誰よりもアーティストの近くで音と向き合い、アーティストの表現したいことを理解し、それを実現しているサウンドエンジニア。そんな音のプロフェッショナルに同業者の中村公輔が話を聞くこの連載。今回はアメリカでマイケル・ジャクソンやティンバランドの作品に携わったのちに来日し、RIRI、SUGIZO、[Alexandros]らの作品を手がけるニラジ・カジャンチに登場してもらった。前編では彼のこれまでの経歴と、RIRIや三浦大知のボーカルレコーディングにまつわる話をお届けする。
高校で人生を変えるフィル・ラモーンとの出会い
──まずはニラジさんの生い立ちからお聞きしたいと思います。生まれは日本ですか?
いえ、生まれはアメリカのロサンゼルスです。いつか僕がアメリカの大学に行くときのために、お父さんが国籍をアメリカにしておこうと思ったらしくて。でも育ちは日本です。13年間神戸で暮らして、高校生になるときにニューヨークに行きました。そこでフィル・ラモーン(アレサ・フランクリン、ボブ・ディラン、ビリー・ジョエルらを手がけたプロデューサー / エンジニア)に出会って人生が変わりました。僕は普通の大学でコンピュータエンジニアリングを勉強しようと思っていたんですけど、「お前は音楽に向いているからサウンドエンジニアになれ」と言われて。彼の紹介でボストンにあるバークリー音楽大学に行くことになりました。
──何か音楽的な実績が認められて、フィル・ラモーンに推薦してもらえたんでしょうか?
高校にインターンシッププログラムがあって、それをやらないと卒業できなかったんですよ。たまたま彼の家の近くに住んでいたので事務所で働くことになり、すごく気に入られたのでインターンが終わってもずっとそこにいたんです。彼は僕のマナーが素晴らしいと言っていました。「この業界にはマナーイズムがなくなってしまっているから、それを持ってる人はサウンドエンジニアをやったほうがいい」って。なので音楽的なことではなくて、普段の仕事ぶりを見て推薦してくれました。バークリーを卒業したあとも、ザ・ヒット・ファクトリー(スティーヴィー・ワンダー「Songs In The Key Of Life」やジョン・レノン「Double Fantasy」が録音されたスタジオ)というニューヨークの大きいスタジオを紹介してくれて、アシスタントとしてのキャリアがスタートしました。そこで数年間働いたあと、“音楽が盛り上がっている街に行く”というテーマでマイアミやラスベガスに引っ越したりして、アシスタントからだんだんエンジニアの仕事をするようになって。それで2008年頃に日本に引っ越してきました。
──アメリカにいたときは、どういったアーティストを手がけていたんでしょうか?
The Killersの「Sam's Town」というアルバムが、僕がエンジニアとして手がけた最初のメジャー作品でしたね。あとはマイケル・ジャクソンが亡くなる前にラスベガスに住んでいたときがあって、彼の制作もけっこう長い間やっていたし、リル・ジョンも3カ月くらい一緒にやったり、ティンバランドも数曲エンジニアで参加したり。エレファント・マンという、アメリカでレゲエを盛り上げた人の作品もやってました。
──そのような第一線のアーティストを手がけていて、なぜ日本に来ようと思ったんでしょうか?
アメリカの音楽業界が危険すぎたんですよ。僕はR&Bやヒップホップをずっとやってたから、50セントとかDr.ドレーの現場で銃を見るのが普通になってきちゃって。僕がマイアミのスタジオで働いていたときに、駐車場で人が撃たれて死んじゃったんです。それで、「音楽を楽しむためにこの仕事をやり始めたのに、こんなにリスクを取って生きていく必要があるのかな?」と思い始めて。当時マイアミの音楽シーンはめちゃめちゃ盛り上がっていて、ティンバランドとミッシー・エリオットとスコット・ストーチという3人のスーパートラックメーカーがザ・ヒット・ファクトリー・クライテリア・マイアミに1部屋ずつ構えていたんですけど、僕はそのスタジオにいたんです。だからすごくいい経験をさせてもらえたし、引っ越すのは嫌だったんですけど、死ぬより別のところで音楽を続けたいという思いが強くて。なんで日本に引っ越したかと言うと、そもそも日本で育ったから言葉の壁がなかったのと、日本にバイリンガルなアーティストが増え始めていたので決めました。それでCrystal Kayや青山テルマ、SoulJaとかと仕事をし始めて。
──日本の音楽業界に何かしらのコネクションがあったんでしょうか?
