後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)創立のNPO法人「アップルビネガー音楽支援機構」が、音楽スタジオ「MUSIC inn Fujieda」を設立するために行なっていたクラウドファンディングが昨年12月に終了。5169人がプロジェクトの内容に賛同し、目標金額5500万円のところ、それを大幅に上回る7560万円の支援金が集まる結果となった。
クラファンの成功を受けてスタジオの設立計画は大きく前進したが、スタジオ完成まではまだ長い道のりが残されている。「MUSIC inn Fujieda」設立までを追う本連載の第2回では、静岡県藤枝市という地方都市に音楽スタジオを設立する意義を、後藤と彼の高校時代の同級生であり、「アップルビネガー音楽支援機構」代表理事を務める小林亮介氏にインタビュー。同級生から見た後藤正文とはどんな人物なのか?という、普段の取材では聞けない質問から今回の取材はスタートした。
取材・本文 / 金子厚武
同級生から見た後藤正文は「おしゃれな人」
──お二人はもともと静岡県立島田高等学校の同級生だったそうですね。
後藤正文 高校1年生のときのクラスメイトでした。出席番号順が「後藤、小林」で、席が近かったから話すようになったと思うんですよね。
小林亮介 当時は仲のいいグループみんなでワイワイ遊ぶみたいな感じで、ゲームをやったりとか、いろんなことをしてました。
後藤 藤枝には昔古着屋がたくさんあったので、みんなで一緒に行ったり。
小林 ゴッチに対しては「おしゃれな人だな」というイメージが今でも残っていて。野球部だから坊主だったけど、学生服にエンジニアブーツを履いて、チェーンを垂らして、みたいな感じだった。
──当時から音楽の話もしてたんですか?
小林 いや全然。これを言っちゃうと申し訳ないんだけど、ゴッチが音楽をやるイメージがずっと湧かなくて。アジカンのこともメジャーデビューするまで知らなくて、本当に楽器を弾いてるのかずっと疑っていたぐらい(笑)。でも実際にライブに行ったらめちゃくちゃギターが上手で、「本物だ!」と思いました。
──高校を卒業してからも連絡を取ったり、会ったりする機会は多かったんですか?
小林 ゴッチがメジャーデビューしたあとに、SNSか何かで「同級生とか見てないよな」みたいな話になったんですよ。でも、僕はフォローしてたから「見てるよ」って連絡して。それからSNSでつながって、静岡でライブがあると呼んでくれたので、そのときに会ったり。
後藤 あとは「THE FUTURE TIMES」(※「未来を考える新聞」をテーマに2011年に創刊された、後藤が編集長を務める新聞)にけっこう協力をしてもらったんです。当時、小林くんは清掃工場に関わる仕事をしていたので、焼却場のバグフィルターの性能の話を聞きに行ったり。東日本大震災のあとは静岡も風評被害や実害があって、「静岡のお茶は大丈夫なの?」みたいな話もあったから、ちゃんと取材をしようということになって。最終処分場に行ったり、ゴミ処理の現状の話を聞きに行ったり、いろいろ案内してもらいました。
小林 それこそ音楽よりも社会的な活動のほうがゴッチっぽくて。昔からそういう性格というか、「ちょっと変わったやつ」みたいなイメージがありましたね(笑)。僕も廃棄物とかにすごく興味があったけど、わりと黙々と本を読んで調べるタイプで、ゴッチは行動に移すタイプ。必ずフィールドワークみたいなことをしていて、前からすごいなと思っていたんです。興味を持つと自分でも止められない、動かずにはいられない、そこは僕もそうなので、昔から似たもの同士だったんだろうなと思います。
昔からの街並みを守っていくために
