「空耳アワー」は、テレビ朝日系バラエティ番組「タモリ倶楽部」内で29年にわたって放送されている名物コーナー。外国語で歌われている曲なのに日本語のように聞こえる“空耳”ネタを視聴者から募集し、採用された投稿者には司会のタモリから手ぬぐい、耳掻き、Tシャツ、ジャンパーといった賞品が贈呈される。そんな「空耳アワー」を徹底的に研究し、膨大なデータをまとめた同人誌「空耳アワー辞典」を制作している、空耳アワー研究所というサークルがある。
一般的な音楽ファンとは異ったアプローチで音楽を味わっている人々に話を聞き、これまであまり目を向けられていなかった多様な楽しみ方を探る本連載。第2回はこの空耳アワー研究所の所長・川原田剛氏に取材を行い、空耳とともに生きたその半生や、2019年に亡くなった有名な空耳投稿者・高橋力氏との思い出など、さまざまなことを語ってもらった。
取材・文 / 橋本尚平 写真提供 / 川原田剛氏
「今度こそコンプできるぞ!」がすべての始まり
母親がたくさんのレコードを所有していたことから、物心付いたときから洋楽を聴く環境にあったという川原田氏。小学校の頃にマイケル・ジャクソンのアルバム「Thriller」を気に入って何度も聴き、その歌詞が「鼻の穴」や「あー、臭っさ!」などに聞こえるのを面白がっていたのが、氏にとって初めての空耳体験だった。「空耳アワー」の放送が始まる10年も前のことだ。
小学6年生のときに、たまたま耳にしたFMラジオの洋楽番組「ポピュラーリクエストアワー」で、リスナーから「この曲がこういうふうに聞こえる」というネタを募集するコーナーが放送されているのを川原田氏は知る。それまで自分の中だけで楽しんでいた遊びがラジオのコーナーになっていたことに川原田氏は興奮。以降、そのコーナーで紹介されたネタをメモするようになったのだが、偶然知って途中から聴き始めた番組だったためそれ以前のネタを知る手段がなく、コンプリートできないことに悔しさも感じていたという。
そして1992年、それ以前から観ていた「タモリ倶楽部」で新コーナーとして「空耳アワー」がスタートした。幸運にも第1回から番組を観ていた川原田氏は「今度こそコンプできるぞ!」と喜び、オンエアされたアーティスト名と曲名、空耳の内容をルーズリーフに記録し始める。まさかこの習慣が、その後30年近く続くことになるとは思わずに……。
CDを聴きながらルーズリーフをめくる日々が数年経ってから、川原田氏はバイト先の友人から「コミケには『評論・情報』というジャンルがある」という話を聞く。それまでコミケについて“コミックの祭典”というイメージから自分とは無縁のものだと思っていた川原田氏だったが、「自分が今まで書いてきたものはデータベースだし、評論といえば評論だな」と気付き、コミケにブースを出すことを決意。ルーズリーフに書き留めたものをすべてPCで打ち直して製本し、522作品を掲載した76ページの「空耳アワー辞典」初版(当時の名称は「空耳事典」)を完成させた。ちなみにそのバイト仲間も洋楽CDの熱心なコレクターであり、かつ以前からコミケに興味があったということで川原田氏のサークル・空耳アワー研究所に参加。現在も“伊藤研究員”としてデータ調査&校正役でサークルに所属し、川原田氏と2人で「空耳アワー辞典」を制作している。
東京ビッグサイトが会場となって2回目の開催となる1996年12月、空耳アワー研究所は初めてコミケに出展。「5冊くらいしか捌けなかったらどうしよう。こんなの余ったらどうしようもないな」と思いながら刷ったという50冊だったが、蓋を開ければ開場後1時間で頒布が終了してしまい、残り5時間はブースに来る人々にひたすら謝り続けたという。さらに、その50部限定の初版を入手した人の中に雑誌編集者がいたらしく、それが「と学会」の初代会長として知られるSF作家・山本弘の手に渡り、雑誌で「こんな変な本が出た」と紹介されて話題に。個人的に楽しむだけのために書き溜められたデータベースは、こうして広く世に知られることになった。
実物のCDを探す途方もない作業
