ミュージックビデオの監督など、あらゆる形で音楽に関わる映像作家たちに注目するこの連載。今回はMV監督ではなく、博報堂ケトルのプラナーとして広告の企画などを立案している北野篤に話を聞いた。
ハロー!プロジェクトを中心としたさまざまなMVの企画に携わっている北野。最近では特に、彼が手がけたBEYOOOOONDSのMVが次々に話題となり、プラナーという裏方の仕事でありながら確かな存在感を示している。
この記事では、音楽漬けだったという少年時代から、CDショップでのアルバイトを経て現在に至るまでの彼のエピソードを公開。さらに、これまで手がけたMVの制作の裏側や、彼の持つ企画の源流などについて語ってもらった。
取材・文 / 土屋恵介 撮影 / 梅原渉
「端っこのものが好き」な音楽趣味の遍歴
僕は博報堂ケトルでプラナーという肩書きで仕事をしていて、監督ではないのでこの連載に出られているほかの方たちとはちょっと立ち位置が違うんです。「なぜ僕が!?」という気持ちです。ミュージックビデオの制作に関しては、企画を立てたり制作過程で出てきたもののクオリティを見たり、あとはアーティスト側と制作チームとの調整などをやっています。プロモーションの一環として映像作品のお話をいただくといったところから、MV制作に関わるようになっていきました。
音楽から受けた影響はすごく大きいです。母が音楽好きで、小5のクリスマスプレゼントがなぜかTHE BLUE HEARTSの1stアルバム「THE BLUE HEARTS」だったんですよ(笑)。それから、家にスペースシャワーTVとかMTVとかMV文化が導入されたりもして、そうしたところから音楽に興味を持つようになっていきました。そのあとも母は、Nirvanaやワールドミュージック、ヒップホップとかにハマっていくんですけど、そんな母の音楽趣味の変遷に影響を受けつつ、僕も中学生くらいから自分の好きな音楽を掘っていくようになったんです。
中1か中2の夏休みに、自分が生まれた年の1981年の音楽に詳しくなろうと急に思い立って。それで近所のレンタルCD店で、大瀧詠一さんの「A LONG VACATION」とかを借りて聴いたらすごくよくて、そこからYMOとか80年代のアーティストをいろいろ聴き始めました。当時、学校に1人だけ音楽の趣味が合う友達がいて、そいつがフリッパーズ・ギターを聴いてたんで、そこからフリッパーズ・ギター周辺の渋谷系のアーティストや、ネオアコのアーティストを聴くようになったんです。
94年の中2のときに、父親が入院していた時期があって。そのせいで家がすごくバタバタしていたので、僕はクラスで仲がよかった友達の家に2、3カ月間居候することになったんです。そいつの家で聴いた、BOOWY(2つ目のOはストローク符号付きが正式表記)のアルバム「JUST A HERO」や布袋寅泰さんの1stアルバム「GUITARHYTHM」が好きになって、その友達に誘われてギターを始めてBOOWYのコピーバンドをやったりしました。当時はニューウェイブとかはわからなかったですが、今聴き返すとこの2作品はすごくニューウェイブですよね。自分が掘っていく80年代の音楽はどれも母親か友達からの影響で、その後は洋邦問わず年代もバラバラな音楽を聴きまくるようになりました。
僕が80年代の音楽に惹かれたのは、音がすごく攻撃的なところ。シンセもリズムボックスも無骨なサウンドで、インパクトが強い感じに惹かれたんです。Yesの「Owner of a Lonely Heart」なんかはその詰め合わせじゃないですか。あとはアイデアやビジュアルのすごさ。Sigue Sigue Sputnikのルックスを初めて見たときも「なんじゃこりゃ!?」って思ったし、動力パイプみたいなものが付いているソロ初期の布袋さんの衣装も「ビッグバン・ベイダーみたいでカッコいい!」って思ってました。
古い音楽を掘る話でいうと、94、5年くらいからCDの再発売ブームで80年代の音楽がどんどん再発されるようになって、自分の中でさらにCD欲が増していったんですよ。渋谷系って、新しい音楽も古い音楽も同時に掘っていくカルチャーだったじゃないですか。フリッパーズ・ギターの「DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-」を聴いて、それと同時期にリンクしていたThe Stone Rosesのようなマンチェっぽいものや、The Smithsを聴いたり、Orange JuiceやAztec Cameraのようなネオアコの名盤を掘ったりしました。
