佐々木敦と南波一海によるアイドルをテーマにしたインタビュー連載「聴くなら聞かねば!」。この企画では「アイドルソングを聴くなら、この人に話を聞かねば!」というゲストを毎回招き、2人が活動や制作の背景にディープに迫っていく。13回目となる今回のゲストは、音楽プロデューサー・もふくちゃん(福嶋麻衣子)。でんぱ組.incや虹のコンキスタドールなど、さまざまなアイドルを手がける彼女に、これまでの経歴や自らのプロデュース哲学、今後に向けた展望などを2回にわたり語ってもらった。前編となる今回は、3人の知られざる意外な関係性から話がスタート。
構成 / 望月哲 撮影 / 沼田学 イラスト / ナカG
佐々木敦オタクだったもふくちゃん
もふくちゃん この3人が今アイドル業界に関わってるのが謎すぎて怖い(笑)。もともと全然違うところにいたのに。
佐々木敦 確かに。僕はアイドル業界に関わっているわけではないけど(笑)。あくまでも外野というか。
もふくちゃん そもそも私は佐々木さんの教え子ですから。さらに言えば□□□(かつて南波が所属していたバンド)のミュージックビデオの制作も手伝っていたし。
南波一海 そうなんですよね。「Twilight Race」という曲のMVに出てくるクルマを用意してくれたのが、もふくちゃんだったという(笑)。ビックリしましたよ。でんぱ組.incの取材後に、TOY'S FACTORYのエレベーターの前で突然その話をされて。
もふくちゃん そうそう。当時、知り合いが□□□のお手伝いをしていて、MV用にオープンカーが必要だと言われたんですよ。たまたま知り合いが渋めのオープンカーに乗ってたので、急遽その人に貸してもらって。
南波 それこそ20年近く前の話ですよね。話を戻すと、もふくちゃんは大学時代、佐々木さんの授業を受けていたんですよね。それはどんな授業だったんですか?
佐々木 当時、僕は東京藝術大学の音楽環境創造科で「音響表現論」という授業を担当していて。それこそMERZBOWを1時間ずっと聴かせたり、ワケのわからない内容だったんだけど。
もふくちゃん 私、その授業、全部受けてましたよ(笑)。
佐々木 あるとき授業を終えたら偶然もふくちゃんと帰りが一緒になったことがあって。取手のキャンパスから確か渋谷まで電車が一緒だったのかな? そのときにいろいろ話したんだよね。僕は当時、「UNKNOWNMIX」というイベントをやっていたんだけど、そこにもお客さんとして来てくれていたみたいで。
もふくちゃん 佐々木敦のオタクだったんで(笑)。
佐々木 そのときに確か「私、ノイズも好きですけど、アイドルも好きなんです」という話をされた記憶がある。それが今から20年くらい前の話。で、そこからしばらく時が経って、次に会ったのは2.5Dでやったトークイベントだっけ? すでに、もふくちゃんは、でんぱ組.incのプロデューサーとして名を馳せていて。
もふくちゃん 雑誌「サウンド&レコーディング・マガジン」のイベントでしたね。音源を聴いて、いろいろしゃべるっていう内容で。10年くらい前ですかね。佐々木さんとお話しするのはそれ以来かも。
佐々木 だから今日で3回目なんだよね、ちゃんと話すのは。
南波 10年おきくらいに話す関係(笑)。
佐々木 今日は「アイドルグループの持続可能性」みたいなところをテーマに話を進めていきたいんだけど、話の取っかかりとしてまず聞いておきたいのは、もふくちゃんが、どのようにしてアイドルグループを手がけるようになったかということ。アイドルシーンというものに対して当時どういう意識を持っていたんですか?
もふくちゃん 佐々木さんの影響もあって、私、学生時代はスリルジョッキーレコーズ(“シカゴ音響派”と言われた、アメリカ・シカゴのポストロックシーンを代表するインディーレーベル。TortoiseやThe Sea and Cakeなど、さまざまなバンドを輩出)のオタクだったんですよ。だから自分でもスリルジョッキーみたいなことがやりたくて。ほかにはメゴ(オーストリア・ウィーンに拠点を置くレーベル。ダンスミュージックの突然変異体とも言うべき独特な作品を続々とリリースしている)も大好きで、とにかくインディーレーベルをやってみたかったんです。
佐々木 もともとはレーベル志向だったんだ。
もふくちゃん はい。それと同時にアイドルシーンにも興味があったんですけど、当時のアイドルシーンって、いろんな意味で手つかずで、ブルーオーシャンに見えたんです。衣装もちょっとダサかったし(笑)。女の子が見たときに、とてもじゃないけど真似したいとか、お手本になるようなコンテンツじゃなかったんですよね。男性目線が今より断然強かった。なので、女性から見た「カワイイ」だったり、ファッション的な部分ではマジでやりようがあるなと思って。それで最初はファッションとアートの方面から攻めてみたんです。ちなみに、でんぱ組.incが最初にコラボしたのって村上隆さんなんですよ。
佐々木 そうだったんだ!
