アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は1996年から2013年までキリンジのボーカル / ギターとして活動し、以降ソロ活動を展開している堀込泰行の音楽遍歴に迫った。
取材・文 / 秦野邦彦
寝つきが悪い子、兄のレコード棚でQueenと出会う
1972年5月2日、埼玉県坂戸市で生まれました。ご存知とは思いますが、3つ上の兄(KIRINJIの堀込高樹)がいます。両親は共働きで母親が美容師で忙しかったので、保育園に入るまでは叔母さんの家に預けられて面倒を見てもらっていました。とにかく寝つきが悪い子だったそうです。保育園の昼寝の時間に全然眠れなくて横にいる友達にちょっかいを出すもんだから、僕だけ園長室に隔離されて寝かされたり。小学生になって、いとこの家に泊まりに行ったときも夜中の2時頃に帰りたいと騒いで迷惑をかけたこともあります。睡眠の悩みはずっとついて回り、今でも寝つきはあまりよくないです。
小学3年生からサッカー少年団に入りました。ポジションは当時の言葉だとハーフ。右ハーフ、左ハーフ、たまにセンターハーフもやってました。左足もけっこう使えたんですよ。コーチの前で100回以上リフティングを続けられたら背番号入りのTシャツをプレゼントしてくれるっていうから、Tシャツ欲しさに毎朝学校に行く前にコツコツ練習して、結果100回成功したんです。そのあとサッカー少年団で開催した第1回リフティング大会でも1位を取りました。僕の人生で1位はそれだけ。最初の成功体験かもしれません。
気が付けば、家で音楽が流れていました。父親がもともとラテンとかジャズが好きだったんです。といってもレコードコレクターというほどじゃなく、枚数で言ったら100枚弱ぐらいじゃないかな。よくかかっていたのはバーデン・パウエルというブラジルのギタリスト。あとは東欧の……名前を忘れちゃった(笑)。オイゲン・キケロか。彼はもともとクラシックのピアニストで、お兄さんの影響でジャズを始めた経緯があるから、アドリブも旋律がきれいなんです。子供の頃はもちろんそんなことは知らないんですけど、大学生になって聴き返してみて、すごくカッコいいと思いました。
一方で、兄が小学校の高学年か中学生になり、おばあちゃんにお小遣いをもらってレコードを買い始めると、The Beatles、The Rolling Stones、Deep Purple、Led Zeppelin、Simon & Garfunkelといったロックの名盤が自宅のレコード棚に並び始めます。僕はその中にあったQueenの「Greatest Hits」(1981年)というベスト盤に入っていた「Killer Queen」を聴いて、コーラスのマジカルな響きとギターの不思議な音色に魅了されて「なんだ、この音楽は?」と前のめりになりました。
お年玉を貯めて買った初エレキ
ギターとの出会いは、もともと父親が病気で入院したときに「暇だからギターを弾きたい」という理由で買ったアコースティックが家に1本あったんです。大部屋の病室でギターを弾いていたのもどうかと思うんですけど(笑)、そのときに習得した3つくらいのコードで、家でよくカントリーを弾いたり歌ったりしてました。そのギターをまず兄がいじり始めたんです。兄が高校生になって自分用のアコギを買ってからは、僕も父のギターをいじらせてもらいました。その頃はサッカーもやってたからギターに一気にのめり込む感じではなかったけど、とりあえずフォークソングの教則本を買ってきて「神田川」(南こうせつとかぐや姫の楽曲)などを弾いてました。
高校生になったらエレキギターを買おうと思ったのは、ハードロックが好きだったからです。中学生のときはQueen以外だと、Def Leppardをよく聴いてました。アルバムだと「Hysteria」(1987年)がリアルタイムで、そこから1stまでさかのぼったけど、「炎のターゲット(Pyromania)」(1983年)と「Hysteria」は別格でしたね。あとはStryperもけっこう好きでした。聖書をベースにしたさわやかで前向きな歌詞の曲が多くて、今思うとこれ日本語にしたらZARDになるんじゃない?みたいな(笑)。
最初のエレキギターはお年玉を貯めて買った、3万5000円ぐらいのYAMAHAのRGXというモデルです。楽器店のお兄さんにDef LeppardとQueenが好きなんですって言ったら「このへん買っとけば間違いないよ」って。実際、使いやすかったです。
肉体的な発散を音楽に求める元サッカー少年
