昨年のNHK新人落語大賞を受賞した立川吉笑。コント好きのお笑いファンにもアピールする新作落語で注目を集める彼は、自身の落語会のオリジナルテーマソングをミュージシャンにオーダーしており、落語家と浪曲師による創作話芸ユニット・ソーゾーシーのテーマソングはにゃんぞぬデシ、伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキとの会にはマヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)、去年スタートした独演会「真打計画」には幽体コミュニケーションズがそれぞれ楽曲を提供している。
落語とは一見ミスマッチな音楽は、どんな意図で選ばれたのか。この質問を皮切りに、落語界きっての理論派である吉笑に話を聞いた。落語的なリズム、落語を落語たらしめる情報量、「歌い調子」と理屈の笑い……論点はどんどん転がり、深く深く潜っていく。
取材・文 / 張江浩司 撮影 / 斎藤大嗣
千原兄弟にはブランキー、自分にはGEZAN
──吉笑さんは最近の落語会のテーマ曲制作をミュージシャンに依頼されていますが、どういった意図からでしょうか?
自分の落語会を作っていくうえで、音楽の力をめちゃくちゃ信じているんです。音楽は説明なしで世界観が一気に伝わるというか、お客さんを同じ方に向かせる力が強いですよね。だからプロパガンダにも利用されるんだと思うんですけど。会のコンセプトに合いそうな曲をその都度選んでいたんですが、ネットで展開するとなると権利上の問題に引っかかったりするんですよ。じゃあイチから作ってもらおうと。ミュージシャンの方々にお願いしたら、意外にも引き受けてくれるってこともわかったので。
──最初に依頼したのはにゃんぞぬデシさんですか?
はい。にゃんぞぬデシとは1年くらいラジオで共演していて、即興で曲を作る才能が素晴らしいなと思っていたんです。お互いまだまだ世に知られていないタイミングでしたし。
──「今のうちに一緒にやっておこう」という。
すぐメジャーにいっちゃいましたからね。メジャーにいかれると、いち落語家にはどうしようもない(笑)。次にマヒトゥ・ザ・ピーポーに頼んだのは、ツチヤタカユキとの会がゴリゴリにお笑い色が強いものになりそうだったからなんですね。自分もツチヤくんも影響を受けた1990年代後半から2000年くらいの千原兄弟さんのコントライブでは、ブランキー(BLANKEY JET CITY)が鳴っていました。じゃあ今の自分たちのライブで鳴っているのは誰だろうと考えたら「GEZANだね」と、2人で意見が一致したんです。
──「真打計画」のテーマソングを幽体コミュニケーションズに頼んだ理由は?
真打昇進への道と聞くと堅いというか、格式高い伝統的な感じがあるので、使う音楽は逆にポップなものがいいと思っていたんです。バンドよりも打ち込みで、ゆるい感じもあって、みたいな。そのイメージが頭の中にあったので、音楽に詳しい友達に聞いたりしながらミュージシャンを探してたんですね。Twitterを見てたらHOLIDAY! RECORDSのアカウントが幽体コミュニケーションズをオススメしていて、聴いた瞬間に「イメージ通りじゃん!」と。しかも京都のバンドで、自分も京都出身ですし、自分が好きなカクバリズムさんのイベントにも出演しているから、いろいろとつながってる感じもして。YouTubeでミュージックビデオを観たら、まだ300回くらいしか再生されてなかったんですよ。生意気ですけど、これから間違いなく世に出る人を自分のアンテナで見つけてくるのが好きなんですよね。
──お笑いのライブだと、幕間に流す音楽の選曲に凝るのは一般的になっていますが、落語だと珍しいですよね。
落語はネタの時間が長いんで、1つの会でできるのは多くても3、4ネタなんです。コントライブならネタ数も多いから必然的に幕間も多くなるし、音楽や映像が入ってくる余地がありますけど、落語だと気持ちのいい音楽の使い方をするのは実はなかなか難しいんですよね。
──セットチェンジもないですもんね。それでも吉笑さんはテーマソングという形でこだわっていきたいと。
コントライブの世界観にすごく影響されてきたので、なんとか自分でもそれをやりたいという気持ちがあるんですけど、まだ100%しっくりくる感じにはなってないかな。
──完成した楽曲に吉笑さんが影響されることはありますか?
それはやっぱりありますね。「真打計画」に関する作業をするときはずっと幽体コミュニケーションズの曲を聴いているし、曲を聴くと自然と「真打計画」のスイッチが入るようになります。
歌舞音曲で江戸の価値観をインストール
──落語家さんが高座に上がるときはそれぞれの出囃子がありますが、どうやって決めるんですか?