もふくちゃん 村上さんが「秋葉原でムービーを撮ろう!」って声をかけてくれて。それで当時開店したばかりだったディアステージに、「チャーリーズ・エンジェル」とかを撮っているマックG監督と、キルスティン・ダンストを連れてきて。
南波 すごすぎますね、その話(笑)。
もふくちゃん 今考えても、なんだこの世界っていう(笑)。ただ、海外の人たちの秋葉原に対する反応がすごくよかったんですよね。「こんな街は見たことない! アメージング!」みたいな。
佐々木 まさに「UNKNOWNMIX」だよね。
もふくちゃん まさに! それですごく手応えを感じて。あとは蜷川実花さんも興味を持ってくれたり、アート方面の一流の方々が、でんぱ組.incという秋葉原から生まれた土着のグループを面白がってくれたんです。それが2007年から2008年頃の話。秋葉原のオタク的な文脈で言うと、2006年に「涼宮ハルヒの憂鬱」、2007年に「らき☆すた」の放送がスタートして、アニメがサブカルチャーとして徐々に認知され始めた時期だったんですよね。
佐々木 アニメオタク以外の層にも広がっていって。
もふくちゃん すごく勢いがあった時期です。あと重要だったのは秋葉原・中央通りの路上文化。当時の路上パフォーマンスには、海外のどんなストリートにも負けない熱気とオリジナリティがあったんですよね。私はそこに日本独特の土着性を感じて、自分なりのスリルジョッキーやメゴを秋葉原という街から生み出せるんじゃないかと思ったんです。あの頃、自分も秋葉原に住んでたし。濃いカルチャーを作るには同じ釜の飯を食うところから始めなきゃダメだなって。それで、のちにディアステージを一緒に立ち上げることになるみんなと一緒に住んで、毎日秋葉原のストリートに行って、泥になるまでそこにいる、みたいなことをやったんです。一点突破するぐらいのすごい熱量がみんなにあったんですよね。
佐々木 当時の秋葉原はそれくらいの魅力がある街だった?
もふくちゃん そうですね。私は音楽が好きなので、学生時代から、ロンドンやニューヨークとか、海外のいろんな街に音楽を聴きに行ってたんです。でも、いざストリートに出かけてみると古臭いジャズとかを演奏してる人たちばかりで、全然「ON」な空気がなかった。その一方、秋葉原では、とんでもないヘンテコな人たちがパフォーマンスをしてるんです。決して歌や演奏がうまいわけじゃないし、ペラッペラの音でやってるんだけど、ニューヨークやロンドンで感じたことのないような謎の高まりを感じて。秋葉原の路上カルチャーは世界に誇れるものだと思ったんです。
佐々木 スリルジョッキーがシカゴ、メゴがウィーンから生まれたように、秋葉原から何かが生まれるかもしれないと?
もふくちゃん 音楽と土地って切り離せないものがあると思うんですよ。デトロイトテクノとかもそうですけど、こういうカルチャーが根付いている土地だからこそ、こういう音楽が生まれるとか、すごく説得力があるじゃないですか。そういった意味でも、私たちは1週間ごとに切り替わる秋葉原の流行りとか匂いを敏感に感じ取って、そこから新しい何かを生み出すべきだと思ったんです。
オタクになれない自分がコンプレックス
佐々木 少し話が前後するけど、もふくちゃんは、そもそもどういう流れでアイドルに興味を持ったんですか?
