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茂木欣一に聞く、フィッシュマンズに影響を与えたアルバム

茂木欣一
4年以上前2021年07月05日 10:01

デビュー30周年を迎え、フィッシュマンズ関連のさまざまなプロジェクトが進行している。関係者の証言からその足跡に迫るドキュメンタリー映画「映画:フィッシュマンズ」の公開、関連書籍の刊行、ライブ音源や初期作品のアナログ化など──ボーカリストである佐藤伸治が1999年に死去してもなお、フィッシュマンズのストーリーは彼らを愛する者たちによって語り継がれている。

今回はそんなフィッシュマンズの音楽的背景に迫るべく、バンドの屋台骨を支えてきた茂木欣一(Dr)にインタビュー。佐藤の生前の愛聴盤も含め、フィッシュマンズがインスパイアされてきたアルバムをセレクトしていただき、それぞれの作品への思いを語ってもらった。

取材・文 / 大石始 撮影 / 相澤心也

MUTE BEAT「STILL ECHO」

──1枚目はフィッシュマンズが結成された1987年にリリースされたMUTE BEATの「STILL ECHO」。フィッシュマンズのデビュー作「Chappie, Don't Cry」(1991年5月発表)のプロデュースは、MUTE BEATのこだま和文さんが手がけていましたね。

そうですね。佐藤(伸治)くんはとにかくMUTE BEATが大好きで、いつかのリハーサルのときに「今日このレコードが手に入ったんだよ」とMUTE BEATの12inchシングルを持ってきたこともありました。「これ、本当にいいんだよ」と言いながら。フィッシュマンズの「Happy Man」という未発表曲があるんだけど、その曲はこのアルバムに入っている「No Problem」からインスパイアされてます。ゴーゴーのリズムを使い、イントロで佐藤くんがコルネットを吹くというそのまんまの構成で。

──茂木さんにMUTE BEATのことを教えたのは佐藤さんだったわけですね。

そうなんですよ。佐藤くんは早い時期からライブハウスにも通っていたみたいだし、そういう中でMUTE BEATのことを知ったんでしょうね。ほかにないサウンドで新鮮だったんだと思いますよ。

──茂木さんにとっても重要な作品?

そうですね。佐藤くんと出会うまで僕はロック一辺倒で、19歳になるまでボブ・マーリーすら知らなかった。だから、佐藤くんが教えてくれる音楽がとにかく面白かったんですよ。

Bob Marley & The Wailers「Burnin'」

──そのボブ・マーリーはライブ盤の「Babylon By Bus」と悩んだ結果、「Burnin'」を選ばれています。

ボブ・マーリーに関してはもう、楽曲もいいし、声もいいわけで、レゲエを知らなかった僕にとっても入りやすかったんですよ。そこから掘っていくと(The Wailersのリズム隊である)バレット兄弟の、これでもかっていう鉄壁のリズムセクションがあって。「Burnin'」はベースの(柏原)譲とずっと聴いてましたね。

──レゲエドラマーとしては(The Wailersのドラマーである)カールトン・バレットが一番好きなんですか。

大好きですね。スライ・ダンバーも好きだし、70年代後半のミリタントビートには相当影響を受けています。あとレゲエバンドでいえばMatumbiも好きなんですよ。これ(2ndアルバムの「Point Of View」)もいいし、1stアルバムの「Seven Seals」も最高ですよね。ドラムのジャー・バニーが大好きで、「Seven Seals」は自分にとってのバイブルです。

──そういったルーツレゲエの名作を譲さんと解析し、フィッシュマンズの音に反映させていったわけですね。

そうそう。「ドラムが跳ねていたらベースは跳ねない」とか「ドラムとベースどっちが前にいるのか」とか、そういう細かいところを分析しながら2人で練習していました。些細なニュアンスをがんばって言語化する作業をしていましたね。

