新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で死去した志村けん。熱心な音楽ファンとして知られる彼は、お笑いを通して日本のお茶の間にファンキーなソウルミュージックを届けていた。この記事では志村のお笑いについて音楽的に分析し、彼がなぜソウルミュージックと共振したのかなどを紐解いていく。
文 / imdkm イラスト / Terry Johnson
志村と音楽の関係
2020年3月29日、志村けんが亡くなった。ザ・ドリフターズのメンバーとして、1人のコメディアンとして、長らく人気を博してきた志村の訃報は世間に大きな動揺を引き起こした。メディアやSNSでは、志村の業績を(その功罪両面から)振り返る声が上がった。
中でも改めて注目を集めたのは、志村と音楽の関係である。これはすでに多くの場で語り草になってきたトピックでもあって、輪島裕介「踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽」(NHK出版新書、2015年)や矢野利裕「コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史」(ele-king books、2019年)といった日本の大衆音楽史を追った著作では、バンドとしてのドリフにとどまらず、志村けん個人に相応の紙幅が割かれている(両者とも、没後に追悼文をWeb上に発表しており、どちらも一読をお勧めする。矢野は自身のブログ上、輪島はNHKの書評サイト内)。ほかにもWebで手軽に読めるものとしては、SAPPORO POSSEによる「志村けん ~日本にファンク・ウィルスをばら撒いた男~」であるとか、TBSラジオ「ジェーン・スー生活は踊る」内での高橋芳朗による志村けん特集の公式書き起こしもわかりやすい。
本稿もまた、上記のような「志村けんと音楽」を論じるテクストの1つになるだろう。しかし、その密接な関係性よりは、むしろ“距離”のほうにフォーカスを当てることにする。
志村がソウルミュージックと共振する理由
注意しておきたいことは、当然ながら志村もソウル一筋だったわけではないということだ。志村のインタビューやエッセイを紐解くと、その原点は第一にThe Beatlesだった。次いで、よりヘビーなハードロックを好んで聴くようになる。ソウルに傾倒するようになるのは、ドリフの付き人を始める頃からだ。
例えばエッセイ集「変なおじさん」ではこんなふうに述懐している。
僕は、もともとビートルズから音楽に興味を持って、そのあとサンタナとかのハードロックにいったけど、ドリフの付き人時代からソウルが好きになった。
で、ソウルがますます好きになったのは、ドリフに入って新宿のディスコで黒人バンドの演奏を聴いてからだ。ずっとワンコードで同じリズムを刻むのが、とても気持ちよくて、ハマった。
(「変なおじさん 完全版」、新潮社、2002年、P155-156)
この体験はよほど鮮烈だったようで、1988年に行われた田代まさしとの対談では事細かな証言が読める。「ドリフに入って2年目ぐらい」(「ギターブックGB別冊 ゲロンパッ!」、CBS・ソニー出版、1988年、P119)のことだと言っているから、1975年頃だろう。
しかし、生の迫力、ライブに触れるという経験で興味深いのは、前掲の対談でソウルミュージックのショーについて述べている箇所だ。
志村 結局、ソウルのショーって構成が楽しいんだよ。ロックのショーってたいしたことないじゃない? 曲と曲の間もほとんど黙ーってるだけだったり。でも、ソウルのショーの場合、飽きさせない。踊りが入ったり、コミカルなやりとりが入ったり。けっこうちゃんとショーとして構成されてる。そっちのほうがすごいよね。ロックも嫌いじゃないけど、コンサート行くと飽きちゃうもんな。
(同P118)
何よりショーとして構成が練られていること。シリアスな鑑賞やあるいは没入ではなく、エンタテインメントとして楽しめること。志村のソウルミュージック志向は、レコードに記録されたサウンドのみならず、こうしたソウルミュージックのあり方と共振していると見るべきではないか。この点は、前掲の輪島による追悼文で展開されている議論にも通ずるものだろう(そこでは志村の芸が持つ下世話さ、あるいはセクシュアルで女性蔑視的な表現についても整理され、現代の北米~中南米におけるダンス音楽が持つ問題系とパラレルに論じられている)。
志村がブレイクするきっかけになった「東村山音頭」は、ご当地音頭が「イッチョメイッチョメ、ワーオ!」というナンセンスなシャウトに転じるギャグだ。このネタが1976年にレコード化された際、まさにこうしたショーのようなステージを幻視させる演出が施されたのは、どうも象徴的に思える。