高校では「フォークソング部」という名の軽音楽部に入りました。サッカー部と最後まで迷ったんです。サッカーはサッカーですごく楽しくて。自分のチームが劣勢でも1点取っただけでアドレナリンが出て、バテバテだったチームの動きがすごくよくなるとか肉体のみならず感情的な部分でもダイナミズムみたいなものがあるんです。それが音楽を聴いているときの興奮や心地よさとは違う質だなと思って。得られる快感を天秤にかけた結果、どっちも捨てがたかったけど、サッカー部に入ったら1年生はまたグラウンドで走るところからやらされるのがイヤで音楽のほうに行きました。
そのフォークソング部では、1年生は夏休みまでに基本的な課題をいくつかクリアしないとバンドを組んじゃいけないんです。最初の課題が中島みゆきの「悪女」の弾き語り。コードが簡単だから。続いてコード弾きで自由曲、フィンガーピッキングのアルペジオ、スリーフィンガー。それを先輩の前でやって合格をもらったら、部員の中で気の合う人とそれぞれバンド組むという流れでした。フォークソング部にも夏合宿があって、夏の間使われてないスキー場の高原に泊まって1日中練習をして、夜は花火をするという、けっこう青春っぽい感じでした。
「洋楽をやりたい」ってことでメンバー募集をかけたんですけど、不思議とQueenに関してはバンドでコピーしたいという感覚にはならなかったんです。あくまでレコード芸術として大好きだという感じで。「Abbey Road」(1969年に発売されたThe Beatlesのアルバム)を聴いて「このビートルズをコピーしたい」とは思わないのと同じ理由でしょうね。
その頃の自分はただただギターを弾きたいだけだったので、歌はほかの人に歌ってもらっていました。一番弾いたのはDef Leppardの「Run Riot」(「Hysteria」収録曲)。とにかくギターがめちゃめちゃカッコよくて好きな曲です。夏休み中にその曲を猛練習して、文化祭か部活の定期演奏会で発表したときはボーカルがいなかったんですけど、すごくうまく弾けました。サッカー部だったから肉体的な発散を音楽に求めちゃうところがあって、ギターがギャーンと鳴ってるほうが快感もデカかったんでしょうね。
Hanoi Rocksもコピーしてました。当時、彼らから影響を受けたMötley CrüeやGuns N' Rosesといったバッドボーイズ系のロックンロールが流行ってたんです。中学時代によく聴いていたThe Georgia SatellitesやThe Romanticsとスリーコードがベースというところでは同じだから、そっちも好きになって。バッドボーイズ系って、やたらとバンドロゴやジャケットにバラの絵を使うんです。僕もすっかり感化されて、原宿まで行ってフォアローゼズのバラが描いてあるロンTを買いました。同世代はみんな買ってたんじゃないかな? 自分のギターにもバラの絵を描いて。なんていうか、バラが好きな年頃でしたね(笑)。もともと絵を描くことは好きだったので、同じギターにサメの絵を描いたり、Queenの「愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)」(1979年リリースのシングル)の歌詞を書いたりしてました。途中で恥ずかしくなると上からステッカーを貼ってごまかしたりして(笑)。何年か前に実家に帰ったときに押入れを探したらそのギターが出てきたので、ファンクラブ限定で写真を紹介したところ、けっこう好評でした。
「エイリアンズって歌詞で使ったの俺が初めて?」と思いきや
部活のバンドではハードロック以外の洋楽も演奏していました。当時ヒットしていたTOTOの「Pamela」(1988年の楽曲)とか。譜面を見たら難しすぎて、すぐあきらめたんですけど(笑)。ドラムのやつはキーボードも弾けて、自分でDaryl Hall & John Oatesの「Private Eyes」(1981年の楽曲)を打ち込みで作ったりしてたんです。The Policeのスチュワート・コープランドが大好きで、高校生なりに雰囲気ある感じで叩いてましたね。僕もThe Policeは家でよくかかってたので、スコアを買って「孤独のメッセージ(Message in a Bottle)」とか「Walking On The Moon」(いずれも1979年発表のアルバム「白いレガッタ(Reggatta de Blanc)」収録曲)をバンドでコピーしたりもしましたね。
