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青野賢一のシネマミュージックガイド Vol.18 グランド・ブダペスト・ホテル

「グランド・ブダペスト・ホテル」Blu-rayジャケット(c)2018 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. 発売/ウォルト・ディズニー・ジャパン
3年以上前2021年02月26日 11:05

DJ、選曲家としても活躍するライターの青野賢一が毎回1つの映画をセレクトし、映画音楽の観点から作品の魅力を紹介するこの連載。今回は日本で2014年に公開された「グランド・ブダペスト・ホテル」を取り上げる。第87回アカデミー賞では9部門にノミネートされ、作曲賞を含む4部門で受賞を果たしたこの作品の音楽的な魅力とは。

文 / 青野賢一

観る者を映画の世界に引き込む魅力

ウェス・アンダーソンの名前をより多くの人に知らしめた作品が、日本で2014年に公開された「グランド・ブダペスト・ホテル」であるということに異論を挟む余地はないだろう。第64回ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞、第87回アカデミー賞では9部門にノミネートされ4部門で受賞を果たすなど、世界中で高い評価を獲得し、同時に興行面でも大成功を収めた作品である。ピンクやサックスブルーといったキュートな色使い、シンメトリックな画面構成、完成された舞台美術と衣装、個性的なキャラクター造形、そしてよく練られたストーリー展開と、観る者を映画の世界に引き込んで離さない魅力がたっぷり詰まった「グランド・ブダペスト・ホテル」が、ウェス・アンダーソンに触れるきっかけだったという方も少なくないのではなかろうか。

複雑な歴史をあぶり出す音楽

本作の主な舞台はヨーロッパの東端に位置する旧ズブロフカ共和国という架空の国家。映画は、現在は“記念すべき国の宝”として胸像も建てられている「グランド・ブダペスト・ホテル」という小説の作者が、1968年にグランド・ブダペスト・ホテルで当時のホテルオーナー、ゼロ・ムスタファ(F・マーレイ・エイブラハム)から聞いた第二次世界大戦前後の話──これが小説のもとになっている──を1985年に語る、という体裁で展開していく。ゼロが作家に伝えたのは、彼がグランド・ブダペスト・ホテルで新米のロビーボーイとして働くことになった1932年からの出来事。作家が訪れた頃のグランド・ブダペスト・ホテルはすっかり寂れてしまっていたが、かつては名門の名を欲しいままにした一流ホテルで、1932年当時は大変なにぎわいをみせていた。その人気ぶりには、ムッシュ・グスタヴ・H(レイフ・ファインズ)という伝説のコンシェルジュが大きく関係していたのだった。

グスタヴのもと、グランド・ブダペスト・ホテルのロビーボーイとして働き始めたゼロ(トニー・レヴォロリ)は、ロビーボーイのなんたるかを日々の経験から身に付けていく。また、街の洋菓子店・メンドルの菓子職人アガサ(シアーシャ・ローナン)と出会って恋に落ちるのもこの頃だ。ゼロをはじめ、誰の目から見てもグスタヴの客に対するもてなしは完璧。中でも金持ちで虚栄心と不安を抱えた寂しがり屋の金髪の老いた女性たちが、彼目当てにこのホテルを利用していたことをゼロは理解した。あるとき、そんな上客の1人、マダムD(ティルダ・スウィントン)が死亡したことで、グスタヴは遺産相続騒動に巻き込まれ、またマダムD殺害の嫌疑もかけられてしまった。

殺人容疑で逮捕、拘留されてしまったグスタヴだったが、ゼロの協力のもと、アガサが差し入れるケーキに工具を仕込んでもらい、仲間とそれを使って脱獄に成功。しかしマダムDの息子ドミトリー(エイドリアン・ブロディ)とその手下ジョプリング(ウィレム・デフォー)は執拗にグスタヴを狙って彼を追い続けた。ことの次第は映画を観ていただければと思うが、こうした一連のストーリーの背後で、戦争の足音が確実に近付いてくる。そんなところから、物語が進むにつれて、旧ズブロフカ共和国からはハンガリー、あるいはポーランドといった複雑な歴史を持つ国のイメージが浮かび上がってくるのだが、アレクサンドル・デスプラが手がけ、アカデミー賞作曲賞を受賞した本作の音楽は、そうしたイメージを見事にあぶり出しているといえるだろう。

多種多様な楽器で奏でられるスラブ的な響き

作中の音楽に耳を傾ければわかるが、本作では一般的なオーケストラで用いられる楽器は一切使われていない。ロシアでポピュラーな三角形の胴を持つ弦楽器バラライカ、ハンガリーの民族楽器として知られる打弦楽器のツィンバロン、驚くべき長さのスイスの木管楽器アルプホルンといった、中央、東ヨーロッパ諸国と、そうした国々に歴史的関係の深いロシアの楽器を筆頭に、ヨーデルなどの声楽も配されているのである。もちろん、こうした演奏面だけでなく、楽曲そのものにおいてもスラブ的な響きを感じさせるものばかりで、そのうえきちんと場面や登場人物の心情を表現しているのだから感服するばかりである。重要なのは、どこか1つの国や民族に収斂するのでなく、あくまでもありそうでない音楽に仕立てられていることだろう。このアプローチは、本作全体のファンタジックなトーンに大いに貢献している。その一方で、「どこか1つの国や民族に収斂するのでなく」ということは、実は占領や侵略などで領土や国家が不確定な時間帯も少なくなかったハンガリーやポーランドのたどってきた道のりを思い起こさせはしまいか。言うまでもなく、そうした不確定さの背景には戦争があった。


本稿の冒頭で色使いや画面構成といった視覚的な特徴をいくつか挙げた。これらの視覚的特徴は、見事に人の心を惹き付けたわけだが、本作はそれにとどまらず、戦争、国家といった物事にきちんと目がいくようにできており、それゆえ繰り返しの鑑賞に耐えうる強度を持っている。つまり、作中、アガサが小さなケーキの内部に脱獄用の工具を仕込んだのと同じように、表面上のかわいらしさの奥に、戦争や国家、そしてそうした局面における個人のあり方について考えさせられる要素がふんだんにあるのである。登場人物たちの物語を振り返ってみても、視覚的表現のキュートさに反して決してハッピーエンドとは言いがたく、ほろ苦さや切なさが残る。そこがいい。

「グランド・ブダペスト・ホテル」

日本公開:2014年6月6日
監督・脚本:ウェス・アンダーソン
音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演: F・マーレイ・エイブラハム / レイフ・ファインズ / トニー・レヴォロリ / シアーシャ・ローナン / ティルダ・スウィントン / エイドリアン・ブロディ / ウィレム・デフォー ほか
配給:20世紀フォックス映画
※Blu-ray発売中 / デジタル配信中

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