“地名をタイトルに冠した楽曲”を発表してきたアーティストに、実際にその場所でインタビューを行うこの連載。「なぜその街を舞台にした曲を書こうと思ったのか」「その街からどのようなインスピレーションを受けたのか」「自分の音楽に、街や土地がどのような影響を及ぼしているのか」……そんな質問をもとに“街”と“音楽”の関係性をあぶり出していく。
第7回となる今回は、スカートの楽曲「高田馬場で乗り換えて」について澤部渡に語ってもらった。生まれ育った街やバンド結成の地など、各アーティストに縁深い場所にてインタビューを行ってきたこの連載だが、今回の舞台・高田馬場は、澤部が幾度となく利用してきた乗り換え地点だ。生活圏とも違うが、まったく無縁な場所でもない。微妙な距離感の乗り換え駅で、澤部は何を思い、どのように「高田馬場で乗り換えて」を書き上げたのか。そんなトピックから澤部と街との関係について聞いたところ、板橋で生まれ育った彼ならではの根深い葛藤が浮かび上がってきた。
取材・文 / 石井佑来 撮影 / 入江達也
「Down Townへ くりだそう」じゃないけれど
──澤部さんは実家を出てから初めて住んだ場所が上石神井なんですよね。高田馬場と同じく西武新宿線沿線ということを考えると、「高田馬場で乗り換えて」はご自身の実体験からできた曲なのかなと思ったのですが、いかがでしょうか。
そうですね。高田馬場は乗り換えでしょっちゅう使っていたので、実体験からできた曲なのは間違いないです。ただ、もともとはタイアップをきっかけに作った曲なんですよ。食品メーカーのマルコメさんがDJ MARUKOMEというプロジェクトを立ち上げて、くるりの岸田(繁)さんとか、いろんな方とコラボしていて。その一環として自分にも声がかかったんです。「マルコメっぽさ」という縛りはありつつテーマはけっこう自由だったので、どうしようかなと思ったときに、マルコメの東京支社が高田馬場にあることを思い出して。高田馬場駅の西武新宿線のホームではマルコメのCMソングが発車メロディとして使われてるんです。それで「高田馬場をテーマにしよう」と。
──自身とマルコメの接点を考えたとき、ちょうどそこに高田馬場があった。
そうなんです。高田馬場の西武新宿線ユーザーは、みんなあのメロディに親しみがあるんじゃないかな。あと、スカートは「東京のローカル・ポップ・バンド」を名乗ってるので、そういう点でも乗り換えをテーマにするのはよさそうだなと。それでtofubeatsくんと一緒に作ったのがこの曲です。
──乗り換え駅って、その人の人生においてすごく微妙なポジションですよね。毎日のように使うけど、自分の中心地では決してない。毎話出てくる脇役のような。
だから正直、高田馬場にこれと言って強い思い入れがあるわけではないんですよ(笑)。乗り換え途中にごはんを食べて帰ったりはするけれど、人生における大きなドラマが起きたりはしていないというか。
──ただ、これはもう10年以上前の投稿ですが、Twitterで「新曲の『CALL』から『スウィッチ』になだれ込んだときは急に夜中の高田馬場のファミレスで歌詞を書いた思い出が蘇りました」とポストされていて(参照:https://x.com/skirt_oh_skirt/status/635422207204655104)。高田馬場のファミレスで歌詞を書いたりされていたんですか?
えー、ってことはたぶん書いてたんでしょうね……ああ、思い出してきた! 駅近くの坂を上ったところにあったジョナサンで、友達とよく語り明かしてたんですよ。昆虫キッズの高橋(翔)くん、映像作家の岩淵弘樹さん、のちに昆虫キッズのマネージャーをやることになる熊谷くんと集まって。「豊田道倫さんの新曲はどうだった」とか「最近は本当にろくなことがない」とか、そういう話を朝までずっとしてました。すっかり忘れてたけど、それは確かに相当デカかった。
──なぜ高田馬場のジョナサンを利用していたんですか?