余談ですけど、同じ頃メンバーのスティングがソロで出した「Englishman in New York」のサビの「I'm an alien, I'm a legal alien(私は外国人、合法的な滞在者)」って歌詞から「エイリアンズ」(キリンジが2000年に発表した楽曲)ってインスパイアされたりしたんですか?と言われたことがあるんですけど、違うんです。僕はあそこ、「alien」と歌ってると思ってなくて、作詞した当時は「エイリアンズって歌詞で使ったの俺が初めてじゃないか?」なんて思ってましたから。知ってたら「エイリアンズ」って言葉は使わなかったですね。
兄がSteely Danを聴き始めた頃、僕はあまり好きじゃなかったんです。緊張と緩和の関係性で言うと緊張を続かせといてフッと緩和させる瞬間が心地よい系の音楽だから、音楽経験値の浅い中学時代はまだ理解できてなくて。もちろん好きな曲もいくつかあったんですけど。うちでは、アルバムだと「Gaucho」(1980年)がかかってることが圧倒的に多かったです。マラソンで走っていると音楽が頭の中に流れてくることあるじゃないですか? ハードロック好きとしては激しいリフがかかってくれたらスカッとしてありがたいのに、中学のマラソン大会のとき「Gaucho」の1曲目「Babylon Sisters」のサビが延々と繰り返されるから「もういい加減やめてくれ!」って(笑)。
「曲がいい」というくくりだけでバンドをやろう
初めて自分のオリジナル曲を作ったのは高校生のとき。兄がカセットMTRを使っていたので、兄がいない間に僕も見よう見まねで使い方を覚えました。最初に作ったオリジナル曲のタイトルは「trifling rock」です。「trifling」は英語辞典で見つけた言葉で、「くだらない」という意味。歌詞はなく、ただただスリーコードを弾いて、アドリブでペンタトニックを弾いてるだけのものでした。
高校を卒業するとき「これ以降はもうコピーはやらない、オリジナルをやっていこう」と決心しました。それで、どういう感じでやっていくかを想像したときに「ハードロックは好きだけどスキニーパンツは似合わないだろうな、Stray Catsも好きだけどリーゼントは似合わないだろうな」と思って(笑)。やっぱりああいうのはカッコよくないといけないじゃないですか。
そんなことを考えているときに、ふとロック一辺倒で部活にのめり込んだ結果、部長をやることになったものの、一生懸命になりすぎて疲弊してしまい1週間ぐらい部活を休んだときのことを思い出したんです。そのとき、兄のCDラックからXTCの「Skylarking」(1986年)とFairground Attractionの「The First of a Million Kisses」(1988年)を引っ張り出して聴いて「なんだこれは?」と思って。XTCはそれ以前のニューウェイブ期のものだと、たぶん引っかかってなかったと思うんですけど、「Skylarking」はビートルズテイストが強く、かなり聴きやすい作品になっていたんです。それまでギターをコピーしたいと思って聴いていた音楽とは違うけど、こういう心地よさもあるのかと思って、そこでまた別の価値観が自分の中に芽生えてきまして。音がラウドであれ、メロウであれ曲がよければ自分はなんでも好きなんだな、じゃあ、これからは「曲がいい」というくくりだけでバンドをやろうと。
高校のときから少しずつオリジナル曲を書き始めていましたが、いわゆるギターキッズだったからリフが中心で、俺の曲ってやっぱりギタリストっぽいなと思ったことがあったんです。そこからキャロル・キングのようなピアノ系のアーティストだったり、XTCやSteely Danのようにコードネームはわからないけど響きが好きだなと思ったものを片っ端から耳コピしていきました。のちにそれがディミニッシュコードだったり♭13の響きだというのがだんだんわかってきてからは自分の曲に組み込んでバリエーションを持たせられるようになっていった感じです。
キリンジ「風を撃て」にある寺山修司の影響
歌詞に関していうと、聴いているのは洋楽メインですけど、昭和の子供だからヒットした歌謡曲はみんな絶対通るわけです。ハマる、ハマらないは別として。僕は歌謡曲の歌詞から直接影響を受けたつもりはないんですが、キリンジでデビューして自分で歌詞を書くようになってからは、松本隆さんの描くナイーブな世界や、阿久悠さんの言葉で遊ぶときのメチャクチャさ、人間そのものを描くすごさを再確認しました。
本では、寺山修司の短い言葉がセレクトされたものをよく読んでました。キリンジの「風を撃て」(1997年リリースのシングル「キリンジ」収録曲)の歌詞はけっこうその本から影響されています。とにかくメロディにバッチリはまって、自分のくすぶった気分だけ表せたら何を言ってるかわからなくてもいいやと思って書いたものです。当時まだ実家住まいで、大学を卒業して就職活動もしないで近所の古本屋で週4くらいでバイトしつつデモを作る、けっこう甘ったれてた時期なんだけど、図書館とか通いながら3週間くらいかけて完成させました。プロになって時間に追われて書いたのではなく、制限のない中で満足いくところまで書けたから、あの曲は飽きないし、ずっと歌いたい曲だなって感覚はあります。