それで当時渋谷にあったZESTという輸入レコード店に、高1か高2くらいから頻繁に足を運ぶようになって。そういえば当時はThe Beach Boysにもすごくハマりましたね。あとはトラットリアからFree Designが再発されたことをきっかけにソフトロックを聴き始めたり、そんな中学高校時代を過ごしていたんです。94年くらいの頃は華原朋美とかTKサウンドが全盛でしたけど、好きなものを掘るのに忙しくてあんまり聴いてなくて。今はメインもサブもないような時代ですけど、ど真ん中じゃないもの、端っこのものが好きっていう感覚はいまだにあります。全然映像の話にならないですね(笑)。
急に「自分はもっと面白いことができる人間な気がする」と思い立って
高校卒業後に大学に入ったんですが速攻で長い“遊び期間”に入ったんです(笑)。格闘技が好きで「PRIDE」を観に行ったり、ブラジリアン柔術を習ったり、お笑いのライブに通ったり。その後、ロサンゼルスに語学留学に行ったんですが、行ってすぐに盲腸になって現地で手術をしたりとか、いろいろあってロスから帰ってきて2004、5年くらいにCDショップにバイトで入ったんです。当時は好きなものに囲まれてゆるく穏やかに生きていきたいと思ってました(笑)。
そこでは、めっちゃ店頭ポップを書いてました。そのあとバイヤーをやり始めたんですけど、自分の仕入れたCDをどう紹介していくのかを考えたり、それがどう売れていくのかを見てるのが面白かったです。でも2005年頃って、Napsterが音楽配信サービスを始めたりYouTubeが設立されたりしたタイミングで、音楽業界がいろいろ変わりだしたときで。ちょうどレコード店のCISCOがなくなったりした時期ですね。
そんな頃に「音楽以外の世界も見てみたい!! 自分はもっといろいろなことができる人間な気がする!」となぜか思い立ってCDショップを辞めたんです。
座右の銘は「くだらないけど面白いものを作りたい」
今の会社に入ったのはその1年後くらいです。もともと僕の中学のときの家庭教師だった人が会社にいて、バイト時代もよく一緒にごはんを食べたりしていたんです。その人に「自分で面白いアイデアを考えて、それを仕事にできることもあるんだよ。そういう仕事を体験したら、自分が次に何をやりたいか見つかるんじゃない?」と言われて。最初は3カ月だけのインターンのような形で入りました。社会科見学みたいな感じですかね。
入った当初は、先輩に付いて回って「広告ってこうやって作るんだ」というのを見て学んでいく感じでした。そんな中、すぐに新規案件に僕も企画を出すことになったら、その企画が通ってしまって。自分が出した企画を面白がってくれて、それを実施するためにいろんな人が動いて形になっていくっていうのがすごく面白かったので、そこで「こんな仕事もあるんだな! 面白いな!」って仕事に対する意識が変わったんです。会社の人からも「わりと向いてるんじゃない?」と言われたし、どんどんその気になっていった感じですね。結局そのインターンみたいな状態が1年くらい続いて、のちに入社する形になりました。初めて関わった映像の仕事はテレビCMです。お菓子や車、ゲームアプリなどのCM企画を担当させてもらいました。そこから、この仕事を10年くらいやってます。
会社で座右の銘を書くことになったときにも「くだらないけど面白いものを作りたい」と書いたんですが、そういう心がけを大事にしています。さっき言った80年代の音楽やMVも、チープなものもくだらないものもあるけど、どれも最高に面白いじゃないですか。武器1つで押し切る感じとか、それが今の自分の作っているものの原風景みたいな感覚はあります。やっぱり、見てきたものや聴いてきたもの、好きなものとか、そういうところからしか自分らしいアイデアは出てこない気がしますね。
初めて制作したMVはアップアップガールズ(仮)
僕が最初に制作に関わったMVは、2016年に公開したアップアップガールズ(仮)さんの「バレバレI LOVE YOU フューチャーミュージックビデオ アプガ制服青春コレクション」です。当時アップフロントにいた山田(昌治:現YU-Mエンターテインメント株式会社代表取締役)さんと知り合ってお話をいただきました。
アプガさんの曲であるあるやベタを積み重ねるような内容のMVを作りたいという話でしたので、恋愛がテーマの曲ですし、恋愛マンガのあるあるやベタを繰り返していこうと考えました。そこから、単に“恋愛あるある”のオムニバスにするんじゃなくて、遅刻しそうなヒロインが食パンをくわえて走って人とぶつかるとその人が転校生だったというベタなシーンがどんどん連なって最終的にひとクラス分の登場人物が出てきたら面白いねって話になったんです。
