シンガーソングライター高野寛のツイートをきっかけにSNSを中心にさまざまな議論を生んだ「若者がギターソロ飛ばす」問題。サブスクが定着した2010年代以降、ことあるごとに若者のギター離れがメディアで取り沙汰される一方、動画サイトには膨大な数のギター演奏動画が日々アップされている。果たして本当にギターソロは“オワコン”なのか、そして、このアンビバレンツな状況が提示するものとは?
文 / 栗本斉
サブスク登場で大きく変化したリスニング環境
サブスクのアプリを起動し、すっかり日課となった最新ヒットを集めたプレイリストを再生する。新曲のチェックはこれでバッチリだ。今日も初めて知った曲が流れてくる。短いイントロのあと、ボーカルがAメロ、Bメロ、サビと展開していき、なかなかいい感じじゃないか。でも2番のサビが終わったら、歌メロにかぶるようにディストーションの効いたギターがギュンギュンと唸り始めた。なんだこれ? 数秒聴いていたが、再びボーカルが出てくるまで待ちきれない。つまらないから次の曲にいこう。そう思ってスキップボタンを押した……。
先日、シンガーソングライターの高野寛のツイートが大きな話題となった。それは、「サブスクで、ギターソロが始まるとスキップする若者多いみたいですね。特に歪んだギターは不人気だとか....」というものだ。
もともとは音楽評論家の能地祐子による「グラミー賞ノミネートのロック曲にはギターソロがない」という意味のツイートに呼応するようなひと言だったが、これに反応したミュージシャンや音楽ファンからさまざまな意見が飛び交い、一時は「ギターソロ」というキーワードがトレンド入りするまでに至った。くるりの岸田繁やKing Gnuの常田大希なども反応したこのひと言は、近年の音楽シーンの変化を象徴するものでもあり、多くの人々が薄々感じていたことが表面化したと言えるかもしれない。
音楽の聴き方が、配信やSNSなどによって大きく変わってきたことは誰もが認めることだろう。特にサブスクリプションの音楽ストリーミングサービスは、古今東西のあらゆる音楽に気軽にアクセスできるようになったことにより、大きな革命を起こしたと言ってもいいかもしれない。この手軽さによって、ヒップホップのアーティストたちの元ネタが大きく広がったのは事実だし、昨今のシティポップブームもサブスクやSNSがなければ生まれなかったのではないだろうか。昭和世代の、音楽にアクセスするにはラジオかレコード店しかなく、中身がわからないけれど思い切ってジャケ買いして失敗、なんていう体験は、令和世代には想像もつかないはず。そういった意味では、好奇心さえあればいくらでも未知なる音楽の大海原に飛び込める現状はうらやましい限りだ。
スキップ文化に対応した曲作り
しかしその一方で、さまざまな功罪も生まれている。まず、アルバム単位でじっくり聴くという感覚がどんどん薄れている。フィジカルのメディアを使わずに配信で1曲ずつ発表するのはなんら珍しくなくなったし、数曲集めてEPなんていう単位でどんどん新曲をまとめていくことも多い。EPはマキシシングルやミニアルバムとも似ているようだが、少しニュアンスが違う。アルバムの予告的なものやコンセプチュアルなパッケージ形式ではなく、できた順番にどんどん発表していくというような、もしくはそう見えてしまうリリースのスタイルが当たり前になってきている。アルバムという形式はアーティスト側のこだわりでしかなく、リスナーにとってはたくさん曲があっても、好きではない曲が出てきたらどんどんスキップして当たり前なのだ。
そういったことと関連して、1曲のサイズが短くなっているのも確かだ。特に海外のヒップホップに顕著だが、1曲2分台の楽曲は非常に多く、その傾向はほかのジャンルにも波及し始めている。イントロは短く、サビに到達するまでの時間が極端に短い。そして間奏などの“無駄”は省き、一気にメッセージを伝えて終わるという形は、ある種のデフォルトとして一般化しているのだ。まさに、スキップ文化に対応した曲作りである。こういったリスナーの指向性は、SNSにも伝播している。特にTikTokで数十秒の動画にBGMを付けるのであれば、短い時間でインパクトのあるフレーズがあればいい。SNS上では、なんなら2分もの時間さえ必要ではなく、40秒で完結する楽曲でも済んでしまうほどだ。もっとじっくり聴いてほしいというのは作り手のエゴでしかないかもしれず、“SNSで使えるかどうか”を基準にしている音楽ファンにとっては、インパクトがあって短くキャッチーな楽曲が必要なのである。
コロナ禍以降のギター事情
こういったリスナーは極端な例かもしれないが、一定数いることは確かである。そしてこういった短い楽曲が好まれるようになった場合、先述のギターソロが入る余地がないのも理解できるだろう。SNSを当然のように使いこなすZ世代に対応するために、イントロは短く、インパクトのあるサビに仕上げ、間奏のソロなんてもっての外。とまあ、そんな意識で音楽制作をしているという話を聞いても、古いタイプの音楽ファンとしては悔しいが、納得するしかない。
しかし、ギターやインストが嫌われているのかというと、そういうわけでもなさそうだ。この2年ほどのコロナ禍において、家で過ごすことも増えたため、楽器の売り上げは急上昇。ギターもアコースティックやエレクトリックともによく売れているという話を聞く。少し前だが、ギターの大手メーカーである米国のフェンダー社は、コロナ禍に入った2020年に過去最高というくらいの売り上げの伸びがあったそうだし、ギター演奏のオンラインレッスンが大人気というニュースもあった。また、インターネット上ではギターソロを弾きまくる動画が国内外で公開されて視聴数も増えており、その中からはチャンネル登録者数が軽く10万人を超える人気YouTuberギタリストも多数登場している。よって、決してギターという楽器そのものが嫌われているわけではないことがよくわかる。
ギターソロの必然性
このギターソロ問題については、ギタリストのマーティ・フリードマンがユニークな見解を示している。高野寛のツイートに反応し、「ギターソロをスキップしないで~!(笑)」というツイートを残しているが、その後に彼は「ギターソロをスキップする楽曲は、バンドものではなくたいていはメインストリームのアーティストの楽曲。よって、コスト削減のために真っ先に削除される」といった意味の手厳しい意見を連ねている。しかしその本意は、「ただ歌の休憩部分としてギターソロを入れたらスキップされて当然。ギターソロに対する意識が低いからだ」というもの。これはまさにその通りで、音楽的な信念ではなく形式上ギターソロを入れただけでは、退屈と思われてもしょうがないだろうし、こだわりを持ったアーティストのギターソロは必然と信じたい。
ただ、実際のところはバンドに関しても、ギターソロが少なくなっている傾向が強いと言われているし、さらにエスカレートしていくかもしれない。とはいえ、もしかしたらギターソロが減少しているのはあくまでも今のトレンドでしかなく、数年後にはギターソロが大復権する可能性もなくはない。それはなんとも言えないが、ミュージシャンの音作りに対して、よくも悪くもリスナーがよりシビアになっているのは確か。リスニング環境は豊かになっているのかもしれないが、その俎上にある楽曲に対する評価はさらに手厳しくなっている。それでも果敢に音楽制作に携わり、その中であえてギターソロを披露し、それが必要とされるなら、それは素晴らしいことではないかと思うのだ。