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音楽偉人伝 第13回 SOFT BALLET

約5年前2019年09月25日 14:03

日本の音楽史に爪痕を残すアーティストの功績をたどる本連載。6組目に取り上げるのはSOFT BALLETだ。遠藤遼一(Vo)、森岡賢(Computer Programming, Synthesizer, Piano, Vo)、藤井麻輝(Computer Programming, Synthesizer, Metal Percussion, Noise, Voice)の3人によって1988年に結成されたSOFT BALLET。彼らは妖艶なビジュアルと、ニューウェイブやインダストリアルミュージックなどを消化した唯一無二のサウンドで日本のミュージックシーンに大きな衝撃を与え、2003年の活動停止、そして2016年の森岡の逝去を経た今もなお絶大な人気を誇っている。9月25日にはデビュー30周年を記念したアナログ再発プロジェクトがスタート。今、再び注目を集めるSOFT BALLETとはいったいどのようなグループだったのか? 彼らの大ファンとして知られる掟ポルシェをナビゲーターに、独自の進化を遂げたSOFT BALLETの音楽的変遷をたどっていこう。

夜の裏側から魔笛の如く現れる電子音楽世界

「なんだこれは……」

1980年代の終わりか90年代が始まったばかりのある日、つけっ放しのテレビの深夜音楽番組から突如DAFをポップミュージックに落とし込んだかの如き歪んだ電子音がビキビキと艶かしく隆起し流れてきた。ボーカルはデヴィッド・シルヴィアンよろしく夜の喉笛を粘液質に響かせ、女装とはまた違ったポジティブパンクのようなメイクを施した一重瞼の涼やかな視線で画面の向こうから血管を浮き上がらせる。ドラムマシンの正確なリズムと16分のシーケンスベースに同期する歓びを湛えつつ、冷徹なハンマービートを暴力的に叩きつけるメタルパーカッションのメンバーがいて、据わった目でこちらを睨みつけていて、緊張感がやおら怒張し止まらない。そして中性的なキワドい衣装とモードメイクでバシバシにキマっている金髪短髪のキーボーディストは、さっきからクネクネと踊ったりヴォーギングをするばかりで鍵盤に触りもしない……さっきからなんなんだ、何をしてるかわからなくて、ああ、もう……すごく気になるじゃないか!

「なんだこれは……!」

ニューウェイブとニューロマンティックにノイズ / インダストリアルを滴らせ有機的に配合した攻め過ぎなシンセサウンド、鋭利な肉体をこれ以上なくエロティックに包むレザーと金属片の集積衣装、生ける媚薬と言っても過言ではない怪しく端正な顔立ちと美麗な体躯。3人それぞれ現代で言う“キャラ立ち”していて、まったく穴が見当たらない。果たして、これはテレビに映して大丈夫なのだろうか? そんな余計な心配をしてしまうほど、初めて見たSOFT BALLETは盛大に妖艶かつ危険な魅力を放射しており、一瞬にして虜となった。いや、俺だけではない。全国のNEW WAVE少年少女が長年追い求めていた海外のニューウェイブバンドのマナーに満ちた再生とアップデートが、熱狂を生む確かな理想形が、そこにはあったのだ。

1986年、顔立ちが整ったメンバーばかりでニューロマンティックスを体現していた前身バンドVOLAJU、その楽曲制作を担っていた中心人物3名でSOFT BALLETは結成された。メンバーは遠藤遼一(Vo)、森岡賢(Computer Programming, Synthesizer, Piano, Vo)、藤井麻輝(Computer Programming, Synthesizer, Metal Percussion, Noise, Voice)。バンド名の由来は、ドイツの美術学校バウハウスのバレエ顧問オスカー・シュレンマー(代表作「トリアディック・バレエ」)に関する本を読みインスパイアされ、遠藤が考案したものと言われる(ただなんとなくフィーリングで付けた説も)。

SOFT BALLETは80年代の海外産ニューウェイブのエレクトリックな側面を、森岡と藤井の2人のサウンドプロデューサーが異なるアプローチで90年代に蘇らせ、そこに遠藤の美麗な歌声が乗ることで独自のものにすることに成功した、日本を代表するテクノバンドである。3人は新宿にかつて存在したディスコ、ツバキハウスの夜遊び仲間でもあり、家庭や学校に居場所がないと感じていた15、6歳の頃からツバキハウスに入り浸り、そこで最新の海外ニューウェイブヒットをリアルタイムに吸収していった。YMO以降、日本のメジャーな音楽シーンではテクノポップの文脈しかなかったシンセサイザーサウンドを、海外の80年代ニューウェイブの多方向にわたる魅力に正統に置き換えることで、SOFT BALLETというオリジナルなダンスミュージックを確立し、未来に記憶される存在となった。