「空耳アワー辞典」ではすべての項目に「CD TIME」という、曲を再生してから空耳が聞こえるまでの時間が掲載されている。しかし「空耳アワー」の番組内で紹介される情報は、アーティスト名と曲名、空耳、そして該当部分の歌詞のみ。「CD TIME」を調べるためには、番組で流れた曲のCDを入手してすべて聴かなければならない。しかも、オンエアされた空耳が別バージョンや再録バージョン、ライブ音源などでしか聞こえないということもあるため、せっかくCDを入手して聴いてみたのに空耳が入っていなかったということもしばしば。また、リマスターされたことで空耳に聞こえづらくなってしまう例もあるため、テレビで流れたものと同じ音源を探して空耳を確認するのは非常に手間を要する。
「例えばモーツァルトだと、有名な曲は何百枚とCDが出てるんです。演奏する楽団が同じでも指揮者が変わって再録とか。カラヤンが指揮したものだけで何枚もあったりして。演奏が違うと空耳の聞こえ方もちょっと変わるから、何十枚も聴いてテレビで流れてたものを探すという。それがまあまあ大変なんですよね」
「冒頭3秒くらいで発見できる空耳もあるんですけど、10分以上ある曲の終盤に入ってることもあって。しかもちゃんと聴いていないと聴き逃してしまうような短い空耳もあるので、探すときはかなり集中して聴いてます」
大学時代の川原田氏はCD所蔵数の多い近所の図書館に4年間毎日のように入り浸り、CDを借りてはその場で聴き、空耳を探してすぐ返却するという日々を繰り返していた。途方もない作業の末、現在までに集めた空耳は約4000曲。現在、川原田氏は約6000枚、伊藤研究員は数万枚のCDを所有しているが、番組でオンエアされる曲はデスメタルからワールドミュージックまで非常に幅広く、それだけ持っていてもすべての空耳を網羅するにはまったく足りないという。
1曲だけ、どうしても自力で見付けることができなかったのが、2012年2月に放送されたUltramagnetic Mc's「Funky」の空耳だった。「Yo whassup Kool Keith?」が「よぉ おっさん 食う気?」に聞こえるというものだったが、まず流通量が少ないためなかなか入手することができない。やっと現物を手に入れたが、いざ聴いてみたら空耳が入っていない。番組スタッフが曲名を間違えた可能性も疑いつつ引き続き探し続けるが、結局見付けることは叶わなかった。放送から6年後の2018年に川原田氏がTwitterで情報提供を呼びかけると、空耳が聞けるのはオリジナル12inchバージョンのみ(のちにアルバム「Critical Beatdown」の再発盤にもボーナストラックとして同バージョンを収録)だったことが発覚。これにより、川原田氏は現時点までのすべての空耳をコンプリートしたことになった。
サブスク時代になって出てきた、この本の価値
「空耳アワー辞典」は4、5年に1度、新たな空耳を加えて情報を更新した改訂版が制作されているが、その間に廃盤になっていたCDが再発されていた場合、品番はすべて新しいものに更新される。リマスターされた場合、空耳が入っている時間も数秒ズレることがあるので、これについても聴き直してデータに変更がないかを確認している。
またデータをアップデートするのみならず、「空耳だけ覚えているけど、これ誰の曲だっけ?」と頭を悩ませる人が多いという話を聞いたときには、ニーズに応えるべく空耳から曲名を逆引きできる索引も新たに追加。資料性をより高めるために、アーティスト別の採用ランキングといったコンテンツも充実させた。そうやってこれまで長い間、川原田氏は改訂のたびに大変な労力を費やしてきたが、次回以降の改訂版では、Spotifyなどのサブスクリプションサービスに飛ぶためのQRコードを併記することも検討しているそうだ。
「コミケに出し始めた当時、『すごく苦労して作ってるのが伝わるけど、実用性が全然ない』ってすごく言われてたんですよ。CDを何千枚と持ってるような人なら、読みながらCDを聴くという楽しみ方もできるけど、それ以外の人にとっては文字だけ見てもわかりづらいですからね。でもサブスクの登場で、アーティスト名と曲名を入れれば誰でも手軽に空耳を聴けるようになったので、今になってこの本に価値が出てきたのを感じるんです。世の中の技術が、昔は予想もしていなかったような発展をしたことで、『適当に書いてるんじゃなくてちゃんと調べてるんだ』というのをちゃんとわかってもらえるようになりました。やっとですよ(笑)」
