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西寺郷太のPOP FOCUS 第14回 BUCK-TICK「ICONOCLASM」

約4年前2020年10月29日 10:04

西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者としてさまざまなメディアで活躍する西寺が私論も展開しながら、愛するポップソングについて伝えていく。

第14回では西寺が高校時代に熱中していたというロックバンド・BUCK-TICKにフォーカス。BUCK-TICKにまつわる思い出を振り返りながら、1989年に発売されたアルバム「TABOO」の1曲目を飾る「ICONOCLASM」の魅力を掘り下げる。

文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ

BUCK-TICKとU2は似ている

高校時代(1989~1991年)、当時大流行していたいわゆる“バンドブーム”の中で、僕が一番ハマった日本のバンドはBUCK-TICKです。その理由はなぜか?という部分を含めて今回も自分なりに考察してみたいと思います。

BUCK-TICKの歴史を調べると大抵の場合、「1984年3月、前身の5人組バンド・非難GO-GOを結成」とまず記されています。バンド名は、ギタリストでメインコンポーザーの今井寿さんが付けられたようです。次の重大トピックとしては「当初ボーカルだったメンバーが抜けて、ドラムスだった櫻井敦司が志願しボーカルに転向」と続きます……。日本のロックバンド史上でもっとも容姿端麗かつ存在感があるシンガーの1人、櫻井さんが当初ドラマーだったと知ったときは、ご多分にもれず僕も驚いたものです。その頃、彼らの同郷群馬県の、それも同じ藤岡高校出身の先輩であるBOOWYの氷室京介さんが「お前、顔がいいからボーカルやったほうがいいよ」と櫻井さんに向かってアドバイスしたこともあるそうで。ただこれは、ルックスはもちろん櫻井さんが放つカリスマ性やオーラも含めた氷室さんの言葉だったと思いますが。

櫻井さんがボーカルになる、そのタイミングでベース・樋口豊さんの兄であるヤガミ・トールさん(前橋育英高校出身)が正式ドラマーとして加入しました。1985年冬にBUCK-TICKのオリジナルメンバー5人が固まってからは、デビュー以来現在に至るまで35年間一度もメンバーチェンジなし。メジャーな存在感をキープしつつ、常に新しい実験を繰り返し、制作ペースを落とすことなくコンスタントに作品を発表したうえで、ご本人たちも楽しみながらバンドをローリングさせているという稀有な存在として君臨しています。

今も普通に、メンバー5人で居酒屋を探して飲むというメンバーの仲のよさは、海外で言えば、メンバー同士がプライベートも家族旅行などで一緒に過ごすU2を想起させます。U2もアイルランドの首都・ダブリン、マウントテンプル高校の掲示板にドラムスのラリー・マレン・ジュニアがメンバー募集の張り紙を出したことがきっかけで集まった地元の仲間同士。ただ個人的には単純に同郷ゆえの信頼関係の深さだけでなく、リズム革新への興味と実践に関してもこの2つのバンドは似ていると思っていて。今年9月21日にリリースされたばかりのBUCK-TICKのニューアルバム「ABRACADABRA」を何度も聴きながらこの文章を書いていますが、90年代初頭のU2「Achtung Baby」「Zooropa」的なダンサブルなムードを感じるんですよね。90年代のヒットチャートではヒップホップやダンスミュージックが主流となり、デジタル化、サンプリングが多用されてゆきます。その中で生演奏のロックバンドのグルーヴ探求は、メンバー間の感覚の差によって軋轢が生まれる結果となり、多くのバンドが解散や脱退のピンチに陥りました。普通に考えたら、優秀なドラマーは自分自身のリズムで気持ちよく叩きたいわけです。でも作曲者であるボーカリストやギタリストは新技術であるデジタル的リズム解釈を試したくなるもの。その意味で、U2とBUCK-TICKはドラマー自身も意識的にプログラミングとの有機的な共存を選べたから生き残れたバンドだった、そんなふうに思えます。

なぜ、BUCK-TICKは価値観の変化が著しかった80年代から90年代をバンドとしてサバイブできたのか?という問いに対するもう1つの答えは、先ほどの視点とある意味同じなんですが、絶対的フロントマンの櫻井さんが短い間にせよ、元ドラマーだった事実からも読み取れるかと。そもそもリズムに対する興味があったから、ドラムという楽器を最初に選んだわけで、その軸が“櫻井敦司”というボーカリストの根本にあることは大きい。リズム重視の姿勢とタイムレスなソングライティング能力こそが、生き残るバンドの秘密。仲がいいバンドは、ほかにもたくさんいたはずです。でも、実は大切なのは“メンバー間のリズム解釈の一致”なんですよね。時代を越えられるかどうかの差はそこにある。

天才的な音が鳴ってる

僕がBUCK-TICKを最初に聴いたのは、中学時代に友達が貸してくれた「HURRY UP MODE」というインディでの1stアルバムでした。1曲目の「PROLOGUE」を聴いたときに「プリンスみたい」と思ったんですよね。「あれ? いきなり天才的な音が鳴ってる」って。この感覚は日本のバンドで初めてでした。タイトル曲の「HURRY UP MODE」もアフロビートから展開するサビの美しいメロディ、エスニックな歌謡感もある摩訶不思議な名曲。87年のメジャーデビューアルバム「SEXUAL ×××××!」の1曲目「EMPTY GIRL」も勢いがあってカッコいい。逆立てた髪や、クールかつ派手なビジュアルに目が行きがちですが、心から音楽が好きでバンド活動をしているという印象が伝わってきました。当時すでに作曲家を目指していた僕は、特に今井さんの紡ぐメロディやコードの奇想天外で予測を裏切る気持ち悪さと、癖になる心地よさを完全に同居させる天才性に痺れました。そのうえで、めちゃくちゃキャッチーなんです。

