数々の小説や文学から影響を受けてきたシンガーソングライター・崎山蒼志が、「会いたい」と思う作家と対談を行うこの連載。本稿では、前編に引き続き芥川賞作家・田中慎弥との対談をお届けする。
前回は、崎山が「共喰い」から受けた衝撃に始まり、映画「シラート」の感想までさまざまなトピックが語られた。後編となる今回は、ミュージシャンと作家、それぞれの立場から“言葉とは”というテーマについて語られる。
また記事の最後には崎山による対談後記も掲載するのでお見逃しなく。
構成 / 石井佑来 撮影 / YURIE PEPE
恐れを日々感じながらやっている
崎山蒼志 今日ぜひお聞きしたかったんですが、田中さんにとって恐ろしいものってなんですか?
田中慎弥 恐ろしい? 恐ろしい、ですか。
崎山 日常的なものでもいいし、それ以外でも……。
田中 怖いと言えばなんでも怖いですよね。霊感とかはないですけど、おばけ的なものも怖いですし。あと、これは現実的なものだけど、自然災害とかはやっぱりすごく怖いです。そういうものの怖さが日本でもどんどん増してきているので。あとは自分自身、この先、作家としてどうなるんだろうとか……。
崎山 あー、そうか。そういう怖さも。
田中 だからもう、全部怖いですよ(笑)。何かにしがみついてなきゃいけないから、自分は小説にしがみついてるけど、それもいつまでやっていけるんだっていう怖さがあります。どんどん歳を取っていって、衰えて。バリバリできるのは、あと10年くらいかなとか。いろいろ考えたりはしますよね。もちろんネガティブな感情だけではないけど、そういう恐れの中で小説を書いているというのはあります。
崎山 やっぱりそういうものなんですね。
田中 どこかで人間とか生きるということを信じて、肯定してはいるけれど、「その素晴らしいはずの命はやがて失われるんだ」という感覚も、同時に自分の中にあるんですよね。その両面を持って小説を書いているので。さっきの「『これで大丈夫か』と思いながら書いている」という話と近いものではあるけれど、そういう不安は常にあります。恐れを日々感じながら、受け流しながら、やっているんじゃないかなあ。
崎山 ありがとうございます。田中さんの作品を読んで、どういうものを怖いと思うんだろうと気になっていたんです。霊的なものとかもやはり怖いんですね。
田中 怖いですよ。そんなもの見たことはないけども。
崎山 目に見えないものの怖さというか。
田中 やっぱりその土地が持つ歴史は、ないがしろにはできないじゃないですか。私は山口県の下関という、本州の端っこの町で育ったんですね。そこは歴史的に言うと、壇ノ浦の戦いがあったところで。平家が滅んだ場所なんですよ。
崎山 なるほど。
田中 そういう場所だよ、という話を聞くと「いや、そんなの関係ないでしょ」と思いはするけど、同時に、たくさんの人が亡くなったんだなという念を感じもするんです。そういう念に対する畏怖みたいなものは、どこかで植え付けられているのかなと思います。
崎山 自分は少し前に上京してきたんですけど、それまでずっと静岡県の浜松市にいて。浜松と比べて、東京はお寺とか墓地がかなり多いんですよね。ふとしたところにお地蔵さんが置かれていたり、一見ただの駐車場なのに、隅に祠が残っていたり。そういうのって、地元ではあまり見ない光景だったんですよ。
田中 東京も、戦争だったり災害だったりでたくさんの人が亡くなった場所なわけですからね。そういうものは、霊感がないにせよ、あまり無視しないほうがいいですよ。
崎山 そうですよね。人が多い分、念もたくさんあるでしょうし。そういうお地蔵さんとかを見るたびに、少し会釈をしています。
外の世界への対峙から生まれる描写
崎山 僕は田中さんの小説に出てくる、幼い頃の描写がとても好きなんですが、田中さんは昔のことをどのくらい覚えていらっしゃるんですか?
田中 どのくらいっていうのはまた難しいですね。
崎山 例えば、一番古い記憶とかは……。
田中 どうなんでしょう。私は、父親を4歳のときに亡くしているんですけど、その葬儀の記憶が一番古いような気がします。焼香するのを嫌がって、外に連れていかれたのをはっきり覚えていて。それが一番古い記憶なんじゃないかな。
崎山 なるほど。田中さんの作品を読んでいると、自分が幼い頃に見た景色とリンクする描写があったりして。しかもそれが、ものすごく事細かに書かれているからすごいなと。読んでいると、幼い頃に見た景色がパッとよみがえったりするんです。
田中 それは、私が友達が多いほうではなかったからというのもあるかもしれないです。誰かと遊んでる時間よりも、空や風景を見たり、外の世界に対峙している時間のほうが多かったんですよ。もちろん他者との会話などが小説に生きてくることもあるけど、自分の場合は、1人で外の世界に対峙してきた経験が、そういう描写につながっているのかもしれない。
崎山 そういうところから、あの繊細な描写が生まれていたんですね。自分も、子供の頃の記憶とかを楽曲のテーマにすることは多くて。「あの頃に戻りたい」という感覚が曲につながることもあるし、反対に「絶対に戻りたくない」と思うこともあるんです。そういう相反する感情を抱えていて。田中さんは、幼い頃への憧憬みたいなものはありますか?