──「MUSIC inn Fujieda」の計画も、Facebookでのお二人のやりとりからスタートしているわけですよね。
小林 僕が清掃工場の担当を外れて、藤枝市役所に戻ってから空き家対策の担当になったんです。そのときにイベントを企画して、Facebookに「民間事業者さんと空き家のイベントをやりました」という報告を投稿したときに、それを見たゴッチが「スタジオを作りたくて、蔵とか倉庫とか、天井が高い物件あったら教えてよ」みたいなコメントをくれて、それが始まりです。
後藤 静岡ならお茶の倉庫があるかなと思って。静岡県民であれば、茶畑の真ん中にグレーのでっかい建物が建ってるイメージがすぐ湧くんですよ。周りも山だし、あれぐらいデカかったら音を出しても怒られないだろうなと思って、「いい倉庫とかあったら教えて。できれば天井が高いのがいいんだよね」みたいな話をしましたね。
小林 実際藤枝にはお茶の倉庫がいっぱいあるので、ネットで検索してたら、大正時代からある石の蔵を見つけたんです。バスケットボールのコートぐらいの大きい建物が2棟あって、それが売りに出てた。なので、すぐ所有者を調べて、ゴッチにLINEで「こんな物件あるよ」って送ったら、「すぐ見に行く」と。最初は1棟だけ購入しようと思って、2棟一括の販売だったので、いろんな人を巻き込みながら動いたんですけど、結局そこはダメになっちゃったんですよね。
後藤 あの石の蔵はもうちょっと早く出会えてたら、ちゃんといい流れを作って、有効活用できたんじゃないかという気はする。タイミングが合わなかっただけで、今でも「惜しいことをしたよね」という話を小林くんとはよくしてます。今は更地になって、住宅地になりつつありますけど、あの石の蔵は地元にとっては潰さないほうがよかったんじゃないかなって。
──すでに取り壊されてしまったんですね。
後藤 俺たちに売らないと決まったらすぐに解体されて、更地になったんです。これは神宮外苑の再開発とも共通しているところがあると思う。古くから受け継がれてきたものを、壊したり変えたりしてしまうことが日本中で起こってる。本当に必要な開発なのか、残したほうが地域の利益になるのか、よく考えなければいけない。そのためには何ができるのか。僕たちの活動はそれを考えるための活動でもあるよね、みたいな話は仲間たちとよくしてます。スタジオ作りでもあるけど、街並みをどうやって守っていくか、これは僕たちの世代の仕事かもしれないね、みたいな。
小林 文化的な「何とか館」みたいなものは「残そう」という議題になりやすいんですけど、石の蔵の価値は僕も調べなかったらわからなくて、「古い倉庫が立ってるな」ぐらいの感じだったんですよ。ずっと藤枝に住んでるからこそわからない部分もあって、外から来た人が見るとめちゃくちゃ価値がある、みたいなものもある。地元の人はそれに気付いてないからすぐ宅地分譲されて、住宅地になっちゃったりするんだけど、ゴッチと一緒に活動する中で僕もいろいろ気付いてきたし、もしかしたらこの先地元の人たちも気付いていくのかなって。今回スタジオを作るところは旧東海道の藤枝地区で、今は商店街なので、わりと風情が残ってるんですけど、昔ながらの店舗を取り壊して、駐車場を作って、家が建つことも増えている。地元にいると全然気付かないけど、インバウンドの外国人が見たら「ここはすごい通りだ」と思うかもしれないし、ゴッチが東京とかから連れてくる友達も僕らがなんとも思ってなかった街並みを見て、「ここすごくいいね」と言ってくれたりするので、その土地ならではの街並みは残していきたいなと思います。
あきらめない後藤に動かされた藤枝の人たち
──石の蔵はダメだったけれども、新たに土蔵を見つけて、そこをスタジオに作り替えることになったわけですよね。所有者の理解を得ることだったり、地域住民の理解を得ることだったり、やはりご苦労があったのかなと思うのですが。