髪を派手に逆立たせ、今井さんの頬には「B-T」の文字、今でいう炎上商法的な過激なビジュアルイメージで登場したBUCK-TICKでしたが、早い段階で80年代ロックバンドが基本としたスピード感のある8ビートの“縦ノリ文化”からいとも簡単に脱却しています。高校卒業前に組んだバンド、という意味ではスタートも遅く、そのわりに楽器を持って2年後にデビューというスピード出世ゆえ、確かに当初は歌唱、演奏面に不安定さも感じられました。ただデビューからの数年で武者修行のような連続リリースとライブで、もともとポテンシャルのあったバンドはどんどん覚醒してゆきます。個人的には87年の「HURRY UP MODE」から、89年の「TABOO」、90年の「悪の華」、91年の「狂った太陽」あたりまでは、特に夢中になって聴いていました。

思い出深い曲だらけ

今回、テーマに選んだ「ICONOCLASM」はアルバム「TABOO」の1曲目。「TABOO」はイギリス・ロンドンで1カ月かけて制作されたこともあり、それまでのアルバムと一線を画すパワフルでスピード感のあるサウンドが特徴のアルバムです。「ICONOCLASM」を初めて聴いたとき、感動で震えましたね。今聴いても、曲がスタートしてからベースがずっと同じラインを繰り返しているという日本のロックバンドにほぼないストイックなグルーヴがカッコよすぎて。「さすが、兄弟!」というウネリを生み出す樋口さんのベースとヤガミさんによる鉄壁のリズムセクション。今井さんと星野英彦さんによる縦横無尽なギター2本の絡み、リフとカッティングのコントラストも素晴らしい。

89年の「TABOO」に収録された完璧な「ICONOCLASM」が、3年後の92年にリリースされた「殺シノ調ベ This is NOT Greatest Hits」において、“デジタル的90年代解釈”でリメイクされたときのガッカリ感は正直ありました。もとのバージョンがいい、と。ただそれが“必要な試練”だったことは、現在までバンドが続いていることで証明されています。この3年でBUCK-TICKは完全に視点を未来へと変えていたんですね。「殺シノ調ベ This is NOT Greatest Hits」というタイトルで彼らが何を“殺した”のか、というと“80年代に作り上げたバンドのイメージ、リズム解釈”だったのだと思います。今聴くと92年版「ICONOCLASM」もめちゃくちゃクール。特に攻撃的ながら、よりユーモラスに変化した櫻井さんのボーカル、僕自身当時理解できなかったその感覚こそが、90年代以降もBUCK-TICKがサバイブできた理由を象徴している気がします。ちなみに今回のテーマを決めるとき、選曲で悩んだのは「悪の華」に収録されている、予測不能の展開が続く“メロディの展示会”のような「NATIONAL MEDIA BOYS」、アラビア的旋律が和製「黒くぬれ!(Paint It,Black)」(The Rolling Stones)とも言える「幻の都」、トンネルの中のようなエフェクトの渦の中、究極のポップネスが鳴り響く「LOVE ME」。「狂った太陽」からはシングル「スピード」、テクノポップ的な「MAD」か、「JUPITER」。いい曲、思い出深い曲だらけで選べないです。「JUPITER」はBUCK-TICKの代表曲の1つで、メンバーの中でもメロディックな曲を作る星野さんが作曲をされています。

ヤガミモデルのスネアドラム

実は僕が愛用しているスネアドラムは、ヤガミさんのモデルなんですよ。10年ぐらい前に「スネアが欲しい」と僕がNONA REEVESのドラムの小松シゲルにセレクトを頼んだら、彼がかなりの数のスネアを試奏した中で、グレッチの“ヤガミ・トール・シグネイチャーモデル”を僕のために選んでくれたんです。「いい音してる」と。今年リリースした2ndソロアルバム「Funkvision」ではすべての生ドラムを僕が叩いてるんですが、僕は1つしかスネア持ってないんで全曲“ヤガミ・トール・モデル”のサウンドです。

メンバーの皆さんとは北海道のフェス「JOIN ALIVE」で一度ご一緒させていただきました。同じケータリングスペースにいらしたので恐るおそる挨拶した記憶があります。初めて5人がそろった姿を見た感動はすごかったですね。今はストリーミングサービスで手軽に彼らのオールキャリアの音楽を聴くことができるし、若い人でもハマる人は多いんじゃないしょうか。ロックバンドというフォーマットに逆風が吹いている時代などとも言われますが、もともと貪欲に多彩な音楽性を吸収したうえで、さまざまな淘汰の波を勝ち残ったBUCK-TICKは無敵の存在なんだと新作を聴いて感じています。この連載を続けていて改めて思いますが、結局はジャンルやサウンドに関係なく完成した楽曲のクオリティと志の高さがすべて。普遍的で個性的でありながら、いつの時代もモダンなリズムを奏でるバンド、それがBUCK-TICKなんだと改めて尊敬の念を深くしました。

※「BOOWY」の2つ目のOはストローク符号付きが正式表記。

西寺郷太(ニシデラゴウタ)

1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。7月には2ndソロアルバム「Funkvision」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などさまざまなメディアに出演している。

しまおまほ

1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」「スーベニア」といった著作を発表。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。

※記事初出時、本文に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。

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