みんなの中間地点だったのかなあ。歌詞に関しては、みんなが来る前に早めにジョナサンに入って書いたとか、そういうことな気がします。あと、スカートのリハスタで一時期、高田馬場のスタジオを使ってましたね。それもみんながアクセスしやすかったからなはず。リハ終わりにみんなでファミレスに行ったりとかもしてたなあ。……そう考えるとけっこう思い出ありますね(笑)。
──「高田馬場で乗り換えて」は、実際に何度も高田馬場駅で乗り換えてきた澤部さんご自身の感じたことがつづられているんでしょうか。
この曲に関しては、けっこう素直に歌詞を書いたと思います。いつもは「自分が思ってることはなるべく歌いたくない」と、こねくり回しながら書いているけど、この曲は普段の自分の目線で書けたらいいなと考えていたので。「Down Townへ くりだそう」(シュガー・ベイブ「DOWN TOWN」)じゃないけれど、そういう都市へ出ていく気持ちを歌った曲を書いてもいいのかなと思ったんです。ローカルな言葉も使いたいなと考えて、「環七」というワードを入れたりとか、そういうことはけっこう意識してました。
東京に対して取るべき態度がわからない
──スカートの楽曲で具体的な地名が出てくるのって珍しいですよね。
すごく珍しいです。自分が生まれた街について歌った曲もあるんですけど、その曲にも具体的な地名は入れなかったので。
──それは、地名を入れることに抵抗があるのでしょうか?
抵抗というより……僕は東京に生まれてしまったんですよ。だから東京について歌うのはすっごく難しくて。
──なるほど。
板橋区の高島平というところで生まれたんですけど、あまり東京っぽくない街なんですね。そういう場所で生まれ育った人間が東京について歌うのは、非常に難しい。そこはいまだに整理がついていなくて。外から見た東京と、自分が見てきた東京のギャップみたいなものが心のどこかに常にあるんです。やっぱり東京って、外側から見た人が歌うべきものだと思うんですよ。そのほうが客観的に歌うことができるから。くるりしかり、サニーデイ・サービスしかり……「東京ワッショイ」のエンケン(遠藤賢司)さんもそう。それと比べて“東京のはずれ”で育った僕らは、東京をうまく飲み下せない。だからこそ自分は「東京のローカル・ポップ・バンド」と謳ってるんじゃないかという気すらしていて。
──東京のはずれで育ったということが、表現活動をするうえで大きな影響をもたらしていると。
過去の先輩たちから現在に向けて線を引いたときに、自分がどのラインに乗りたいかと考えると、やっぱり“東京のはずれの音楽”なんですよ。それはつまり「はっぴいえんども好きだけど、それよりはちみつぱいが好き」みたいなことでもあるんだけど。例えばシティポップ的なものにおいて何が大事かというと、自分は“都市への眼差し”だと思っていて。ユーミンは八王子だし、(吉田)美奈子さんは大宮だし、鈴木兄弟(ムーンライダーズの鈴木慶一と鈴木博文)は羽田だし、みたいな距離感が大事というか……ちょっと難しいですね。整理がつかない。これはもうずっと自分の中で混濁したままにしてきちゃった部分なんですよね。
──スカートが都市を歌うときの、対象との微妙な距離感は確かに感じます。
そこは意識してますね。例えば「地下鉄の揺れるリズムで」という曲は、達郎さんがよくおっしゃっている「都市生活者の孤独」を自分なりに描こうと思って作った曲で。都会的なものの象徴ってなんだろう、と考えたときに地下鉄に行き着いたんです。でもそれを、そのまま都会的なものとして描くことには抵抗があって。都会的なものを都会的にアウトプットしたくはないというか……。
──都会を“きらびやかな場所”として描いてはいないですよね。
そうそう。生まれた頃からずっと、きらびやかじゃない東京を見てきたから。「東京って、みんなが思ってるほど都会じゃないのにな」という気持ちがあるんです。でも、じゃあ僕が東京以外の街を知ってるかと言われたら知らないし、東京の文化的な享受をいろいろ受けてきたことは間違いなくて……なんというか、すごく居心地が悪いんですよね。板橋に生まれたことに傷つき、悩んできた40年なんです。
──でもきっと地方から出てきた人からすると「言っても東京でしょ」と思われるでしょうし。
そうなんですよ! それを言われたらもう本当におっしゃる通りですという感じで。以前、広島出身の友達に「東京に生まれたというのは、それだけで才能なんですよ」と言われたことがあって、ズシッと響きましたもん。「そうだよなあ。でも本当はもっと複雑なレイヤーがあるんだよなあ」って。僕も子供の頃は「東京に生まれたのってラッキーなのかも」と感じてましたよ。でも、大人になるにつれて、もっと都心で生まれた人がどんどん出てくる。「え? 新宿三丁目に住んでんの?」「外苑前生まれ!?」みたいな。
──はいはい。
知り合いが、青山ベルコモンズが最寄りのスーパーだとか言ってて。「なんだそれ!」って。
──澤部さんの実家の最寄りは?