そう言ってサブスクリプションサービスの普及に期待を込めつつも、川原田氏は「でも、僕はCDコレクターなんで、やっぱり配信じゃなくてどうしても現物が欲しいんですよね」と笑っていた。
「タモリ倶楽部」は、テレビ朝日以外の多くのローカル局では数週間遅れで放送される、いわゆる“遅れネット”の番組。記録のためには毎週欠かさず番組を観なければいけないが、川原田氏は東海地方在住のため、地元の選挙速報やローカルの特番といったテレビ局の編成の都合で「タモリ倶楽部」の放送が飛ぶこともままあるという。そんなときは、氏は関東在住の空耳友達から情報提供してもらうことでデータを補完している。
早世した「空耳アワー」常連投稿者・高橋力氏との思い出
川原田氏はネタを記録するだけに留まらず、自らも「空耳アワー」にこれまで数十枚のネタハガキを送ってきたという。番組で採用された空耳は2本。そのうち1本は1993年に放送されたイタリア産ユーロビートの空耳だったが、タモリはこの曲調が気に入らなかったらしく、「お前には何もやんねえよ」と毒突いて賞品の進呈を拒否し、投稿ハガキを投げ捨ててしまった。当時のことを川原田氏は「あの日は夏のロケで、暑い中で移動してたのに渋滞に巻き込まれたとかで、コーナーが始まったときからタモリさんはダルそうな雰囲気だったんです。でも『賞品なし』っていうのはあんまり例がないんですよ。忘れられることはたまにあるんですけど、『何もやんねえ』と明言されたのを観たのは初めてだったので、レアだなって思いました」とうれしそうに振り返る。
ちなみに2回目に投稿が採用されたのは1994年で、このときは手ぬぐいを獲得。この手ぬぐいは今も川原田氏の自宅にある。
「空耳が聞こえるアーティストって、それ以外の部分でも日本語みたいな歌い方をしてることが多いので、辞典を作る過程で何回も聴いてると、その前後でも空耳に気付くことがあるんです」と説明する川原田氏。辞典を編集しつつ、その副産物としてネタを見付けては書き溜めてきたという氏のメモには、まだ投稿していない空耳が現状100個くらいあるという。
「さあ今から探すぞ!と思いながら音楽を聴くことはないですね。まあ、高橋力は毎日そういうことをしてたみたいですが(笑)」
この高橋力氏というのは、採用数の多さから番組ファンの間では有名な「空耳アワー」常連投稿者。「一日一空耳」を座右の銘として大量のハガキを番組に送り、2004年放送の「空耳アワード」では彼の自宅を訪問する特別企画もオンエアされた。高橋氏は2019年10月1日に46歳という若さで惜しくもこの世を去ってしまったのだが、そのことが広く知られるきっかけになったのは川原田氏のツイートだった。
川原田氏と高橋氏の出会いは、かつてコミケで空耳アワー研究所のスペースに高橋氏が突然現れたことがきっかけ。好きな音楽ジャンルが80sポップス、好きなマンガ家が植田まさし、しかも同い年と共通点の多い2人は意気投合し、初対面ながら高橋氏はその日、サークルの打ち上げにも参加したという。それ以来、高橋氏は夏と冬のコミケで売り子として店頭に立っていた。番組で何度も採用され何十枚もの手ぬぐいを持っていた高橋氏は、それらを縫い合わせて浴衣を作り、コミケ会場で着ていたことも。そのうち高橋氏目当てで空耳アワー研究所に訪れるファンが増え始め、ブース前はさながら握手会のような状態になっていた。
高橋氏の人となりについて川原田氏は「礼儀正しくて気遣いもでき、何よりも『空耳アワー』に対する情熱がすさまじかった」と回想。故人の生前を振り返って「例えば“富士山”という言葉が含まれてる空耳を見付けたときには、わざわざ富士山の山頂に登って、そこのポストから投稿するんですよ。『富士山山頂から投稿してみました』なんてハガキに書いて。そこまでする人はほかに聞いたことがなかったですね」といったエピソードを話してくれた。
空耳投稿者としての高橋氏のすごいところは、単に投稿枚数が多いというだけでなく、有名な曲の中から空耳を見付け出すことだったという。
「ワールドミュージックのようなニッチな音楽から空耳を探すほうが競争率が低いと思うんですが、彼の場合、洋楽に興味がある人なら何度でも聴いたことがあるような曲から、今まで誰も気付かなかった空耳を見付けるんです。もう1滴も出ないくらい絞りきった雑巾から、さらに絞り出すような技術ですよね」
