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映像で音楽を奏でる人々 第16回 90年代から“カッティングエッジ”を追求する丹修一

4年以上前2020年05月02日 0:06

ミュージックビデオの監督など、あらゆる形で音楽に関わる映像作家たちに注目するこの連載。今回はエレファントカシマシ、hide with Spread Beaver、My Little Lover、THE YELLOW MONKEY、GLAY、黒夢、LUNA SEA、Mr.Children、レミオロメン、TK from 凛として時雨、サザンオールスターズなど、名だたるアーティストのMVを数多く手がける丹修一監督に話を聞いた。

映像制作は音楽作りと似ている

最初に手にしたカメラは父親から「おもちゃにしな」ともらった露出計の壊れたカメラ。TOPCONというメーカーの35mmフィルムカメラでした。フィルムを入れてみたのは小学校4年生の頃かな。庭の花とかを撮って現像に出してもらったらいい感じで、ちょっと写真に興味を持ったんですけど、そのあと音楽にハマったので中学、高校、大学時代はずっと音楽をやっていました。大学時代に小さな広告代理店でバイトをしていて、そのときに水俣病問題などを扱うユージン・スミスというフォトジャーナリストの小さな写真集を見て感銘を受けて、「やっぱり写真はいいな」と思いました。「写真家になろうかな」なんて思いながらも音楽も好きで。どうしようかと考えていたとき、そのバイト先の先輩が紹介してくれたのが地上波系の制作プロダクションで、面接を受けてみたら通っちゃって。それが映像の世界に入ったきっかけです。入った会社では実際に自分たちで映像を作ってみる1週間くらいの研修があったんですけど、そこで「映像は時間軸があるし、抑揚が付けられるし、音楽を作るのと似てるんだな」と思いました。

MVを作るために営業をかけた90年代初期

その頃、日本にはまだMVを流す媒体があまりなくて、地上波でMVを流していたのは小林克也さんがやってらっしゃった「ベストヒットUSA」くらいだったんです。そういうのを観て育ったもんだから、MVにすごく興味を持ってたんですよね。ただ僕が就職した会社は、報道番組の映像を作りつつ、一方で企業VP(ビデオパッケージ)とかNTT関連の仕事とか、いわゆるカタい仕事が多くて、「僕はどうやったらMVを作れるんですか?」ってボスに聞いたら、「うちじゃやってないから自分で営業に行ってこい」なんて言われて(笑)。なんのポートフォリオも持たずにいろんなレコード会社の担当の人に電話したんです。「あのーMVって作ってないんですか?」って。初めてそれに対して反応してくれたレーベルの方と縁があって、初めてミュージックビデオを手がけることになったんです。

当時働いていたプロダクションに僕の大好きな先輩カメラマンがいて、よく一緒にVPを作ってました。スペースシャワー(1989年設立)ができたばかりの頃、その先輩がそこの技術部に移ったんですけど、何やら話を聞いていたらすごくそこでの仕事が面白そうで。「毎日ミュージシャンの人たちとしか会わないの? マジで?」みたいな。この会社に行ったら音楽にまつわることが間違いなくできると思って、面接を受けてスペシャに入りました。ただもちろん放送局なので、当然番組を作らないといけない。番組が軸でMVはその次みたいな感じでやっていて。MVを作るにしても人手が足りないから自分でスタジオを予約して、スケジュールを組んで、香盤表を用意して、メイクさん、ヘアメイクさんのスタッフリングをして、お弁当も頼んで……ディレクターとは言っても、なんでもやりましたね(笑)。番組も作ってるから週3、4日が徹夜になっちゃうし。ただゆっくりと変化というか、音楽専門のスペシャ、MTVのほか、地上波でもちょこちょこ音楽番組などMVを流せるメディアが増えてきた時期でもあって、MVを軸にしたい僕は上司に「MVだけで採算取れるようなセクションを作って欲しい!」とお願いしてたんです。そしたらちょうどSEPという映像会社を作ろうとしていたところだったので、そこに移りました。

