アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は9歳にしてアイドルとしてのキャリアをスタートさせ、23歳でソロアーティストとしての道を歩み始めた鈴木愛理に話を聞いた。
クラブハウスでコンサートを開く女の子
プロフィールには千葉出身とありますけど、生まれは岐阜なんです。幼稚園の年少まで岐阜でした。もともと歌うのが好きで……2歳の頃からいつも歌ってたらしいんです。すごく鮮明に覚えているのは、母が運転している車のシートの隙間から顔を出して「ブレイクアウ!」(相川七瀬「BREAK OUT!」)って何度も言ってたこと(笑)。松田聖子さんの「あなたに逢いたくて ~Missing You~」も好きで歌ってたけど、今考えたらめっちゃ大人な選曲ですよね。父(プロゴルファーの鈴木亨)のゴルフに付いて行って「愛理ちゃん、これからコンサートをします! 皆さんこんにちは!」とか言って、クラブハウスの真ん中でおもちゃのラムネのマイクを持って歌ってたのを覚えています。父のお友達に会うと「あのときクラブハウスで歌ってた子がこんな大きくなったんだね」ってよく言われます。幼稚園のときの夢は、年少と年長では歌手でした。年中のときに1回コックにブレましたけど(笑)。一瞬自信をなくしてたんですかね。
両親はどちらもプロゴルファーで、ゴルフの道の厳しさがわかっていたから、強制的にゴルフをやらせるようなことはなかったです。そしたら音楽に興味を持っちゃったみたいで、マイクが仕込まれてる絵本が好きだったり、タンスの上に登って歌ったり。音楽の話で思い出深いのが、6歳のときのクリスマスプレゼントです。ハンドベルをもらったんですけど、あれベルがセットで20個ぐらいあるんですよ。「これで1人でどうやって遊ぶんだ!」ってめっちゃ面白かったんですけど、もらった以上はどうにか使ってみようと鳴らしているうちにハマっちゃって「きよしこの夜」をマスターしました(笑)。必死でベルを鳴らしていた年末の風景が忘れられないです。
5歳のときに、小学校受験をするかミュージックスクールを受けるか2択を与えられたんです。両方見学に行って「どれがやりたいの?」と言われて選んだのがアップフロントミュージックスクールで。今考えればその2択で人生が決まったようなもんです。歌とダンスのレッスンは日曜だけだったんですけど、私と梅田えりか(℃-ute初期メンバー)ともう1人の女の子が大人の方に目を付けられて「土曜日もレッスンに来てみない?」って誘われたんです。土曜日はヒップホップダンスと……なぜかドラムとコンガを(笑)。小次郎先生っていう仙人みたいなおじいちゃんに教わって、渋谷の古いビルの一角でコンガの譜面を書いてました。小次郎先生に「君はもともと持っているリズム感がブラックミュージック系の後ろノリだから、日本に染まりすぎないでくれ」ってめっちゃ言われてたのを覚えてます。翌年にはハロプロキッズの活動が始まったからしばらくそのことは忘れちゃってたんですけど、最近思い出して、迷ったときは膝でクラーベを打ってます(笑)。スクールの先生は優しかったけど、うちのおじいちゃんが厳しくて。「どんなに風邪を引いていても具合が悪くても、毎朝1曲歌って学校に行け」って言われて、おじいちゃんの前でカセットテープに録音して歌ってました。
お客さんは2人だけ
アイドルになりたいと思っていたわけではないんですけど、スクールを卒業する直前でタイミングよくハロー!プロジェクトキッズオーディションのお話があって、受けさせてもらったんです。合格はしたものの、最初のうちはなかなかマイクを持たせてもらう機会がありませんでした。そんな中でハロプロキッズからZYX(矢口真里がリーダーを務めた6人組ユニット)というユニットを作ることになって、私はそのオーディションに落ちたんです。のちにそのオーディションがきっかけで、あぁ!(鈴木、モーニング娘。の田中れいな、のちのBerryz工房メンバーとなる夏焼雅からなる3人組ユニット)でデビューすることになるんですけど、当時は今よりも負けず嫌いだったから、ZYXに落ちたときはすごく悔しかったです。だからあぁ!のメンバーとしてマイクを持たせてもらえることが本当にうれしくて。でもデビュー曲の「FIRST KISS」(2003年10月発売)はすごく大人っぽい曲で、大人っぽい表情を要求されるんですよ。初めてメイクして、眉毛めっちゃ書かれて(笑)。歌も難しいけどそれ以上に難しいことがいっぱいあって「テレビに出るって大変なんだな」って思いました。でも今より度胸はあったと思います。フェイクの部分を任せられていて、生放送の番組で歌うこともありましたけど……当時の映像を観返すと、すごく緊張しているものの「ちゃんとやってるなあ」って。
