3月17日に79歳で永眠したロックンローラー・内田裕也のお別れ会「内田裕也Rock'n Roll葬」が、本日4月3日に東京・青山葬儀所で行われた。
1939年11月17日生まれ、兵庫県西宮市出身の内田は、1958年にブルージーン・バップスを結成し翌年にデビュー。内田裕也とザ・フラワーズのボーカリストやフラワー・トラベリン・バンドのプロデュース活動などを経て、1970年代後半からは俳優としても活動を行ってきた。毎年年末には年越しのオールナイトイベント「NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL」を開催。唯一無二のロックンロールな生き様は、ミュージシャンをはじめ数多くの著名人に影響を与えてきた。
「内田裕也Rock'n Roll葬」は元ザ・スパイダースの田邊昭知が葬儀委員長を担当。生前から内田が希望していた青山葬儀所を会場に、本人の望んだ形での開催が実現した。祭壇は横尾忠則が制作した、「NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL」第1回のポスターをモチーフにしたデザイン。また遺影には2009年刊行の書籍「内田裕也 俺は最低な奴さ」より若木信吾が撮影した写真が使用され、この写真は祭壇の中に設置されたLEDモニターにも映し出された。
フランク・シナトラ「My Way」やフラワー・トラベリン・バンド「SATORI」、内田裕也とフラワーズ「サマータイム」など、内田が影響を受けた楽曲や自身が手がけた音源が流れる中、「内田裕也Rock'n Roll葬」にはChar、JESSE(RIZE、The BONEZ)、PANTA(頭脳警察)、田代まさし、郷ひろみ、ダイアモンド☆ユカイ、DJ KOO(TRF)、氏神一番(カブキロックス)、巻上公一(ヒカシュー)、指原莉乃(HKT48)、秋元康、電撃ネットワークの南部虎弾とギュウゾウら幅広い著名人が出席。関係者950人、合計1700人が会場に集った。式が始ると、副葬儀委員長のイザワオフィス代表取締役社長・井澤健氏による挨拶ののち、この日のために用意されたVTRが上映された。この映像は「僕は今、あの世にいます。ロックンロールで生きて、ロックンロールで死んでいけたことに感謝します」という内田自身のナレーションでスタート。ラストステージとなった「46th NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL 2018-2019」の「きめてやる今夜」披露時の映像を中心に、「十階のモスキート」「コミック雑誌なんかいらない!」といった出演映画のワンシーン、背広姿で泳ぐ姿が当時話題を呼んだ「PARCO」のCMなど、内田に関するさまざまな映像が用いられた。
弔辞は堺正章、崔洋一、鮎川誠(SHEENA & THE ROKKETS)、AIが担当。また横尾忠則による弔辞は内田の娘婿にあたる本木雅弘が代読した。堺は内田とのエピソードを振り返りつつ、「あなたの波乱万丈な人生、僕らには真似できない、素敵な人生だったと思います」「『天国に行くのは俺は嫌だ! 地獄の方が似合う』とか、そんなふうに言わず、天国に行って奥様と会って、そして埋められなかった素敵な時間を埋めてください」と言葉をかけた。鮎川は「裕也さん、本当に楽しかった」と告げたのち、1974年開催の「ワンステップフェスティバル」について触れ、「憧れのロックスターがいっぱいおる中、僕たちも出演させてもらって。そのときからたくさんたくさん、恩を受けました」と穏やかに語る。そして「ステージにはいつでも飛び入り大歓迎です。待ってます!」「ロッケンロール! イエーイ!」と感謝の思いを表した。さらにAIは内田の家族の希望に応えて「アメイジング・グレイス」を歌唱。伸びやかかつ優しい歌声で内田へのリスペクトを捧げた。
喪主の内田也哉子は「私は正直、父をあまり知りません。『わかりえない』という言葉の方が正確かもしれません」と自身の思いを明かし、「『こんなにわかりにくくて、こんなにわかりやすい人はいない。世の中の矛盾をすべて表しているのが内田裕也』ということが根本にあるように思えます」と内田の妻・樹木希林が生前語っていた話を引用してコメント。現在の心境を「私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました」「実感のない父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう」と振り返りつつ、「けれども、今日、この瞬間、目の前に広がる光景は、私にとって単なるセレモニーではありません」「お一人、お一人が持つ、父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています」と力強く語る。そして最後は「2人(内田、樹木)を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今さらですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました」「彼らしく送りたいと思います。Fuckin' Yuya Uchida, Don't rest in peace just Rock'n Roll!!!」とロックンロール精神あふれる言葉で謝辞を締めくくった。このほか式では福山雅治、サザンオールスターズらの弔電が紹介された。
式終了後の囲み取材には崔、浅田美代子、尾藤イサオ、DJ KOO、美勇士、本木が参加。尾藤は「とにかくロックンロールでございました」「日本のロックンローラーの第1号、裕也さんのあとを継いで、まだまだロックを歌い続けたいと思います」、美勇士は「怖い先輩でしたけど、とてもチャーミングな一面もありました。大切な方を亡くしたな……と思います」「僕が出るライブや舞台にも裕也さん、観に来てくれて。『すごいよかったぞ』っていつも言ってくれました」と思い出を明かした。本木は内田について「希林さんとの関係も含め、我々のようなやわな時代に生きていた人間にはわからないようなことを、2人ともくぐり抜けてきたんだと。そういうものを身内ながら感じています」と懐述。加えて「裕也さんも、先日亡くなった萩原健一さんも男の憧れ。面倒ごとを面倒がらずに切り込んでいく野生が自分にはない。遠くにいるような存在です」と述べた。
内田の戒名は「和響天裕居士(わきょうてんゆうこじ)」。宇治平等院の国宝・雲中供養菩薩をイメージし、天井でも音楽を奏で続け、平和を願う思いが込められている。「和」「響」は本木夫妻の希望によって入れられた。
※ダイアモンド☆ユカイの☆は六芒星が正式表記。
※記事初出時、キャプションの人名に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。