佐々木敦と南波一海によるアイドルをテーマにしたインタビュー連載「聴くなら聞かねば!」。この企画では「アイドルソングを聴くなら、この人に話を聞かねば!」というゲストを毎回招き、2人が活動や制作の背景にディープに迫っていく。私立恵比寿中学のメンバー、柏木ひなた&小林歌穂と、彼女たちのボイストレーナーである“えみこ先生”こと西山恵美子に続く10回目のゲストは山崎あおい。彼女は現在シンガーソングライターとしての活動と並行して、他アーティストへの楽曲提供も積極的に行っている。アンジュルム「ハデにやっちゃいな!」、Juice=Juice「『ひとりで生きられそう』って それってねえ、褒めているの?」、つばきファクトリー「涙のヒロイン降板劇」など数多くのハロプロソングを手がける彼女に作家仕事を中心に話を聞いた。
構成 / 望月哲 撮影 / 小財美香子 イラスト / ナカG
オーディション時に秋元康からかけられた一言
佐々木敦 こういう取材って今までありましたか?
山崎あおい シンガーソングライターとして取材を受けることはあるんですけど、作家としてお話しするという機会はほとんどなくて。今日はすごく緊張しています。何を言われるんだろうって(笑)。
佐々木 いえいえ、ずっとお会いしたいと思ってたので光栄です。今日はよろしくお願いします。
山崎 はい、よろしくお願いします。
南波一海 まずは基本的な質問なんですけど、山崎さんはもともとアイドルソングに興味をお持ちだったんですか?
山崎 はい。シンガーソングライターとしてデビューした頃から、いつか作家仕事もしてみたいなと思っていたんです。3歳下の弟がAKB48の大ファンで。私も弟の影響を受けてAKBを好きになって、そこからアイドルにも興味を持つようになりました。それで、いつかアイドルさんに自分が書いた曲を歌ってもらえたらいいなと思っていて。
佐々木 シンガーソングライターではなくアイドルになりたいという願望はなかったんですか?
山崎 私は高校1年生のときにシンガーソングライターとしてオーディションに出て、優勝した流れでデビューしたんですけど、そのときの特別審査員が秋元康さんだったんですよ。
佐々木 なんと!
山崎 最後に秋元さんから賞をいただいたんですけど、そこで「アイドルとは別の方向性でがんばってください」って言われちゃって。「あなたは違う道で」って(笑)。
南波 その後上京してシンガーソングライターとして2012年にメジャーデビューされるわけですが、アイドルソングの作家仕事はどういう経緯でスタートしたんですか?
山崎 ベイビーレイズJAPANに楽曲提供させていただいたのが世に出た最初の楽曲で(2016年1月発売のシングル「走れ、走れ」の初回生産限定盤Bに収録された「ストレス」)。当時はがっつりシンガーソングライターとして活動している時期だったんですけど、「アイドルさんの曲を書いてみたいです」っていろんな人に言ってたら、「じゃあ1曲書いてみる?」という話になって。コンペに参加したり本格的に作家として活動を始めたのは2017年8月くらいからですね。事務所を辞めたり、レーベルとの契約が切れたり、いろんなタイミングが重なったので本格的に作家としてやっていこうと思ったんです。
転機となったハロプロ研修生北海道への楽曲提供
南波 そこから具体的にはどんな動きを?
山崎 私はYUIさんが大好きで、彼女のプロデュースをされていた近藤ひさしさんに「作家をやりたいんです」と人生相談をしにいきました。その流れでお仕事をいろいろ紹介していただいて。ハロプロ研修生北海道の仕事も近藤さん経由でお話をいただいたんですよ。
南波 そうだったんですね。
山崎 近藤さんも北海道出身なんですけど、「ハロプロが北海道出身の作家チームで曲を作ろうとしてるみたいだから挑戦してみたら?」って。それで北海道出身という縁もあって「ハンコウキ!」という曲で作詞作曲をさせてもらったんです(2018年7月に発売されたハロプロ研修生北海道 feat.稲場愛香のシングル「ハンコウキ! / Ice day Party」収録)。あの曲をきっかけにアイドルソングの作家仕事が本格的にスタートしました。
南波 そこから、あれよあれよという感じで。
山崎 本当に恵まれていて。
佐々木 実際、2010年代後半からの山崎さんの活躍ぶりはすごいですよね。名曲連発で。ちなみに「BUBKA」という雑誌の年間ベストランキングで僕は去年ハロプロソングを10曲選んだんですけど、上位3曲が山崎さんの書いた曲でした(1位:つばきファクトリー「涙のヒロイン降板劇」 / 2位:アンジュルム「愛されルート A or B?」 / 3位:Juice=Juice「がんばれないよ」。すべて作詞)。
山崎 ありがとうございます(笑)。
佐々木 先ほども話に挙がりましたけど、作家活動を本格的に始めてからはコンペにも積極的に参加されてきたんですか?