──感覚的に捉えるだけでなく、言語化することで具体的に理解するということでしょうか。

「このカッコよさってなんだろうね」っていうところをなんとか言葉に置き換えていくというかね。フィッシュマンズをやる前って理屈じゃないところでカッコいいものを追っていたと思うんですけど、デビューが近付いてくると、初期衝動だけではできなくなってくる。理屈のフィルターを通して音楽を理解したうえでピュアな気持ちになれるか。そんな時期だったと思いますね。あと、こだまさんの影響も大きかったんですよ。こだまさんが「THE BEST OF ROCKSTEADY」というカセットテープを作ってくれて、そこにロックステディのいい音源が詰め込まれていたんです。

アルトン・エリス「Sunday Coming」

──ロックステディではアルトン・エリスがアーリーレゲエ期に残した1970年作「Sunday Coming」をセレクトしていますね。

こだまさんが作ってくれたカセットテープは、まさに「Sunday Coming」に入っている「Alton's Groove」から始まるんですね。そこにこだまさんのナレーションが被さってくる。「皆さん、こんにちは。フィッシュマンズのために、ダイヤモンドの輝きを見せる音楽、ロックステディを紹介します」って(笑)。

──熱いですね(笑)。

そう、熱いんですよ。B面にいくと、またこだまさんのMCが入っていて、今度は「最後まで聴かなかったり、消去したりした場合は犯罪です」と(笑)。エラい人をプロデューサーに迎えちゃったなと思いました。

──まさにそこでジャマイカ音楽の勉強をしたわけですね。

そうですね。メンバー全員すぐにStudio One(数多くの名作をリリースしたジャマイカの老舗スタジオ / レーベル)のレコードを買いにいきました。こだまさんのカセットテープと当時買ったStudio Oneのレコードはフィッシュマンズの歴史を語るうえで欠かせないと思います。僕らの基礎がそこで固められたんです。

カーティス・メイフィールド「Live!」

──ソウルもかなり悩んだ結果、カーティス・メイフィールドのライブ盤「Live!」になりました。1971年1月、ニューヨークのクラブ・ビターエンドで行われた公演を収めた名盤です。

このへんのニューソウルはメンバーみんな好きでしたね。スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハサウェイ、ビル・ウィザースとか。佐藤くんもよく聴いてました。カーティスのこのライブ盤も大好きで、「こんな感じの演奏ができたら」といつも思ってました。個人的にはカーティスを聴くと佐藤くんのファルセットを思い出すんですよ。佐藤くんはカーティスだったらデビュー盤(1970年発表の「Curtis」)が好きだった記憶がある。あと、みんなファンクもよく聴いてましたね。

──ファンクであれば、どのあたりが好きだったんですか?

僕はThe Metersが大好きだったんですよ。P-VINEからベスト盤が出てて、それを毎日聴いてました。10代の頃は(The Whoの)キース・ムーンのドラムばかり聴いてましたけど、20代に入ってからは(The Metersのドラマーである)ジョー“ジガブー”モデリストばっかり。

──キース・ムーンとジガブーが並ぶと、まさに茂木さんのルーツという感じがします。

完全にその通りですね(笑)。キース・ムーンとジガブーからは大きな影響を受けてます。ジガブーのドラムも1曲の中で跳ねたり跳ねなかったりと、すごく面白いんですよね。しかも全然一人よがりではなくて、バンドのアンサンブルとしてうねりを作り出している。すごく影響を受けました。

J.B's「Doing It To Death」

──ファンクではジェームス・ブラウンのバックバンド、J.B'sも選ばれています。「Food For Thought」と迷って「Doing It To Death」になりました。

これもメンバーみんなにとって大事なアルバムじゃないかな。複数の楽器が交わることで1つのグルーヴが成立するっていう、その理想型を教えてもらった気がする。「King Master George」(1992年発表の2ndアルバム)を作るとき、プロデューサーの窪田晴男さんにも言われたんですよ。「1人で全部成立させるんじゃなくて、ギターとベース、ドラム、キーボードが有機的に絡んで1つのグルーヴを作るんだ」と。この2枚はそのお手本でしたね。