その頃はまだ活動もそんなに多くなくて、学校では小4から部活動に入れたので金管部に入りました。コルネットのメインパートを任せてもらえてすごくうれしかったんですけど……だんだんハロプロでの活動が忙しくなってきて、放課後に部活に参加できなくなって。メインパートがいなくなっちゃうのは部活に迷惑がかかるので、小4いっぱいで辞めざるを得なくなったんです。発表会に出られなかったのが悲しい! でもまだ指は覚えてます。「ドラえもん」は今でも吹けますよ、たぶん(笑)。5年生のときに℃-uteが結成されて、最初の1年半はインディーズでひたすらショッピングモールを回ったりしてました。結成1周年(2006年)の6月11日はショッピングモールでゲリラライブをやったんですけど、外の会場で大雨で、お客さんは2人だけ。告知って大事だなって子供ながらに思いましたね(笑)。現実を見ました。先に同期がBerryz工房でデビューして悔しい思いはありましたけど、℃-uteでインディーズを経験できたことは今思えばよかったなと思います。メンタルも鍛えられたし、立ち止まって観てくれる人のありがたさも実感できたし。ちなみに1周年ライブを観てくれた2人のうち1人はおそらく通りすがりのベビーカーのお母さんなんですけど、もう1人の方はその後もずっと応援してくれていたんです。℃-uteの解散ライブ(2017年6月12日の埼玉・さいたまスーパーアリーナ公演「℃-ute ラストコンサート in さいたまスーパーアリーナ ~Thank you team℃-ute~」。参照:℃-ute、4385日におよんだteam℃-uteとの歴史に幕)にも来てくださいました。
アイドル活動と勉学の両立
°C-uteは小6の2月、Buono!は中学1年生の10月にメジャーデビューしました。Buono!はバンドの生演奏をバックに歌うグループだったから、声を枯らしてしまうことも多くて。自分の喉の弱さを痛感して、現場に行くのが嫌になるほど落ち込んだこともありました。でもそこで悩んでよかったです。悩みを突破したときのことも自分の身になっているので。Buono!をきっかけにギターにも挑戦してみたんですけど……すぐ挫折しました(笑)。私の中で英語とギターは「やりたい」で始めても「やらなければいけない」になっちゃうから、どうしても続かないんです。音楽を聴くのも子供の頃は大好きだったけど、ハロー!プロジェクトに入ってからは毎日歌と向き合っているから、プライベートで音楽を聴こうという気持ちにはしばらくならなかったです。学校の友達とつながるために聴く青春ミュージックみたいな感覚で、みんなと盛り上がれる曲が好き、みたいな。今思えば、自分からハロー!プロジェクトの色に染まろうとしてたのかな。ハロプロの曲はよく聴いてました。音楽を楽しむ心の余裕ができたのは、大学に入った頃くらいですね。好きなアーティストのライブを観に行くこともほとんどなくて……行けるようになったのは℃-uteとBuono!が解散したあとです。うれしかったですね。「土曜日曜にライブ行けるんだ!?」って(笑)。初めて「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に観る側で行けて「やっぱ音楽好きだわ!」って実感しました。
アイドルの活動が忙しい中で大学に進学したのは、この世界に入るときにまず両親から「大学までは行ったほうがいいよ。それは卒業するときにわかるから」と言われたんです。高校も通信制じゃなく全日制を選んだのは、本来の鈴木愛理、女の子としての鈴木愛理を見失っちゃいけないと思っていたので、芸能活動と学校生活を両立したくて。大変だったけど、本当に行っておいてよかったですね。ちゃんと高校生、大学生としての青春も味わってきたことは、こうして1人で活動して、歌詞を書くようになった今すごく生きています。大学で音認知を学んだのは……℃-uteやBuono!では海外でライブをする機会も多くて、日本のアイドル文化が“Cute”ではなく“Kawaii”だったことに疑問を持ったのがきっかけなんです。日本語の歌詞を英語に翻訳したらニュアンスは伝わるのかな、日本語の歌を聴いたときに海外の人は同じ気持ちになっているのかなって。卒論のテーマは「音楽提示による脳波研究」で、音楽が観衆に与える脳波の影響をBPMを変えて考察するという研究をしました。研究の続きは後輩に託したんですけど、この間完成してちゃんと論文に認定されたそうです。卒論は本当に大変で。今でもよく覚えてますけど、Berryz工房の熊井友理奈ちゃんと一緒にやってる宇治市観光大使の「抹茶ーず」の仕事で京都にいるときに最終提出しました(笑)。
