誰よりもアーティストの近くでサウンドと向き合い、アーティストの表現したいことを理解し、それを実現しているエンジニア。そんな音のプロフェッショナルに同業者の中村公輔が話を聞くこの連載。今回はゆらゆら帝国やOGRE YOU ASSHOLE、ギターウルフ、SCOOBIE DO、Borisらを手がける中村宗一郎(PEACE MUSIC)に登場してもらった。数えきれないほどのアーティストの作品を担当するも公式サイトはなく、SNSなどを通じての情報発信もいっさいしない中村宗一郎。商業用スタジオとは一線を画したインディペンデントな活動を行い、マスタリングのみを行うマスタリングエンジニアとしても存在感を放つ彼に、エンジニアになった経緯や仕事のスタンスについて語ってもらった。
スタジオ代が高くて自前でレコーディングを始めた
──アーティストの新譜のプレスリリースがレコード会社から送られてくる際、ほかのエンジニアの方に比べて中村宗一郎さんのお名前を見かけることが多い気がします。
あれねえ、字数を稼ぐのにいいらしいですよ(笑)。「ゆらゆら帝国でおなじみの中村宗一郎(PEACE MUSIC)が手がけた」って書くと、1行くらいスペースが埋まるでしょ。それで売れ行きが変わることはないですよね。
──なるほど(笑)。ではまず、宗一郎さんがエンジニアになった経緯をお聞かせください。最初はサイケデリックロックバンドWhite Heavenでギターを弾いていたんですよね?
そうですね。参加した当初はベースだったんですけど、そのあとギターをやるようになって。それで自分たちで録音するようになりました。
──その流れでご自身でレコーディングスタジオを始めたんでしょうか?
初めてスタジオを構えたのは1990年くらいかな。でもその前、1980年代後半にちょっと使わせてもらってる場所はありました。エンジニアは仕事だと思ってやっていなくて、友達のバンドを順番に録っていってた感じですかね。マーブル・シープの松谷健が立ち上げたCAPTAIN TRIP RECORDSの作品は初期からずっと一緒にやっていました。あとModern Musicという明大前のレコード屋があって、そこの店員さんとかお客さんとかが来てましたね。
──松谷さんからのつながりで、ゆらゆら帝国のレコーディングもやるようになったんでしょうか?
そうそう、「面白いバンドがいるからやろう」と言われて。予算もないから2、3日で録らなきゃいけない感じでしたね。
──その当時からミュージシャンがレコーディングもやる流れはあったんですか?
どうなんですかね? ほかの人のことはわからないけど、スタジオ代がものすごく高かったので、自分たちでやるしかなかったですからね。ちゃんとした機材はもちろん持ってないので、中古で譲ってもらったレコーダーとかミキサーとか、拾って来たようなマイクで「一応、音入るね」とか言いながら録ってました。8trのオープンリールレコーダーとか4trのカセットテレコとかでね。
──もともとそういったレコーディング機材に興味があったんでしょうか?
実家がオーディオとかカーステレオを作っているCLARIONという音響メーカーだったので、機材になじみはあったんですよ。カセットに意味ないことを録音したり、そういう遊びを小、中学生の頃にやってました。多重録音は中学くらいからやっていて。まあ多重録音というか音を重ねていくだけなんですけど、AZDENという会社のスプリングリバーブをつなげてひたすら叩いて、“ピシャーン、ピシャーン”って音を出して、それをまたダビングしていくみたいな。どちらかと言うと、子供の頃のほうが実験音楽をやっていましたね(笑)。なのでノイズミュージックが違うジャンルって感じがしなかった。もちろん彼らは僕みたいに遊びじゃなくて本気でやってますけど。
依頼が来なくなったら別のことをすればいい
──レコーディングスタジオでアシスタント経験がないどころか、演者としてもスタジオでのレコーディング経験がないまま、いきなり自分で録り始めたということなんでしょうか?