──J.B'sと言えば「Pass The Peas」がDe La Soulの「Pass The Plugs」やエリックB.&ラキムの「I Ain't No Joke」でサンプリングされたりと、サンプリングネタの宝庫でもありますよね。

そうそう。ファンクやソウルのレコードは佐藤くんの作るデモテープの元ネタにもなってましたね。例えばカーティスの「Move On Up」の後半にドラムソロがあるじゃないですか。あのフレーズをサンプリングしたり。「Neo Yankees' Holiday」(1993年発表の3rdアルバム)を作る頃、佐藤くんがAKAIのS900というサンプラーを買って、デモテープの段階でサンプリングするようになったんです。

Carlton & The Shoes「This Heart Of Mine」

──サンプリングといえば、フィッシュマンズの「RUNNING MAN」(「Neo Yankees' Holiday」収録)では、Carlton & The Shoes「Give Me Little More」のフレーズが引用されてますね。

あれはもう、オマージュですよね(笑)。佐藤くんが作ったデモテープに「Give Me Little More」のフレーズが入ってたんですよ。Carlton & The Shoesもみんなでよく聴きました。これ、いいアルバムですよね。もちろん1stアルバムの「Love Me Forever」もいいんだけど、2ndは、まとまりがいい。ちょうど「Neo Yankees' Holiday」を作る頃にOVERHEATからCD化されて、みんなで聴いていました。そのときの衝撃とヒップホップのサンプリングカルチャーに対する関心が重なって「RUNNING MAN」につながったんだと思います。

──「空中キャンプ」(1996年2月発表の5thアルバム)に収録された「Baby Blue」にもちょっと「Give Me Little More」の雰囲気がありますよね。

確かに。ただ、「RUNNING MAN」みたいに狙っていたわけじゃなかったと思う。「空中キャンプ」の段階ではもう養分として体に入っちゃっていたということなんでしょうね。The Wailersのリズム構築もそうだけど、そういう音楽的要素を体に入れていって、最終的に自分のものとして落とし込めるように試行錯誤していたんです。

Arrested Development「3 Years, 5 Months and 2 Days In The Life Of...」

──90年代前半のヒップホップアルバムも数枚候補に入っていましたが、Arrested Developmentの1stアルバムに絞られました。

このアルバムの存在もすごく大きかった。Sly & The Family Stoneの「Everyday People」を引用した「People Everyday」がシングルで出て、みんなで「これ、カッコいいね!」と盛り上がったんですよ。そこからバンドとしても一気に加速していったんです。

──加速したというのは、フィッシュマンズの曲作りが?

そうですね。初期のアルバムではポップな曲調も意識していたけど、「Neo Yankees' Holiday」の頃から「次はどこに行こうか」というミーティングをよくやってたんですよ。自分たちがやりたいこと、自分たちが本当にカッコいいと思うものだけをやろうと。当時、東北沢と池ノ上の中間に佐藤くんの家があって、そこに集まって決意表明をしていました。

──そういうときに聴いていたのがArrested Developmentであり、ほかに候補として挙がっていたDe La SoulやThe Pharcydeだったと。

そうそう、そうなんです。De La Soulは「Breakadawn」の12inchバージョンがすごくカッコよくてね。あのへんの感じは「Go Go Round This World!」(1994年2月リリースのシングル)につながっている気がするな。ひとしきりラップしたらキャッチーなコーラスが入ってくる、あの感じというか。

──なるほど、確かに。

でも、佐藤くんの場合、楽曲への落とし込みがしっかりしているというか、最終的には彼ならではのメロディラインや言葉になるんですよね。フィッシュマンズでいえば「Just Thing」(「Neo Yankees' Holiday」収録)が決定的だった。あれ以降、どんどん言葉が削ぎ落とされていったし、僕も佐藤くんの歌詞にいつも驚かされていました。