映像業界の巨匠・中野裕之との出会い

SEPに移動して1年くらい経った頃かと思うのですが、社内でフリーエージェントを扱うセクションを作るという話になりまして、僕がフリー契約した第1号だったと思います。マネジメント契約をSEPと結び、フリーランスとして活動するというカタチです。しばらくその形態を続けていたのですが、そんな折、映像作家の中野裕之さんのスタジオをよく使っていて、僕が編集してると後ろにテンガロンハット(中野裕之のトレードマーク)を被った人が立ってたんですよ(笑)。ある日、僕が作業してるときに後ろから話しかけられたんです。「ねえ君さ、何やってんの?」と。「編集です」と答えたら、「変なことやってるけどどうしたいの?」と聞かれて、説明したら「お前、面白いね」「うち来る?」って。Dip In The Pool、Video Drug、Deee-Lite、レ・リタ・ミツコ、MTVでの受賞等、すごい方なんだというのは知っていましたが言葉を交わすのは初めてで、中野さんにとても興味が湧きました。そして中野さんの会社、ピースデリックスタジオに移ったんです。そのスタジオに入ってから番場(秀一)にも出会って。彼はもともと前嶋(輝)さんというディレクター界のレジェンドがやってらっしゃるフィッツロイという会社にいて、僕が何度か仕事したときにアシスタントで付いてくれたんです。「ディレクターになりたい」という思いを聞いて「じゃあ僕のアシスタントをやって、うちでディレクターになる?」みたいな話をしましたね。当時、黒夢のMVをやり始めた頃かな。「ピストル」(1996年)とか。

エッジギリギリを駆け抜けた90年代

90年代、いろいろ仕事をしてきましたけどTHE YELLOW MONKEYの吉井(和哉)さんにはすごく影響を受けました。映像に関してすごく思い入れのある方でしたし、そういうミュージシャンの方と一緒に仕事ができたことはディレクターとしての成長につながりました。自分が一番たくさんMVで関わったのは清春さんかな。sadsの「忘却の空」(2000年)もそうだし。彼とはあのタイミングでやれて本当によかったなと思います。彼の上昇志向、パワー、勢いに感化されて、本当にエッジギリギリのところをみんなで駆け抜けた感じです。

あと中野さんが小林武史さんと仲がよくて、お二人がほろ酔いのときに僕がその場に招かれたことがあります。もちろん初対面だったんで最初は名前も覚えてもらえず、なぜか「なんか子犬っぽいね!」と言われてました(笑)。そんな出会いから、Mr.Childrenのアルバム「BOLERO」(1997年)のパッケージを作るときに中野さんが数曲、僕が「ボレロ」や「ALIVE」ほか4曲を担当することになったんです。で、その流れでMy Little LoverのMVもやらせていただくようになりまして。小林さんとはいろんな国に一緒に行きました。初めはロサンゼルスで、そのあとは上海に、モロッコ、パリと。予算の掛け方が今と違うので、スタッフの数もすごいし……そういう時代でした。


「ピンク スパイダー」ロケ地は映画「セブン」と同じ

その後、黒夢の仕事で何度かお会いしていた東芝EMIの方がUNLIMITED RECORDSに行かれて、その方がhideさんを紹介してくれたんですよ。hideさんに僕の作品を紹介するときに、たぶん黒夢のMVを見せたんじゃないかなあ。hideさんのMV撮影のメイキングはパッケージ化されてますけど、今だったらあんな赤裸々に現場を見せたくないかも(笑)。若い頃はそんなこと気にしてられないくらい必死でしたから。「ROCKET DIVE」のMVはセットデザイナーと一緒に宇宙船をイメージしたセットを考え、「光軸中心で回すと天地がわからなくなるから必ず真円で」とか言いながら撮影しました。

