相対性理論のライブアルバム「調べる相対性理論」の特別映像第2弾がYouTubeで公開された。
昨日7月24日に発売された「調べる相対性理論」は相対性理論初のライブアルバム。特別映像の第2弾ではやくしまるえつこによるドローイングを用いた今作のアートワークをもとに作られたもので、神秘的かつ異次元的な空間が表現されている。この映像では「ウルトラソーダ」「キッズ・ノーリターン」「わたしは人類」の一部を視聴できる。
またこのアルバムを聴いた作家の古川日出男による「調べる相対性理論」推薦テキストが公開された。相対性理論のライブに何度も足を運んでいるという古川によるテキストは1000文字以上におよぶボリュームとなっている。
古川日出男 コメント
壮大だ。私はこのライブ・アルバムのコメントを「壮大」の文字で始められることに感動してしまう。この「調べる相対性理論」は、時間と空間を再構築して、もう一つの「世界」を創ろうとする試みなのだった。そもそも音楽とはそういうものだった、とは言える。なにしろ時間芸術が音楽なのだから。時間の操作はもちろん、する。ゼロ秒間に聞こえる音楽は存在しないのだ。それと、歌詞(詩)は、当然ながら言葉に時空を織り込む。しかしだ、「調べる相対性理論」に耳および脳および残りの肉体を委ねていると、なにごとかの年代記を体験しているのだ、という気になる。これは音楽的な歴史生成装置なのだな、と。もしも異論があるならば、ここに収録された「わたしは人類」を聴いてみればいい。この歌詞の、それから音の、届けようとしている熱量はほとんど圧倒的で、あなたは「ああ、フィクションには力があるな」とうなずかざるを得ないだろう。それから、「これはフィクションではないな」と悟って、そのことに愕然とするだろう。あなたはその歴史の実在する「世界」に行って、戻ったのだ。あなたは人類史の外側にあっさりと出たのだ。それと、私は、このライブ・アルバムを聴いて、音楽の進化や退化のことを考えないでいるのも、むしろ難しいのではないかと、そうも思う。この「調べる相対性理論」は(ということは、相対性理論のライブは、という意味でもある)シンプルに「宇宙的だ」と評されると思うが、たしかに音の天球図がインストールされている。全部を入れている、とも言い換えられる。轟音、ストリングスの美旋律、美声、つきはなしたクールなドス声。そして、音(音楽)から声を切り離した時に見えるのは、この世界は韻を踏んでいる、という事実だ。それを知れるだけで、私たちが生きる「現実」は逆照射される。
しかし、こむずかしい語りはもう止そう。たとえばコンクリートの建物の最上階の部屋にあなたがいて、その部屋の、その天井が、いきなりカパッと開いたような。それがこのアルバムだと私は思う。あなたをエンターテインするのに一切うかれていない演奏者たち、それが相対性理論だと思う。そう、ぜんぜん「浮かれていない」のだ。どっしりしている。私は全体主義が大嫌いな人間だから、音楽もほとんど同じ部分でジャッジする。ここには、ライブ会場のほぼ全員を同じポーズで踊らせるような「全体主義」サウンドはない。我々はただただ、天井がいきなりカパッと開いて、あろうことか天上が見えたことに、「うわー」「うわー」と言いながら個人個人で反応するだけだ。