各界の著名人に愛してやまないアーティストについて話を聞く連載「私と音楽」。第38回となる今回は、落語家・林家つる子に登場してもらった。
2010年に9代目林家正蔵に弟子入りし、今年3月に真打昇進を果たした林家つる子。女性初の抜擢昇進という快挙を成し遂げた彼女の落語家としての姿勢には、大ファンである氣志團から受けた影響が表れているという。そんな氣志團への愛を語ってもらったところ、その思いはとどまることなく、連載史上最大ボリュームに。氣志團にハマり始めた中高時代から、コロナ禍を経て真打に昇進するまで、KISSES(氣志團ファンの呼称)としての思いを胸に歩んできた彼女の歴史を紐解いていく。
取材・文 / 秦野邦彦 撮影 / 苅田恒紀
出会いは中学の文化祭
氣志團は私の青春そのものです。最初の出会いは中学3年生のとき。文化祭の出し物で男子が「One Night Carnival」を踊ったんです。ちゃんと長ランを用意して、メンバーカラーの色テープを巻いて……すごいクオリティの完コピで。うちの学校としてはかなり攻めた演目だったので「これやっちゃって大丈夫? 先生に怒られない?」とドキドキしつつ、それを堂々とやる男子たちが純粋にカッコよかったし、「One Night Carnival」自体もすごく盛り上がるいい曲だなと思って。そこに出ていた男の子がアルバム「1/6 LONELY NIGHT」を貸してくれたので聴いてみたら、思春期だったこともあり、歌詞が刺さる曲がたくさんあったんです。そこからどんどんハマっていって。その子は尾崎豊さんやX JAPANさんも勧めてくれて、音楽的な影響を受けました。今でも1stアルバム「1/6 LONELY NIGHT」は私にとって特別な1枚。「鉄のハート」が大好きで、何度も何度も聴きましたね。あとは「湾岸夜想曲~ルシファーズ・ハンマー'94~」とか。中学時代の私は友達が全然いないわけじゃないけど、「自分の居場所ってどこなんだろう」と悩んでいた時期があって。そういう心境にも氣志團さんの歌詞がすごく寄り添ってくれたんです。私が生まれ育った群馬県高崎市は、BOOWYさんの出身地。氣志團さんのロゴがBOOWYさんのオマージュだと知ったときは、ちょっと運命を感じました(笑)。
氣志團さんって、翔やん(綾小路翔 / Vo)はもちろんですけど、メンバー全員徹底されてますよね。光ちゃん(早乙女光 / Dance & Scream)のちゃんとした言語はほとんど聞いたことないですし、文章を出すときでもわけわかんない文章をちゃんと出す。あと、しっかり者のトミー(西園寺瞳 / G)は身長だけじゃなく氣志團さんの中での存在も大きいと思うんです。落語好きな方でもあるので、いつかお話を伺ってみたいです。ランマ(星グランマニエ / G)さんはちょっと女心をくすぐるところがあるし、ランマさんと同じ九州出身コンビの松ちゃん(白鳥松竹梅 / B)も、キャッチフレーズが「はちみつ大好きこぐまちゃん」って(笑)。本当に隙がなさすぎて、好きなポイントを挙げていくとキリがないですけれども。翔やんの「永遠の16歳」というのも素晴らしいです。先日放送された「ラヴィット」(TBS系)で誕生日を祝ってくれたのはいいけど、年齢が出ていて。翔やんがすかさず「永遠の16歳」ってコメントを出してくれて、「最高!!」って思いました(笑)。
氣志團の曲を踊り狂っていた高校時代
高校で私は演劇部に入部したんですけど、そこで私よりめちゃめちゃ氣志團ファンの同級生の女の子と出会って。それからその子と氣志團さんの曲を覚えては校庭の練習場で踊り狂う日々が始まりました。彼女は歌がうまかったので翔やん役、自分は光ちゃん役でダンスに徹して。「One Night Carnival」はもちろん、「黒い太陽」とか何回踊ったかわからないです。振りの途中、光ちゃんが翔やんを投げて受け止めるところがあるんですけど、そのときも「大丈夫、安心して。受け止めるから」って。女子高だったので私たちが完コピで踊るとみんな「キャー!」って、めちゃくちゃ盛り上がってくれました。演劇部でカラオケに行くときも、部員が30人ぐらいいたので、いくつかの個室に分かれるんですけど、私と彼女が「One Night Carnival」を歌うときだけみんな同じ部屋に集まって。“プチGIG”みたいなことをやってました(笑)。氣志團さんはライブ前に円陣を組んで「ガッツ氣志團、ガッツ氣志團、ガッツ氣志團、せーのーで、ニャー」という掛け声をするんですけど、演劇部の気合い入れもそのコールを真似させていただいて。なので、部員全員が氣志團さんの掛け声を知っている状態なんです。「やっさいもっさい」(氣志團も出演した2002年放送のテレビドラマ「木更津キャッツアイ」で全国的に知名度が高まった千葉県木更津市の踊り)も、私とその子で布教して。部員みんな全力で「おっさ、おっさ、そーれそれー」って踊ってました。群馬にいるのに(笑)。