もふくちゃん 子供の頃からアイドルは好きだったんですけど、一番大きかったのはハロー!プロジェクトの存在ですね。Berryz工房の「小遣いUP大作戦」とか衝撃的で。「なんスか、これ⁉」みたいな。ひと言で片付けられない複雑な何かを感じてしまって。
佐々木 ハロプロの楽曲って独特ですよね。ハイコンテクストな作りなんだけど、きちんと大衆性もあって。
もふくちゃん トリッキーなレゲエ曲に謎の歌詞が乗っかっているのに、最終的にすごくポップにまとまっていたり。組み合わせの美みたいなものに興味を持つようになったんです。謎なものと謎なものが掛け合わさって生まれたものに対して、受け手が謎の盛り上がりを見せる謎だらけのパッケージ(笑)。楽曲の受け入れられ方も含めて、まるっと面白いなと思ったんです。ハロヲタと呼ばれる人たちが起こす“祭り”も含めた面白さというか。でんぱ組.incを作るにあたって、音楽だけというよりも、カルチャー全体のパッケージングとして面白いものを作りたいと思ったのはハロプロの影響が大きかったですね。
佐々木 “祭り”を俯瞰で捉える感性というか、もふくちゃんの中には、もともとプロデューサー的な視点があったのかもしれない。
もふくちゃん 実はそれが自分の中でずっとコンプレックスでもあるんですよ。どうしてもオタクになれない自分がいて。“祭り”の中に入って、無我夢中で何も見えないみたいな状態に今までなれたことがなくて。
佐々木 なれてたらこうなってないでしょ(笑)。
もふくちゃん そうですね(笑)。だからこそノイズが好きなのかなと思うんです。ノイズって聴いてて無になれるというか、考える隙も与えてくれないようなところが面白くて。結局、自分は分析しちゃう側の人間なんですよね。だからオタクに対する憧れがあるんです。好きな対象に向けてケチャを捧げる気持ちとか、すごく尊いなと思うし。自分の周りにいた人は、でんぱのメンバーも含めガチのオタクばかりだったので。
メンバー探しの基準は「藝大にはいない人たち」
佐々木 でんぱ組.incのメンバーを集めるにあたって、もふくちゃんの中ではどういう基準があったんですか?
もふくちゃん 基準としては、まず藝大にはいない人たちですね(笑)。藝大の中でも音校は特にエリート社会だったし、クラシック業界は閉塞感があって、自分はその中では落ちこぼれだったんで、そういう人たちとうまく馴染めなかった。音大や藝大はやっぱりどこまでいってもエリート集団ではあるんですよね。
佐々木 いや本当に。間違いなくエリートだよね。
もふくちゃん 3歳からピアノを習って、国立音大付属高校から東京藝術大学に進学して。周りもお嬢様ばかりだったからずっと無菌状態だったんです。そこで初めて秋葉原の人たちに出会ったとき、「これはヤバい」と思っちゃって。リストカットの痕とか初めて見て意味わかんなくて。いわゆるメンヘラにも秋葉原界隈で初めて会ったんです。メンヘラが本当にいなかったんですよ、大学に至るまで。
南波 メンヘラ的な要素とは無縁な環境ですよね。みんなスクスク健やかに育って。
もふくちゃん 初めて会う人種ばかりだったから単純に面白くて新鮮だったんですよね。そもそも(古川)未鈴ちゃんが中学も半分行ってなくて「中学中退だー」って言っているのを聞いてビックリして。「中学中退って何? そんなことできるの⁉」みたいな(笑)。
佐々木 「義務教育じゃないんだ!」って(笑)。
もふくちゃん みんな本当に今まで出会った人たちと違うのでビックリしました。普通に生きてたら身に付くであろう常識がスコーンと抜け落ちてる人たちばかりだったので。ただ何かが抜け落ちてる人って、違う強烈な何かを持ってるんですよね。とにかく会う人、会う人、みんな個性的で面白かった。ただ、そういう子たちを集めてグループを立ち上げるとなると、やっぱり大変で。
佐々木 それはそうだよね。
もふくちゃん 決められたことを普通にはやれない人たちばかりなんで(笑)。「がんばれない」ということをこっちは全然理解できなくて。クラシック業界なんて超マッチョですよ。努力することがデフォルトにある状態の中で、いかにして、ほかの人たちを出し抜いていくかという世界なので。
佐々木 高級官僚みたいな世界ですよね。
もふくちゃん ホントそうです。「●●先生と●●先生に付いて個人レッスンも週何回通って」みたいな熾烈な争いを日々行っていて。それに比べて、秋葉原のやつらは何事もがんばれないんですよ。「歌を練習しよう、踊りを練習しよう」とか呼びかけても「眠くて起きれません」「モンハンで忙しいです」みたいな(笑)。そのくせ深夜のアニメは欠かさず観てるんですよ。「えっ! 本当のクズだ!」と思って。最初は苦労しました。でもいざっていうときにすごい謎のパワーを発揮するんですよね。もしかして天才なのかな?って思い始めて。
佐々木 それがいつの間にか徐々に人気が出てきて。世の中に、でんぱ組.incという名前が轟いていくわけじゃないですか。本人たちにも手応えはあったんですか?