「ROCKET DIVE」の撮影後、次の「ピンク スパイダー」のMVはどうしようかと思って……ちょうどhideさんがレコーディングでロスにいるタイミングだったので、ロス撮影をすることになりました。当時とてもお世話になった現地プロダクションにいろいろ相談したら、挙がってきたロケーションの1つにすごくいい感じのホテル(アレクサンドリアホテル)があったんです。僕はその頃、映画監督のデヴィッド・フィンチャーが大好きで、hideさんと打ち合わせのときに映画「セブン」(1995年)の話もしていたんですけど、ロケハンしたらそこが「セブン」のロケ地だったんですよ。「ピンク スパイダー」のMVでガラスを割るシーンは今じゃできないでしょうね。テンパードガラスという、焼入れしてあってすぐ粉砕できるガラスなんですけど、ガラスの粉が舞うから割ったらしばらく息しちゃいけないっていう。あの頃はレギュレーションが緩かったからできたんですよね(笑)。

2000年にはLUNA SEAの「gravity」「TONIGHT」を撮りました。彼らが僕に声をかけてくれたのはhideさんの仕事があったからかな。J(B)は「hide兄、hide兄」とすごく慕ってましたし。ちなみに「TONIGIT」には子役時代のエンリケ(現在はALEXANDER名義で活動しているモデル、俳優)が出てるんですよ。設定では彼がLUNA SEAに憧れてヘッドフォンをしながらその世界に没頭していると、異空間で彼らと実際に会えるというテーマで。想像の世界だから彼は宙を飛んでるんです。

その他にとても印象に残っているのはTHE BACK HORNの「光の結晶」(2003年)で、メンバーには液体に沈んでもらいました。ペペローションという液体を人肌に温めたもので、口に入っても大丈夫なんですけど、キツかったと思います……すみません! でも普通の水では表現できない画が撮れました。

海外ロケの思い出

My Little Lover「STARDUST」(1998年)の撮影で上海に初めて行ったときのことは印象に残ってます。外灘(バンド)エリアの向かいが浦東(プートン)エリアで、今は大きなホテルとかが乱立してますが、当時はテレビ塔くらいしかなかったんですよ。テレビ塔の下で撮影することにして大きなクレーンを持ち込んで、夜のシーンだから照明も焚いて。準備してたら現地のロケコーディネーターの方が急に「お願いです! みんな伏せてください!」と突然言うんです。「照明もすぐ消して!」って。何が始まったんだろうと思ったら「政府の高官が通ります!」と。許可取ってるはずなんですけど、「許可とかそんな問題じゃないんです!」って(笑)。で、その車が通り過ぎるまでじっとしていたことがありました。今じゃなかなかできないかもしれませんね。

あと海外だとTK(凛として時雨)くんに同行して、「Secret Sensation」と「like there is tomorrow」(2016年)のMVをドイツのベルリンで撮影しました。「like there is tomorrow」の演奏シーンはデヴィッド・ボウイとかU2とかがレコーディングで使ったハンザスタジオで撮ったものです。

アーティストと対峙することで生まれる映像

MVを作るときに、僕はルーティンワークとして必ずやることがあります。それは「可能であれば何かを構想し始める前にアーティストと会う」ということ。会うことで曲に対するキーワード、思いを本人から得て、自分なりにどういうムードにしていくか考え始めることが多いです。

エレファントカシマシの「RESTART」(2017年)は宮本浩次さんの髪を切ったり、上裸になってもらったりしてるんですけど、「髪の毛を切りたい」と言ったのは宮本さんですからね(笑)。会って話している中で出てきたアイデアで。宮本さんはあの頃からソロ活動への沸々とした思いがすでにあって、“2人の宮本さん”がいたと思います。当然彼はエレカシを愛しているから、バンドがベースにあるのはもちろんだけど、別レイヤーの“シンガー宮本浩次”を模索したかったんだろうなと話していて感じました。だからこそ振り切った何かをやりたいんだなって。そしてこのMVに関していうと、宮本さん自身を出すというよりは役を演じてもらった感が大きいですね。ロックスターを夢見るサラリーマンがいて、夢中の自分はMotley Crueや、The Rolling Stonesで……。化粧はもちろん、サングラスをかけてギラギラで……みたいな。そんな話で盛り上がって、あのリップシンク・演奏シーンになっています。