Massive Attack「Protection」

──「空中キャンプ」以降のフィッシュマンズを語る際、Massive Attackの名前は必ずといっていいほど引き合いに出されますよね。今回は1994年の2ndアルバム「Protection」がセレクトされました。

Massive Attackはデビューアルバムの「Blue Lines」もみんな好きでしたけど、やっぱり「Protection」。特に音作りかな。この緊張感は僕らの耳を確実に捉えましたね。このアルバムに関しては、まず「音がいいよね」というところから始まった記憶があるな。この頃になると「Neo Yankees' Holiday」からレコーディングに関わるようになったZAKが、ほぼメンバー的にライブやレコーディングに参加するようになっていて、ZAKも「Protection」の音については絶賛してましたね。聞こえ方はすごくシンプルなんですけど、1音1音の緊張感がハンパないんです。絶対に正解の場所でしかスネアを鳴らさない感じというか、フィルを打っている場合じゃないという(笑)。

──「空中キャンプ」以降の茂木さんのドラムもまさにそういうものになっていきますよね。

そうですね。ロンドンで作った「ORANGE」(1994年10月発売の4thアルバム)はフィッシュマンズのライブバンドっぽさを録った作品でしたけど、「空中キャンプ」からはだいぶ手触りが変わりました。この時期、佐藤くんが好きだったのはPortisheadの「Dummy」。あと、Digable Planetsも好きでしたね。

カエターノ・ヴェローゾ&ジルベルト・ジル「Tropicalia 2」

──このアルバムはちょっと意外な感じがしました。ブラジルのレジェンド2人による1993年の共演作で、90年代のブラジル音楽を代表する傑作ではありますが。

これはZAKが教えてくれたんですよ。ZAKはライブ前のサウンドチェックのとき、このアルバムをいつもかけるんです。しかも1曲目の「Haiti」という曲。どの会場に行っても必ずこの曲をかけていました。

──このアルバムのどのような部分に惹かれたのでしょうか。

僕らみんなが理想としていた音だったんですよ。音質的にもレンジ的にも研ぎ澄まされていて、洗練されている。初めて聴いたとき本当にショックでしたもん。フィッシュマンズの「Melody」(1994年6月発表のシングル)をレコーディングしていた頃、ZAKに教えてもらったんだと思いますけど、瞬く間にメンバー全員虜になってしまった。アレンジのセンスがすさまじくて、どうやったらこんなアイデアを思い浮かぶんだろう?と思っていました。

──ロックのフォーマットに囚われないアレンジの展開という意味では、レゲエに通じるものを感じ取っていたんでしょうね。

そうですね。完璧なアルバムってなかなかないと思うけど、「1枚だけ挙げろ」と言われたら、間違いなくこの「Tropicalia 2」を挙げると思います。

TLC「Crazy Sexy Cool」

──このアルバムは1994年リリースですね。

いやー、この時期のTLC、最高ですね(笑)。このアルバムは佐藤くんも僕もZAKも好きでした。「Creep」「Red Light Special」「Waterfalls」とびっくりするぐらい名曲ばかりだし、音作りも3人のキャラクターも最高でしたよね。佐藤くんもね、VHSでTLCのビデオクリップ集を買って、MariMariと一緒に振り付けの練習をしてました(笑)。

──1stアルバムはちょっとアイドルっぽい感じだったけど、この2ndでだいぶ変わりましたよね。

そうですね。僕からすると圧倒的に「Crazy Sexy Cool」。今聴き直して漠然と思ったんですけど、93、4年ぐらいの時期って世界的にBPMがゆったりしてきた気もするんですよ。この時期、フィッシュマンズの中でもこういうテンポ感が自然に浸透していたし、「空中キャンプ」に向かう流れって、そうしたムードからの影響もあったのかもしれない。

──ドラム1つとっても「空中キャンプ」で明らかに音が変わりましたよね。

「空中キャンプ」を作ったプライベートスタジオでは、生のドラムセットを叩けなかったんですよ。その結果MIDIドラムになって、音の差し替えが可能になった。そのときに「Crazy Sexy Cool」をすごく聴いた記憶があります。マッシヴの「Protection」とTLCの「Waterfalls」のスネアの音ってそっくりなんですよ。MIDIドラムの正解を自分なりに探していたんでしょうね。

