これまでさまざまなミュージシャンが、文学作品からの影響を自身の表現へと落とし込み、多くの優れた作品を生み出してきた。シンガーソングライター・崎山蒼志も、以前から小説や文学からの影響を繰り返し語ってきた1人だ。この連載では、そんな崎山が「会いたい」と思う作家と対談。崎山本人が直接聞きたい事柄を中心に対話を繰り広げ、創作に対する姿勢や思考を浮き彫りにしていく。
記念すべき第1回の対談相手は、崎山が10代の頃に出会い、多大な影響を受けてきたという芥川賞作家・田中慎弥だ。前半となるこの記事では、お互いの創作論から、2人が共通して観た映画「シラート」の感想まで、多様なトピックを語り合った。
構成 / 石井佑来 撮影 / YURIE PEPE
出会っちゃったらしょうがない
崎山蒼志 自分は中学生のときに初めて文学作品に触れまして。中村文則さんの作品を読んで「こんなふうに、自分の心情と情景を重ねて書くことができるんだ」と衝撃を受けたんです。そこで、文学というものの形態そのものにすごく惹かれたというか。
田中慎弥 中学生で中村文則を読んでそう感じるのはすごいね(笑)。
崎山 もともと母が文学作品をけっこう読んでいたので、その影響も大きかったと思います。最初は母から「まだわからないと思うから」と言われて、ちょっとムッとして手に取ったんですよ(笑)。で、いざ読んでみたら「こういうものがあるんだ……!」と。そこから田中さんの作品にも触れるようになって、衝撃を受けました。
田中 最初に読んでくれたのはどの作品だったんですか?
崎山 「共喰い」だったと思います。当時の自分にとってはかなりセンセーショナルな内容だったんですけど、情景描写にとにかく感銘を受けて。まるで自分が直接その景色を見ているかのような感覚になったんです。あとは、読み終わったあとに煮え切らない感覚が残る感じとか……なんて言っていいかわからないけど、とにかく衝撃的で。
田中 なるほどね。いや、親子くらい世代が離れてる人が私の小説を読んでくれているというのは、単純にありがたいですよね。しかも崎山さんは、ご自身でも言葉を書かれるわけじゃないですか。ご本人も言葉に敏感だというところから、エンタテインメント系の小説ではなく、中村文則とか私とか、いわゆる純文学系の本を選び取ってくれたわけで。それは、そういう純文学系の作品のほうが肌に合う感覚があったんですか?
崎山 そうですね。当時から自分は、きっとほかの人と比べて暗い気持ちを抱えていたので……。
田中 だろうねそりゃ。中村さんとか私の作品を読んでるんだから。
崎山 そんな自分にすごく刺さってしまいました。
田中 周りにいました? 純文学系の小説を読んでる人って。
崎山 いやあ、どうなんでしょう。高校生の頃はいたかもしれないですけど、そう多くはなかったと思います。あまりほかの人と話したことはないですね。自分自身、好きな小説のどこに惹かれているのか、あまりはっきりとはわかっていなくて……。
田中 その作品のどこが自分にとって特別かなんてわからないですよね。出会っちゃったらしょうがない、みたいなところはありますから。もちろん私自身も好きな小説とか映画はありますけど、それはなんとなくそのときに出会ってしまっただけで。もう巡り合わせみたいなもんなんですよ。私は川端康成とか三島由紀夫が好きだけど、「若い頃に彼らの作品と出会って、蹴躓いて読んじゃった」みたいなもんなんです。「太宰と三島を比べて、三島を選んだ」とかそういうことではないんですよ。なんとなくその日に出会って、初めて読んだときの感覚に今でも捕まえられている。それは音楽だってそういうところがあるだろうしね。そんな中で、崎山さんの感性に私の小説が引っかかったというのは、ありがたいなと思いますよ。でも、そういう方が音楽をやってるというのは少し意外な気もします。
崎山 文学作品をいろいろ読んでいく中で、「こういう表現の仕方があるんだ」と思いましたし、そこに強く影響を受けていて。見たものをそのまま書くのではなく、いろんな言葉の組み合わせによって景色を立ち上がらせる。そういうことを自分もやってみたいなと思ったんです。それで試行錯誤しながら歌詞を書くようになって……。
田中 そんな中で、私の小説もたまたま少し影響したと。
崎山 そうですね。……いや、少しどころではないですけれど。
否定と肯定がないまぜになった状態で
田中 歌詞を書くうえで、過去のシンガーソングライターからの影響ももちろん受けているわけですよね?