山崎 実はそうでもなくて。最初はコンペに積極的に参加していたんですけど、ハロプロさんの曲を書かせてもらうようになってからは、その曲を聴いたレーベルさんや事務所さんからオファーをいただくことが増えてきて。
南波 ちなみにハロプロはコンペじゃないですよね。
山崎 そうですね。だいたい決まった作家さんが書いています。
佐々木 僕はアイドルソングがどういう工程を経て世の中に出ていくのかにすごく興味があるんです。1曲ができあがるまでに何度も書き直しをさせられたりするという話をよく聞くんですが、実際そういうことってけっこうあるんですか?
山崎 まるまる1曲書き直すということはあります。逆に微調整につぐ微調整というのは、私はあまりなかったですね。たまに作家同士で集まって話をすると、そういうパターンもけっこうあるみたいですけど。
佐々木 その座談会、聞きたいな(笑)。
南波 ハロプロ研修生北海道の曲を書いてからは、どういう感じで話が進んでいったんですか?
山崎 鈴木愛理ちゃんがソロデビューするタイミングでアルバム曲を募集していたので、デモ楽曲を送ったらご本人が気に入ってくれて。それで「No Live, No Life」「私の右側」という曲を愛理ちゃんと共作させていただくことになったんです。そういうやりとりをする中で、「ハロプロ本体にも曲を書いてみませんか?」とお話をいただいて。そのときに提出したのが、のちにアンジュルムが歌ってくれた「泣けないぜ・・・共感詐欺」と「Uraha=Lover」という2曲だったんです。そこからいろいろお仕事をいただくようになりました。
最近は家でペンライトを振りながら曲を作っています
南波 ご自身で歌う曲とアイドルが歌う曲って、まったく別物だと思うんですけど、例えば反抗期の真っただ中にある10代が主人公の歌詞とか、どういう気持ちで書いているのでしょうか。
山崎 自分が歌う曲を書くときは私個人の体験とか気持ちをもとに書けばいいので、すごく楽といえば楽で。「自分の書いたものが正解でしょ」っていうテンションでやっているのであまり悩まないんですけど、楽曲提供するときは、その曲の主人公になるというよりも、神様の視点になって、すごく俯瞰した気持ちで書くというか。難しくて、うまく言葉で説明できないんですけど(笑)。
南波 アイドルグループに曲を提供するときって、技術的な部分でも制限があると思うんです。理想のメロディがあるけど、歌唱力に合わせて歌いやすくしなきゃいけないとか。歌唱力が高いメンバーがいれば、そうじゃないメンバーもいるわけで。そういうところで制限を感じたりすることもありますか?
山崎 逆にある程度、制限があったほうが私的には書きやすくて。アイドルグループに曲を提供する場合って、「Aメロ全体で聴いたらグッと来るよね」という感じではなくて、1人ひとりの歌割に見せ場を持ってくる必要があるんです。なので歌詞を書くときは、極力表情が付けやすい言葉を選ぶように心がけていて。それって、ある種の制限だと思うんですけど、短いスパンでインパクトのある言葉を選んでいく作業って、私的にはすごく面白いんですよね。
南波 山場の作り方が歌割ごとにあるみたいな。
山崎 曲作りには、小さい山をいくつか作る場合と、大きい山を1つ作る場合の2パターンがあると思っていて。アイドルソングを作る場合は、小さい山をたくさん作るようにしています。自分が歌う曲や、ソロシンガーの方に提供する曲では大きな山を作るという意識です。
佐々木 アイドルソングは、「サビだけで勝負!」ってことではないわけですね。
山崎 「絶対こっちの語尾のほうがかわいく歌ってもらえるはず」とか、「ここは切ない表情で歌ってもらえそう」とか、いろんな山場を頭の中で考えながら歌詞を書いています。それが楽しいですね。
佐々木 でも基本的に誰がどの歌割を歌唱するかは、歌詞を書いた時点ではわからないわけですよね?
