらのカルチャーが根付いた街ではなく、大井町という特色の薄い街から突然変異的に生まれたからこその面白さがkurayamisakaにはあるんじゃないかなと、今日お話をお聞きして感じました。
あー、確かにそうなのかもしれないです。なんというか……僕らはたぶんみんなが思っている以上に何も考えてないんですよ。始めたきっかけも“なんとなく楽しそうだから”だし、続けてきた理由も“なんか楽しいから”で。「楽しそうだし、暇だし」みたいな。そういう動機が強いんです。何かを成し遂げようとか、何かを残そうとか、そういうことは続けていくうちに見えてきた部分もあるし、「今はこういうことがやりたいかもな」というイメージはそのときそのときでもちろんあるけど、根本にあるのは「面白そうだし、失うものも何もないし」という感覚です。
──でも、そういう気持ちからスタートしたにしては、予想以上に規模が大きくなったなと感じることもあるのでは?
それはもちろんそうですよ。Zeppでライブをすることになるだなんて思ってなかったですからね。でも音楽への向き合い方は、100人キャパでライブをやっていた頃から変わっていなくて。その感覚を忘れちゃいけないと思っているし、あの頃とあまり変わってないと思えるのは、自分の中での安心材料になっています。大井町の映画館で自分たちの曲が流れようと、根底にある感覚は同じままであり続けているなと。
──これからもしばらくは「大井町のバンド」という看板を掲げていきそうですか?
掲げていきたいですね。ただ、家賃が高いのがけっこうネックで……(笑)。
──確かに、例えば下北沢とかであれば、住んでなくても「下北沢が拠点」と言えるけど、大井町はそういうわけにはいかないですもんね。
「住んではないけど拠点が大井町」とかはないですからね(笑)。活動自体を大井町でしているわけではないので。でもこれからもしばらくは大井町のバンドと謳っていきたいと思います。
プロフィール
kurayamisaka(クラヤミザカ)
東京・大井町出身の5人組バンド。2024年「FUJI ROCK FESTIVAL'24」のROOKIE A GO-GOに出場し来場者投票の結果、2025年の「フジロック」のメインステージ出場権を勝ち取る。イギリスの音楽総合メディア「NME」が選ぶ「2025年注目すべき世界中の新鋭アーティスト100組」に選出されるなど、日本のみならず海外でも注目されている。2025年9月に1stフルアルバム「kurayamisaka yori ai wo komete」をリリース。2026年5月から「くらやみざかより愛を込めてツアー2」を全国で行い、同年10月に東京・Zepp DiverCity(TOKYO)と大阪・GORILLA HALL OSAKAにてワンマンライブを実施する。最新音源はRAYへの提供曲「sagittarius」のセルフカバー。