このMVでは実験として、打ち合わせで出たアイデアはなんの吟味もせずに全部やろうと思ったんです。勢いでやったほうが面白いと思ったから、たぬきの置物、プロレスラーとか思い付いたものは全部発注していきました(笑)。オチのあとにさらにオチがある構成も誰かが言ったのをそのまま採用しました。で、「これ、映像に合わせてリズムを四つ打ちにしたほうが面白いんじゃない?」って話になって、最終的に曲をリミックスしてもらったんですよ。MVのために曲を変えちゃうって、本来の流れとは逆ですよね(笑)。1個の企画でやり通す、けっこう自分が好きなものになったかなと思ってます。
2017年には、モーニング娘。'17さんの「モーニングみそ汁」のMVを担当しました。その後に手がけるハロプロの作品もそうなんですけど、MVの方向性としては「こういうのをやったらグループヒストリーの中でもこのMVが目立ちそうだな」とか、「ファンはこういうのを観たら喜んでくれるんじゃないかな」というものをあえて意識するようにしているんです。コアファンから広がっていけばいいな、と。もともと僕もハロプロが好きだったから、そういう感覚があるのかなと思います。
この時期のモーニング娘。さんのMVって、しっかりと歌とダンスのパフォーマンス部分を見せるもの、っていうイメージが自分にも強くあったんですが、「モーニングみそ汁」はあえてそこにはまらないことをやりました。だから外ロケでダンスをあまり入れず、メンバーのナチュラルな表情をとにかくかわいく撮ろうという方向性で進めました。
道重さんの新しいイメージが伝わるものを作りたい
2018年は、道重さゆみさんの復帰後初のMV「Loneliness Tokyo」を作りました。2017年に道重さんが復活して、公演も2本やったので、そろそろMVを作りたいというお話をいただいて。このMVには道重さんの主演舞台「SAYUMINGLANDOLL~東京~」のプロモーションという意味合いもありました。
「Loneliness Tokyo」のMVは「いろんな衣装の道重さんをファンは見たいはずだ」というワンアイデアだけで突っ走りました。これ以前に道重さんが出ているMVは「シャバダバ ドゥ~」(モーニング娘。の57枚目のシングルに収録。2014年10月15日発売)なんですよ。復活までの2年半くらい、ファンはそのMVをずっと観ていて思い入れもあるわけじゃないですか。だから同じような世界観だと、絶対に超えられないなと思ったんです。だったら「シャバダバ ドゥ~」のようなファンタジーではなくリアリティを追求しようと。道重さんが芝浦を歩いてるのも現実感がないから面白い画になるんじゃないかなと思いましたし。主演舞台の物語も、地方から出てきた子がお母さんを探して東京を歩き回るという内容だったので、それをそのままMVに引用したんです。ただ衣装を着て街を歩いてもらっただけで画が持つのが道重さんのすごさだなと思いましたね。
あと「20代最後の道重さんのいろんな姿を残したい」という気持ちもありましたし、企画の段階で「道重さんに新しいイメージを与えられたらいいな」とも考えていました。例えば、道重さんをモデルに起用しようと考えている人が、このMVを観てスタイリングやメイクの参考にするかもしれないから、動画版のスタイルブックみたいになればいいなというのはちょっと意識しました。
2019年は、アンジュルムさんのシングル「恋はアッチャアッチャ」を盛り上げる企画で、公式アッチャアッチャ応援隊のMVを制作しました。
もともと「踊りとカレー」というお題で、あの踊りをいろんな人にやってもらいたいという企画のフレームがあって。インドのポップスっぽい曲だし、カレーを食べたらみんなが踊り出すというストーリーにしようと思ったんですが、そのまま撮ったら俳優の方が変な目立ち方をしそうな気がしたんですよ。「誰!? この人」みたいな。そうさせたくないから男性をもう1人入れようと思って、たいせい(シャ乱Q)さんにカレー屋の店長になってもらって、ある料理マンガに出てくる有名なカレーを出すのがいいんじゃないかと思ったんです(笑)。
全体としては、ウルフルズの「大阪ストラット」のMVみたいな陽気で元気な感じのことをやりたかったんです。でも結果、サーベルを持ったタイガー・ジェット・シンみたいな人が戸越銀座の看板の下で大勢の人と闊歩するという超カオスなMVになりました(笑)。
ターニングポイントになったのはBEYOOOOONDS