いや、まったくなかったですね。日本に来て初めにアポなしでエイベックスに行き、受付で英語しかしゃべれないフリをして、「わざわざアメリカから来たんだ。誰か英語しゃべれる人いないか?」ってお願いしたんですよ。そしたらrhythm zoneのA&Rが出てきて、その人が1週間後にBoyz II Menの仕事を振ってくれました。そこから今につながっています。
スタジオの楽しみ方を同世代や若い人にも知ってもらいたい
──ニラジさんはご自身でNK SOUND TOKYOをはじめ複数のスタジオを所有されていますが、日本においてフリーのエンジニアでこれほど機材を持っていたり、スタジオまで作ったりする人はかなり珍しいと思います。
フリーのエンジニアでここまでやってるのは僕しかいないでしょうね。今の音楽業界はCDが売れなくなって制作にお金をかけられなくなっているのが現実で、そうなるとスタジオを長い時間使わなくなるんですよ。バジェットがないから数時間だけ使う感じで。でもスタジオってクリエイティブになれる場所だし、そういう楽しみ方を同世代や若い人にも知ってもらいたい。そう思ってスタジオを作りました。僕はポップスの仕事もやってますけど、実は全部生で一発録りのジャズバンドの作品も毎月2、3枚はやってるんですよ。バークリーに行っていたときの友達のジャズバンドとか、バジェットが少ないプロジェクトでも自分のスタジオを持っているから手伝えるし。
──打ち込みの作品だけでなく、ジャズもやられているんですね。
僕は生楽器を扱うのがエンジニアのスキルとして一番大事だと思っていて。生楽器を録音する中でスタジオがサロンのようになって人が集まって、10年後に日本の音楽業界をリードできるようになれたらいいなと思ってます。
RIRIのボーカルはAuto-Tuneのかけ録り
──最近は打ち込みからスタートして生楽器を扱ったことがないエンジニアも出てきていますが、生の録音をやっていることでほかの人とは違いが出ていると思いますか?
打ち込みの音源をミックスしているときでも、空間の作り方だったり歪ませ方だったり、僕は生楽器だと思ってやっているんですよ。あとは打ち込みの曲でも、ボーカルを録音するときに歪ませながら録ったりするので違いはあると思いますね。例えばRIRIは声の質感がすごくいいから、最初からアリアナ・グランデみたいなトーンになるように録りたいと思っていて。どうやってあの質感を作ってるかと言うと、Auto-Tuneをトーンシェイパーとして録りのときから使ってるんです。
──レコーディングのときからですか?
はい。RIRIのボーカル録音をするときに、僕は素のボーカルを録ってなくて、Auto-Tuneをかけ録りした音だけ押さえていて。モニターにもAuto-Tuneをかけた音を返しているんです。アメリカではそれはもう普通にやってることなんですよね。T-ペインがやったようにわざとケロらせるためではなくて、カッコいい声のアタック感とリバーブのノリをよくするためにやっています。
──それはかけているのがわからないくらいに、自然にかかってる状態をキープする感じでしょうか?
いや、ビブラートに引っかからない程度に、けっこうガッツリかけています。
──オリジナルのボーカルを録音しながらAuto-Tuneがかかっているものも両方押さえることもできると思いますが、それはやらない?
絶対にしないですね。僕は録ったときの音がすべてだと思ってるんですよ。広がりを出すためにボーカルトラックをダブルにするのかトリプルにするのか、ハモをどこまで盛り盛りにするか、コーラスの広がりをどう作るかを考えて、Aメロとサビなどセクションごとにマイクのセッティングを変えているんです。それと同じでAuto-Tuneをかけているのも、楽曲に必要な質感なんですよ。その場で決めて全員がOKになるようにしているので、あとからは違うテイクに変えたりはしないです。そこはアーティストと僕の信頼関係がすべてだと思っています。僕は自分のことをボーカルディレクターだとは思ってないんですけど、それも込みで頼んでくれる人が多いですね。RIRI以外にも三浦大知やUNIONEはそのスタイルでやっています。
──マイクはどうやって選んでるのでしょうか?
僕はローで選んでいます。ミッドとハイはいくらでも歪みとEQで変えられるけど、ローは音が割れたり、近接効果(※マイクに近付くと低音が膨らむ現象)で急に太くなったり細くなったりするので。サビでだいたいメロディの音域が上がって声が細くなりますよね。それをEQで処理しようとするとAメロとサビの差が出ちゃうので、そうなるとリミッターをかけて潰すか、ハイパスフィルターで低音をカットするかしかない。そのバランスをしっかり取りたいので、サビとバースのレンジ感が同じになるようにマイクを変えています。
三浦大知のボーカル
──ボーカルのディレクションはどのようにやっているんでしょうか?