「えっ、これ全部引用でできてない?」
初めて氣志團さんのGIGに行ったのは高校1年のとき。2003年の「もっと!氣志團現象~夢見る頃を過ぎても~」のツアーで群馬県民会館に来ることになって、演劇部の彼女と2人して「これは行くしかないよね」って。当日、彼女はランマちゃん推しなのでオレンジのTシャツを着て。私はユッキ(現在無期休学中のドラマー・白鳥雪之丞)も好きなので、うちわは翔やん、Tシャツはユッキのイエローでした。そのとき売っていたツアーグッズのうちわには衝撃を受けましたね。メンバーそれぞれサングラスを外した写真なんですけど、「絶対何か手を加えているよね?」っていう目がキラキラした美少年たちで。ああいうアイドル感を出す遊び心もすごいと思います。グッズのネーミングにもめちゃくちゃこだわられてるんですよね。Tシャツのタグまでどこかで見たような書体で「Kishidenne Wrerutogood(キシダンウレルトグッド)」と書いてあったり(笑)。楽曲の歌詞も最初は何のオマージュをしているかわからない状態で聴いていたけど、深掘りしていくうちに「これはマンガのセリフなんだ、これはこの曲の歌詞なんだ。えっ、これ全部引用でできてない?」って気付くみたいな(笑)。でも、その遊び心がめちゃめちゃ面白いし、元ネタに気付く楽しさもありました。「疾風伝説 特攻の拓」を読みながら、ルシファーズ・ハンマーってこれか!って気付いたり(笑)。BOOWYさんのロゴもですけど、どれも本気でリスペクトを込めて真似されてるんですよね。真似をするということはリスペクトなんだという精神を学ばせてもらいました。
氣志團さんのGIGはとにかく総合演出力がすごいです。開演前の影アナから面白いし、全時間楽しませにかかってますよね。私も高校の演劇部時代、公演のたびに「影アナやらせて!」と言っていたくらい、めちゃめちゃ影響を受けました。GIGの間も、メンバーの後ろで腕組みしてずっと立ってる男性の方(カラシマン)がいらっしゃったり。心のきれいな人にしか見えないそうなんですけど(笑)、ああいう細かい演出が方々にちりばめられているところが大好きです。氣志團さんのGIGに行ったら絶対楽しめる確証があるから、みんな誘いたくなる。「おまえカルテ」(GIGで配布されるアンケート用紙)も、絵のすごく上手なスタッフさんがいるなと思ったら、「えっ、この少女マンガチックな絵、翔やんの直筆なの?」って。字もめちゃめちゃびっしり書いてあるし、アンケートの項目もいちいち面白いんですよね。いや、どんだけ細かいところで笑いを取りに来るんだってくらい。でもそういうのって、ファンとしてはめちゃめちゃうれしいじゃないですか。
私も翔やんのようにありたい
また、翔やんが多趣味なんですよね。あの守備範囲の広さ、アンテナの張り方はすごいなと思いますし、人を楽しませることに全力な姿勢は、自分の人生において本当に尊敬する気持ちに初めてなりました。だからファンというよりはリスペクトのほうが強いと思います。私も翔やんのようにありたいと。演劇部で私はコメディタッチのキャラを演じることが多かったんですけど、「人に笑顔になっていただけることが自分にとっての活力なんだ」ということに気付いたのは完全に氣志團さんの影響です。高校1年のクリスマスに「氣志團×氣志團」(2003年・フジテレビ系)という特別番組が放送されたんです。歌あり、宮藤官九郎さん脚本のコントありで、タイトルからして「SMAP×SMAP」オマージュなんですけど(笑)。「ああ、今日1日いいことなかったな」とふさぎこんだときは、録画したそのビデオを観ていつも笑い転げていました。同じ時期に公開された映画「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」は脚本まで買いましたし。いつか演劇部で上演できないかな、なんて思いながら。あと、中学3年のときに氣志團さんの影響でギターを弾けるようになりたいと思って、うちの父が昔弾いていたフォークギターを借りて独学で練習しました。卒業する頃にはエレキギターも買って。高校の音楽の授業はギターを専攻できたんです。一応課題曲はあったけど、弾ける子は何でもいいということだったので「鉄のハート」を弾かせていただきました。先生絶対知らないだろうなと思いながら(笑)。