明治から昭和にかけて活躍した宮武外骨という人の本も好きでした。赤瀬川原平さんの「外骨という人がいた!」を読んで、オモロい人がいるもんだなって。作詞に影響しているとしたらそのくらいで、あとはもう一般的なものを読んでただけです。谷崎潤一郎はエロティシズムの要素が強く、それでいて文学的な言葉遣いが心地いいから一石二鳥みたいな(笑)。村上春樹も何冊か読んでました。ああいう内省的な気分が、大学生ぐらいの自分にもマッチしたというか。人によって年齢は違うかもしれないけど、気持ちがちょっと繊細になる時期って誰しもあると思うんです。
大学生になってからは一緒に酒を飲んで楽しい友達はいたけど、音楽の話をする友達がとにかくいなくて。音楽サークルも先輩が演奏してる間、1年生は立って聴いてなきゃいけないみたいなしょうもないルールがあって、こんなのやってられないやと思って入りませんでした。授業が終わるとすぐデモテープを作るため埼玉の実家に帰っていたので、孤独の中、キャンパスを斜めに見てる感じでしたね。
「エイリアンズ」の歌詞は、地元で見てきた風景をモデルにしています。歌い出しの「遙か空に旅客機(ボーイング)」は普通にボーイングと書きたかったんですけど、メーカーから「それだと(ボーイング社の)許可が下りるかわからない」と言われて、ああいう表記にしたんです。もうメロディにハマりすぎてたから、ほかの言葉に替えが利かなかったので。
自分とブライアン・ウィルソンを重ねた夏の日
2025年に「夏の罪人」という曲をリリースしました。これまでにも「クレイジー・サマー」「カメレオンガール」(ともに2003年にリリースされたキリンジの楽曲)など夏をイメージした曲はいくつかありますが、制作中にサッカー少年団の頃の記憶を思い出すこともけっこうあります。子供って小さいから地面からの距離が近い分、大人より太陽の照り返しを強く受けるじゃないですか。真夏日にだだっ広いグラウンドでフラフラになりながら圧倒的な夏を前にして自分の小ささを知らされる無力感、みたいな。
「クレイジー・サマー」はキリンジでインディーズデビューした頃、かせきさいだぁが湘南でミュージックビデオを撮影するっていうので、エキストラとして参加した体験が一部モチーフになっています。撮影にはスチャダラパーとかLBネイションの人たち、小島麻由美さんもいて。たくさんいる中の1人として呼ばれただけだから自分の出番の撮影が終ると、ずっと暇なんです。世代的に僕だけ3つか4つ下で、兄は泳ぎが得意で海を満喫してるし、自分は知り合いはかせきさんしかいないし、一緒に遊ぶ相手もいなくて、1人で「やることねえなあ」と思いながらビーチを眺めてました。僕は埼玉の人間だから海って縁遠いんです。ひょっとしてThe Beach Boysのブライアン・ウィルソンもこんな気分だったのかな、みたいなことを思ったりして。ブライアンは海に入るのが怖くて一度もサーフィンをしたことがなかったんですよね。そんな体験が「クレイジー・サマー」の歌い出しの「奴らの夕暮れ」というフレーズの根っこにあります。「奴ら」という言葉は、よくないんですけど(笑)。
今も悪い寝つき、入眠にはクラシック
今春、Yasuyuki Horigome & The Orbitsという新名義でツアーを回りました。以前プラネタリウムライブツアーのために集まった田村玄一さん、小池龍平くん、千ヶ崎学くんと結成したカルテットで、Orbitは天体とか人工衛星が描く「軌道」という意味です。僕は「SHOOTIN' STAR」(2008年リリースのキリンジのアルバム「7-seven-」収録曲)や「涙は星屑のように」(2023年リリースのソロEP「星屑たち」収録曲)といった星座にまつわる歌も書いてますが、宇宙への興味が特別に強いわけではありません。コンビニで売ってる「宇宙の謎」とか「よくわかる相対性理論」といった本をついつい買っちゃうけど、途中で数式が出てくるとパタンと閉じちゃうレベルです(笑)。きっと世代的に松本零士の影響が大きかったんでしょうね。男のロマン的な意味で。