SOFT BALLETを知らない方々のために文字で説明するには、メンバー個々の出自を記すのがいいだろう。サウンド面では、2人の異なる方向性を持つクリエイターが作り出すエレクトロの同居・混在が、SOFT BALLETの基本を構成している。

作曲家・森岡賢一郎を父に持ち、中1のときに観たゲイリー・ニューマンの来日公演でエレクトリックミュージックに開眼、VisageやUltravoxなどのニューロマンティックで育ち、それらをバンドサウンドとして最先端のダンスミュージックに落とし込むことができる森岡の類まれなポップセンス。

厳格な医師の家庭に生を受け、クラシックとシンセサイザー音楽しか聴くことを許されなかったことから冨田勲「惑星」を入口にKraftwerkやNeu!、Clusterに興味を持ち、やがてThrobbing GristleやSPKといったノイズ / インダストリアルやTest Dept.のハンマービートを血肉となるまで偏愛し、それらを曲作りの重要な要素として導入する藤井の革命的な姿勢。

両者の音楽的方向性はアルバムに入り混じり、互いに影響を与え、時にバランスを取って寄せたりしながら、SOFT BALLETというバンドの意思を最優先にポップソングとして成立させていく。

そして、声楽家を志し海外に渡った破天荒な父とピアノ教師の母の間に生まれ、中学でKraftwerkに出会い、YazooやDepeche Modeなどのエレクトロニック系ニューウェイブに心惹かれ、ニューロマンティックに耽溺する青春時代を送ってきた遠藤の真摯な歌詞世界と夜に属するエロティックな歌声。

これらの要素が有機的に絡み合うとき、世にも艶めかしいSOFT BALLETの電子音楽世界が夜の裏側から魔笛の如く現れる。

デビュー30周年に当たる2019年の9月25日を皮切りに、SOFT BALLETのオリジナルアルバム6枚がアナログLPレコードで再発される。ということで、SOFT BALLETの歴史を、リリース作品を通じて振り返ってみよう。

“ELECTRIC BODY BEAT”の衝撃

判型が小さい頃の「FOOL'S MATE」でおなじみのニューウェイブ系レコード店・CSV渋谷2FのStudio GaGaで録音された7inchアナログ「TOKIO BANG!」(1987年8月発売。歌詞はすべて英語。当時の日本には洋楽の影響を受けた音楽を日本語詞で歌うことに、聴く側 / 演る側双方抵抗のある時代であった)、主宰のサワキカスミがメンバーの生年月日による占星術を行い、結果のいいバンドをリリースしていたことで知られる太陽レコードから「BODY TO BODY(インディーズ・バージョン)」(89年4月)などをリリースしたのち、89年9月25日、YMOをリリースし電子音楽に強いイメージのあったアルファレコードから8cm CDシングル「BODY TO BODY」と1stアルバム「EARTH BORN」を同時リリースしメジャーデビュー。

“ELECTRIC BODY BEAT”をスローガンに掲げ、海外のエレクトロニックボディミュージックと80年代初頭のイギリスのニューロマンティックを掛け合わせたかの如きシンセサウンドは、当時の日本のメジャーのレコード会社でリリースされる音楽の範囲を逸脱しており、故に衝撃的であった。80年代後半に巻き起こったバンドブームにより、バンド側の音楽性が尊重されやすくなった状況があったとはいえ、SOFT BALLETのデビューは十分事件だった。

当時話題となっていたエイズについて歌っていると言われる「BODY TO BODY」は、艶めかしい男性の熱い吐息から始まる。ライブで観客はこの曲で拳を振り上げ熱狂し、ニューウェイブリスナーの汗もかかない整然とした反応を予想していたメンバーたちはいい意味で裏切られたという。

初期SOFT BALLETのアルバムの特徴として、森岡だけでなく藤井もシングルカットを意識したようなポップチューンを書いていることが挙げられる。藤井の持ち味であるところのアラビア音階的なメロディと迫力のある歪んだ音像の「L-MESS」と、森岡のポップセンスに寄せたかのような美麗なロマンティシズムを感じる「HOLOGRAM ROSE」の両方が収められ、結果的に1stアルバムはほかのどのアルバムよりポップな印象を受ける。TM NETWORKもよもやの清々しさを持つ森岡曲「PASSING MOUNTAIN」も収録され、世間に受け入れられることを念頭に、そのラインを探っているようでもある。なお、半年前にほんの少しアレンジの違う「BODY TO BODY」をインディーズ盤でリリースしていた理由について、のちにサワキは、バンドブームだった当時、インディーズ出身であることが箔付けになった時代でもあり、まずインディーズでデビューさせる戦略がアルファレコードの意向であったことを、ネット配信番組「DOMMUNE」で匂わせる発言をしている。