氣志團と落語の共通点
好きな曲は本当にいっぱいあるけど、あえてベストを挙げるなら大学受験で悩んでいた頃に出会った「愛 羅 武 勇」かな。「裏切っちゃったり 嘘ついちゃったり 傷つけちゃったりするじゃんか」「いじけちまったり 殻にこもったり 死にたくなったりするじゃんか」という歌い出しから、「なめてんじゃねえよ 甘えんじゃねえよ」「親愛なるこの馬鹿野郎どもよ」と入ってくるところが本当に刺さって。「そうだよな、塞ぎ込んでる場合じゃないよな」と思いましたね。「命を絶とうとしてたけど、この曲を聴いて思い留まった」という人もいるだろうし、もしかしたら翔やんの周りにもそういう人がいたんじゃないかなと思うと涙があふれてきたんです。この先どうなるかわからないし、自分がやりたいこともまだ見つかりきってない時期だったけど、とにかくがんばろうという気持ちになりました。
受験も終わり、大学では落語研究会に入ったんですけれども、それまで落語をやろうという気持ちは全然なかったんです。音楽サークルや演劇サークルも見学したけど、落語研究会の勧誘の仕方が一番インパクトがあって。目の前で漫才を始められて、なんだろう?と立ち止まって見ていたら、いきなり立て看板で囲われ、そのままブースに引きずり込まれ……(笑)。先輩から「うちはコントとか漫才をメインにやってるから」と言われて、コントなら興味あるかもと思って入ったんですが、実態はほぼ落語の活動しかしていないサークルで。でも、その頭のおかしい勧誘の仕方が私には響いたんです(笑)。「あっ、このサークルは面白いことに全力だぞ」って。そういうところも含めて、やっぱり氣志團さんのマインドって私にとってすごく大きいんですよね。落語は人を笑わせて楽しませるものだけど、弱い立場とか、つらい立場にいる主人公の話がとても多い。立川談志(7代目)師匠がおっしゃっていた「人間の業(ごう)を肯定する」という見方ですね。人間はダメでいいんだ、と。そこも自分の人生をたどっていくとすごく共感できる部分だし、氣志團さんの楽曲も、1人ぼっちの人や思い悩んでいる人に寄り添って「誰でも楽しんでいいんだぜ!」と言ってくれる存在というところで共通する要素を感じるんです。私はまだお会いしたことはないですけど、翔やんはきっと義理人情や礼儀を重んじてこられたんだろうなと思うと、これまた落語の世界に通じるものがあります。「いざ勝負!」というときは必ず氣志團さんの曲を聴いて気合いを入れます。特に「めちゃイケ」でも使われていた「房総スカイライン・ファントム」。あれがもう本当に血が騒ぐんですよね。大学時代の「策伝大賞」(全日本学生落語選手権)のときも、「NHK新人落語大賞」のときも、あの曲を聴いて決勝まで行かせていただきました。
モットーは「本気でふざける」
2010年、私は9代目林家正蔵師匠に弟子入りして、噺家の道を歩み始めました。修行時代は氣志團さんのGIGに行きたくても行けない時期が長く続いていたんですが、2018年のツアー(氣志團結成21周年御礼参りツアー「あいにいく I・NEED・YOU! おあいにく I・LOVE・YOU!」)で、私もよく行っていた高崎clubFLEEZに来てくれることになったんです。これはと思い、必死でチケットを取りました。ライブが素晴らしかったのはもちろんですけど、公演中にトミーが客席に投げてくれたピックを、たまたま私が拾うことができて。もううれしくてうれしくて、お守りのようにいつも持ち歩いています。しかも、そのGIGの感想をツイートしたら、翔やんがリプをくださったんですよ。一生の思い出ですね。