山崎あおい はい。
佐々木 そうすると、誰が歌ってもヒロインになれるような感じで歌詞を書いていくということですか? それってすごく大変じゃないですか?
山崎 はい。でも面白いですね。頭の中でアイドルグループがライブをしているようなイメージじで。最近は家でペンライトを振りながら曲を作っています(笑)。
佐々木・南波 あははは。
陰がある人やキャラが立ってる人がどんどん売れていって…
佐々木 シンガーソングライターって歌詞もメロディも自分で作って歌うから、基本的には楽曲=自分じゃないですか。山崎さんの中では、自分とは違う人の話を作ってみたいという気持ちが、ずっと前からあったんですか?
山崎 音楽を始めたときから、楽曲を通して自分の思いを伝えたいとか、そういう気持ちが全然なくて。単純に曲を作るのが楽しかったんです。
佐々木 それは技術的なことも含めて?
山崎 はい。「今回は、『好き』って言葉を使わずにうまく歌詞を書けたな」とか、そういうことを中学時代から毎日やっていて。それがとにかく楽しかったんです。でも、シンガーソングライターとしてデビューして周りを見渡すと、陰がある人やキャラが立ってる人がどんどん売れていって。私は別に陰もないし、トガっているわけでもないから、そこでは勝負できないなと感じたんです。それで、「その人たちにできないことってなんだろう?」ってひたすら研究して、作詞作曲をオタク的に研究するようなことは、みんなやってないだろうと思って。
南波 内面を吐露するタイプのシンガーソングライターと自分は違うなと。
山崎 そうですね。そこからさらに楽曲制作にのめり込むようになったんです。
佐々木 ちょっとさかのぼりますが、そもそも山崎さんはどういうきっかけで音楽をやろうと思ったんですか?
山崎 もともと、ものを作るのが好きで、アニメーション映画を作ったり、物語を作ったりしてたんですけど、中学1年生のときにYUIさんの音楽を聴いて衝撃を受けて、「この人になりたい!」と思ったんです。スタイルとしてギターを持って歌うのを真似するところから始まった感じですね。
佐々木 YUIさんを知るまではギターも弾いたことなくて?
山崎 はい、全然。
佐々木 山崎さんが書く曲には、すごくドラマ性があって、どの曲にも女の子の主人公がちゃんと存在している感じがするんです。最初から最後まで考えに考え抜かれた構成で、短編小説を読んでいる感覚に近いというか。
山崎 ありがとうございます。
佐々木 楽曲制作をするうえでスランプはあるんですか?
山崎 それは毎回ありますね。何回も書き直します。「締め切りまであと1日あるから、もう1パターン書いておこうかな」とか、すごく不安になっちゃうんですよね。「本当にこれが正解なんだろうか?」とか思って。いつも自信はないですし、怖いなと思いながら書いています。だから歌が入った正式な音源を聴いた瞬間は、いつも「ありがとうございます!」って気持ちですね(笑)。
その主人公を愛せないと思ったら歌詞にはできない
南波 山崎さんは作詞だけ行う場合もありますよね。その場合、「こういう歌詞を書いてほしい」みたいな具体的な要望があるのでしょうか。
山崎 ディレクターさんによるんですけど、「そのまま歌詞にできるじゃないですか」レベルの具体的なイメージを持っている方もいれば、「あおいちゃんらしい感じでお願いします」みたいな方まで本当にいろいろです。ハロー!プロジェクトさんに関しては、わりと自由にやらせていただいていますね。
佐々木 細かく指示されるものとフリーハンドのものだと、どちらが書きやすいですか?
山崎 フリーハンドのほうがやりやすいです。
南波 例えば作詞だけのときは、どういうふうにオファーが来るんですか?
山崎 曲がまず送られてきて「これに日本語の歌詞を乗っけてください」と依頼いただくことが多いですね。最近は海外のアーティストとのコライト作品が多いので、仮の英語詞が乗っていたりするんです。
佐々木 メロディを聴いてイマジネーションを高めて言葉を書いていく、みたいな感じですか?