マドンナ「Ray Of Light」

──これもちょっと意外なセレクトでしたけど、改めて聴いてみると、めちゃくちゃフィッシュマンズ的だなと思いました(笑)。意外なほど「宇宙 日本 世田谷」(1997年7月発売の6thアルバム)的というか。

それは面白いですね(笑)。このアルバムもZAKと聴いていた記憶があるんだよな。

──1998年にリリースされたこのアルバムは、ウィリアム・オービットのプロデュースで、アンビエント感がありますよね。

そうそう、ウィリアム・オービット。この人のプロデュースで、マドンナが自分の中で一気に来たなっていう感じがありましたね。マドンナは80年代からずっと好きだったんですよ。(オリジナルアルバムとしては)前作にあたる「Bedtime Stories」からのサウンドの変化もカッコいいなと思っていました。(1曲目の「Drowned World / Substitute for Love」を聴きながら)……それにしても素晴らしいサウンドメイキングですね。楽曲もピタッとはまっているし。

──マドンナがヨガやカバラ(ユダヤ教の神秘主義思想)にハマり始めたのも90年代半ば以降のことですよね。世紀末に向かっていく時代の空気とマドンナ自身のスピリチュアルな嗜好性が重なりあってできた作品という感じもしますが、「宇宙 日本 世田谷」もまさにそういう時代のムードをまとっていたとも思うんですよ。

アンビエント感がありますもんね、あのアルバムも。だからこそ、「宇宙 日本 世田谷」を作ったあとの耳で聴いたとき、「Ray Of Light」もすごくしっくりきたんでしょうね。「WEATHER REPORT」(「宇宙 日本 世田谷」収録)は確かに近いところがあると思うし。無意識なんだろうけど、そうやって同時代の作品と自然にクロスすることがあるんですよね。

ピエール・アンリ「Metamorphose - Messe Pour Le Temps Present」

──最後はピエール・アンリのリミックスアルバムです。ピエール・アンリはフランスの現代音楽の作曲家ですが、ファットボーイ・スリムやディミトリ・フロム・パリ、Coldcutらのリミックスを収録していて、90年代後半のダンスミュージックの傾向が見える作品でもあります。

ピエール・アンリもZAKに教えてもらったんですよ。ほかのメンバーが聴いていたかわからないけど、ZAKと僕はこのアルバムが大好きで、ライブのサンプリングネタのヒントにもしました。テック9のリミックスはライブでサンプリングしたこともあった。

──このアルバムは97年リリースですね。

97年か。じゃあ、これを聴きながら「宇宙 日本 世田谷」の作業をしてたのかな。ドラマー目線では思いつかないリズムのアイデアが詰まっていて、すごく新鮮だった。アイデアの宝庫というか。ZAKはそういうアイデアをトリートメントするのがうまいんですよ。

──お話を聞いていると、やはりこだまさんとZAKさんが持ち込んだものがフィッシュマンズとしても大きかったわけですね。

うん、そうですね。ベーシックはこだまさんに教えてもらったし、ZAKと作業した5年間で自分たちが思ってもみなかったところまで行くことができた。2人の存在はすごく大きいと思います。

茂木欣一

1967年生まれ、東京都出身のドラマー。大学在学中の1987年に佐藤伸治(Vo, G)、小嶋謙介(G)とともにフィッシュマンズを結成する。1991年に、こだま和文(ex. MUTE BEAT)のプロデュースのもと、シングル「ひこうき」でメジャーデビュー。レゲエを軸に、ダブやエレクトロニカ、ロックステディ、ファンク、ヒップホップなど、さまざまな要素を取り入れた独特の世界観で好評を博す。茂木は2001年11月より東京スカパラダイスオーケストラのドラマーとしても活躍している。

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