西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者としてさまざまなメディアに出演する西寺が私論も織り交ぜながら、ポップソングの魅力に迫る。
初回からここまでは、西寺自身がファンであり、プライベートでも親交があるという少年隊の楽曲にフォーカスしている。連載3本目となる今回は、アダルトな世界観でグループの新境地を切り開いた「まいったネ 今夜」を通じて少年隊およびジャニーズソングの魅力を再発見する。
激動の1989年
前回紹介した「ABC」から1年7カ月後、少年隊の14枚目のシングルとして1989年6月にリリースされたのが「まいったネ 今夜」。1989年の日本は正月明けてすぐ昭和天皇が崩御して新元号・平成が始まり、世界的にも6月の天安門事件、11月にはベルリンの壁が崩壊し、長く続いた東西冷戦期が終結するなど激動の年でした。
音楽を巡る大衆の感覚も大きく変わりました。レコード会社や事務所が巨額の費用をかけて売り出す、テレビを主戦場とする“アイドル”が、徐々にクールだと見なされなくなってきたんですね。自分1人で作詞作曲するシンガーソングライターや、ロックバンドのほうが若者にとってよりリアルに思える時代が到来しました。
1989年9月28日には、1980年代の日本を代表する音楽番組として君臨していた「ザ・ベストテン」が12年の歴史を終えます。木曜21時から1時間弱の生放送。僕は幼い頃からこの番組が大好きでしたが、最後まで観ると22時になっちゃうんで、「早く寝なさい」とずっと言われていて悲しかった記憶があります。1983年春に父親が自宅にVHSのビデオデッキを買ってきたんですが、それまでテレビは家族そろって生で観るしかなかったんで、“テレビは一期一会”という感じでした。でも録画できるようになったことで、その時期からより音楽の好みの細分化は進んだでしょうね。テレビのチャート番組ではそれまで演歌もアイドルも一緒くたでしたから。
少年隊の3曲目として取り上げる「まいったネ 今夜」は1989年6月19日にリリース。デビュー曲「仮面舞踏会」以来通算10曲目の第1位を「ザ・ベストテン」(1989年7月6日放送)で記録しています。東京・青山劇場でのミュージカル「PLAYZONE '89 Again」初日を終え、そのままTBSに駆けつけた少年隊が半年ぶりのリリースで初登場第1位を獲得したこの夜……真っ赤なドレスに身を包んだ司会の黒柳徹子さんが「ザ・ベストテン」の3カ月後の終了を“宣告”したことをよく覚えています。横に並ぶ田原俊彦さん、工藤静香さん、斉藤由貴さん、南野陽子さんなどその日の出演者たちも、黒柳さんの言葉を聞きながら、まさに1つの時代の終焉をヒシヒシと感じているような悲しい表情で。実際、そのあと完全にミュージックシーンの潮目が変わったわけですが。
謎に包まれた天才ソングライター・宮下智
僕が最初に自主的に音楽を好きになったのは、1980年、小学1年生のときにデビューした田原俊彦さんでした。特に今回のテーマ「まいったネ 今夜」の作詞作曲家でもある宮下智(みやしたとも)さんが手がけた「ハッとして!Good」「ブギ浮ぎI LOVE YOU」「キミに決定!」などが大好きで。どれも編曲は前回取り上げた「ABC」も担当した船山基紀さんです。
宮下さんがサンフランシスコ音楽院を首席で卒業したクラシック畑の若き天才音楽家だったと今は知っているんですが、ゼロ年代になって検索文化が浸透するまでは、ずっと勝手に男性だと思い込んでいました。でも、彼女の正体を知らないのは僕だけじゃなかったんです。宮下さんはスタジオに顔を出されたことがないらしく、タッグを組んで何度も名曲を残された船山さんでさえ、今に至るまで一度も会ったことがないというんです。ところが宮下さんは、意外に近くにいらっしゃったんです。
なんと、アメリカ人のコンピュータデザイナーとご結婚されたあと、音楽業界を離れて渡米された彼女、本名“ユミコ・ウォーマック”さんは今、「世田谷トリュフ」というチョコレート屋さんを奥沢で2019年8月に開店されていて。いわゆるショコラティエ。サンフランシスコとフランス・リヨンで修行して、カリフォルニア州ナパでワイントリュフを作って大人気になっていたけれど、2017年の山火事で現地でのお仕事を中断して、帰国されたらしく。テレビ番組で昨年末に田原俊彦さんと共演されたことから全国の“トシちゃんファン”の聖地になっているようです。正直「え!?」と驚きました。2018年にはKing & Princeに「愛のすべて」を提供されるなど音楽活動を再開されているんですが。この前、この連載のこともあるのでご挨拶してみようとお店に行ってみたんですね。そこでお話もできて、彼女も喜んでくださって。そのツーショット写真を船山さんに送ったら、「郷太すごい! 俺も会ったことないのに!」と返信が(笑)。
自由な解釈で楽しむジャニーズソング
宮下さんが作る楽曲は何もかもすごいんですが、やっぱり歌詞は特別ですね。70年代までの楽曲の多くを占めていた説明的な歌詞にない、いい意味でポップでぶっ飛んでいて、ちょっとユーモアを感じる歌詞というか。物語的で湿った世界観のフォークソングの真逆、ドライでキャッチーな歌詞の乗せ方が革命的だったなと思います。もともとクラシック出身で、専門的に学ばれた経験があるから、「まいったネ 今夜」などジャズタッチの素晴らしいメロディが作れるのは理解できるんですが。