ビッグ・エーですよ! ベルコモンズとは全然違う。そういう差を感じるにつれ、東京に対して取るべき態度がわからなくなってくるんです。
ceroへのうらやましさ、PUNPEEのすごさ
──地下鉄の話に関連して言うと、スカートの曲はバスの登場率が高いですよね。それも東京ローカルっぽさの1つの象徴のような気がします。
それは確かにありますね。東京の電車は“縦の移動”に向いてないので(※)、バスが大事になってくるんですよ。中学も高校もバス通学だったし、今でもバスにはよく乗ります。移動手段としてなじみがあるし、日常の乗り物として描いている気がしますね。やっぱりバスとか乗り換えとかってね……リアルですよね。
※編集部注:東京都の山手線の外側は多くの鉄道路線が東西の方向に伸びており、南北の移動が不便だと言われている。
──リアル(笑)。
「高田馬場で乗り換えて」もそうだし、「乗り換え」って意外と東京のローカルらしい言葉なのかもしれないなあ。そこは都心で生まれ育った人とも、地方から出てきた人とも違う感覚がある気がする。地方から出てきた友人とかは、わりと都心に住んでる人が多くて。東京の周縁で生まれ育った自分からすると、うらやましくもあるんですよ。友達に「遠くに住んで、乗り換えして、高い交通費を払うのもバカらしいよね」と言われたことがあったんですけど、それはけっこうショックでしたね。これまで自分は何回乗り換えをしてきたんだろうかと。新宿に出るだけでも、西台駅に行って、そこから新板橋まで出て、新板橋から板橋まで歩いて、埼京線に乗って……って、やっぱりなんかね、心が折られる感覚がありますよ。
──東京23区の周縁に生まれ育ったからこそ感じるものなのかもしれないですね。
洛中洛外じゃないですけど、昔は山手線の内側と外側でわかりやすく差があったと思うんですよ。今はまず山手線の内側外側で差があって、その次にあるヒエラルキーが、環七の内側か外側か。そして最後が環八の内側か外側か。あとは多摩川を渡るか渡らないかとかもあるとは思いますけど。で、僕の生まれた高島平は環八の外側なんです。しかもあのあたりは環八と環七の間が狭くて。都心が近くに見えるのに、精神的な距離は遠いというか。歪な感覚があるんですよね。
──板橋ならではの地理的なものが作用して……。
地方出身の人からしたら東京で生まれ育った人だし、都心の人からしたら板橋なんて相手にもされないような場所だし。何から何まで中途半端で、“東京と私”の距離感には本当にずっと悩んでます。だから大森(靖子)さんが「新宿」という曲を出したときなんかは軽く衝撃を受けました。「これは自分には絶対歌えない」って。
──例えばceroの髙城晶平さんは「武蔵野クルーズエキゾチカ」について「“微妙な位置付けの東京”もあるんだよ、ということを紹介したかった」とおっしゃっていて(参照:cero高城晶平が武蔵野で語る「武蔵野クルーズエキゾチカ」)。澤部さんのお話と通じるところがあるなと思ったんですが、ceroが拠点としていた西東京と板橋とではおそらくまた違いますよね。
そう、違うんですよ! やっぱり中央線沿いって、文化圏としての豊かな土壌が前例にあるじゃないですか。ceroはその後継者的な振る舞いをできたと思うんです。「武蔵野」という言葉を使いながら、すでにある文化の流れにうまく乗れていて。それはすごくうらやましかった。……かたや板橋は何もない! だからPUNPEEさんが板橋をレペゼンしているのは本当にすごいと思います。「ああ、先陣を切ったんだ」って思いましたもん。それくらい、板橋と文化の距離感はすっごく難しい。都会ぶれないし、田舎ぶれないし、本当に中途半端で。その感じが自分の音にも出ちゃってる気がします。
──「ローカル」は2010年代の東京の音楽における1つのキーワードだったと思っていて。それこそ髙城さんも「『武蔵野クルーズエキゾチカ』は“ローカル”が1つのテーマになっていた」とおっしゃっていましたし。例えばシャムキャッツが「AFTER HOURS」(2014年リリースのアルバム)で地元・浦安の景色を描いていたのとかも含めて、“都心から少し離れた場所を歌う”という現象が同時多発的に起きていたなと。
確かに確かに。でもスカートは、最初の頃はその現象から少し距離があったと思うんです。活動を開始してすぐの頃は、自分がどういう環境にいるかとかはなるべく歌わないようにしていたので。それが少しずつ変わっていったのは、ポニーキャニオンから初めて出したアルバム「20/20」(2017年リリース)の頃。そのあたりから「もっと自分のことを歌ったほうがいいのかな」と思い始めた覚えがあって。初期の頃はもっとジオラマっぽかったり、書き割りっぽかったり、架空の景色を歌っていたと思います。
スカートで「東京」を作る日は
──「20/20」に収録されている「わたしのまち」「さよなら!さよなら!」は、それこそ高島平について歌った楽曲なんですよね。
その2つは完全にそうですね。「サイダーの庭」(2014年発表)というアルバムを出したときに、「曲自体はどんどんポップなものを作れるようになったのに、イマイチ皆さんに刺さってないな」と感じてしまって。やっぱり自分のことを歌わないといけないのかなと悩んだんです。ただ、その次のアルバム「CALL」(2016年発表)では結局それができなくて。「20/20」でようやく実際に体験した出来事から歌詞を書けるようになりました。
──それまでは自分の身に起きた出来事について歌うのは意図的に避けていたんですか?