キリンジの「アルカディア」(2000年発表のシングル)という曲は完成後にタイトルをずっと決められなくて、試しに「宇宙海賊キャプテンハーロック」(松本零士のマンガ)の宇宙船アルカディア号から着想を得てタイトルにしてみたら思いのほかハマったんです。字で書いてもカッコいいし、意味も“理想郷”だから、いいなと。松本零士経由でゴダイゴもよく聴きました。あの人たちも宇宙が好きですよね。「銀河鉄道999」とか「ホーリー&ブライト」(ともに1979年発表のシングル)とか。僕の新作もただいま鋭意制作中です。夏の夜空を見上げながら完成を楽しみに待ってもらえたらうれしいです。
最後に「寝つき」の話に戻ると、キリンジの頃から新幹線や飛行機で移動するときは主にクラシックを聴いてます。ジャズだと興奮して眠れないんです。ロックやポップスは聴き込んじゃうので、クラシックが一番心地いい。気持ちが落ち着くと眠りの導入にいいので、今でも習慣化してます。ダイナミックな展開の曲だと眠れないから、深夜のテレフォンショッピングで「やすらぎのクラシック」みたいなタイトルの100曲ぐらい入ってるCDセットを買って(笑)。そういうのってだいたい超メジャーな曲しか入ってないんですけど、一般的に知られているのは触りの部分だけで、全編通して聴くと「こんな展開あったの?」みたいな発見があるから楽しいですね。ヴィヴァルディの「四季」も途中「これメタルじゃないか!」みたいなパートがあったり。音楽的にも大きな収穫がありました。CDウォークマンが壊れてからはサブスクでその手のクラシックをいろいろ聴き比べていますが、今のところ清塚信也さんが弾いた「ぐっすり眠れるピアノ」(2012年リリース)がタイトル通り一番寝つきがいいです(笑)。
プレイリストについて 堀込泰行 コメント
- Teenage Fanclub「The Concept」
- Queen「Long Away」
- Def Leppard「Photograph」
- キャロル・キング「Home Again」
- Steely Dan「King of The World」
自分はジャンルを問わず、曲がよければ好きってことを表現するために選びました。Teenage Fanclubは19か20歳の頃に聴いて、初めて同時代に若者でいてよかったと思えたバンドです。この曲を収録したアルバム「Bandwagonesque」(1991年)の存在は自分の中ですごく大きいですね。Queen「Long Away」はアルバム「華麗なるレース(A Day at the Races)」(1976年)に収録された、ブライアン・メイが歌うカントリーロック。派手さはないけど、自分で曲を書くようになってからそのよさを再認識しました。アルバム「炎のターゲット(Pyromania)」からの「Photograph」は、Def Leppardの曲の中でダントツで好き。キャロル・キングの「Home Again」はアルバム「つづれおり(Tapestry)」の中では地味な曲だけどあとからアルバムをちゃんと聴き直してみて好きになった曲です。兄は自分の好きな曲以外はバンバン飛ばして聴いていたので、家では「It's Too Late」くらいしか流れてなかったんです。そして「King of The World」はアルバム「エクスタシー(Countdown To Ecstasy)」の最終曲。Steely DanがほかのAORのバンドと圧倒的に違うのは、こういうひねくれた曲があるところで、だから熱狂的なファンが多いんだと思いますね。
堀込泰行(ホリゴメヤスユキ)
1997年に兄弟バンド・キリンジのボーカル / ギターとしてデビュー。2013年4月に同バンドを脱退し、ソロアーティストとしての活動をスタートさせる。2014年11月にシングル「ブランニュー・ソング」でソロデビューを果たし、これまでにフルアルバム3作、コラボレーションEP「GOOD VIBRATIONS」シリーズ2作をリリースした。2005年にはソロプロジェクト・馬の骨を始動させ、20周年を迎えた2025年、16年ぶりの新曲を含むベストアルバムを発売した。稀代のメロディメーカーとして業界内外から厚い信頼を集めており、甘い歌声でリスナーを魅了し続けている。
公演情報
GFGS CarLife In Yahiko
2026年9月6日(日)新潟県 ヤホール
MULLAE CITY POP FESTIVAL 2026
2026年9月20日(日)韓国 ソウル特別市永登浦区ドリムロ141ギル18
※堀込泰行の出演は19:00頃
Yasuyuki Horigome LIVE TOUR 2026
2026年12月1日(火)大阪府 梅田CLUB QUATTRO
2026年12月2日(水)愛知県 NAGOYA JAMMIN'
2026年12月8日(火)東京都 LIQUIDROOM