そうですね。昔のレコーディングスタジオって敷居が高かったじゃないですか。そういうところに入ろうと思ったことはないし、誰かに習おうと思ったこともないですね。だんだん面倒臭くなって言わなくなったんですけど、「ウチで録ったの聴いたことある? ホントにウチで大丈夫?」って聞いてから録ってました。渡すときも「こんなのでよかったらどうぞ」と言ったり。最近はいちいち確認しないで引き受けるようにしちゃいましたけど。なので“バンドの中で機材が一番わかる人”くらいの立ち位置で、できる範囲でやるってところからスタートしてます。そもそも仕事だと思ってないですからね。録音とかの依頼が来なくなったら別のことをすればいいと思ってるし。
──イチからのスタートだと機材をそろえるのも大変だったと思いますが、最初はミキサーと8trのMTRだけでやっていたのでしょうか?
そうですね。1980年代は、ギターとかでもラックタイプのエフェクターが流行ったじゃないですか。デジタルディレイもリバーブもあったので自分のギターの機材を流用して。あとマニピュレーターもやっていたんですよ。NECのPC-8800シリーズに、Come on Musicという打ち込みソフトでシーケンスを組んだりして。Macがまだ漢字に対応していなかった頃で、漢字Talk 1.0が出てみんな「やったー!」って大喜びしましたね。当時はキヤノン販売が売っていて、Mac Plusが80万くらいしたのかな。それを1980年代中頃にようやく中古で買えて、ソフトはPerformerを使ってました。
──マニピュレーターとしてはどんなアーティストを手がけていたんですか?
THE COLLECTORSやデビルスをやっていました。ちょうどサンプラーのROLAND S-550とかAKAI PROFESSIONAL S-900とかが出た頃で、それでサンプリングしてライブラリーを作ってレコーディングの手伝いをしたり、ライブ会場で音を出したりしていました。日清パワーステーションがまだあった頃ですね。
レコーディングって意外と面白いと最近気付いた
──宗一郎さんにはギタリストが手持ちのエフェクターを駆使するイメージがありました。でもこうしてスタジオにお邪魔してみると、意外にレコーディング用の機材がたくさんあるなと驚いているんですが……。
実は去年ミキサーが壊れたんですよ。煙がボワーンって出て、もう直らないと言われて慌てて買いそろえただけなんです。仕方なく導入したという。そしたらね、ミキサーが直っちゃったんですよ。なのでまた元に戻そうかとも思っています(笑)。でも、今までミキサーのヘッドアンプしか使ってなかったんですけど、こういうのを使い始めたら物欲がグッと湧いてきちゃって。「みんなこうやってレコーディングしてるのか」ということがわかって、レコーディングって意外と面白いんだなって最近になって思い始めてるんですよ。
──ギター用のエフェクターを大量に所有していると噂に聞きますが。
上の階の倉庫に置いてあります。ファズはいっぱいありますけど、集めるだけですね。買えば納得するというか。集める基準が音ではなくて、大きさとか形とかなんですよ。買ってから1回も鳴らしてないものもあります。しばらく忘れていて、「何が入ってるのかなこれ?」って箱を開けてみて、自分でびっくりすることもありますね。でも僕の欲しいようなものは、ビンテージ好きでも知ってる人がほとんどいなくて、「ついに手に入った!」って言っても喜んでくれる人が数人しかいないんですよ(笑)。
──そのようなマニアックなギターのエフェクターを大量に駆使して、出音から変えていくレコーディングのやり方を想像しているのですが、実際はどうなんでしょうか?