田中 どうだろうなあ。「もうちょっと勉強しておけばな」とか、そういう単純な後悔はあるけど、戻りたいとはそんなに思わないかもしれないですね。父が早くに亡くなったというのもあるし、そんなにいい思い出があるわけではないので……まあ極端に不幸だったとは思わないけど。
崎山 はいはい。
田中 ただ、ノスタルジックな気分になることは多々あって。それは「小説を書くうえでの手法として、感情があの頃に戻ってる」ということだと思うんです。もちろんそれだけになってしまわないようにはしていますけど、ノスタルジーを使うと小説を書きやすくて。この仕事をしていると、時間の行き来をすることがすごく多い。1回過去に戻って、当時のことを思い出して、また現在の視点に戻って、というね。「あのときああしていれば」とか「もっと違う人生があったはずだ」みたいなことはよく考えます。
崎山 そういう感覚が小説にしやすい、というのもあるんでしょうか?
田中 しやすいし、歳を重ねるとそういう感覚に陥りやすいんだと思いますよ。人間って未来は生きていないわけだし、どんどん過去が増えていくので。あのときのあれは間違ってたのかなとか、あのときもっとああ言えばよかったなとか、そういう後悔がポツポツと出てきます。なので憧れというより、後悔のほうが大きいですね。
完全に言葉を操るなんてことはできないですから
崎山 田中さんはもちろんたくさんの小説を読んでこられたと思うんですが、中でも衝撃を受けた作品を教えていただきたくて。自分になかった視点を与えてくれた作品って何がありますか?
田中 なんだろうなあ。
崎山 内容的なところでもいいですし、表現の仕方でもいいですし……。
田中 (ガブリエル・)ガルシア=マルケスの「百年の孤独」には、言葉って面白いなと思わされましたね。熱帯地域の子供が、氷を氷とも知らずに触って「わあ、煮えくり返ってる」と言う場面があって。
崎山 すごいですね。
田中 この感覚は面白いなと。“熱い”はもちろん知っているけど、“冷たい”に関しては、そういう状態をそもそも知らない。文明的なものがない時代を題材にしていて、その描き方自体は今の視点からしたら問題があるかもしれないけど、表現としては「なるほどな」と。「“冷たい”という状態を知らないことを、そういうふうに表現するんだ。そういう表現があるんだ」と驚きましたね。でも、それは翻訳小説だからこそ、そう思えたのかもしれない。
崎山 海外の作品だからこその表現方法というか。
田中 (フランツ・)カフカの「変身」なんかも、「虫になって、さあ大変」というところから、すうっと話が進んでいく。それは日本の小説にはない感覚だと思うんですよね。だから海外のものを読んでいると「すごいな」と感じることが多いです。
崎山 ありがとうございます。海外の作品、いろいろ読んでみます。
田中 やっぱり言葉というものは、自分を外側から揺さぶってくるんですよ。「世の中ってこういうものだよね」という自分の認識に揺さぶりをかけてくる。だから本を読んでると、ある程度謙虚にはなりますよね。本を通して、自分の知らなかったこととか、悲惨な歴史とかを知ると、自分には足りてないものがあるんだなと実感させられます。そういう蓄積が増えるのはいいことだと思いますし、蓄積が増えるだけ、その分、重みがのしかかってきて「さあ、お前は何を書くんだ」と過去の作家から問われ続ける。そういう点でも謙虚にならざるを得ないですよね。自分が太刀打ちできないものでもあるし、コントロールできないものでもある。どれだけ主体的に書いてるつもりでも、完全に言葉を操るなんてことは絶対にできないですから。だから自分にとって言葉というのは、外部との接点であり、自分を確認するためのよすがでもあるんだなと思います。
その中でもがいていくしかないんですよ
崎山 自分にとっては、小説とか言葉とかって、心を静めてくれるものなんです。自分はもともと心の起伏が激しいタイプで、すぐに一喜一憂しちゃうんですよ。でも、小説を読んでいるときは心の静けさが保たれるというか。その作品に没入して、心のフラットさを取り戻せる。あとやっぱり、自分のペースで読めるのがすごくいいなと思っています。映像でも倍速にして観たりとかはできるけど、本はもっと細かいリズムを好きに付けられるし、戻ろうと思えばすぐに戻ることができる。そういうところがすごく好きです。毎日読書をして、いろんな小説を読んで、自分の中に言葉が蓄積されていく。言葉で言い切れないものも、言い切れないゆえの余白みたいなものがあって。そういうものが残ったうえで、今の自分のバランスが保たれているように感じています。
田中 小説と違って、音楽は時間が一定で決まってますもんね。
崎山 そうですね。曲を作る人の多くは、スピードを変えられることを拒むはずなので。どうしたって、こちらが決めた速度で聴いてほしいと思ってしまう。BPMを決めて曲を書いていますし。それはそれでいいと思うけど、本は自分のタイム感で意味をつかんでいけるようなところが好きで。そしてそれは音楽にない部分だなと思います。
田中 確かにそれはそうなのかもしれないですね。
崎山 以前、田中さんが「先人のいろんなものを読むと『まだできるかも』みたいな気持ちになる」というようなことをおっしゃっていたのが印象に残っていて……。
田中 そんなこと言ってました?
