西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者としてさまざまなメディアに出演する西寺が私論も盛り込みつつ、愛するポップソングを紹介する。
第19回では、小林明子のデビュー曲「恋におちて -Fall in love-」にフォーカス。徳永英明、桑田佳祐、JUJUなど、さまざまなアーティストに歌い継がれ、西寺自身もカラオケの十八番だというこの曲が長年愛される所以とはいったい何なのか。作詞家・湯川れい子への独自取材をベースに紐解いていく。
文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ
西寺少年が酔いしれる
「恋におちて -Fall in love-」は、1985年8月にリリースされた小林明子さんのデビュー作。その年の「第27回 日本レコード大賞」で彼女は新人賞と特別賞を受賞、ミリオンセラー歌手となりました。TBSドラマ「金曜日の妻たちへ」の主題歌であるこの曲の作曲も担当された小林さんは、もともと東京大学教授の秘書を経て、音楽出版社に勤務されていたという裏方志望の作曲家。この連載を執筆する際、作詞家の湯川れい子さんにインタビューしたところ、湯川さんに作詞の依頼がくる前、小林さんが仮の英語で歌うデモテープの段階ですでにドラマのタイアップソングとして決定していたそうです。“大人のAOR”の芳醇な香りにあふれた、我が国最高のポップスの1つであり、世界に誇れるマスターピース。僕自身、小学6年生の夏にリリースされたこの曲に酔いしれシングルレコードを買い求めてから、今に至るまでカラオケの十八番として愛し続けています。
1960年にジャズ評論家としてデビューされて以降、ラジオDJ、コメンテーター、作詞家などあらゆるキャリアを華々しく重ねられてきた湯川さん。2021年現在に至るまでSNSを駆使し、メディアで日々発信されるエネルギッシュな姿勢には驚かされ続けています。
ツイートを消しに湯川さん宅へ
僕にとって、最初の湯川さんとの能動的な出会いは、1984年夏に初めて手に入れたThe JacksonsのLPレコード「Victory」のライナーノーツ。宝物のように大事に聴き、何度も繰り返し読み学ばせてもらったこともあり、音楽の先生、恩人のような人だと思っています。湯川さんから音楽を教えてもらったという人は広い世代にたくさん存在するはず。作詞家としてだけでなく、長きに渡る音楽の伝道師としての姿も心から尊敬しています。
ちなみに僕が湯川さんと深い会話を交わせるようになれたのは、彼女のお茶目なキャラクターを象徴するようなとある“事件”がきっかけでした。2011年3月5日、僕はThe Eaglesの来日公演を東京ドームに観に行きました。そのときに会場にいらっしゃった湯川さんからTwitterで「郷太さん、コンサート終わったら連絡してくださいねー」とメッセージが。電話番号が添えられていたんですが、自宅に帰ってそのことに僕が気付いたら、なんとそれがDMではなく普通にツイート、呟いてしまわれていたんです。慌てふためいた僕は当然「ツイートを削除してくださいー!」と電話したんですが「消し方がわからないのよー」と、意外に呑気な対応で(笑)。いろいろ考えて「パスワードを一時的に教えていただければ僕が遠隔操作で消しますよ」と伝えると「パスワードもわからないのよー」とおっしゃるので、僕が湯川さんのお宅に夜中に実際にお邪魔してツイートを消しにゆく!という「暮らし安心クラシアン」的な行動をとることに(笑)。今振り返れば東日本大震災の直前だったんですね。ただ、その夜の思わぬハプニング以降、対談やイベントはもちろん、ミュージカルなどで作詞を依頼させてもらったり、アメリカのオレゴンまでThe Jacksonsの取材のため同行したりと何度もご一緒しています。
昨年秋、筒美京平さんがお亡くなりになった夜も、湯川さんとメッセージを直接やりとりさせてもらったのですが、湯川さんは京平さんよりも学年でいえば5歳上の先輩だったと聞き驚きました。彼女はデビューも早いので作曲家になる前、レコード会社の洋楽担当ディレクターだった新人時代の京平さんから知っていて、本名で“渡辺くん”と呼んでいたと聞き、1981年に共作されたヒット曲「センチメンタル・ジャーニー」(松本伊代のデビューシングル曲)もそういう関係性から生まれたのかと。京平さんはメディアにもめったに登場されないこともあり、長きに渡って伝説の存在というムードをまとわれていましたから、改めて湯川さんの比類なきキャリアの長さに気が付いたものでした。
湯川さんが目の当たりにした“冒険活劇”
さて。「恋におちて -Fall in love-」は、いわゆる“アメリカンポップス的歌謡曲”というジャンルの完成形と言える作品。なんといっても湯川さんほどに“アメリカンポップス”を理解し、愛され、実際に多くの伝説的なアーティストと交友関係を保ち、評論家としても、表現する作詞家としても体現され続けてきた方は存在しません。湯川さんが目撃してきた歴史の数々は、さながら冒険活劇のよう。例えば湯川さんが1971年9月、Led Zeppelinの初来日ツアーに同行したとき、泥酔したジョン・ボーナムが日本刀で旅館の掛け軸をぶった斬ったり、広島で大乱闘寸前になった場所に居合わせていたとか、エルヴィス・プレスリーに結婚証明書の証人としてサインをしてもらい、隣にいる夫公認のもと、唇にキスを願って実現させてみたり……。