そもそも僕は日本語で説明的に歌われるメッセージソングが苦手なんです。例えば音楽が洋服屋さんだったとして、僕はショーウインドウを眺めて、いいなと思ったらドアを開け、ひと通り自分のタイミングで店内を見て、気に入った洋服や靴をある程度選んでからサイズやデザインで悩んだときに店員さんのアドバイスをもらいたい、そういうタイプで。お店の前を歩いていたら、手を握られて連れて行かれ、入ったらいきなりピタッとマークされて「お客さんにはこれがいいと思いますよ」とかって連呼されると「ちょっと待って」と言いたくなる。あくまでも好みなんですが……放っておくべきと言っても、歌詞はまったく意味がないほうがいい、誰が書いてもいい、という意味じゃなく。接客にしても絶妙な距離感の作り方こそにすべてが現れるじゃないですか。歳を重ねるごとに、作詞家はむしろ作曲家よりも重要な役割を担っているんじゃないか、と思うようになりました。
ジャニーズソングの魅力は聴き手が自由に解釈できるところ。歌っている本人が歌詞を書かないからこそ生まれるファンタジーや伸びしろの大きさがある。答えが1つじゃない、それぞれ違うから、その乱反射するイメージの中にファンが自分なりのきらめきを投影できる。その雛形が田原さんの楽曲群にあるんじゃないかな?と。そして、80年代以降のジャニーズ音楽の方向性を決定づけたのはもちろんジャニー(喜多川)さんの慧眼と、ジャニーさんが描いたイメージを自由に具現化した宮下さんの作詞なんじゃないかなと思うんです。“明るく能天気な貴公子・田原俊彦”という軸があったからこそ、そのあとのいろんな仲間や後輩たちのキャラ付けも定まったというか。田原俊彦作品でのデビューから9年……。“作詞・作曲家、宮下智”の完成形こそが、「まいったネ 今夜」じゃないか、と僕は思っているんです。ゴージャスでファンタジックなショービジネス感、古きよきエンタテイナーの世界を描いた「まいったネ 今夜」は、「ザ・ベストテン」に少年隊がランクインした最後の曲となりました。
歌詞の主役は名もなき青年。彼が憧れている女の子が、年上でお金持ちの男性の銀色のリムジンに吸い込まれてゆくところから物語はスタート。そういえば初回で取り上げた「星屑のスパンコール」の歌詞にもリムジンが出てきます。そのときは主人公のアイドルがリムジンに乗っているんですけどね(笑)。ちょうど時代はバブル経済と呼ばれた好景気の真っ只中。僕は、このあと日本の音楽界・芸能界から離れた宮下さん自身の別れの歌のようにも感じるんです。同時期に宮下さんは、筒美京平さん作曲、船山基紀さん編曲による田原俊彦さんのシングル「”さようなら”からはじめよう」でも作詞されていますが、そのものズバリなテーマで。実際、90年代に突入するとさまざまな音楽番組が終了。ビシッときらめくスーツと完璧なダンスで魅せる少年隊の主戦場は、いよいよ本格的に舞台、劇場に移ってゆくということにもなります。
そんな宮下さんに「何より歌詞がすさまじすぎて」と話すと「そんなそんな。本当にテキトーに書いてるだけなのよ、私は。あんまり考えすぎるとダメなのよ」と笑顔でおっしゃっていましたが、僕はそんな彼女の思い切りのいい歌詞が大好きで。それまでの日本のヒット曲は、絵で例えるなら細部まで描写している写実こそが評価される世界観と言いますか。宮下さんが作るジャニーズソングって、例えるならば赤い丸だけで花を表現するみたいな、詳細や輪郭をぼかすことによって聴き手の想像力をより刺激する魅力があると思うんですよね。ダリアなのかデイジーなのかカーネーションなのか、それこそスイートピーなのかを歌詞では説明しない。「まいったネ 今夜」の場合も、大事なのはシンプルさ。メロディ、コード、演奏、アレンジ、そして少年隊3人の完璧なダンスと歌唱がそのまま伝わる。あのドリーミーでゴージャスな世界を自由に堪能させたうえで、英語のタイトルや言葉で埋め尽くすわけでなく、「まいったネ 今夜」という絶対に忘れられない日本語ワードをぶち込んでくるパワーには圧倒されます。
ひさびさに3人の歌い踊る姿を
「まいったネ 今夜」の発売時点で錦織一清さんが24歳になったばかり、1学年下の東山紀之さんと植草克秀さんは誕生日前で22歳。デビューから4年の日々を経てここまでアダルトでジャジーな楽曲を歌い上げ、ダンスを仕上げている少年隊にも改めてため息が出ます。
錦織さん、東山さん、植草さん、皆さんそれぞれ優しくて、ここ10年ほどお三方と個別にお酒を飲んだり食事をすることもあるんですが、この前錦織さんが植草さんと一緒に飲まれていたときに僕を呼んでくださったんです。そのとき、植草さんが「俺が見てきた中で、ニシキが一番歌も踊りもうまいんだ」と僕に自慢してくれました。錦織さんは笑っていらしたんですが、本当にそういったすべての瞬間がファンとしてうれしくて。そんな日々で、いつも感じるのがお三方の少年隊への愛です。東山さんから錦織さんへの、錦織さんから東山さんへの愛も強く感じています。3人がそろって歌い踊られることはしばらくなかったですが、いつの日か絶好のタイミングが訪れることを心から願っています。
西寺郷太(ニシデラ ゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。文筆家としても活躍し、代表作は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などさまざまなメディアに出演している。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」といった著作を発表。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。
文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