山崎 そうですね。明るい曲なのか、暗い気持ちで終わる曲なのか、社会的に訴える曲なのか、それとも個人的な気持ちを書く曲なのか、メロディとアレンジが固まっている時点で、楽曲の方向性が半分くらい決まっていると思うので。
佐々木 なんとなくの方向性は示されるってことですね。
山崎 いえ、曲を聴いて、こちらでなんとなく感じ取るというか。「たぶんこういうことなのかな?」という感覚をもとに歌詞を書いていって。逆に、どう裏切ろうかなっていうところもありますけど。
佐々木 曲が求めているイメージを自分なりにつかんで歌詞を書いていく?
山崎 はい。それが合ってるかどうかはわからないんですけど(笑)。
佐々木 そこで大外れするようなこともあるんですか?
山崎 あります、あります。
佐々木 そういうときは考え方を変える感じですか?
山崎 そうですね。でもダメ出しされるときって、だいたい自分でもわかるんですよ。自信満々で「絶対にこれでしょ!」って提出した曲は、ほぼ採用されるんですけど、「なんか違う気がするんですけど、一旦見てもらっていいですか……?」って感じで提出した曲は、やっぱり書き直しになりますね。
南波 そこに関しては柔軟に対応していって。
山崎 すごくドM気質というか、単純に好きなんですよね、「まだまだ!」みたいなことが(笑)。「明日までにやり直してください」みたいなことがあると、すごく燃えます。
佐々木 この仕事にめちゃめちゃ向いていますね(笑)。
南波 それこそアーティスティックな感覚が強い人だったら何がなんでも譲れない部分とかも絶対にあると思うんですよ。でもそこで「もっとオーダーを出してください」ってなれるのは絶対作家に向いていますよね。
山崎 昔からそうなんですけど、自分が書いた曲にあんまり執着がなくて。1回誰かに聴かせたものは「さよなら」って。
佐々木 別にやり直してもいいみたいな。
山崎 そうですね。
南波 ご自身の作品もそうですか?
山崎 ツアーで曲を育てていくみたいなことがあんまり得意じゃないんですよね。曲ができたら終わり、みたいな(笑)。完成したら「よかったね」って、そこがピークになっちゃうので。
佐々木 場合によっては、自分とはかけ離れたタイプが主人公の歌詞も書くことになるわけじゃないですか。自分自身が共感できないような主人公を描く場合は、どのようにしているんですか?
山崎 共感できなくても書けるんですけど、その主人公を愛せないと思ったら歌詞にはできないです。それが自分の中のラインで。「この子の気持ちには共感できないし、私はこういうタイプじゃないけど、でもなぜか愛せちゃうな、愛しいな」と思えたら、全然自分とは違っても書けます。
佐々木 完全に神目線ですね。「こういう人がいてもいい」ってことですもんね。
山崎 そうですね。どんなキャラクターでも“愛らしさ”みたいなものは常に意識しています。
3年の時を経て世に出た、アンジュルム「ハデにやっちゃいな!」
佐々木 具体的な曲の話も聞きたいですよね。直近だとアンジュルムの「ハデにやっちゃいな!」が5月にリリースされました。あの曲はどういうふうに作っていったんですか?
山崎 あれはけっこう前に提出していた曲なんです。それこそコロナ前くらいに。
佐々木 そのときはアンジュルム用に書いたんですか?
山崎 いえ、とりあえず書いたという感じですね。
佐々木 そういう形の提出もあるんですね。
山崎 はい。あの曲は単純にライブを見たままのテンションで書いた曲で。確かJuice=Juiceのライブだったと思うんですけど、ステージを歩きながら歌う姿がすごくカッコよくて。ランウェイ的な感じで歌いながら歩いてきたときにドキッとするような無敵感のあるAメロの曲を書きたいなと思ったんです。
佐々木 そういう場合は、テンションが高いまま一心不乱に書いていくんですか?