後藤 建物を提供していただいた藤枝江崎新聞店の江崎さんに関しては、小林くんからの紹介で会わせてもらったときに、すごく雰囲気が素敵だと感じたんです。包容力のある方に出会えた感じがして。そこからはわりと話が順調に進んだというか、本当に親身になって協力してくださって。すごくありがたかったですね。
小林 それまでいろんな壁に当たったんですけど、どうしてもお金の話になってしまう。で、さっき話した石の蔵が売れてしまったあとに、改めてゴッチと「どこでやりたい?」みたいな話をして。ゴッチの出身地の島田市から声がかかったりとかもあったんですよ。
後藤 島田市の物件や広大な空き地を見せてもらったりもしたよね。
小林 そうそう。清水にも石の蔵の倉庫群があったり。でもゴッチはずっと藤枝に通ってくれて、「ここの雰囲気が気に入ったから、東海道沿いで探したい」と言ってくれて、その話を江崎さんとしたときに、「うちにも蔵があるよ」みたいな話になったんです。最初の石の蔵と比べると少し小さいかなとは思ったけど、「案外ジャストサイズなんじゃないか」みたいな話になって。その後はもう話がトントン拍子というか。僕らの資金面に課題があって、「買う」から「借りる」にはなったんですけど、江崎さんの協力でそこもあまり問題にはならず、今までこれている感じですね。
後藤 ずっと藤枝通いをしていたので、それで信用してもらったところもあって。「あきらめないな」みたいに思ってくれたというかね。意外とよかったのが、現地調査をしようと思って、みんなが泊まらないような寂れたホテルに泊まったんですよ。ここにスタジオを作ったら、最寄りのホテルはここだなと思って。そこに泊まってみたら、市役所の人たちがザワついちゃって、「後藤さんヤバいな、あそこに泊まるんだ」みたいな。そうやって現地に泊まったり、実際に周辺を歩いて調査をしてたら、「面白いやつだな」と思ってもらえたのか、地元の皆さんと打ち解けるきっかけになったというかね。
小林 藤枝市は駅前にわりとビジネスホテルがいっぱいあるんですけど、ゴッチが泊まったのは市外の中学生がサッカーの合宿で泊まるような宿で、地元の人でそこに泊まってる人は見たことがないようなところだったんですよ。でもやっぱりゴッチは実際にそこに泊まって、フィールドワークをするんですよね。それで「本気でスタジオを作ろうとしてるぞ」みたいな話になって、協力してくれる人が増えたんです。実は僕はもう2回ぐらいあきらめてたんですよ。石の蔵のことが特に大きかったんですけど、もうこれは無理だなって。でもゴッチだけはあきらめない。「話を聞くだけならタダだから、ちょっと連絡してみようぜ」みたいに言われて、それで僕も踏みとどまりました。
──後藤さんの熱意によって、小林さんもあきらめなかったし、徐々に協力してくれる地元の人も増えていったと。
小林 「本気なんだ」というのがみんなに伝わったんだと思います。静岡銀行さんもすごくよくしてくれて、僕らファイナンス面はあんまり詳しくなかったりするんですけど、そのあたりのことをサポートしてくれたり。
後藤 銀行としても地域を活性化させたいと思うんです。だからスタジオができることに対してはすごくポジティブで、そうするとまた商店街で商売をしたい人とか、何かを作りたい人が出てくるはず。街の持続可能性を上げていかないと、銀行自体も残っていけないというのもあるだろうし、静銀さんはすごく親身になってくれて、街の未来をちゃんと一緒に考えてくれているので、ありがたいですよね。
クラファンで本当に支援が集まるのか?
──現在小林さんはNPO法人「アップルビネガー音楽支援機構」の代表理事を務められているわけですが、それはどのような経緯で決まったのでしょうか?