高橋氏が投稿した数々の空耳の中でも、代表作は2003年5月に放送されたボニー・タイラー「ヒーロー(原題:Holding Out for a Hero)」の空耳「兄が疲労 アホに殴るヒロちゃんに遠慮がない」だろう。この曲はアメリカ映画「フットルース」の挿入歌であり、日本では麻倉未稀による日本語カバーがドラマ「スクール☆ウォーズ ~泣き虫先生の7年戦争~」の主題歌になったことでも知られている。発売から37年が経った今も、頻繁に耳にする機会があるヒット曲だ。
川原田氏はこの曲がテレビ番組などで流れると、いつも5ちゃんねるの実況スレを確認するという。
「必ず2、3人くらいが『兄が疲労』って書き込んでるんですよ。もう20年近く前の空耳なのに。きっともう、それが高橋力の作った空耳だって知らずに書いてる人も多いと思います。作者が亡くなっても作品は生き続ける……作品って言っていいのかわからないですけど、そう思うとうれしくなるんですよね」
ちなみに、川原田氏がTwitterに高橋氏の訃報を載せた際に一緒にアップした写真は、高橋氏が「ヒーロー」の空耳を投稿したハガキを、のちに自ら書き直したもの。「空耳アワー」は以前まで1回の放送で3作品ずつ紹介されていたが、2018年から2作品に減ってしまったので、空耳の盛り上がりが下火になっているのではと感じた2人は「なんとかして投稿者たちを奮い立たせたい」と考え、番組に送っているため手元に現物がなかったこの“伝説のネタ”のハガキを再現することにしたのだ。
誰も途中からはできないから、自分がやるしかない
ここ数年は若い投稿者への世代交代があまりないように感じているという川原田氏だが、空耳自体の需要は今後もなくなることはないだろうと語る。
「ニコニコ動画がオープンした頃、ネットで流行ってる曲の動画を観ると、歌詞を空耳したコメントが弾幕のように流れてたんです。最初のうちは1人ひとりが聞こえた通りの空耳を書き込んでるんですけど、大量に書き込まれると古いコメントはだんだん消えていく仕様なので、何度も書き込まれる“いい空耳”だけが残って、最終的にはものすごく洗練された空耳だらけの曲になるんですよ。かつてラジオのワンコーナーとして始まって、『タモリ倶楽部』で有名になった空耳という遊びが、時代によってフォーマットが変わっても文化として引き継がれているのを感じました。空耳の楽しさは普遍的なものなんだと思います」
番組では長年ハガキでのみ投稿を受け付けていたが、2019年2月よりオフィシャルサイトの応募フォームからの投稿が可能に。また同年9月には「働き方改革に伴う業務の外部委託」として、空耳を見付けた人が映像まで自ら制作して投稿する“動画応募”の受付を開始した。このように近年の「空耳アワー」は、これまでと変わらない魅力を残しつつも、時代の流れに合わせて少しずつスタイルを変えようとしているように見える。しかし新型コロナウイルスの感染拡大の影響でロケでの撮影が困難になってしまったため、2020年4月10日の放送をもってレギュラーコーナーとしては休止となり、現在は不定期での放送となってしまった。自身のライフワークを中断させることになったコロナ禍を振り返り、「特に、コミケの開催が中止になったのは残念だった」と川原田氏は語る。
「作った辞典をただ読んでもらうだけならネット通販すればいいんですけど、やっぱり年に2回のコミケに参加して、空耳ファンの方とかそこでしか会わない人たちに会っていろんな話をするのが面白いので、それがなくなったのは、仕方ないこととはいえ非常に痛いです」
1992年のコーナー開始以来、29年間欠かさずにネタの記録を続けてきた川原田氏。初版で522作品掲載されていた「空耳アワー辞典」も増補を重ね、最新版の掲載数は3228作品におよぶ。空耳アワー研究所の今後の活動について聞くと、氏は「誰も途中からはできないことだと思うので、最初に始めてしまった以上、もう自分がやるしかないですよね」と話してくれた。来年で放送開始から40周年を迎える長寿番組ながら、視聴者からの支持がまだまだ衰えることのない「タモリ倶楽部」。この番組が続く限り、「空耳アワー辞典」のページ数はこれからも増え続けることだろう。