もう、本当に避けてましたね。「曲の中くらいは自分じゃなくなりたい」としか思ってなかったですし。やっぱりこう、昔から太ってたんで。シンガーソングライターがこんなに太ってるって、はっきり言ってあまり前例がないじゃないですか。そんな自分が感じてることを赤裸々に歌うというのは、けっこうはばかられる感覚があったんですよ。でも1回やってみるしかないなと思って。それで自分が見てきた街や景色を歌ってみたのが「わたしのまち」と「さよなら!さよなら!」です。
──初めて具体的な景色を歌ったのがその2曲?
それで言うと、特定の街を初めて歌ったのは実は別の曲なんですよ。「離れて暮らす二人のために」という、これまた「20/20」に入ってる曲なんですけど。この曲は、「PARKS パークス」という吉祥寺が舞台の映画のために作ったもので。「自分なりに吉祥寺の雰囲気を表現しなきゃ」と思ったんです。“商店街の時計”とかを出してみたりしていて、そこで具体的な歌詞を書くという感覚を初めてつかんだ気がします。ほかにも例えば「ランプトン」という曲は、実家近くの、昔ばあちゃんと一緒に散歩した高台からの景色をイメージしていたり、そういうのはちょこちょこあるかなあ。
──ご自身の原風景が楽曲に宿っているんですね。
あとは、「それぞれの悪路」という曲にもバスが出てくるんですけど、あれはまさに東京を縦に走ってるバスのことですね。「上石神井から成増までバスで行って、そこから赤羽に向かうバスに乗って実家に帰る」みたいなシーンを思いながら作った曲です。その場面の全体を描くわけではないけど、シーンの途中から一部分だけを描く、みたいなことはけっこうしてます。
──今でも、かつて見た景色が曲を作る際に浮かんでくることはあるんですか?
ありますよ。ふとしたときに昔見た景色を思い出して、それを歌詞に使ったりとか。そういうことは今でもします。歌詞を書くときに“自分を置く場所”がいくつかあるんですよ。実家の裏手にある小高い丘とか、西台駅をちょっと過ぎたところにある橋とか。そういうところから見た景色を細切れにして、そこを起点に歌詞を書いていく。なので、いろんな曲に自分が見た景色の断片が息づいてはいて。
──でもそうやって曲に昇華しても、生まれ育った場所への複雑な思いが消えることはない?
うーん、そうですね……。今のところ消え失せることはなさそうかなあ。
──居心地の悪さも変わらず。
あ、それは完全に変わらないです。ほとんどの曲は居心地の悪さからできているので(笑)。
──そうなんですね(笑)。今日は澤部さんの根底にある東京へのリアルな思いに触れられて面白かったです。いつかスカートで「東京」というタイトルの曲を作る日は来るんでしょうか。
ないない! 絶対ない。絶対無理です。自分が歌うにはデカすぎる。東京との接し方には、これからも変わらず悩み続けていくんだと思います。
【動画はこちら】スカート澤部渡が高田馬場を訪れるロケ映像を公開中
プロフィール
スカート
シンガーソングライター澤部渡によるソロプロジェクト。2010年にスカート名義での音楽活動を始め、同年に自主制作による1stアルバム「エス・オー・エス」をリリースした。以降もセルフプロデュースによる作品をコンスタントに制作し、2014年にはアナログ12inchシングル「シリウス」をカクバリズムより発表。2016年発売のアルバム「CALL」で注目を浴びた。2017年にポニーキャニオンよりメジャーデビューアルバム「20/20」をリリース。メジャーデビュー5周年を迎えた2022年12月にはアルバム「SONGS」を、CDデビュー15周年を迎えた2025年5月には、通算10枚目となるフルアルバム「スペシャル」を発表した。スカート名義での活動のほか、ギター、ベース、ドラム、サックス、タンバリンなど多彩な楽器を演奏するマルチプレイヤーとしても活躍しており、yes, mama ok?、川本真琴ほか多数のアーティストのライブでサポートを務め、スピッツや鈴木慶一のレコーディングにも参加。これまでに藤井隆、Kaede(Negicco)、三浦透子、adieu(上白石萌歌)ら他アーティストへの楽曲提供およびドラマや映画の劇伴制作にも携わっている。