小林 実は最初は代表理事をやるつもりはなくて。僕、今は市役所を辞めちゃって、もともとやりたかった仕事を始めて、事務所に所属して修行中なんです。スタジオを作る場所が決まって、僕の中ではひと段落の気持ちだったんですけど、僕がいない会議室で「小林がいいんじゃない?」みたいになったらしくて(笑)。でも僕も人生を賭けて転職したタイミングだったから、逆に迷惑をかけちゃうと思って、どうしようか悩んだんですけど、説得された部分もあり引き受けることにしました。
後藤 最終的にNPOは地元に渡さないといけないと思うんです。今は小林くんが代表理事ですけど、将来的には若い世代にパスしなければいけないし、ちゃんと地域のものにしていきたい。そうなると、地元にいる小林くんが適任だったんですよね。現地で何かあったときに、江崎新聞さんもそうですし、役所の皆さんもそうですし、近隣の方もそうだし、パッと連携が取れる。そこが重要なポイントでした。
小林 引き受けたものの、最初はまだ自覚がなくて、「これはゴッチのNPOで、僕がそれを地元でサポートする」みたいな、あくまで裏方のイメージだったんです。でもクラファンが始まったくらいのときには表に出てやらなきゃいけないことが増えてきて、これは本腰を入れてやらないと大コケしてしまうぞと思うようになりました。地元の人は何をやってるか知りたいから、講演会の依頼が増えたりもして、そのときに「インスタを教えてください」と言われて、代表理事のアカウントを作ってみたり。だんだんと自分から情報発信をするようにもなったし、途中から気持ちが切り替わりました。
──連載の1回目で後藤さんに取材をさせてもらったのは11月だったので、クラファンもまだ途中でしたが、12月に入って100%を達成して、終盤でさらに伸び、結果的に5000人以上が参加して、約7560万円が集まりました。この結果をどう感じていますか?
後藤 感謝しかないですよね。本当にありがたいという気持ちと、別に性善説とかには立ってないですけど、世の中にはちゃんと善意があって、集まると力になるんだなと思いました。こういう力をもう少し信じて、高めていきたい。大阪の若い子たちの食料支援とか、目標額に達してないファンディングとかもあるけど、みんなが少しずつ寄付をするだけで、大きな助けになるのは間違いなくて。5000人という人数を多いと取るか少ないと取るかは人にもよると思いますけど、平均で1人1万円以上の額を支援してくれてるわけで、これはとても大きいなと思います。
──アジカンであったり、音楽であったりをとっかかりにして、初めてクラファンに携わった人の「こういうことができるんだ」という気付きになって、ほかのクラファンにも参加してみたり、そういう広がりのきっかけにもきっとなるでしょうからね。
後藤 そうなってくれたらいいですよね。常日頃からみんなが少しずつでもパスを回すだけで、世の中には面白いものがいっぱい出てくるし、困ってる人を助けることもできる。そういうことが自分たちのプロジェクトで可視化されたから、プロジェクトの主体としてはとにかく感謝の気持ちですけど、客観的な視点から見ても本当に意味のあることだし、勇気付けられるというか、まだまだ俺たち助け合えるんだ、みたいな気持ちになるっていうかね。
──小林さんはどう感じられましたか。
小林 NPOの仲間といろんな準備をずっとしてきましたけど、クラウドファンディングで本当に支援が集まるかというのは、僕は半信半疑だったというか、もしかしたら大コケしちゃうんじゃないかと心配してたんです。でもクラファンが始まった時間に僕は現場で測量をしてたんですけど、「支援がありました」みたいなメールがずっと鳴り止まなくて、そのときにちょっとホッとしました。最後のラストスパートで一気に伸びたときも本当にありがたいなと思ったし、支援額もそうですけど、支援者が増えていくことが一番うれしかったですね。あとは寄付口座を作ったら、そこでも寄付をしてくれる方がたくさんいて。海外に比べて寄付文化は日本にはあまり根付いていないと思ったけど、捨てたもんじゃないなと思いました。もちろん、この額はすごく大きいので、責任をしっかり果たしたいですね。
「受益者は誰?」「何をもって成功?」
──スタジオ工事の進捗に関しては、現在はどんな状況でしょうか?
後藤 今は揚げ屋という工事をやっています。土蔵を一度持ち上げて、土間を解体して、このあと基礎をやり直す。まずは土蔵の補強が行われるということです。
小林 昨年12月に、藤枝でアジカンが公演をしたんです。その日に渡辺建設さんと工事の請負契約を締結しまして、宮司さんを呼んで着工式をやり、それから調査解体が始まりました。1月からは本格的な工事が始まっていて、7月30日を工期の完了として、今進めている状況です。
──「MUSIC inn Fujieda」はミュージシャンに対する支援が第一義としてありつつ、それだけではないいろいろな可能性があるプロジェクトだと思います。最後に、小林さんはこのプロジェクトにどんな未来を期待していますか?