崎山 たくさん受けてます。
田中 例えば作家をやっていると、1800年代が小説の頂点だとか言われるんですよ。とにかく過去のものを読めと言われる。その点、音楽はどうなんですか。過去のものをどのあたりまで踏まえているのか。そのあたりが少し気になります。
崎山 どうなんでしょう。音楽はより細分化していて、一概に言えないような気もします。いろんな時代のものが、いろんな時代でリバイバルしているというか。でもやっぱり、The Beatlesとか1960年代のものが一番参照しやすい、“大きな場所”になっているように思えます。
田中 日本の歌謡曲で言うと、60年代は作詞家・作曲家の先生がいて。整然とした歌詞が中心だったのを、いきなり永六輔さんが打ち破ったわけですよね。「こんにちは赤ちゃん」とか「上を向いて歩こう」とか、全然歌詞っぽくない言葉を使い始めて。そのあとに井上陽水とか高田渡とか、フォークシンガーが出てきて、政治的なことを歌ったりし始めた。そのあたりの人たちって、前の世代を否定しながら自分の表現を形にしていたと思うんですよ。前の世代から影響を受けながら否定しながら、っていう。そういう感覚は、今の時代の人でも持っているものなんですか?
崎山 自分はわりとあるかもしれません。それが実際にできているかはわからない部分もありますけど。でも、気持ちとしては「これまで誰もやってこなかったことをしたい」とは思っていて。「被りたくない」という気持ちは強いです。ただ、どうしても誰かの何かっぽくなってしまうことは正直あって……。
田中 まあ最初は真似から入りますもんね。特に言葉は、外からやってくるものだから。中でも崎山さんは、音楽から小説に飛んだうえで、そこからの影響を落とし込んでいるわけで。否定と肯定の両方がないまぜになった状態で、いろんなことを感じながら、考えながら形にしていくしかないですよね。
この歌い手はだんだん外へ開かれていきつつあるんだな
田中 今回の対談にあたって、崎山さんの作品をすべて聴かせていただいたんですよ。
崎山 わ、ありがとうございます……!
田中 これは単純に気になったんですけど、崎山さんは曲と詞のどちらを先に考えているんですか?
崎山 だいたい曲が先ですね。あとは、曲と詞が同時に出てくることもあります。メロディに合う母音が同時にひらめくというか。
田中 なるほど。崎山さんの歌を聴いていて、「う」の音がすごく耳につくなと思ったんですよ。だからやっぱり、単なる言葉じゃなくて音とかリズムでもあるんでしょうね。歌詞というのは。
崎山 それはそうだと思います。
田中 あと思ったのは、すごく難しいことを歌っているなと。特に初期の作品はそう感じました。僕は最新のアルバム(2026年4月リリースの「good life, good people」)を先に聴いたので、そのあとに初期の作品を聴くと、特にビリビリしているように感じられて。そういう張り詰めた言葉は、音に引っ張られて出てくるものなんですか?
崎山 そうですね。あとは、癖で出てくる言葉とかもあるとは思います。初期はノートに歌詞を書いていたんです。その頃は、歌詞を先に作ってから、そこに曲を付けるという方法を取ることもあって。その違いもあるんじゃないかなと思います。
田中 初期の曲を聴くと、ある意味で作家と似てるなと思ったんですよね。作家って、最初は私小説っぽい、閉鎖的なところから始まっていくことが多いんですよ。それと似たようなものが、初期の崎山さんの曲にはあるような気がしました。そして近年の曲を聴くと、「この歌い手はだんだん外へ開かれていきつつあるんだな」と感じる。閉じていたものがパブリックへと開かれていくというかね。言葉を外へ出すという行為は、自分が心地よければいいんだという部分もあるけど、やっぱり誰かに受け取ってもらわないと成立しないものでもあって。それは“仕事として”という点でもそうだけど、それ以前に、何かを生み出すというのはつまりそういうことなんですよね。自分の世界があればいいという気持ちと、それを誰かに受け取ってほしいという気持ちの間で行ったり来たりし続ける。そういう葛藤を崎山さんの作品にも感じました。
“終わりが勝手に来る”という感覚
田中 崎山さんは、このお仕事を始めて何年ですか?