翔やんの“知人”として2006年にデビューされたDJ OZMAさんの活動もすごく興味深いものでした。氣志團さんが活動休止されている時期もDJ OZMAさんがいたことでみんな忘れなかったし、ものすごい結果も残してますし。大ヒットした「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」を筆頭に、クラブミュージック系のパフォーマンスで、ロックバンドではできないことをされていましたよね。実は私も多方面で活動していく中で落語を広めていきたいという思いがあって、2016年から神出鬼没のラッパー「MC曼荼羅」を登場させています。もちろん、私の“知人”です(笑)。
もともと私が落語会をやらせていただいていた高崎のSLOW TIME cafeの店長さんがバンドをやられている方で。ラップができる人を探しているという話からMC曼荼羅が誕生しました。同じくラップ好きの落語家・桂笹丸くんのご縁で、ラッパーの狐火さんとステージでご一緒させていただいたり、MC曼荼羅を先に知って林家つる子の落語を観に来てくれる方もいらっしゃったりと、ごく一部ですけれども“曼荼羅 / つる子現象”を起こしております(笑)。MC曼荼羅以外にも、キャンディーズさんのパロディユニット「おきゃんでぃーず」(林家あんこ、林家つる子、春風亭一花扮するあん、つる、はなの3人組)、群馬出身の同世代の落語家4人で県内35市町村を回るユニット「上州事変」など、“本気でふざける”をモットーにいろいろと活動させていただいているんです。やるんだったら徹底的にやる。氣志團さんから学んだマインドです。
「One Night Carnival」芝浜バージョン
古典落語に「芝浜」という有名な演目があるんですが、コロナ禍で1回目の緊急事態宣言が発令されていた時期、「One Night Carnival」の歌詞に「芝浜」を当てはめた映像作品をYouTubeで公開させていただきました。歌い出しの「俺んとこ こないか?」に、おかみさんの「お前さん起きとくれよ」を当てはめてみたところ、「あれっ? いけるかもしれないぞ」と思い、そこから「アーリー・モーニング 芝の河岸 重い足で 仕事行く勝っつあん」と続けてみたんです。
やらせていただく以上、ディティールにもこだわりたいので、私1人でメンバー全員を再現させていただきました。トミーは大巨人なのであえて見切れて、光ちゃんのロボットダンスやユッキの頭の矢印もリスペクトを込めて真似しています。氣志團語の「本気(ポンゲ)」も使わせていただきました。翔やんのマインドなら「芝浜」の替え歌にしても怒られることはないという確信があったので、公開後に「こういうものを作らせていただきました」とだけDMしたんです。そしたらなんとYouTubeをご覧になってくださって!
翔やんって、SNSでもKISSESの皆さんへの対応が素晴らしいじゃないですか。丁寧かつ、しっかり笑いも交えてリプライをされているので、いったいいつ寝ているんだろう?と心配になるくらい。落語家の多忙な師匠方を見ていても、やっぱりエンタテインメントに必要なのは体力なんだなって思います。KISSESの皆さんも優しい方ばかりなので、「One Night Carnival」芝浜バージョンにも温かいコメントをたくさんくださって。本当にうれしかったです。
コロナ禍で染みた「今日から俺たちは!!」
コロナ禍で誰もが塞ぎ込んでいた時期、毎年恒例だった「氣志團万博」(氣志團の地元である千葉・袖ケ浦海浜公園で例年9月に開催されている野外フェス)も中止になりましたが、オンラインならできるだろうということで「氣志團万博2020 ~家でYEAH!!~」が開催されました。私も落語の活動がまったくできなくなっていたので、せめて何か発信して世の中に少しでも明かりを灯せたらという思いでYouTubeを活性化させたんですけど、「翔やんも同じ気持ちなんだな」と、とても勇気付けられました。初めてのオンライン万博。私も何か力になることができないだろうかと思って、事前にクラウドファンディングで募集されていた名前入りの提灯を出させていただいたんです。そしたら、まさかステージ上のあんないい位置に置いていただけるとは思っていなくて……。モニターの前でずっと泣き散らかしていました(笑)。