志村の音楽への愛がシリアスだったことに疑いはないが、ドリフとしての、1人のコメディアンとしての“音楽性”はむしろ不純である。次節でそのあたりをもうちょっと具体的に論じる。
キャラクターの身体と叫び
志村の芸はときに過剰である。代表的なキャラクターたちは、バカ殿であれ変なおじさんであれひとみばあさんであれ、強烈なメイクをまとってクセのある言動を繰り返す。このように誇張された身振りや声色は、画面の中にコント的な空間を仮構し、パーソナリティが醸し出すリアルさではなく、演じられるキャラクターの中にこそリアルを生じせしめる。
レコードの中でも志村の存在感は過剰である。例えば、ドリフのソウル / ファンク化の嚆矢として挙げられることの多い「ドリフのバイのバイのバイ」(1976年)。
16ビートの軽快なグルーヴにカッティングギター、流れるようなベース、華やかなホーン。ヴァン・マッコイの「The Hustle」を下敷きにしたと思しき掛け声。ここで執拗に繰り返される志村のシャウトは、その語彙からして明らかにソウルやファンク、というかジェームス・ブラウンを参考にしている(前掲のSAPPRO POSSEによる記事も参照されたい)。しかし、パーカッションのようにビートに鋭く差し込まれ、演奏全体を律するかのようなJB的なシャウトとは違って、志村のシャウトはむしろ楽曲のスムースな進行に水を差す。
ここで志村のシャウトは、楽曲が楽曲たりえる一貫性を破壊する寸前まで達する。例えレコードの中であっても志村は優れたコメディアンであり、キャラクターの身体を音楽に対峙させているのだ。それは矢野が「コミックソングがJ-POPを作った」で取り上げるちあきなおみのパロディネタにも見いだせる。志村は自身のコント番組で、もとよりクセの強いちあきなおみによる「夜へ急ぐ人」(1977年)のパフォーマンスを、強烈さを上塗りするかのように滑稽なパフォーマンスへと転化してみせた。そこではちあきの鬼気迫る歌唱やジェスチャーは換骨奪胎され、笑いに昇華されていた(ちなみに、同書の該当箇所は、先に挙げた矢野のブログ記事にまるごと転載されている)。特徴的なパフォーマンスを徹底的に誇張し尽くすことで、もとのパフォーマンスが持っていたおかしさを、音楽を度外視するかのように抽出する。それは志村のコント的身体の賜である。
音楽を題材に取った、もしくは音楽を取り入れたネタ、今風に言えば歌ネタやリズムネタなどは古くから広く親しまれてきたが、ここまで検討してきたような志村のシャウトに類するようなものとしてぱっと思い浮かぶのは、オリエンタルラジオの2人が結成したユニット、RADIO FISHだ。
RADIO FISHのもっとも知られたネタは「PERFECT HUMAN」(2015年)だろう。
EDM調のサウンドの中、楽曲の大半でメインのボーカルを担うのは藤森慎吾。しかし、ここぞというドロップにさしかかると、中田敦彦が低く渋みのある“やたらいい声”で「I'm a perfect human.」と言い放つ。この声のよさは、楽曲の展開にほとんど関係なく、ただ中田敦彦のキャラクターを圧倒的な存在感で示す。いかにも謎めいた視覚的・テクスト的なキャラクター造形と同じくらいこの声の存在感は強力だ。
あるいはw-inds.とコラボレーションした「Stepping on the fire feat. w-inds.」(2018年)は、いわば自己紹介ソング的で歌詞もネタの一環であった「PERFECT HUMAN」とは異なり、ことさら笑いを取りにいこうという楽曲ではなさそうに思える。しかし、この曲がおかしみを生むとすれば、それはまさしく、ご丁寧にビートの休符に挿入された中田の“やたらいい声”である。
“いい声”だから面白いというのは、それが音楽のピースであることから逸脱している、ということにほかならない。
以上、本稿では志村の音楽嗜好をエッセイや発言からたどり、“ソウルを愛好するコメディアン”像のいくぶんかの相対化を試みた。次いで、ドリフ時代のレコードやステージでのギャグを取り上げて、音楽から逸脱するキャラクター的身体について、特に声の観点から論じた。そこでRADIO FISHを持ち出してくるのはやや意外と思われそうだが、音楽の中に立ち顕れる余剰としてのキャラクター――キャラクターが歌うのではなく、声自体がすでにキャラクターである――を考えるにはよい比較対象であったろう。
志村と音楽、あるいはお笑い一般と音楽の関係性は、常に寄り添い続けるものとは限らない。ときに互いを食い合いながら拮抗することもまた、音楽と笑いが重なり合う領域独特の快楽なのである。
※記事初出時、一部人物名に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。