崎山 7年くらいです。
田中 はー。それはいろんなものを背負ってきたし、背負わされてきたでしょう。
崎山 そうですね……そういうふうに振り返ることもけっこうあります。
田中 やっぱり同世代のほかの歌い手さんのことは気になりますか?
崎山 気になりますね。気になるし、すごくいろいろ聴いちゃいます。自分と同世代の人でも、ヒットメイカー的な人はたくさんいるので。そういう方が出てくると「うわあ、すげえな」って思っちゃいます。
田中 だからまあ、闘ってるんでしょうね。自分も、例えば芥川賞で落選したときに誰が受賞したかとかはすごく気にしちゃってましたから。でも、そういうふうに嫉妬しながら、自分のアウトプットをやり続けていられれば、それが一番いいんだろうなと思いますよ。
崎山 自分は、まさに芥川賞を受賞された「共喰い」を初めて読んだとき、その結末にとにかく衝撃を受けて。小説を書くときは、ある程度結末を想定してから書き始めるんですか?
田中 いえいえ、どんな短い小説でも、結末が決まっているということはないですね。「あらかじめ結末を決めて、そのラストに向けて書いていく」という手法を取っている人もたくさんいると思いますけど、私はとにかく書き始めないとわからないんです。例えば「共喰い」なんかもそうだったけど、先を決めないままにひたすら書いていく。で、書いているうちに「ああ、もうすぐ終わりが来そうだな」とか「あと原稿用紙1枚ぶんくらいだろうな」というのがなんとなく見えてくるんです。そしたら、その終わりが来る前にそこでもう終わらせちゃう。
崎山 あ、手前で終わらせてしまうんですね。
田中 もう少しあればいいのに、というところで終わらせるんです。なので、結末はいつも決めてないですね。“終わりが勝手に来る”という感覚です。
崎山 確かに田中さんの作品を読んでいると「あ、ここで終わるんだ」と感じることがあって。そこに痺れていたんです。すごく余韻を引きずるというか。なので、今のお話を聞いて納得しました……ありがとうございます。
田中 逆に崎山さんは、曲を作るときは全体の完成形が初めから浮かんでるんですか?
崎山 自分も最初から完成形が浮かんでいることはあまりなくて。気に入ったフレーズを、逐一増幅させるという感覚ですね。今のお話と近いところで、「すべてを言い切る手前で止める」ということは自分もたまにしています。そのほうが自分にとって心地よく感じられることが多くて。でも、「本当にこれでいいのかな?」という不安が常にあるんですよね。どこまで書けばいいかわからないし、何をもって完成とするべきなのかもわからなくて。
田中 ああ、それは作家も一緒ですよ。自信満々で書いてる作家なんていないですから。例えばエンタメ系のシリーズものなんかを書いてる人は、ある程度セオリーとかがあるかもしれないけれど。そうじゃなければ、やっぱり自分でも何が正解かなんてわからないので。「これでちゃんと伝わるのかな」と常々思うし、逆に「これで大丈夫だ」と思ってあとから読み返すと、おかしな言葉が残っていたり。いつだって不安のほうが大きいし、みんな恐る恐る書いてるんだと思います。「これでいいんだ」と思って書くんじゃなくて、「これはちょっとまずいかもしれないけど、もう書かなきゃしょうがない」ぐらいの選択を取っているというかね。「わかるから書く、わからないから書かない」というものではなく、わからないなりにどうにか書いている。そして、わからないなりに出てくるのは、自分が読んできた小説とか、観てきた映画とか、そういうものから得たイメージの蓄積なんだと思います。
受け止めなきゃいけない、跳ね返さなきゃいけない
崎山 今映画のお話が出てきましたけど、どんな映画を観ていらっしゃるのか、ちょうどお聞きしたいと思っていまして……。最近も映画はよく観られるんですか?