90年4月25日、デビューアルバムから半年程度しか空けないハイペースで2ndアルバム「DOCUMENT」が発売。ライブでの定番曲を収録した1stと違い、外形ができている曲が3曲しかない状態でレコーディングに突入したというが、1カ月のスタジオワークの中で作ったとは思えないほど充実した内容で、SOFT BALLETの魅力が凝縮されて詰まっており、個人的に一番よく聴いているアルバムでもある。DAFを思わせる16分ベースの刻みに血が滾る藤井曲「NO PLEASURE」で幕を開け、静かに淫猥のパルファムを漂わす「MIDARA(PORTE DEVERGONDEE)」、ライブ定番の森岡曲「PRIVATE PRIDE」と、息つく暇なく電子音の快哉連打で脳の先から変な汁が出るのを禁じえない。

「ESCAPE」は、OMD「エノラ・ゲイの悲劇」と同様のテーマを持つ曲だが、B29を女性に例え、乗り込む操縦士との関係を歌っているという。OMDの曲と同じくコロコロというシンセリフが挿入されていて心憎い(その点がベタすぎたのか、シングル曲なのに後年ライブではやらなくなっていくのが惜しかった)。ラストを飾る「AFTER IMAGES」は森岡の過去の恋愛について遠藤が作詞し歌ったもの。「自分が望む理想と現実にはギャップがあるが、自我やイデオロギーを一切取り除いたフラットな状態で待っていると、段々と望んでいるものが近づいてくるんじゃないか、ということを歌っている」とは遠藤の弁。

3人それぞれのソロ曲を収録したクリスマス企画ミニアルバム「3(drai)」を挟み、91年5月21日、前作から1年ぶりにリリースされた3rdアルバム「愛と平和」。アルバム制作中に湾岸戦争が勃発、時代の緊張感がそのまま歌詞に直結したものとなっている。曲調も以前に比べハードになり、端的にDepeche Mode調の曲はここには見られない。とはいえ、ライブの盛り上がりどころで演奏される代表曲が目白押しのアルバムであり、個々の楽曲のポテンシャルは高い。森岡も藤井も、自分の色を率直に出すことよりもSOFT BALLETとして求められる姿に忠実に仕事をした形跡が見受けられ、結果的に本来藤井が手がけそうなダークな旋律の「EGO DANCE」を森岡が作っていたり、森岡がアルバムの中で必ず1曲は作っていたような生きのいいシャッフルビートの「OBSESSION」が藤井曲であったり、互いに作風を寄せ合う様子が興味深い。今作から5thまでの3枚、PWLプロダクション所属のフィル・ハーディングが録音エンジニアを担当。セールス的にもオリコン最高順位8位を記録。日本のエレクトロポップバンドとしては異例のヒットとなった。

海外での活躍を視野に入れた音楽性の変化

そして92年10月21日、アルファからビクターにレーベルを移籍してリリースされた4thアルバム「MILLION MIRRORS」。ダークでミニマルな曲が並び、完全に甘みのない方向に楽曲の方向性を振り切り、一般層に訴求することを配慮していた1stの頃から見れば、随分遠くへ来たなという印象を受ける。Aメロ+Bメロ+大サビという歌謡曲的な曲構成に背を向け、自らの持ち味であるわかりやすさを排除した、森岡が本当にやりたいようにやり、同時に藤井のノイズ趣味が壮絶に反映された革新的最高傑作アルバムだと絶賛される向きもあれば、それまでの作風とあまりに違うことに戸惑ったファンも多く、音楽誌の人気投票の結果がガタ落ちするという事態も発生。毀誉褒貶が交錯するSOFT BALLET史上最大の問題作である。シングルカットされたCDはなく、唯一海外のBlue August Recordsから「THRESHOLD」の12inchアナログがリリースされたのみ。この事実から考慮すれば、彼らは海外での成功を視野に入れ、クラブミュージックとして国外で評価されるものを作る方向に舵を切ったことは明白だ。ルックスで付いていたミーハーなファンを振り落とすには十分すぎるその内容について、森岡はこう語っている。