基本的には自由です。好きな曲とか、郷土にゆかりがある曲とか。「この出囃子といえばこの師匠」と密接に結びついている曲もあって、落語ファンの方だと出囃子を聴いただけで鳥肌立つみたいなこともあります。自分は伝統芸能のことをよく知らずに落語家になったのであとから知ったことですが、本来は長唄とか歌舞伎の音楽の一部を抜き出して出囃子に使ってたんです。例えば先代の(三遊亭)圓楽師匠は「元禄花見踊」という長唄の一部を出囃子にしていらっしゃいましたが、この曲は通しで聴くと10分以上あるんです。勉強のために長唄も聴いておこうとCDを借りてきて再生しても全然耳馴染みのある感じがしないんです。4分くらい経ったところで出囃子として耳馴染みのある部分が聞こえてきて、逆に鳥肌が立つというか。「なるほど、ここが一番キャッチーだから出囃子に選ばれたんだな」ということがわかりましたね。
──出囃子はほかの落語家さんと被ったらマズいんですか?
まあ、そうですね。特に同じ協会なら配慮したほうがいいかなという感じです。
──協会が違えば大丈夫なんですね。
グレーゾーンというか。あえて被せにいくみたいなことは失礼にあたるとは思いますね。自分の出囃子の「東京節」は落語芸術協会の春風亭昇也さんも使ってます。
──吉笑さんはなぜ「東京節」にしたんですか?
立川流は二ツ目に昇進する基準として落語のほかに歌舞音曲、平たく言えば「昔の音楽や踊りも勉強しましょう」というのがあるんですね。それまでまったく興味がなかったので、聴いても違いがわからないし歌詞もわからないし、そもそもよさがわからないっていう状況だったんですけど(笑)。「二ツ目になるならちゃんと好きになれ」という課題なんで、どうしたもんかなといろいろな音源を聴いていく中で「東京節」は最初の取っかかりになったんですよ。サビの歌詞が「ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ」で、なんの意味もなくてリズムと語感がいいんですよね。
──ナンセンスな魅力というか。
後になってZAZEN BOYSがライブでカバーしてると知って、「おお、向井(秀徳)さんと一緒だ」ってうれしくなったりもして(笑)。
──立川流が歌舞音曲を必須科目にしているのは、「落語家に音楽的な素養が必要」という考えが談志師匠にあったからなんでしょうか?
そうですね。歌舞音曲とひと口に言っても小唄、端唄、都々逸、俗曲とかいろいろあって、僕も違いが完全にわかっているわけではないんですけど、自分の解釈だとつまり古典落語に登場する八っつぁん、熊さんみたいな庶民は、酒を飲んで酔っ払って楽しくなったら「ちょっと唄うぞ」となるわけです。今ならEXILEを歌って踊るみたいな感じですね。そういう時代の落語をやるんだったら、どういう曲なのか知っておくべきだし、うまくは歌えなくても八っつぁんたちのように口ずさめるようになっておくべきということなんだと思うんですよ。
──確かに時代劇だと、お座敷で踊っている場面がよく出てきます。
そうそう。黒澤映画でもそうだし、三木のり平さんとか森繁久彌さんとか、昔の役者さんはよく踊りますよね。音楽を通して江戸の空気感を知るっていうか、自分が普段やる落語には歌う場面なんてほとんどないんですけど、それを体に入れておくことで世界観がぎゅっとなるんです。歌詞も、現代の資本主義で生きていると奥に隠れてしまうような自然や価値観が描かれてますから。
「1拍の長さは一定じゃないよ」
立川流に限らず、前座のときには太鼓を稽古しないといけないんですよ。出囃子の太鼓は前座が叩くので。でも立川流は寄席での修業がないから太鼓を実践で叩ける機会が少ないこともあって、わりと皆さん苦手意識があるようでした。でもみんな落語をやりたくて入門してるので、率先して太鼓の練習なんてやらない。たまたま自分は音楽が好きだったこともあって、ちょっと努力したら一気にうまくなったので、「太鼓がこれだけできるなら、ほかもすごいだろう」と周りにミスリードさせることに成功して、早く二ツ目に昇進しました(笑)。
──1年半という驚異のスピード昇進にはそんな秘密が(笑)。
ざっくりいうと締太鼓と大銅の2種類があって、スネアとバスドラみたいな感じですね。「ドン」「タン」の組み合わせだけでシンプルですから、ちょっと練習したらそこそこできるようになったんです。その分突き詰めようと思ったら、「スネアだけでめちゃくちゃ鋭い音を出す」みたいなすごい世界なんですけど。
──歌舞音曲のリズムは西洋的なものとまったく違いますよね。
そうですね。落語会が開場するときに叩く「一番太鼓」というのがあるんですが、コピーしようと思って聴いていたら途中でズレるんですよ。譜面に起こしたら途中で4分の4拍子から4分の3になる箇所があるから、変拍子かと思ったらそれでもズレちゃう。出囃子の太鼓もそうで、曲を聴きながら譜面に起こしても明らかに合わない。無理やり合わせようとしたら複雑すぎる変拍子になる。どうしたものかと悩んでいたら三味線のお師匠さんに「ああ、1拍の長さは一定じゃないよ」という驚愕の事実を伝えられました(笑)。そのときの間(ま)によって変わるものなんです。
──数値化できるものではないんですね。
例えば邦楽の楽譜には休符のところに「ヨォ」とか「ハッ」って書いてあるんですよ。「なにこれ?」と思ったんですけど(笑)、「ヨォ」っていう呼吸が休符の長さになるということで、その人の感覚による。息を合わせるとはこのことかと。
──では太鼓は三味線に合わせて叩くということですね。三味線のほうは袖から高座に向かう落語家さんのペースに合わせているのでしょうか?