崎山 どこかでお見かけした記憶があります。「まだできるかも」という気持ちを大事にしたほうがいいと。
田中 いやまあ、それはそうですよね。前の時代の作家たちが書いてきたものをもう一度書くわけにはいかないし、そのうえで何かしら書くしかないわけで。たとえ過去の偉大な作家に敵わないとしても、「自分はもうこれ以外に生きていく道はない」と決めてしまいましたから。自分に莫大な才能があるとも思わないけど、向いてるか向いてないかで言うと向いてるはずだし、その中でもがいていくしかないんですよ。「できないな」「もう無理だな」と思いながら、それでもやっていく中から、何かが出てくるかもしれない。そう信じて続けていくしかないのかなと思います。
崎山 すごく励まされました。ありがとうございます。最後にどうでもいいことをお聞きしてもいいでしょうか。
田中 もちろんいいですよ。
崎山 田中さんは、どういうお酒がお好きなんですか?
田中 好きなお酒ですか(笑)。別に詳しいわけではないので、普通にビールを飲みながらごはんを食べたりとかですよ。お酒だけを飲むとすると、スコッチの臭いやつとかが一番いいかな……でも別にしょっちゅう飲むわけではない。基本は日常の食事に合わせて、なんでもって感じですかね。
崎山 お酒を飲まれるという情報をお見かけしたので、何がお好きなのかと気になっていて。
田中 崎山さんも飲まれるんですか?
崎山 お酒、すごく好きなんです。
田中 そうなんですね……ほどほどにね(笑)。
崎山 はい、気をつけようと思います(笑)。
崎山蒼志 対談を終えて
8月初旬、某日。その日の僕は異様な緊張感と共に過ごしていた。音楽ナタリーさんからお声掛け頂き、一本目の取材。ましてや今まで大好きな作家の方を目の前にして話した経験が無く、どうなるのかと、今日をやり過ごせるんだろうかと、自分自身にかなりの疑念を抱いていたと思う。
いざ取材場所へ到着すると、階段を上がりすぐ2階、田中さんは椅子に腰掛けていらっしゃった。同時に再度緊張が込み上げた。
机を介し、話し始める。度々メディアなどで拝見していた姿のまま、また、その眼光や言葉の鋭さと同時に、話せば話すほど垣間見える懐の深さにホッと胸を撫で下ろすかのような感覚が募った。自分の拙い質問に対し、蔑ろにするでもなく一言一句答えて下さる様を忘れる事はないであろう。瞬間瞬間、それほどに有り難く、夏の日の濃い陰影や畳の匂いをすぐ思い出せるまでに印象的な時間となった。
映画の話題になった際、共通の映画(シラート)を見ていた事もまた嬉しかった。対談中、大変恐縮ながら身に余る言葉もたくさん頂けて、現在に至るまで、都度都度反芻している。
身に余る機会であった。
プロフィール
崎山蒼志(サキヤマソウシ)
2002年生まれ、静岡県浜松市出身のシンガーソングライター。2021年1月にアルバム「find fuse in youth」でメジャーデビューを果たす。2023年7月にテレビアニメ「呪術廻戦 懐玉・玉折」のエンディングテーマ「燈」をリリース。ストリーミング総再生数は1億回を突破している。文芸雑誌「波」で連載していたエッセイ「ふと、新世界と繋がって」が2025年1月に初の書籍として発行されるなど、独自の言語表現で文芸界からも注目を浴びている。
田中慎弥(タナカシンヤ)
1972年山口県生まれの作家。2005年に「冷たい水の羊」で新潮新人賞を受賞。2008年に「蛹」で川端康成文学賞を、「蛹」を収録した作品集「切れた鎖」で三島由紀夫賞を受賞し、2012年には「共喰い」で芥川賞に選ばれた。小説のみならず、エッセイ「これからもそうだ。」「孤独論 逃げよ、生きよ」も発表している。