RIRIはまだ若いのでサウンドを重視した歌い方をしていて面白いんですよ。経験豊かなシンガーだったら、どういう言葉をどういう表情で歌うのか、歌詞とリンクさせて考えると思うんですけど、RIRIは彼女の体の響きで選ぶんです。言葉は関係なく、曲のグルーブやノリを聴かせるための声の出し方なんですよね。だから僕がRIRIにボーカルディレクションをするときは、言葉の話じゃなくて声を喉と体のどのへんから出すかという話なんですよね。それと、RIRIは英語と日本語のハイブリッドでやってるので、どうしても日本語だと滑舌がよくなって、英語パートを歌うと音の輪郭が丸くなるんですね。なので彼女が日本語で歌うときにもわざと滑舌を悪くして、なるべく丸くなるように伝えていますね。
──三浦大知さんの歌録りはどのような感じでしょうか?
大知はずっとボーカルディレクションをやっていてミックスはD.O.I.さん。大知は引き出しが多すぎてなんでもできちゃうんですよ。でも彼のすごいところは、それらをすべて曲の中で出しているのに「僕はうまいでしょ?」ってアピールをしないところ。声の使い方で、フェイクとかものすごく細かいことができて、曲を何回でも聴けるようにテクニックを使うんだけど、それがしつこくない。R&Bのテイストをしっかり残しつつ多くの人が聴けるポップスを作っているのが素晴らしいですね。それをできる人はなかなかいないです。あと彼は声のレンジがすごく広くて、いろんな声質を持ってるんですよ。アルバムを通して聴くといろんなタイプがあるのがわかると思います。
ミックスはボーカルから着手
──RIRIさんのミックスを聴いて感じたんですが、オケの質感はあるのにボーカルの帯域をうまく避けてミックスされていて、これには何か秘密があるのでしょうか?
ミックスをするとき、みんなリズムから組んでいくと思うんですが、僕はほかのエンジニアと違ってボーカルからミックスするんですよ。リバーブの広さ、奥行き、ディレイのかけ方、どこまでワイドに作るのか、フランジャー的なかかり方にするのか、そういう空気感も最初に決めちゃうんです。その次にローエンドを作るんですよね。
──なるほど。でも、ローエンドはキックの音が一定なので音量管理が簡単でベースにしやすいですけど、ボーカルはダイナミックレンジ(※音量差)が広すぎて、ベースにするには難しくないですか?
僕はけっこうボーカルにコンプをかけるかもしれないです。それで一旦ボーカルを決めちゃったら、動かさないんですよね。だから、僕はボーカルに細かく音量のオートメーション(※音量をコントロールするフェーダーの動きを記録し、自動的に上げ下げする機能)も書きません。みんなボーカルを立たせるために細かく調整していると思いますけど、僕は最初から決めてるんでやる必要がないんですね。
──オケから組んでるとどうしても聞こえないところが出てきますからね。ではボーカルが聞こえるようにほかの楽器をミックスしている感じですか?
そうですね。セクションごとに楽器のバランスを変えているんですけど、どの楽器を出したいかというよりは、「どれがボーカルを邪魔しているか」という聴き方をしていて。だから引き算の考え方かもしれないですね。そのほうがレベル管理がしやすいです。そのスタイルがうまくいくと、クライアントのミックスチェックがすごく短くて済みます。アレンジャーもレコード会社も、だいたいボーカルが聞こえていて、質感や奥行きがよければ大丈夫だから。
ニラジ・カジャンチ
アメリカ生まれ、日本育ちのエンジニア / スタジオオーナー。アメリカでキャリアをスタートさせ、マイケル・ジャクソン、リル・ジョン、ティンバランドらの作品を担当する。2000年代後半に日本に来てからは三浦大知、RIRI、Chara、佐藤竹善(SING LIKE TALKING)、大森靖子、Little Glee Monster、SUGIZO、[Alexandros]ら幅広いアーティストを手がける。
中村公輔
1999年にNeinaのメンバーとしてドイツMile Plateauxよりデビュー。自身のソロプロジェクト・KangarooPawのアルバム制作をきっかけに宅録をするようになる。2013年にはthe HIATUSのツアーにマニピュレーターとして参加。エンジニアとして携わったアーティストは入江陽、折坂悠太、Taiko Super Kicks、TAMTAM、ツチヤニボンド、本日休演、ルルルルズなど。音楽ライターとしても活動しており、著作に「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」がある。
取材・文 / 中村公輔 撮影 / 映美