BEYOOOOONDSさんを最初に手がけたのは「眼鏡の男の子」と「アツイ!」のMVです。
先に「アツイ!」のMVを頼まれて撮っていたんですが、急遽メジャーデビューが決まって「眼鏡の男の子」と「ニッポンノD・N・A!」「Go Waist」でシングルを作ることになったので、一旦保留にしたんです。そのタイミングから、MVだけじゃなくCDジャケットと衣装も含めて依頼されるようになって、結果、MVの制作が4本同時進行になってかなり大変でした(笑)。ハローでは、トリプルA面シングルの3曲をMVもジャケットも衣装も全部同じ人が監修するというのは最近では珍しいことだったみたいですが、1枚のシングルをトータルで作ることができたのは純粋に面白かったです。
BEYOOOOONDSさんは活動の幅が広いグループだから、MV全体の方向性を考えたときに、「歌やダンスのグループ」というイメージを広げるよりも、「どれが本当のBEYOOOOONDSなんだろう?」って思わせたほうが面白いのかなと思ったので、方向性を3曲バラバラにしたんです。撮影のシチュエーションを「外ロケ」「室内ロケ」「スタジオもの」と分けて、「かわいいもの」「バカバカしいもの」「王道っぽいもの」という感じでテーマを分類して撮りました。
「ニッポンノD・N・A!」「Go Waist」はゼロから組み立てていけたんですけど、「眼鏡の男の子」はその時点でライブで披露してから1年以上経っている曲だったんです。だからファンの中でもMVへの期待値が上がってる状態だったのは自分でも感じていました。僕もあの曲を初めてライブで観たときに「なんじゃこりゃ!?」って思ったし、あの感じをどうやって映像で表現できるのか、けっこう悩みました。ただ「マンガっぽい雰囲気だな」という印象はあったので、マンガをテーマにして、冒頭の寸劇に吹き出しを付けたり、メンバーに手持ちでマンガのフレームを持ってもらったりして、あの「なんじゃこりゃ!?」という感じを作ろうとしました。
BEYOOOOONDSさんの寸劇を作っている野沢トオルさんとは撮影現場で初めて会ったんですよ。もしその前に野沢さんに会って寸劇の制作過程とかを聞いていたら、もっとちゃんと寸劇をやってたかもなって。そう考えるとこれは、聞かなかったからできたMVかなと思ってます。
※Googleストリートビューに偶然写り込んだ「眼鏡の男の子」のMV撮影の様子。
BEYOOOOONDSのMVが3本公開される日は、本当に吐きそうなほど緊張しました。彼女たちの人生がこの3本にかかってるかもしれない……と思ったらめちゃくちゃドキドキしてきちゃって、その緊張から逃げるために普段しない独り酒を飲みに行きました(笑)。
僕のキャリアのターニングポイントっていうと大げさですが、BEYOOOOONDSさんと仕事をしたことは大きいですね。ハロプログループのデビュー作品を担当するというのも光栄だったし、MVもジャケも楽しいものができたんじゃないかな、と。そこで事務所の方々から「トータルで作れる人だ」と認識していただけた感はすごくあります。現時点での自分の代表作を挙げるなら最新作であるBEYOOOOONDSさんの「ビタミンME」ですね。
「ビタミンME」はカゴメさんとコラボした、「野菜飲料を飲んでビタミンをチャージしよう」という曲なんです。音にチアの要素があるから、単純にメンバーがチアリーダーになるだけでも成立するんですけど、コラボということもあって、“応援する人”と“応援される人”の1人2役をメンバーに演じてもらう案を思いついて。それで企画したのが、日常生活を送っている“眼鏡の男の子”たちを、野菜飲料の化身であるチアリーダーたちが応援するというMVだったんです。
このときチャレンジしたのは、歌とダンス以外のBEYOOOOONDSらしい寸劇要素をいかに自然に入れ込めるかということでした。そのために、サビではダンスをしっかり見せつつ、それ以外の部分は演劇を意識して全部ワンカットで撮ったんです。寸劇シーンでは自然に「顔のアップ」も入れ込めたと思います。回転する舞台も演劇をイメージしています。その場で動きを付けて、リハをして、撮影して、を延々繰り返したので「本当に撮影は終わるのだろうか?」と思った現場でしたね(笑)。そういう舞台っぽいワンカットの手法も、寸劇も武器にしている彼女たちなら自然だし、やる意味があるし、結果的にすごくBEYOOOOONDSさんっぽいMVになったなと思っています。
自分が面白いと思うものを純粋に提案していく
MV制作に関わるときは、まず大枠の方向性を考えて、それに対して監督が演出を施して、さらに企画を詰め込んで、アーティスト側の意向なども組み込んだうえで、また監督に戻すというキャッチボールをしながら作品を作っていきます。