だいたいのバンドは予算も時間もないので、実験している場合じゃないんですね。ババッと仕上げなきゃいけないので。「これどう?」って提案するより、自分たちが持ってるエフェクターでやってもらったほうが早いし、そうやらざるを得ない。エフェクターをいろいろ試しながらやったのは、石原洋(The Stars)、ゆらゆら帝国、坂本慎太郎、OGRE YOU ASSHOLEとかですかね。あと渚にてのレコーディングでも、いろいろ使ってますね。彼らはビンテージのエフェクターを使っているし、アナログ録音にこだわっています。ただ、誰でも彼でもビンテージを使えばいいかと言うと、そうでもないと思うんですよ。「この音に合うエフェクターなんかないですか?」って聞かれたら「じゃあこれ使ってみたら?」と言うことはたまにはありますけど、それは新しいものかもしれないし。
──なるほど。
ビンテージものはいざ使おうと思うと壊れてたりするので、メンテナンスが大変ですよね。100台とか200台とか直している間に、1個目がまた壊れてるみたいな。あと、アナログものって、そのときはいい音がしたと思っても、次に使うと違う音だったりするじゃないですか。毎回同じ音とは限らない。釣りみたいなもんですよね。同じポイントで竿を同じようにセッティングしてるけど、今日は釣れないなみたいな。
100万も200万もする機材は買えない
──レコーディング用のビンテージ機材にはまったく興味はないんでしょうか? いくつかスタジオにも置いてありますが。
これはあるミュージシャンが貸してくれてる私物なんですよ。このALTEC 1567A(※マイクプリ / ミキサー)とかいい音がするんですよね。ドーンって音がしてすごいなと思うけど、だから何にでもいいわけでもないというか、それが曲に合うかどうかはまた別。あと高いですよね。10万でレコーディングをやってくれと言われてるのに、100万も200万もする機材なんか買ってられないって話で。
──確かにコンデンサーマイクがNEUMANN U87とSONY C-38B、ダイナミックマイクがSHURE SM57と58など、ほかの機材はベーシックなものばかりですね。それでPEACE MUSICサウンドとでも言うべきあの音ができるのが不思議です。
真空管マイクはもう大変だし、いらないかなって。前に「NEUMANN U67のいいやつがあるから買わない?」って薦められたんですけど、値段を聞いたら100万って言われて、イヤイヤイヤイヤって(笑)。何年か前に韓国のスタジオに手伝いに行ったとき、TELEFUNKEN ELA M251があると言うから使ってみたんだけど、ものすごく音像がでかくてなんか違うなあと思って、結局SM58で録ってもらいました。58はいいですね。何に使ってもバッチリですね。
──SM58の中でも、こちらに置いてあるのはすべてMade In U.S.A.の頃のビンテージですよね。今はプレミアがついて、1本3、4万はすると思います。
え、そうなの? じゃあ売ろうかな(笑)。
中村宗一郎
ゆらゆら帝国、坂本慎太郎、OGRE YOU ASSHOLE、SCOOBIE DO、ギターウルフ、Boris、柴山“菊”俊之(サンハウス)、LAUGHIN’ NOSE、川本真琴、中原昌也、つしまみれ、空気公団、山本精一、チャン・ギハと顔たち、キノコホテル、シャムキャッツ、GEZAN、THE NOVEMBERS、キイチビール&ザ・ホーリーティッツ、カネコアヤノ、Homecomings、Wienners、ヒトリエなどの録音またはマスタリングを担当。またSHEENA & THE ROKKETS、村八分、山口冨士夫、YB02、ムーンライダーズら無数のアーティストのアーカイブ作品を手がけるエンジニア。東京・多摩地区に自身のスタジオPEACE MUSICを構える。
中村公輔
1999年にNeinaのメンバーとしてドイツMile Plateauxよりデビュー。自身のソロプロジェクト・KangarooPawのアルバム制作をきっかけに宅録をするようになる。2013年にはthe HIATUSのツアーにマニピュレーターとして参加。エンジニアとして携わったアーティストは入江陽、折坂悠太、Taiko Super Kicks、TAMTAM、ツチヤニボンド、本日休演、ルルルルズなど。音楽ライターとしても活動しており、著作に「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」がある。
取材・文 / 中村公輔 撮影 / 塚原孝顕