山崎 それこそ超ノリノリでペンライトを振りながら書いてます(笑)。
佐々木 でも結果的に3年近く楽曲が世に出ることがなかった。
山崎 そうでしたね。コロナ禍になってから、ハロプロのライブもバラード中心になっていったので。
佐々木 世相と合ってないみたいな。
山崎 たぶんそういう事情もあったのかなと思うんですけど。
南波 ノレる曲は、ここ最近ようやくリリースされるようになって。
佐々木 確かにコロナ禍においては、しっとりした曲のほうが優先されたのかも。Juice=Juiceの「がんばれないよ」とか。
山崎 あの曲はがっつりコロナ禍に書いたバラードで。私が担当したのは歌詞だけなんですけど。
南波 もちろん偶然だとは思うんですけど、「がんばれないよ」や、つばきファクトリーの「涙のヒロイン降板劇」は、どうしたって辞めたメンバーのことを想像しちゃいますよね。
佐々木 「がんばれないよ」もそういうふうにしか聴けない(笑)。
山崎 卒業のことは、まったく知らなかったんですよ。リリースのタイミングとか。
佐々木 わかっていて書いたら採用されないですよね(笑)。
山崎 すごいタイミングだなって思いました(笑)。
南波 特に「涙のヒロイン降板劇」のときは誰もが思ったんじゃないですかね。
佐々木 ちなみに「涙のヒロイン降板劇」は僕の去年のハロプロベストソング1位でした(笑)。
南波 たまたま時期的にシンクロしちゃうことがあるんですね。
山崎 そうですね。どの曲をどのグループで、どのタイミングでリリースするとか決めるのは事務所の方で、私は単純に曲を書いて、あとはお任せする感じなので。
佐々木 けっこう前に提出した曲が突然シングルになったりすることってよくあるんですか?
山崎 ありますね。
佐々木 中にはリリースされて初めて知る、みたいなこともたまにあるみたいですけど。
山崎 本当にあるみたいですね(笑)。私はリリースされてから知るということはなかったですけど。そういう話はたまに聞きます。
佐々木 例えば、この曲はアンジュルムをイメージして書いたんだけど、別のグループが歌うことになったとか、そういうこともあるわけですよね?
山崎 宮本佳林ちゃんの「氷点下」は、グループで歌うことを想定して書いたので、佳林ちゃんのソロでリリースされると聞いたときは、すごく意外でした。
佐々木 今となっては宮本さんをイメージして当て書きしたんじゃないかと思うくらいぴったりハマっていて。
山崎 あの曲は、佳林ちゃんの歌唱力と表現力がとにかくすごいので。一緒に失恋した気持ちになっちゃいました(笑)。
<後編に続く>
山崎あおい
1993年生まれ、北海道出身のシンガーソングライター。「YAMAHA Music Revolution」でグランプリを受賞したことをきっかけに、地元を中心に音楽活動を展開。透明感のある歌声と、等身大の歌詞が同性を中心に支持を集める。2012年8月にビクターエンタテインメントよりインディーズ時代に発表した楽曲をまとめたアルバム「ツナガル」をリリース。2014年1月に1stアルバム「アオイロ」を発表した。以降もコンスタントに作品をリリースしている。最新作は2021年12月リリースのアルバム「√S」。シンガーソングライターとしての活動と並行して他アーティストへの楽曲提供も積極的に行っている。
佐々木敦
1964年生まれの作家 / 音楽レーベル・HEADZ主宰。文学、音楽、演劇、映画ほか、さまざまなジャンルについて批評活動を行う。「ニッポンの音楽」「未知との遭遇」「アートートロジー」「私は小説である」「この映画を視ているのは誰か?」など著書多数。2020年4月に創刊された文学ムック「ことばと」の編集長を務める。2020年3月に「新潮 2020年4月号」にて初の小説「半睡」を発表。同年8月に78編の批評文を収録した「批評王 終わりなき思考のレッスン」(工作舎)、11月に文芸誌「群像」での連載を書籍化した「それを小説と呼ぶ」(講談社)が刊行された。
南波一海
1978年生まれの音楽ライター。アイドル専門音楽レーベル・PENGUIN DISC主宰。近年はアイドルをはじめとするアーティストへのインタビューを多く行い、その数は年間100本を越える。タワーレコードのストリーミングメディア「タワレコTV」のアイドル紹介番組「南波一海のアイドル三十六房」でナビゲーターを務めるほか、さまざまなメディアで活躍している。「ハロー!プロジェクトの全曲から集めちゃいました! Vol.1 アイドル三十六房編」や「JAPAN IDOL FILE」シリーズなど、コンピレーションCDも監修。