田中 そうですね。ぼちぼち観ていると思います。私は音楽を聴く習慣があまりないので、音をちゃんと聴く場面が映画を観ているときくらいなんですよ。
崎山 あ、そうなんですね。
田中 だから、効果音とかセリフを含めて“音を聴いている”という感覚があるし、逆に言うと、映像がない状態で音を聴くことに慣れていなくて。崎山さんのアルバムを一気に聴いたときも、「こんなに1人の歌い手の音楽に集中したことはない」というぐらい。
崎山 えー! ありがとうございます……。
田中 ただ、それは「楽しいな、面白いな」と思う反面、「うっ」という感覚もあるんですよ。音に集中して向き合ってるから。まるで何かと戦っているかのように、受け止めなきゃいけない、跳ね返さなきゃいけない、と思ってしまうわけです。でも、映画館のスクリーンくらいの大きさの映像があれば、自然と音を浴びられる。自分にとってはそういう存在でもありますね、映画というのは。
崎山 映像があるからこそ自然と音を浴びられる。
田中 特に映画音楽なんかはストーリーに沿って作られてますからね。ジョン・ウィリアムズとか(エンニオ・)モリコーネとか、月並みですけど「すごい曲を書くな」と思いますよ。「ああ、こういうストーリーだから、こういう曲なんだな」って。
崎山 ストーリーと曲が合致してるからこそ自然と聴けるわけですね。
田中 崎山さんはどういう映画がお好きなんですか?
崎山 最近だと「シラート」という映画を観まして……。
田中 観た!
崎山 あ、観ましたか!
田中 あれこそ音楽の映画じゃないですか。
崎山 そうですね。レイヴパーティの映画なので。音がただそこに存在してるというか。とにかくめちゃくちゃ衝撃を受けました。自分は、観ている側に差し迫ってくるような作品が好きで。「シラート」はまさにそういう作品だなと。
田中 あれは現代の問題点を突いた作品でもありますもんね。そういうものがお好きなわけですね。
崎山 そうですね。「シラート」は、シンプルにビジュアルがカッコいいところも好きです。予告を観た時点で「カッコいいな」と思えるし、日常では絶対に現れないような景色を見せてくれる。あとは、観終わったあとになんとも言えない気持ちになるものがわりと好きかもしれません。
田中 あれはなんとも言えない気持ちになりますよねえ。映画からも、楽曲を作るうえで影響を受けることはあるんですか?
崎山 印象的なシーンが頭の中に残っていて、それが音のイメージとリンクする瞬間とかはありますね。リズムだったり和音だったりが、映像と結び付くような感覚です。映像が持つムードを受け取って、それを拝借しているような感じと言えるのかもしれません。
<後編は9月30日(水)18時半公開予定>
プロフィール
崎山蒼志(サキヤマソウシ)
2002年生まれ、静岡県浜松市出身のシンガーソングライター。2021年1月にアルバム「find fuse in youth」でメジャーデビューを果たす。2023年7月にテレビアニメ「呪術廻戦 懐玉・玉折」のエンディングテーマ「燈」をリリース。ストリーミング総再生数は1億回を突破している。文芸雑誌「波」で連載していたエッセイ「ふと、新世界と繋がって」が2025年1月に初の書籍として発行されるなど、独自の言語表現で文芸界からも注目を浴びている。
田中慎弥(タナカシンヤ)
1972年山口県生まれの作家。2005年に「冷たい水の羊」で新潮新人賞を受賞。2008年に「蛹」で川端康成文学賞を、「蛹」を収録した作品集「切れた鎖」で三島由紀夫賞を受賞し、2012年には「共喰い」で芥川賞に選ばれた。小説のみならず、エッセイ「これからもそうだ。」「孤独論 逃げよ、生きよ」も発表している。