うまい三味線の方は出囃子の切れ目を、その師匠が座布団に座ってお辞儀する瞬間に合わせますからね。歩調によってテンポを調節するというのは日常的にやっていると思います。即興というか、その場の空気に合わせるという部分が大きいですよね。これは落語をやるときにも生きていると思いますよ。メトロノームを刻んで落語の稽古をするもんじゃない、というか。そうやっちゃうと間がずれるというのは、歌舞音曲と共通してますよね。
──談志師匠は「落語はリズムとメロディだ」とおっしゃっていましたが、これは例えばダンスミュージック的なリズム感とはまったく違うものということになりますね。
落語のリズムが何かっていうと……うーん、難しい。落語は上下(かみしも)を切る、つまり左を向いて右を向いて、と首を振ることで役を切り替えるんですけど、それが強制的にリズムメイクになるんですよね。映画でいうカット割りになる。自分でもまだ全然つかめていないんですけど、例えば役者さんが落語をやると上下が規則的になりすぎるんですよ。要はキャラクターを演じ分けて、Aがしゃべったらカットを割って、次はBがしゃべる。そしたらまたカットを割ってAがしゃべる。タンタンタンと、几帳面にこの繰り返しになる。ちゃんと役に気持ちを込めようと思ったらこうなるのは当たり前なんですけど、落語家の我々はもっとぐちゃぐちゃというか。
──一定のテンポではないと。
もちろん規則正しくやるときもありますけど、A役から首の向きを変える前にBの役でしゃべったりもするし、混ざり合ってますね。ちょっと間を空けてから首を振ったり、首を切ってから間をあけてしゃべりはじめたり、本当にいろいろなやり方があって。自分の性格的には理屈でルール化したいけど、変数が多すぎて全部やろうとしたらおかしくなります。
──何百パターンもあるわけですもんね。
名人は、言語化しなくてもそれが自然にできるということなんだと思います。落語のメロディは単純に言うと声のトーンになります。僕は高い、低い、普通の3種類くらいでしか制御できていないけど、師匠方はもっと高い解像度で捉えていらっしゃるだろうなあと感じることが多いです。こちらも考えたらきりがないですね。
──なるほど。やはりリズムがループする気持ちよさとは別物なんですね。
それは間違いないです。
──大森靖子さんの弾き語りライブはその時々で曲のテンポが自在にストレッチするんですが、その快感にも共通するように思います。
そうですね。そこは一人芸の強みでもあるかもしれない。
落語は「少ない情報量をいかに上質に伝えるか」という芸能
──吉笑さんの落語はテンポが速いほうだと思うのですが、そこは意図していますか?