オノ・ヨーコさんとも親しい仲で、“ママ友”としてお子さん同士をサマーキャンプに送って行ったり。1991年にエルヴィスの映画「ブルー・ハワイ」30周年記念イベントをハワイで開催し、そこにエルヴィスをモノマネする5歳のブルーノ・マーズが出演していたり! さまざまなメディアで語り継がれるThe Beatles、マイケル・ジャクソン、フリオ・イグレシアス、マドンナ、シンディ・ローパーといったレジェンドたちと交わした直接的コミュニケーションの中で“洋楽ポップス”の香りが骨の髄まで染み込んでいるのは当然のこと。そのうえで湯川さん自身が「男がそうあってほしいと願う、いじらしい女なんて嘘っぱちよ」と言い切って生まれた、日本女性の本来の姿を切り開く視点。「女は全力で尽くすけど、『ダメだな、これは』と思ったら完全に次にシフトできるのよ。もう声も聞きたくない、二度と振り返らない。それが女なのよ」と。
8回書き直しても譲れない一線
湯川さんによると「恋におちて -Fall in love-」の作詞依頼を受けたのは1985年の初夏、彼女が小学生の息子さんや親戚の子供たち数人を連れて函館の別荘で休養中のこと。子供たちとカブトムシを捕まえたり、キタキツネを追いかけたりと家族の時間を過ごしていたタイミングでディレクターからの連絡が……。当時、FAXが普及し始め、東京から離れた函館からでも作詞の仕事はこなせるからと何度かやり取りしたらしいのですが、当初ドラマのセリフの妨げにならぬよう「英語詞でお願いします」とのオファーだったはずが「やはり日本語のほうがヒットするので」と変更に。小林さんの声がカレン・カーペンターに似ていると感じた湯川さんが、カレンをイメージして“清潔なラブソング”としてもう一度完成させたところ「いや、湯川さん、これ不倫のドラマ(の主題歌)なんでもっとドロドロした感じで」と突き返されてしまい……。
函館で目の前を子供たちが走り回る平和で牧歌的な状況で不倫の歌なんて思い浮かぶわけがない、と湯川さんは1人、東京・四谷の当時の自宅に戻ることを決断。深夜、歌詞に悩みながら新宿方向に立ち並ぶマンション群の灯りがまだ点いているのを眺めている瞬間、「もしかしてあの窓の光は、誰かを待っているからなのかな?」と想像の扉が開いたそう。そうして最初の案からなんと8回もの書き直しに応えた結果、ようやく完成させたのが、この世紀の大ヒット曲だそうです。僕が「湯川さんでもそんなに書き直しを要求されるんですね……」と驚くと、「当然よ、阿木燿子さんと一緒に話したときに私が『まさか阿木さんはそこまで書き直しなんてないでしょ?』と聞いたら、阿木さんも『これじゃダメ!』とディレクターに何回も何回も突き返されて、最後の最後に追い詰められて出てきたフレーズが(山口)百恵ちゃんの『馬鹿にしないでよ』(「プレイバック Part2」より)だったって言ってたわ。だから私の作詞家としての姿勢はオートクチュールね、依頼主に頼まれてサイズも何度も作り直すような」とおっしゃって。
ただし、湯川さんにもプロとして「恋におちて -Fall in love-」の作詞において譲れない一線が。最後の最後までTBSのドラマ制作スタッフは「ダイヤル回して 手を止めた」という印象的な歌詞の“ダイヤル電話”が今は廃れている、プッシュホンの時代になったからそこは古いので変えてほしいと要望してきたそう。しかし、「そこだけは拒否する。この歌のためらいの思いが死んでしまう」と粘ったところ、同じ思いのレコード会社の担当ディレクターが歌詞を変えさせないためにレコーディングリミットの直前まで正式な音源を渡さないという作戦に出ると言うすったもんだの末、歌詞は決定。ただしドラマの初回放送日は本当に流れるのか不安で、テレビの前でドキドキしながら確認したと湯川さんは回想してくださいました。
カラオケで歌われ続ける理由
湯川さんご自身の個人的に思い入れが強い楽曲は、信頼し合うソングライターチームとしてキャッチボールが楽しかった井上忠夫さんとのシャネルズ「ランナウェイ」、大人の女性に生まれた激しくももどかしい年下の恋人への思いをアン・ルイスさんがリズミックに叫ぶ「六本木心中」(作曲:NOBODY)とのこと。湯川さんが手がけた歌詞はともかく発語の快楽に満ちていて、「恋におちて -Fall in love-」においても「もしも願いが叶うなら」の冒頭のパートだけでも、その発声の心地よさは驚異的なものがあります。時を超えてカラオケで歌われ続ける理由は、その快感に秘密が。僕も徳永英明さんのカバーバージョンのキーでこれからもカラオケで歌わせてもらおうと思ってます。そうすると湯川さんに3円が入るそうです(笑)。
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年7月には2ndソロアルバム「Funkvision」、2021年9月にはバンドでアルバム「Discography」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などに出演し、現在はAmazon Musicでポッドキャスト「西寺郷太の最高!ファンクラブ」を配信中。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」「スーベニア」「家族って」といった著作を発表。最新刊は「しまおまほのおしえてコドモNOW!」。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。