僕は広告の仕事もしていますが、MVと比べると広告ってすごく刹那的で、被写体の方とは仕事の期間しか会わないんです。タレントさんなら打ち合わせを入れてものべ5日間くらい一緒にいて終わっちゃう。さみしいんです(笑)。だから人にググッと入り込んだ作品を撮ろうといつも心がけています。ドキュメンタリーと言うと平たいんですけど、人に深く入って何かを表現できたらなって。先日はSUPER BEAVERを撮らせていただきました。人に入る……っていう感覚でいうと、とてもいい撮影だったと感じています。彼らの曲に対する思い入れや、アーティストとしての瞬発力、とても素晴らしかったです。

合言葉は「歌が聞こえてくるような画にしましょう」

映像を作るとき、詩的でありたいなと思っています。激しい画でも静かな画でも。詩って“うた”とも読みますよね。だから僕のチームでは「歌が聞こえてくるような画にしましょう」と合言葉のように話してます。撮影手法はいろいろありますけど、スモークは好きですね。back numberの「大不正解」(2018年)でも使ってるんですけど、スモークは同じ形に2度とならないから。

まどろんだ感じも好きで、フォーカスはパンフォーカスではなくてシャローフォーカスが大好きです。想像できる余白が欲しくて。まあいろんな手法があるので、この歳になると引き出しは多いと思います(笑)。だからどんな話が来ても撮れちゃうんですけど、逆にそれがヤバいとも思います。「こんな感じのものはこうやればいい」ってなるのもよくないので、自分を疑ってかかるようにしてますね。INORANの「I'm Here for you」(2018年)は画用紙6000枚を使ったコマ撮りアニメーション作品なんですけど、みんな手伝ってくれると思ったんですけど誰も手伝ってくれなくて死ぬかと思いました。プロデューサーと2人っきりで6000枚(笑)。1枚でも間違えるとフレーム数が変わるので、慎重にレイアウトして撮って、捨てて、撮ってを2日間繰り返しました。

胎内回帰願望から生まれた“無重力感”

こうして振り返ってみると、ありがたいことにいろんなアーティストのMVを手がけていますね。hitomiちゃんは「LOVE2000」(2000年)もやりましたけど、「there is...」(1999年)の水中撮影では、あの頃誰もやっていないことをやれたと思います。

水中撮影はサザンオールスターズの「東京VICTORY」(2015年)でも使ってます。オリンピックを応援したいと桑田(佳祐)さんがおっしゃっていたから、水泳選手の画を使うことにして。水中で天地逆に撮影した手法は、「there is...」でもやってるんですよね。hitomiちゃんのほうは鉄球を水に投げ込んで空気の泡を撮影して天地逆にすることで浮遊感が出せて。サザンのほうだと水泳飛び込みをした人がまるで上に登っていくように見える。水中撮影はレミオロメンの「蒼の世界」(2005年)でもやってます。無重力感が好きなんですよね。僕は以前、胎内回帰したいと思うことがあったので、それが影響しています。ちなみにレミオロメンは「粉雪」(2005年)のMVも撮影しています。こちらはシンプルな壁1枚でどこまでストーリーを紡げるかを追究しました。

