打楽器奏者、シンガーソングライターとして唯一無二の活動を繰り広げる角銅真実。細野晴臣やceroなど数多くのアーティストのライブやレコーディングにも参加してきた彼女は、現在「きりん」という名の猫と暮らしている。角銅が「きりんは愛の先生であり、音楽の先生でもあります」と話すように、その関係は「飼い主とペット」にとどまるものではないのだという。
音楽家のクリエイティビティに猫が与える影響について聞く本連載。8回目となる今回は、その角銅を迎え、音楽と愛にあふれたきりんとの暮らしについて話を聞いた。角銅との対話はやがて、猫の身体性や時間感覚など哲学的領域へも踏み込んでいった。
取材・文 / 大石始 メインカット撮影 / Kei Murata
角銅真実の愛猫・きりんは愛の先生
「一緒に暮らしている猫はきりんという名前です。性別はオスで、今年10歳になります。かわいいです(笑)」
角銅はパートナーであるきりんのことをそう紹介する。きりんという名前だからてっきり茶トラかと思いきや、「真っ黒の猫です」とのこと。名前の由来を尋ねると、中国の想像上の動物・麒麟から取られているのだという。
「まず、猫に名前を付けることにちょっと躊躇もあって。『猫』と呼ぶのもなんだし、なんて呼ぼうかなと思ってたんですけど、架空のものならいいのかなと思って。自分の名前も『真実』という存在しないものだし、それで『きりん』と名付けました」
きりんが角銅の家にやってきた経緯もまた、かなり直感的なものだったようだ。
「それまで猫と暮らしたこともなかったんですけど、ブラブラ商店街を歩いていたとき、保護猫の譲渡会をやっていたんですよ。暇だったし、なんとなく入ってみたら、いろんな子猫がいて。これが猫なんだ……とボヤボヤ見てたんですね。そうしたら、譲渡会の方から『抱っこしてみますか?』って言われて。それがきりんとの出会いでした」
そのとき、きりんは1歳になる少し前。すでに子猫ではなかったものの、「ブルブル震えていて、生まれてきたことに戸惑っている感じがした」と角銅は話す。
「そこにちょっと興味が湧いたし、シンパシーも感じました。そのとき一緒に住むことに決めたんですよ」
きりんの性格について角銅は「愛の先生です」とひと言。きりんとの出会いは、彼女の人生観さえ変えたのだという。
「愛の伝道師みたいな感じです。いろんなことを教わってるんですよ。なんて言うかな……今在ることがすべてで、とにかく遊ぼう!みたいな感じ。以前の私は『明日死んでもいい』と思っていて、自分の体を全然大事にしてなかったんですよ。でも、きりんと暮らし始めてから、朝と夜、この子にごはんをあげなきゃいけなくなった。この子が生きている間、私は生きなきゃいけないわけで、未来という時間軸が生まれたんです」
それは「守るべきものが初めてできた」という感覚でもあるのだろうか。
「ああ、そうかも。ただ、私のほうが守られているとも思いますけどね。だから、『猫を飼ってる』という感覚はあんまりないんです。ごはんとか掃除はするけど、私のほうがケアされてます。元気? 大丈夫?って心配してくれるし」
そこまで語る角銅だけあって、生活の中心には常にきりんがいる。
「たぶん、きりんも自分の家だと思ってますね。もしかしたら私のことを『自分の家によく来る人』ぐらいに感じてるかも。『一緒に住んでやってる』って」
きりんのために何かをしたいとき、角銅真実は歌を歌う
きりんとの暮らしはどのようなものなのだろうか。角銅はそのワンシーンを次のように語る。
「きりんはもともと人見知りで、家に人が来ると私のキャリーバッグに隠れて出てこなかったんですけど、最近は人が好きになりました。よく知ってる友達だと怖がらずに出てきて、会話の輪に入ってくるんですよ。今は初めて会う人にも逃げなくなりましたね」
角銅はきりんを抱っこしながらよく歌を歌う。「きりんのために歌を歌いたくなるんですよ。言葉でもなく、なでるだけでもなく、きりんのために何かをしたいとき、歌を歌う」のだという。愛しいものに対し、語りかけるように歌う歌。それは子守唄にも近い感覚なのかもしれない。
「あと、きりんと私は体の大きさも違うじゃないですか。それが楽しいんです。人間だったら私の体を踏まないように歩くけど、きりんは体があろうがなかろうが、お構いなしに体の上を通っていく。そのときに自分が山や川になった気がするんです。そういう体験も思わず歌にしてしまいたくなります」
きりんと角銅の暮らしぶりは、さまざまな楽曲からうかがい知ることができる。例えば2020年のアルバム「oar」に収録された「Lullaby」にはこんな歌詞がある。
「赤いカーテン 紙コップのコーヒー 鳩のあくび お喋りな猫」