例えば「眼鏡の男の子」だと、男の子役の前田こころさんをカッコよく撮れたら、MVに出てくるライバル役メンバーたちの憧れの存在だけじゃなく、ファンの方々にも憧れが生まれるんじゃないか?と思ったので、監督に「とにかく前田さんのベタなカッコつけカットをいっぱい撮ってください」って頼んだんです。それを入れることによってファンがTwitterに「私の好きな前田こころちゃんのここを見てほしい! 」とか「こんなにイケメンなのに普段はこんな感じなんです!」みたいな投稿をするんじゃないか? その投稿を見てさらにファンが増えるんじゃないかな?と思って。そういう生活者目線も取り入れて考えるやり方は意識しています。逆に僕が想像してないところにも魅力はたくさんあって、監督やアーティストさん側から「こうやったらもっといいですよ!」って戻してもらうこともたくさんあります。
広告の人間が加わることでMV制作の何が変わるのかというと、例えば僕は、楽曲の世界観をとことん突き詰めるだけではなくて、「グループとしてこのタイミングでどういうものを作ったら面白いのか?」ということを常に俯瞰的な視点で考えてるんです。そして、どういうものを作っていくかが決まった段階で「それをさらに素晴らしいものにしてくれる監督は誰だろう」と考えて監督を選ぶようにしています。あと、僕が事務所と監督の間に入ることで、それぞれの意向が直接ぶつからないようなクッション代わりにもなる。なので僕の役割は、曲をどのようにMV化していけばいいかを考えつつ、ちょっと俯瞰して作品をよりいい形に導いていくことなのかなと思っています。
企画力を養ううえで、構成作家さんやお笑いの方たちからはいつも刺激を受けています。最近で言うと、作家のせきしろさんが脚本を書いているお笑いライブ「すいているのに相席」を昨年観に行ったときに、物事のある1点を拡大解釈したり、1つのことにスポットを当ててその前後を考えたり、視点がとにかくすごいなと改めて感じたんです。妄想力の凄味っていうんですかね。もともと、せきしろさんが天久聖一さんや椎名基樹さんとやっていた「バカサイ」や「バカドリル」もすごく好きでした。あとマキタスポーツさんの音楽ネタも同じような理由で大好きです。
広告ではなぜこの企画がいいのかを説明できないといけないので、ロジックが立てられる企画である必要があります。僕もそういうことを意識したんですが、自分にはあまり向いてないなあと思っていたので、特にMVに関しては「自分が面白いと思うものを純粋に提案していこう」って頭を切り替えたんです。でも、それを自信を持って言えるようになったのは最近かもしれないです。BEYOOOOONDSさんのMVは、自分の好きなこととグループの雰囲気が合致した感覚があるし、そのうえで面白いものができてる気がします。それはモーニング娘。’20さんなどのMVでも感じています。
今後は、ビョークの「It's Oh So Quiet」みたいな全編にストーリーがあるミュージカルっぽいMVを撮ってみたいです。あとは、やたら破壊するMVとか、爆破コントみたいなMVもいいですね(笑)。Ramonesの映画「ロックンロール・ハイスクール」みたいな作品を作りたいんですよね。あの映画のラストは爆破シーンですし(笑)。
北野篤が影響を受けた映像作品
Ramones「I Wanna Be Sedated」
固定カメラでワンカットで撮影していて、Ramonesは最初から最後までほとんど動いていないんです。1つの企画をやり切る潔さと、「Ramonesがカッコいいから」ってだけで成り立ってるところが超好きですね。こういうシンプルなのが僕は大好きです。シンプルにやり切るって自信がないとできないんですよ。画がもたないって思うと、心配でいろいろ入れたくなっちゃうものなので。これは曲のテンポ感もいいし、微妙に早送りなのが観ててすごく気持ちいいです。
Talking Heads「Once in a Lifetime」
超シンプルでめっちゃカッコいいです。これ観てるだけでデヴィッド・バーンは天才だなって思いますね。体の動きも含めて「どうやってこれを考えるんだろう」「どういう頭をしてるとこんなことできるのか」って思っちゃうんです。この人自身がパフォーマーの目線で撮り方も考えてるのかな、とか。とにかく、このMVのコンテが想像できない。これは全然見えない。自分には絶対こんな発想は出てこないし、センスがいいとしか言いようがない。こういうことができる人になりたいなって思います。