クリエイター志望者に向けて

「僕は明日からディレクターです」と言えばみんなディレクターになれるのが僕らの業界です。カメラマンも同じだし、ライターもそうですよね。いろんなメディアがあって、そこここにフィールドが広がっているので。ただ、そのフィールドで少しでも抜きん出てクリエイトしたい!と感じるのあれば何かを観たり聴いたりするとき、まず好き嫌いのアンテナを瞬時に働かせて、その次になぜこれが好きなのか、なぜ嫌いなのかの理由を自分なりに納得するまで考える。それを続けると、自分で作るものの方向性が見えてくると思います。映像だけでなくクリエイターなら当てはまる話ですよね。好き嫌いと、その理由を持つことがオリジナリティにつながる。あと、自身が中心になって物事を捕らえていると自覚する。例えば色だと、今僕が目の前で見てるこの景色は、ほかの誰とも同じ色で見てないんですよ。脳みそも違えば網膜も違うので。だから僕のこの赤は、僕だけの赤。あなたの赤はあなたの赤でっていう(笑)。他との差異と、自分の中にしかないモノを意識すること。それが、クリエイターに大切なオリジナリティになっていくと思います。そして、オリジナリティを持つ人が抜きん出るのだと。

僕はもう90年代からMV監督をしてますけど、今のMVは記号化してると思います。でも記号を作ったのは僕らの世代かもしれませんね。MVはこうあるべきみたいなフォーマットがある程度存在しているから、逆にかわいそうだなと思うこともあります。僕は全部が全部初めてで、「本当にこれでいいのかな」と思いながらも突き進んできたから毎回が賭けでした。「これで失敗したらもう仕事が来なくなる」というときも「絶対にこれでいけるはずだ」と賭けに出て……というのを積み重ねて今に至りますけど、今やすごい数の作品が簡単に観ることができるから、自然とそういう情報が頭に入ってきちゃう。今から始めるとしたら、ある程度フォーマットから選ぶという作業になりがちかもしれませんね。

そういう環境でのオリジナリティってなんなんでしょうね? 僕は自分の手法がパクられても怒ることはありませんよ、若い頃は「真似しやがって!」とか頭に来てましたけどね(笑)。誰かが同じ手法を使ったとしても、そのクリエイターの血肉になっていればよいのかと思います。それはすでに真似ではなく見えるはずなので。

敵は自分の中にいる

なんでも好き嫌いを付けると、不思議なことに好きなものは自分にプールされていくんですよね。街を歩いていても、絵画を観に行っても。クリエイターは毎瞬脳トレをしてるようなものじゃないかなと思います。広告案件とかだと、なんでこれがいいと思うか説明しなきゃいけないから、やっておいて損はないですよ(笑)。あと僕は、昔好きになったものを嫌いになることがあまりないので、好きなものはどんどん増えていくんです。逆に苦手なことが減ってるのかも……これが歳を取るということかな。歳を重ねると人は丸くなるって言いますもんね。

でも何歳になっても、カッティングエッジなものを作りたいですね。引き出しが多くなるとさっきも話した通り、ルーティンになる。「こういうものにはこの引き出しを使おう」と選択にはもう悩まないんですが、それを今一度疑わないとダメですね。「お前本当にこれでいいの?」と自分を疑う。あえて生み出すのが苦しくてつらい環境に自分を置く。そうしないと僕は次に行けない気がします。だから常に敵は自分の中にいますよ、絶対(笑)。

丹修一が影響を受けた映像作品

マドンナ「ベッドタイム・ストーリー」(マーク・ロマネク監督 / 1995年)

「僕にはこんな作品作れない……」とノックアウトされるほどに衝撃を受けました。当時HENRYという何億もするハイエンドのノンリニア編集機に取り込んで、1フレームずつ観ました。ひたすら感動しながら。すごさの秘密を少しでも分析できればと思ったんですけど、結局なんにもわからなかった(笑)。

映画「シクロ」(トラン・アン・ユン監督 / 1996年)

シクロと呼ばれる自転車タクシーを生業にしてる少年が主人公の話なんですが、ストーリーにも魅了されたし、そのストーリーをこんな画で表現するのかと。また、色はすべてに意味を持っているんだと強く思わされた作品で、劇中の死のシーンは完璧な美しさで涙します。主人公のポートレートのショットが随所に入るんですけど、衝撃的に美しいです。舞台のベトナムにはこの映画の影響からか、縁があって行く機会が多いです。

取材・文 / 田中和宏 撮影 / 梅原渉

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