もちろん「お喋りな猫」とはきりんのこと。「(きりんは)めっちゃおしゃべりなんです。なんかしゃべってくるんですよ。一緒に暮らしているから、そういうものは歌詞にも入ってきますね」と角銅は話す。
きりんはもう自分の一部
京都在住のピアニスト、yatchiのアルバム「Night Cultivation」には、角銅ときりんをフィーチャーした楽曲「will」が収録されている(クレジットは角銅真実、角銅きりん)。角銅は静かに奏でられるyatchiのピアノの上で詩を読み、きりんはウキャキャとかわいらしい鳴き声を聴かせている。
こうした楽曲はあくまでも氷山の一角。角銅は「宅録した曲には当然きりんの声が入ってくるし、アルバムにもいっぱい収録されています。きりんはもう自分の一部だから、そんなことを言ったらすべての曲になんらかの影響があるとは思いますね」と話し、こう続ける。
「一緒に暮らしているから、きりんの感覚はたぶん私にも乗り移っていると思うんですよ。自分に移った猫の感覚が、自分の作る音楽に何か影響は与えてるんじゃないかな。例えば、音に対するある種の敏感さとか」
きりんとともに“二匹の群れ”として生きる
角銅は「あと、きりんは楽器も弾けるんですよ」と言い、いくつかの動画を見せてくれた。そこには歯でギターを弾き、同じ音で「ニャー」と鳴くきりんの姿が収められていた。
「朝、ごはんを食べたいときにきりんは鳴くんですけど、私が起きれないとギターを弾くんですよ。ギタースタンドに立てかけてあるギターを歯でテーン、テーンって弾くんです。『これを弾けばあいつは起きるぞ』ということがわかっているようで」
また、きりんは角銅と一緒に音楽を聴くこともある。角銅によると、きりんは嫌いな音楽、好きな音楽もはっきりしているらしい。
「きりんはタンゴのバンドネオンが大嫌いなんです。聴いていたら怒るんです。やめてー!って。なのでバンドネオンの入っている曲や鋭いタッチの曲はきりんがいないところで聴きます。その反面、ヴィブラフォンやローズみたいな曲線的で柔らかい音は好きみたい。ああいう音は落ち着いて聴いていますね」
そんな話を聞き、ふと妄想を広げてみる。いつの日か技術が進み、猫と本当に会話が成立するようになり、リアルにコラボレーションできる時代がやってきたとしたら、角銅はきりんとどんな音楽を作るのだろうか?
「(しばしの沈黙のあと)……まず、きりんの音の捉え方を知りたいですね。私とは違って図形的に捉えているかもしれないし、時間や音楽の捉え方自体が違うと思うんですよ。リズムやメロディに対する前提も違うかもしれないし……前提のないもの、本当に知らないもの、今は想像できないものを作る気がします」
人間は体という入れ物が決まっていて、その不自由さを常に感じながら生きている。コミュニケーションを取るにしても基本的には言葉に頼らないといけないわけで、それもある意味不自由なことと言えるだろう。その一方で、猫たちは言葉を使わなくてもコミュニケーションが取れるし、身体は伸び縮みし、人間に比べれば変幻自在である。角銅の表現活動を見ていると、猫のように自由になるために音楽をやっているような気もしてくる。
「それはすごくあると思います。可能性を見たいというか。不自由だけど、こういうこともできるの?みたいな」
人間たちは不自由だからこそ、自由な表現を目指す。だが、猫はどこまでも自由で、今という時間を生きている。
「猫って大きくも小さくもなれるなと思うんです。大きくなりたければ何かに登れば大きくなれるし、小さくなりたければ縮こまればいい。私もそういう身体感覚が欲しい。その意味でいうと、きりんは愛の先生でもあるけど、生き方とか音楽についてもきりんから学んでいるんだと思います。きりんは全部知っていると思う」
角銅にとってきりんとは、人生そのもののパートナーでもあるのだろう。彼女は最後にこう言葉を続けた。
「きりんと生きるということは『二匹の群れになる』感覚があります。保護をしているとか世話しているというよりも、二匹の群れとして一緒に暮らしている。そもそも動物って群れで暮らすものでもありますよね。今日みたいに別のところにいたとしても、同じところに戻って、最終的にはきりんと一緒に眠るわけで」
猫と音楽家という二匹の群れは、今日もともに生きている。まさに「猫と音楽家の二重唱」を奏でているのである。
プロフィール
角銅真実(カクドウマナミ)
音楽家、打楽器奏者。マリンバをはじめとする打楽器、自身の声、言葉、身の回りのものを用いた自由な表現活動を展開している。自身のソロ以外にさまざまなアーティストのライブサポート、レコーディングに携わるほか、映画や舞台、ダンスやインスタレーション作品への楽曲提供・音楽制作も行っている。2026年4月から放送のテレビアニメ「クジマ歌えば家ほろろ」の劇伴を担当中。