普段から早口なので生理的な部分もあるんですが、漫才とかコントに比べて落語のテンポは基本的に遅いんですよね。もちろんそれはそれでいいんですけど、漫才やコントと並列で落語を面白がってもらいたい気持ちがあるから、おのずと速くなります。やっぱり情報量が少ないんですよ、落語は。「少ない情報量をいかに上質に伝えるか」という芸能なので、そこは邦楽と同じですね。自分も古典落語はなるべく教わった通りにやりたいので落語らしいテンポを目指しますが、どうしても速めになってしまいます。
──NHK新人落語大賞を受賞した「ぷるぷる」は、唇を震わせる音も相まってかなりテンポが速い印象があります。
あのネタは意図的に情報量を増やしてますね。でも、でも悪い言い方をすると、情報量を増やせば増やすほど落語的じゃなくなっちゃうんですよ。どんどんお笑いに寄っていっちゃうから、そこの調整にはかなり気を使っています。
──「テンポがこれ以上速くなると落語じゃなくなる」というラインがあるのでしょうか。
口調やテンポでいうと、名人と呼ばれるにふさわしい(古今亭)志ん朝師匠も速いんですよ。速いけど聞き取れるし、もちろんめちゃくちゃ落語的で。だから単純な速さじゃなくて、描かれている情報量なんだと思います。自分の新作落語は意外性を前面に出したくなるから、前提条件をお客さんに提示してそれを裏切って裏切ってという構造になるんです。そうなると、どうしても情報量が増えちゃうんですけど、落語は窓の外に見える景色を描写するだけでも一席として成立させられると思うんですよ。それならどれだけ早口でも物語としてのアウトプットは絞られますよね。自分が一番好きな古典落語に「酢豆腐」というネタがあるんですけど、前半は長屋の連中が集まって「糠漬け食べたいけど、糠床に手を入れたら臭くなるから自分はやりたくない。誰かやってくれよ」とグダグダしているだけなんですよ。まったく何も起こらない(笑)。でもうまい人がやると、そんな無駄話だけで15分間場をもたせることができるし、面白いんです。自分の技術では、まだまだそれはできないですね。
談志とDragon Ashがコラボした夜
──吉笑さんは2014年にポストロックバンド・How to count one to tenのアルバムに参加されて、演奏に乗せて古典落語「鮫講釈」を披露されています。
落語家になりたての頃は「音楽とコラボできないかな」といろいろ考えていたんです。ある夜にふとYouTubeを立ち上げて、談志師匠の「鮫講釈」の映像とDragon Ashの「Fantasista」のMVを同時に再生したらめちゃくちゃカッコよかったんですよ。「鮫講釈」は講釈師が登場する話で、クライマックスで講釈を披露するんです。そのシーンの談志師匠のリズムがまったくブレないから、「Fantasista」の細かいドラムにバチッと合ったんです。
──なるほど! 会話主体の落語と違って、講談はナレーションというか地の語りが主だから、リズムがキープされる気持ちよさがある話芸ですもんね。
それから何年かしてHow to count one to tenから話をもらったので、あれをやってみようと。いい感じでできたと思います。
──「鮫講釈」というネタ選びに、リズム的な必然があったとは。
講釈の修羅場は話芸の中でも音楽的な要素が強いというか、ほとんどラップですからね。
──張り扇も叩きますし、かなりパーカッシブですもんね。
外部案件というか、例えばバスケのBリーグのオープニングセレモニーで落語をやらせていただく機会があったんですが、そういうときは講釈の技を使うことが多いです。落語の真骨頂は何気ない会話のやりとりにあるんですけど、それを生かすにはある程度時間が必要で。だから与えられる持ち時間が短い傾向にある外部案件は、聞かせどころを音楽的な部分に集約してしまえる講釈的な方法が効果的だなと。
──逆に落語的な会話の場面を演奏に合わせようと思ったら、かなり難しいでしょうか?
そうですね、会話はまだ全然できてないです。そういう意味で「落語にBGMをつける」というコラボレーションの正解は、まだ誰も出せていないと思います。音楽で情感を出さなくても、言葉だけでやっちゃうのが落語なので。引き算の極地である落語に、音楽を足しちゃったら本末転倒になる場合もあるでしょうし。
──音楽によって情報量が増えると、反比例して落語らしさが減ってしまうと。
「落語じゃなくていいよね」となっちゃう感じがするんですよね。難しいです。昔、七尾旅人さんのライブを観たときに、「落語家として、この表現に勝てるのか」とゾッとしたんですよ。弾き語りに加えて、リアルタイムでサンプリングしてビートにしたりセリフを入れたり、1人だけであの世界観を作っていることが衝撃的で。江戸時代に落語を最初に作った人が、もし現代に生きていたら多分ポエトリーリーディングみたいなことをやっていたと思うんですよね。1人で正座してやる必要もないし、トラックを流してもいいし。「じゃあ、なんで落語はここまで要素を削ってミニマルにしているのか」ということを、入門当時はめちゃくちゃ考えました。