ネガティブと向き合って
2017年は℃-ute解散、Buono!解散、大学卒業が1年のうちにいっぺんに来て、人生が終わったくらいの感じでした。そこからソロ活動の準備を始めたものの……アイドル時代は毎週のようにライブや握手会があって、応援してくれる人にいつでも会える環境だったんですよ。グループが解散したらそれがなくなって「私は世界から忘れられてしまうかもしれない」とすごく焦ってました。15年間ずっと走り続けてきたのに、1人だけ立ち止まっているようで。落ち込んで実家の角に1人で体育座りしてました(笑)。でも家族と過ごしているうちに、子供の頃、誰に評価されることもなく1人で音楽に夢中になってた頃の気持ちを思い出して。「この階段の反響が好きだったな」みたいな記憶までよみがえってきて、改めて自分の好きな音楽に向き合えたことは結果的にすごくよかったです。「私はただのご陽気者じゃなくて、こんなに落ち込めるんだ」と気付けたのもよかった(笑)。母親に「あんたはもともとネガティブの塊で、アイドルになったことでそれをポジティブに変換する能力を身に付けただけだよ」と言われて肩の荷が降りたというか。
アイドル時代はプライベートで音楽を聴けなくなってたけど、今は家にいるときも基本ずっと音楽を聴いてます。リスナーとして大好きだったOfficial髭男dismさんに2ndアルバムで楽曲提供していただけたのはうれしかったですね(2019年12月発売のアルバム「i」収録曲「Break it down」。参照:鈴木愛理、ヒゲダン提供の新曲ダンス一発撮りMV公開)。2ndアルバムにはファンクっぽい要素が多かったので、今はファンクにハマっています。仲のいいアーティストのお友達からも刺激を受けていますね。山崎あおいちゃんは大学の先輩で、曲作りの師匠でもあります。SCANDALのみんなとは℃-ute時代から仲良くて、1stアルバムでコラボできました(2018年6月発売「Do me a favor」収録曲「STORY」)。chelmicoの2人とはこの間テレビ番組で一緒になったのがきっかけで仲良くなって。初めて会ったその日にRachelさんと一緒にMamikoさんの家に遊びに行ったんですよ(笑)。歳も近くて、めちゃめちゃ波長が合うんですよね。しょっちゅう連絡を取り合って「今度一緒に音楽の勉強会しようぜ」って話してます。
鈴木愛理(スズキアイリ)
2002年、8歳のときに約3万名の中からハロー!プロジェクト・キッズに選ばれる。2003年にハロー!プロジェクト内のユニット、「あぁ!」のメンバーとしてCDデビュー。2005年6月に℃-uteを結成する。2007年より℃-uteと並行してBuono!としても活動開始。圧倒的なパフォーマンス力で人気を集め、女性ファッション誌のモデルとしても活躍している。2017年5月に神奈川・横浜アリーナで行われたライブ「Buono! ライブ 2017 ~Pienezza!~」をもってBuono!の活動が終了。その後2017年6月に埼玉・さいたまスーパーアリーナで℃-uteのラストコンサートが開催され、約12年におよぶグループ活動に幕を閉じた。℃-ute解散公演をもってハロー!プロジェクトを卒業し、2018年3月にソロ活動をスタート。6月に初のソロアルバム「Do me a favor」をリリースし、7月には東京・日本武道館でのワンマンライブ「鈴木愛理 1st LIVE ~Do me a favor @ 日本武道館~」を成功に収めた。2019年12月に2ndアルバム「i」をリリース。2020年4月には神奈川・横浜アリーナでのワンマンライブ「鈴木愛理 LIVE 2020 Airing the Bell @ YOKOHAMA ARENA」の開催を予定している。
取材・文 / 臼杵成晃