あのオンライン万博を観て、改めて氣志團さんはすごいなと思いましたね。「うわっ、油断してた! このMCでも笑わせにかかるか」みたいな場面がたくさんあって。人気ドラマのパロディや時事ネタを盛り込みながら、めちゃめちゃ笑わせてくれたし、出演者も本気で楽しませてくれる方々がそろっていて素晴らしかったです。あの時期、表舞台に立つ人はみんな打撃を受けていたし、どうしていいかわからなくなっていたと思うんですけど、翔やんが「エンタテインメントはコロナ禍において不要不急の中に入れられてしまったけれども、いや、エンタテインメントは不要不急じゃない。それを必要としてる人がいるんだ」ということをおっしゃったんです。「ああ、そうだよな。このマインドを忘れちゃいけないな」って、さらにリスペクトの気持ちが強くなりました。
コロナ禍で一度活動がゼロになったことでいろんなことを考え直すことができたんですけど、その時期に聴いた「今日から俺たちは!!」がすごく染みました。「俺たちは間違ってばっか 俺たちは傷ついてばっか」。だけど、それでもいいんだって。コロナ禍に入る前ぐらいまで私は落語家としてがむしゃらに走ってきたんですけど、うまくいってる感覚がなく、このままでいいのかなと思い悩んでいたんです。お客様に来ていただけなかったり、思うような評価をいただけなかったり、どうしてもほかの人と比べてしまっていたんですね。氣志團さんもこれまで決して順風満帆ではなかったと思います。それでもずっと走り続けていて、なおかつ「今日から俺たちは!!」と歌っていることに、すごく鼓舞されました。私は人の評価とかお客さんの数に気を取られて、本質を忘れていたなって。人を楽しませることこそが自分の生きがいだし、自分の喜びなんだということを思い出すことができた。コロナ禍が落ち着いてからもお客様はなかなか戻ってこなかったけど、それでも来てくださるお客様がいかに大切か、すごくよくわかりました。何かご病気を抱えている中で無理して来てくださったかもしれないし、ものすごくつらいことがあって笑顔になりたくて来てくださったかもしれない。目の前のお客さんが喜んでくれればいいんだと思えるようになってからは気持ちが楽になったし、しっかりと芸に向き合えるようになりました。
いつか氣志團モチーフの新作落語を
2024年3月、おかげさまで真打に昇進することができました。コロナ禍のつらい時期がなかったら、もしかすると真打昇進の話もなかったかもしれません。ようやく40日間の真打昇進披露興行も終わったので、これからいろいろと挑戦していく中で、氣志團さんの曲をモチーフにした新作落語も作ってみたいです。私、氣志團さんのおかげでヤンキーマンガが大好きになってしまったんです。すでに新作落語でヤンキーがちょっとだけ登場する話が1個あるんですけど、次はさらにヤンキーに特化させたものをやりたいなって。ジャンルこそ違いますけど、翔やんのマインドを受けて落語という道を歩もうと決めたので、いつの日か落語と音楽という形でご一緒できたらすごくうれしいです。あるいは、MC曼荼羅の腕をみがいて、DJ OZMAさんとのコラボ……あっ、というのは知人の夢ですが(笑)。実は私、氣志團万博には一度も行けていないんです。ずっと修行中だったので仕方ないんですけれども。なので今年11月9、10日に開催される「氣志團万博2024 ~シン・キシダンバンパク~」にはなんとかして行きたいなと思っています。もし行けた場合は全身フル装備で臨みたいです。赤いTシャツにハチマキして、差し色で黄色も入れて。ちなみに高校のときに一緒に踊っていた友人は今も大切な親友です。彼女の結婚式の余興では、お察しの通り「結婚闘魂行進曲『マブダチ』」を全力で踊りました。これだけはやらせてくれって(笑)。こんな話をしてると「一番星」とか「ゆかいな仲間たち」とか一緒に聴いた日々がよみがえってきます……。いやー、ホント青春ですね!
プロフィール
林家つる子
群馬県高崎市出身の落語家。大学生のときに落語研究会で活動し、その後2010年に9代目林家正蔵に弟子入り。古典落語の滑稽噺や人情噺のほか、現代を舞台にした自作の新作落語にも取り組んでいる。また古典落語の名作「子別れ」「芝浜」「紺屋高尾」の登場人物であるおかみさんや遊女を主人公にして、その視点から落語を描く挑戦を行っており、その挑戦が2022年にNHK総合「目撃!にっぽん」や日本テレビ「NEWS ZERO」で取り上げられ話題となった。2024年3月に11人抜きで真打に昇進。女性初の抜擢昇進という快挙を成し遂げた。
林家つる子 公式サイト
林家つる子 (@hayashitsuruko) ・X
※「BOOWY」の2つ目のOはストローク符号付きが正式表記。