友川カズキのドキュメンタリー映画「どこへ出しても恥かしい人」が2月1日から東京・新宿K's cinemaほか全国の映画館で順次公開される。
20年以上に渡って競輪にのめり込み、撮影当時大学生だった四男を競輪場に連れ出して指南したり、「競輪が病気なら、生涯、治らないでほしい」と豪語するほど熱中している友川。基本的に大穴狙いで、競輪仲間にはめったに当たらないと言われている彼だが、それでも1日の大半の時間を競輪場に出向くか、あるいは家でのレース予想に割いている。
佐々木育野が監督を務めた「どこへ出しても恥かしい人」は友川と競輪の関わりに密着した作品。友川が自室のテレビの前や競輪場で車券を握りしめて叫ぶ姿、近所の公園の噴水で水浴びをする姿、絵画の制作風景やライブの様子などをカメラで追っている。この映画のために石塚俊明(頭脳警察)、永畑雅人(パスカルズ)らと共に車内で演奏したシーンにも注目だ。
佐々木育野 コメント
初めて友川カズキのライブを観たとき、まるでグリコ森永事件の犯人のようだと思った。そんな友川さんにグリコ森永事件のナビゲートを依頼したのが始まりだった。結局、その企画はなくなり、友川さん自身のドキュメンタリーを撮ることになった。
撮影は難航した。友川さんは自分の世界にひきこもるアナグマのように見えた。友川さんをそこから引きずり出そうとしたが、友川さんのギラッとした眼で見返されると、臆病な僕は怖気づき、軽く怒らせるぐらいが関の山だった。有能なスタッフに恵まれながら、素材をうまくまとめられず、ただただ自分に絶望していた。この素材と鬱が僕の中で混ざり合い、もはや鬱そのものであった。この素材のせいで、僕はこの10年間一歩も進めなかった。
そんな折、友川さんが大阪に来ていることを知り、ライブを見ることにした。この映画のことをすっかり忘れながらも、何も変わらない友川さんの姿を見て、
「あ、進歩ってしなくてもいいんだ」
と気づいた。
進むのはやめた。人生を遊ぼう。
人生はかるい悲劇だ。
都築響一 コメント
三上寛をはじめ、当時からいまも活動を続けるフォーク・シンガーは何人もいます。でも自分より40歳、50歳年下の若い層から寄せられる共感度、共振度においては、友川さんが抜きん出た存在でしょう。映像に捉えられたライブのフロアからも、友川さんを献身的に支えるスタッフたちを見てもそれが伝わってきます。
それは、おのれが抱える「ずれ」を世間に、時代にあわせることをしない、むしろ「ずれ」を糧に冷ややかな世界に立ち向かい続ける、その生の強度にだれしもが感応するからでしょうか。老いたもの、若すぎたもの、なにかを忘れ、失い、傷ついたものたちすべてにとっての止血剤として。