──音楽はシリアスなメッセージを伝えることには非常に有用ですが、笑いに乗せるとなると実は難しいんじゃないかとも思うんです。
確かに難しい……でも、落語にももちろん音楽的な要素はあって、歌うように落語をする方もいるんですね。「歌い調子」と呼ばれるような、メロディアスな落語はもう聴くというより浴びるっていう感じなんですよ。古典でも、すごく気持ちよく聞ける。一方で自分の場合、作るネタに理屈があるので、歌うようにやると意味が流れていってしまうと思うんです。
──「ん?」と引っかかるところがないと面白さが伝わらないと。
日常の視点をズラすという面白さなので、どうしても意味重視になりますね。音楽的に気持ちよくなると、理屈からは離れていってしまう。ライブを観ながら全然別のこと考えちゃうことありません? そうなると理屈の笑いと音楽は食い合わせが悪いのかなと。
「私の後ろでは、音楽は鳴らないと思います」
──吉笑さんはフェスに出演されたり、ミュージシャンとの共演も多いですよね。MOROHAとは何度か対バンされていますが、初共演を果たした2014年には「敵わないと思った」とインタビューでお話しされていました(出典:OTOTOY「ミュージシャンVS落語家 どうしてこの2組が戦うのか──MOROHA×立川吉笑 大衆に届ける、その表現」)。
MOROHAに手練れの真打くらいの風格があったんですよね。袖でライブを観て、圧力を感じて。当時は自分も全然駆け出しだったこともあって、「このキャリアでもうこの雰囲気をまとってるのか」とびっくりした記憶があります。
──それから芸歴を重ねられて、真打も視野に入っています。先ほど七尾旅人さんの話も出ましたが、今も音楽に対して「敵わない」と感じますか?
もう諦めがついたというか、「落語でいくしかない」と腹をくくりましたね。昔のほうが考えすぎてたところもあるし。今はもう自分の人生は落語で決まりだから、それを深く探っている感じです。だから誰とでも胸を張って対バンできますよ。心の中では「落語でも勝てる」と思ってるんでしょうね。「こっちは正座してしゃべるだけでぶっ飛ばせますけどね」って。
──本当の「身体一つ」はこっちだよと。
その理想の落語にはまだまだたどり着けていないですけどね。でも、落語と音楽の掛け合わせはまだ諦めていないです。やり方は絶対あるはず。最近観たAマッソとKID FRESINOが一緒にやったライブ「QO」は見事な絡み方だったし、自分ももっと考えたいです。
──ZAZEN BOYSと立川志らく師匠がライブで共演したこともありました。ZAZEN BOYSが「ASOBI」を演奏する中、志らく師匠が高座に上がり古典の大ネタ「らくだ」を熱演し、オチまでいって頭を下げると「ASOBI」の演奏が再開されるという。
九龍ジョーさんの「伝統芸能の革命児たち」という本にも書かれていますが、向井さんは最初はもっと落語と演奏とが絡み合うようなコラボを提案されたようなんですけど、志らく師匠が断ったそうです。「私の後ろでは、音楽は鳴らないと思います」と。まさか断られるとは、向井さんもびっくりしたと思いますよ(笑)。
──ある種、落語家としては正しい姿勢のような気もします。
一番カッコいいです。落語というスタイルと自分の表現を信じて、「これがベストだ」と思っていらっしゃるということなので。自分が発する落語ですべてが表現できている、そこに映像とか音楽を足す必要なんかない、と確信を持たれている。自分はまだそこまでの境地にはいない。音楽と落語について、今ふと思い出したのは、昔、iPodで談志師匠の「芝浜」の音源を聴いたあとに、シャッフル再生でくるりの「言葉はさんかく こころは四角」が流れたんです。それがもうめちゃくちゃよくて。「芝浜」のエンドロールみたいに、余韻にバスドラの四つ打ちが入ってきて鳥肌が立ったんですね。落語と音楽はそういう合わせ方もあると思うし。フィールドレコーディングの技法も、落語と相性がいいはずなんです。可能性はあるけどまだ自分では実装できてないので、この先考えていこうと思います。
立川吉笑(タテカワキッショウ)
1984年生まれ、京都出身の落語家。2010年11月に立川談笑に入門し、わずか1年5カ月という異例のスピードで二ツ目に昇進した。古典落語的世界観の中で、現代的なコントやギャグマンガに近い笑いの感覚を表現する手法「擬古典」を得意とする。雑誌「中央公論」「Quick Japan」でコラムを連載し、2015年には初の書籍「現在落語論」を出版するなど執筆活動も多数行う。2021年12月に創作話芸ユニット・ソーゾーシーとして初CD「ソーゾーシー 傑作選1」を発売。2022年11月に若手落語家の登竜門と言われる「NHK新人落語大賞」を、2022、23年の2年連続で「渋谷らくご大賞」を受賞した。