小林 スタジオができることによって、誰が受益者になるのかよく考えるんです。お金がないミュージシャンが安価に使えるプロユースのスタジオができるというのは、確かに一義的にはミュージシャンが最大の受益者かもしれないですけど、そこで生まれた音楽を聴いて、勇気付けられたり、元気をもらったりすることを考えると、僕らのようなリスナーも受益者だし、そういったみんなを豊かにするものが藤枝から発信されることは地域のみんなの誇りになると思うんです。あとは途中でも言ったように、東海道の風景を変えずに街作りをしていきたくて、僕らが蔵を残すことで、その価値が地元の中でも見出されるといいなって。藤枝が住みやすい街であることは地域のみんなが認識してると思うんですけど、もっと価値のある街だと気付いてもらえるかもしれない。僕らが街を変えようなんてことはおこがましくて思ってないですけど、それを一緒に考えてくれる仲間が1人ずつ増えていってくれれば、最終的には成功かなと思ってます。
後藤 藤枝は調べると面白くて、実はしっかりと芸能の街なんですよ。商店街の人たちがやってる「藤枝大祭り」には三味線奏者や長唄の歌い手さんが来て、そういう意味では日本の邦楽を守っている祭りの1つでもあるわけで、そこにはすごく縁を感じます。そういう歴史とのつながりを見直すことは藤枝に限らず、僕たちがやっていかないといけないというか。洋楽に憧れてやってきた僕らだけど、じゃあ日本の音楽はどんなところに立脚してるのか、私たちのユニークさってなんだろう?みたいなことをちゃんと問うてきたかというと、そうでもない気がしていて。そこをもう1回見直していくことが、文化の幹を太くするには必要なんじゃないかと思うから、藤枝が面白くなっていくことと日本の音楽が面白くなっていくことは、全然両輪として考えられるんじゃないかな。「受益者は誰なのか」っていう話もあったけど、ただ黙っててポロンと落ちてくるものが利益じゃなくて、みんなで「これは価値があるよね」と話し合って、認め合っていくと、それがちゃんと社会や地域の利益として受け入れられていく。そうやってみんなで文化の流れが作れたらうれしいですね。
「APPLE VINEGAR -Music Support-」最新情報
滞在型音楽スタジオ「MUSIC inn Fujieda」設立に向けてのクラウドファンディングが終了。支援者数5169人、目標金額5500万円を大幅に上回る7560万円の支援額が集まった。
・アーティストを支援する、地域と音楽をつなぐ滞在型音楽スタジオを作る。#AVMS - CAMPFIRE
プロフィール
後藤正文(ゴトウマサフミ)
1976年生まれ、静岡県出身。1996年にASIAN KUNG-FU GENERATIONを結成し、2003年4月にミニアルバム「崩壊アンプリファー」でメジャーデビュー。2004年にリリースした「リライト」を機に人気バンドとしての地位を確立させる。バンド活動と並行してGotch名義でソロ活動も展開。the chef cooks me、Dr.DOWNER、日暮愛葉らの作品にプロデューサーとして携わるなど多角的に活躍している。文筆家としても定評があり、これまでの著作に「ゴッチ語録」「凍った脳みそ」「何度でもオールライトと歌え」などを刊行した。ASIAN KUNG-FU GENERATION の活動としては2025年2月に最新シングル「ライフ イズ ビューティフル」をリリース。2025年5月から6月にかけて、2014年以来11年ぶりとなる主催ロックフェス「NANO-MUGEN FES.2025」を日本とインドネシアの2カ国で開催する。
・APPLE VINEGAR -Music Support-https://www.applevinegarmusicsupport.com/
・Gotch / Masafumi Gotoh(@gotch_akg)|X
小林亮介(コバヤシリョウスケ)
1976年生まれ、静岡県出身。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文(G, Vo)とは高校時代の同級生。元静岡県藤枝市職員で、後藤が創立したNPO法人「アップルビネガー音楽支援機構」の代表理事を務める。
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