「とにかく僕、海外に出たくてしょうがないんです。でも、これまでのシーンの盲点をつく隙間産業的やり方では世界に出るのも限度がある。これまでのものをブチ壊すところから始めないと後世に残るものは作り得ないなと。今回あえてこれをやったのは、ある意味ファンをふるいにかけなくてはならないかなというのがあったから。それをしないと自分たちの先は長くないかなと」(ソニー・マガジンズ刊「GB」1992年12月号「MILLION MIRRORS」リリースインタビューより)

ちなみに、2000年代になって本作についてプライベートな場で森岡さんに話を伺ったとき、「あのアルバムを作ったときのこと、僕全然覚えてないんですよ。気がついたらできあがっていました」と、にこやかに語られていたことを思い出す。燃え上がる表現欲求のために己をトランス状態に置き、知識として知っている音楽を組み合わせて曲を作る職業作家的手法に決別し、芸術家として自らに降ってくるものだけを信じることにした結果なのだろう。

93年11月26日、5thアルバム「INCUBATE」発売。前作で周囲を気にせずやりたいことをやった反動か、ポップな森岡曲が帰ってきている。自分の中から出てくるものをそのまま素直に曲に込める姿勢は前作同様だが、周りの人間の意見をなるべく聞きながらやっていこうとし、アルバムのリード曲でシングル曲の「WHITE SHAMAN」はレコーディングスタジオでスタッフが見ている中、リアルタイムで歌メロを自ら歌って構築していった。森岡が本来得意とするが故に一時は出しづらかったポップで下世話な作風を解禁した結果、これぞSOFT BALLETのシングル曲、というものになっている。

この頃、藤井と森岡は完全に別のスタジオで作業するようになり、その結果藤井曲はディレクターから「これはソロでやれば?」と言われるほど従来のポップスから遠ざかり、「GENE SETS」では遠藤の声すら入っていない。音階から自由である様子まで自身のバンドの音楽として持ち込むようになり、1枚にムスリムガーゼとDead or Aliveとアンビエントが並列されているようなアルバムになっているが、SOFT BALLETという一貫した美意識に貫かれているためか違和感は驚くほどない。気絶するほど美しい旋律のシングルカット曲「ENGAGING UNIVERSE」は、精子と卵子が受精する瞬間から生命の誕生への祝福を、宇宙の神秘に重ね合わせているかのような歌詞が素晴らしい。祝祭の光に満ちた歌声が真空の銀河に光となって目映く反射する。「愛と平和」の頃の危うい時代の空気を乗り越え、「MILLION MIRRORS」で行き着くところまで行ったSOFT BALLETは、この作品で1つの完成を迎えようとしていた。藤井が最高傑作と言ったのも頷ける。

崩壊の美学の中で輝きを放つ「LAST SONG」

95年4月21日、活動停止前の最後のアルバムとなる6thアルバム「FORM」をリリース。シンセサイザーとドラムマシンの音色を主体に存在していたSOFT BALLETの音像に変化が見られ、ミドルテンポの生ドラムとギターの音色が立つロックバンド的サウンドアプローチの曲が増え、メンバー個々にSOFT BALLETに求めるものが変質してきていることがうかがえる内容となっている。そして、CDリリースツアー初日の東京・NHKホールで解散宣言。遠藤はカラフルな花柄のシャツに固めていないナチュラルな長髪。以前のレザーと金属片で固めた爬虫類スーツと黒っぽいメイクの「ソフトバレエの人」はここにはいない。内から湧き上がる己に素直に、より自然体であろうとする姿に、3人にとって最早SOFT BALLETは足枷でしかないことをファンは理解した。「LAST SONG」の悲しくも美しい歌は、個々の自由がギリギリつなぎ止められている日々への決別が、崩壊の美学の中で輝きを放っている。遠藤の歌の表現力は、バンド結成当初の蒼い泡立つ声ではなく、その発声の技術だけで人の心を震わせることができるレベルに達している。セールスについては解散特需もあって過去最高枚数を記録した。

その後SOFT BALLET は、2002年8月17日の「SUMMER SONIC」出演を機に期間限定で復活し、2003年12月17日の「大団宴」ライブで再び活動を停止するまでに「SYMBIONT」(2002年10月23日)、「MENOPAUSE」(2003年10月29日)と2枚のオリジナルアルバムをリリースした。今回のアナログ再発には2000年代の復活SOFT BALLETの作品は含まれていないが、長年のファンとしてはぜひそちらも復刻をお願いしたいし、森岡賢亡きあと、なんなら遠藤遼一と藤井麻輝の両者が再び同じステージに立つ奇跡なんかも起きてしまうことを、願わずにはいられないのである。

文 / 掟ポルシェ

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