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青野賢一のシネマミュージックガイド Vol.19 Style Wars

映画「Style Wars」より。(c)MCMLXXXIII Public Art Films, Inc. All Rights Reserved
3年以上前2021年03月26日 11:05

DJ、選曲家としても活躍するライターの青野賢一が毎回1つの映画をセレクトし、映画音楽の観点から作品の魅力を紹介するこの連載。最終回となる今回は、本日3月26日にデジタル修復版が公開されたドキュメンタリー作品「Style Wars」を取り上げる。1970年から80年代のニューヨーク・サウスブロンクスで生まれた、主にスプレーを使ったアート“グラフィティ”を題材にしたこの作品の音楽的な魅力とは。

文 / 青野賢一

カルチャーとしての総体

現在ではポピュラーミュージックの1ジャンルとしても定着しているヒップホップ。1970年代前半、ニューヨーク・ブロンクスのブロックパーティの中から興ったとされるヒップホップは、当初は今のように音楽をカテゴライズする言葉ではなく、音楽を含んだ“カルチャー”であった。すなわち、DJ、ラップ、ブレイクダンス、そして主にスプレーを使ったアート“グラフィティ”の総体である。今回取り上げる「Style Wars」は、そんなカルチャーとしてのヒップホップの1要素、グラフィティにフォーカスしたドキュメンタリーだ。

公式サイトによれば、本作が製作されたのは1981年から83年ということで、映画の冒頭にも“New York City, 1982”と提示されている。ティム・ローレンスは、アイオワに生まれ主にニューヨークで活動した音楽家のアーサー・ラッセルの評伝において、80年代のニューヨークを以下のように記している。「70年代の退廃と破綻は80年代が進むにつれて冷戦の疑心暗鬼、軍事費の増加、富裕層への税控除、福祉と芸術予算の削減の時代にとって代わられた。不平等と個人主義という負の力は、低所得の個人と家庭が更なる貧困に陥っていたアフリカ系アメリカ人とラテンアメリカ人のコミュニティでもっとも容赦なく感じられ、一方で国内の製造基盤の急激な減退は白人の労働者階級社会をも生活不安に陥れていた」(山根夏実訳、野田努監修、P-Vine Books刊「アーサー・ラッセル ニューヨーク、音楽、その大いなる冒険」より)。恐慌や産業構造の変化によって雇用が減じ、ニューヨーク市の中でもとりわけブルックリンやブロンクスといった地区には職を失った貧しい人々が取り残され、荒廃していた。まさしくこの映画が撮影された地区のことである。

ラップをポピュラーな存在にしたBlondie「Rapture」

先に述べたように70年代の前半を誕生期とするヒップホップは、80年代に入ると少年期とでも言うべき成長著しい時期に突入する。まず、Chic「Good Times」をトラックに用いたThe Sugarhill Gang「Rapper' Delight」(1979年)が全米ビルボードチャートのトップ40内にランクインし、ラップ、ヒップホップをより広範に知らしめる契機となった。続いてボーカリストのデボラ・ハリーのラップをフィーチャーしたBlondieの「Rapture」(1980年にアルバム収録、81年にシングルカット)が全米シングルチャートで1位を獲得。これがラップを一気にポピュラーな存在にのし上げた。ヒップホップクラシック、エレクトロクラシックとして知られるアフリカ・バンバータ「Planet Rock」がリリースされたのは1982年。「Style Wars」の背景はざっと以上のようなところである。

リヒャルト・ワーグナー「神々の黄昏」の「ジークフリートの葬送行進曲」をバックに入線してくる地下鉄の車両。暗闇を照らすライトが車両に描かれたグラフィティを映し出す。そして曲がThe Sugarhill Gang「8th Wonder」に切り替わって、さまざまなグラフィティ、ブレイクダンス、グラフィティを描く“ボミング”の様子がスクリーンに現れる。「Style Wars」のオープニングシークエンスである。ここから約1時間、たくさんのグラフィティライターのインタビューや、深夜のヤード(操車場)、ブレイクダンスのバトル、当時のニューヨーク市長、エドワード・コッチへの取材などが配されていて、ライターたちがどんな思いでグラフィティを描いていたかがストレートに伝わってくる。そうした映像を彩る音楽は、Trouble Funk「Pump Me Up」、グランドマスター・フラッシュ「The Message」、ラメルジー&K・ロブ「Beat Bop」、The Fearless Four「Rockin' It」、Treacherous Three「Feel The Heartbeat」などのオールドスクールヒップホップ。これらの音楽が加わると、スクリーンの中のグラフィティが、ライターが、ブレイクダンサーがより生き生きとした表情を見せる。

80年代初頭のシーンを担った人々の生の声

繰り返しになるが、本作はヒップホップカルチャーの少年期から青年期頃を捉えた作品であり、その最初期から10年近くが経過し、さまざまな局面で変化が起こっていることがわかる。2018年にアジア初の回顧展が東京・東京国立近代美術館で開催されたゴードン・マッタ=クラークは、ニューヨークのグラフィティをモノクロ撮影し、それに彩色を施した「グラフィティ・フォトグリフス」というシリーズ作品を1973年に発表しているが、これには映画でも名前が挙がる最初期のライターたちのタギングも含まれている。展覧会図録に収められている「グラフィティ・フォトグリフス」の写真を通じて見たその頃のグラフィティと比べると、80年代のそれは表現力が増し、技術的にも洗練されている印象がある。時代を経て、よりアートとしてのクオリティが高まったとでも言えばいいだろうか。その一方で、例えば他人の作品を塗りつぶしてその上から描く“ゴーイング・オーバー”ばかりをする輩が出てくる。あるいはグラフィティがキャンバスに描かれ、普通のアートと同じようにギャラリーで展示販売されたり、ダンスチームのRock Steady Crewが興行的なイベントに駆り出されたりする──つまり自由なストリートからギャラリーやイベントといった消費と紐付いた場所へと主戦場が変わる──そんなことも見られるようになる。ライターをはじめとする80年代初頭のシーンを担った人々の生の声が聞けることに加えて、我々がすでに知っている、80年代半ば以降のヒップホップカルチャーへと向かう転機の1つがこの「Style Wars」には収められており、その点でも貴重な作品であることは間違いない。

「Style Wars」(デジタル修復版)

日本公開:2021年3月26日
監督:トニー・シルバー
プロデューサー:トニー・シルバー / ヘンリー・シャルファント
出演: Skeme / Min / Seen / Dondi / Zephyr ほか
配給:シンカ