もふくちゃん あったと思います。ただ本人たちの中ではワケのわからないことも多かったんじゃないかな。今でも思い出すんですけど、Chim↑Pomの展覧会にでんぱ組.incが出演させてもらったとき、「やっちまった!」ってことがあったんですよ。「現代アートの展覧会でライブができる!」と思って喜び勇んで会場に行ったら、女体盛りをやってて。
佐々木 芸術活動の一環として(笑)。
もふくちゃん 女体盛りをしてる前でライブをしてくださいって突然言われたんですよ。そしたらメンバーが「怖い怖い、どうしよう……」って泣き出しちゃって。そのときは夢眠ねむちゃんが、ほかのメンバーに説明してくれたんです。「大丈夫だよ。これはあくまでアートだからね」って。
南波 さすがです。
もふくちゃん ねむちゃんみたいな翻訳者がグループにいてくれたことは本当に助かりましたね。小沢健二さんの「強い気持ち・強い愛」をカバーさせてもらったときも、みんな「小沢健二って誰? 聴いたことない」みたいな感じだったんですけど、ねむちゃんが一生懸命説明してくれて。そういうことの繰り返しでした。
南波 それぞれがキャラ立ちしてたこともあってか、でんぱ組.incはある時期からどんどん各メンバーのキャラクターにフォーカスしていきましたよね。秋葉原という“街”から、“人”にフォーカスしていったというか。
もふくちゃん そうですね。秋葉原から生まれたグループが、地方の人だったり、多くの人たちに認知してもらうためには、キャラクターをより明確に打ち出したほうがいいかなと思ったんです。「ハルヒ」や「らき☆すた」のキャラクター性って三次元でも使えるなって。なので一時期は、メンバーのキャラ作りをかなり徹底しましたね。「あなたはこれを好きって言っちゃいけない」とか。キャラがブレないように。
佐々木 めちゃくちゃコンセプチュアル(笑)。
もふくちゃん メンバー自身も「二次元になりたい!」って言ってたので(笑)。みんなアニメが好きだったから話が早かったんですよ。二次元のキャラを演じることに躊躇がないし、むしろ本名の自分は本当の自分じゃない、みたいな感じだったんで。そう考えると今は時代が変わって、みんな「自分をいかに盛っていくか」みたいな感じですよね。キャラを演じてほしい、と思っても全然言うことを聞いてくれない(笑)。
佐々木 はははは。
もふくちゃん 髪の色も勝手に変えちゃうし、「なんで私が、それを好きって言わないといけないんですか?」とか「前は好きだったけど、もう好きじゃなくなりました」とか平気で言いますから(笑)。でんぱ組.incがスタートした頃は、自分じゃない誰かを憑依させて、どこか遠いところに行くみたいなところがメンバーの共通意識としてあったんですけど、今の子たちは全然違いますよね。自分を1.5倍に盛るとかそういう感じで。
佐々木 別人になるというよりも、自分を増幅させる感覚というか。
もふくちゃん 整形したり髪の色を変えたり、パーツを替えて、自分を盛っていく感じなんでしょうね。でも当時の秋葉原の奴らは別の人間になるのが生き甲斐だったので。なんならアニメの絵になるくらいの勢いで(笑)。「一生、ツインテールで生きていきます!」みたいな。でも、毎日髪色を変えて生きていきたいっていう今の子たちのマインドもとてもいいなと思って、今ではちょっと考え方も変わりましたね。
ファンク=スメルフィンガーの感覚
佐々木 秋葉原という街に注目が集まっていく中で、AKB48というグループも誕生したわけじゃないですか。同じ秋葉原という街から生まれたのに、2つのグループは、まったくカラーが違いますよね(笑)。
もふくちゃん 見事に違いますね。何から何まで。
佐々木 やっぱり、でんぱ組.incのほうが強烈な土着性を感じるというか。そもそも住むところから始まってるわけだし(笑)。
もふくちゃん 秋葉原に住んで、秋葉原の飯を食うところから始まっているので。私はP-FUNKが好きなんですけど、P-FUNKファミリー総帥のジョージ・クリントンが、あるインタビューで「ファンクとはなんですか?」って聞かれたときに、「スメルフィンガーだ」って答えていたんですよ。ダラダラアイスを垂らしながら(笑)。要するに、「この世の中の汚いものを指でグルグルかき混ぜてその匂いを嗅ぐこと、それがファンクだ!」って。10代のときにそのインタビューを読んで「キャー! カッコいい!」って思ったんですよ。「わかる、わかる!」ってめちゃくちゃ感銘を受けて。ファンクかどうかっていう違いはすごくあると思うんですよね。
佐々木 ファンク=スメルフィンガーの感覚があるかどうか。
もふくちゃん 私の中ではそれがすごく重要で。当時の秋葉原では楽しいことだけじゃなくて、それこそ通り魔事件だったり、本当に日々いろんなことが起こっていて。でんぱ組.incというのは、秋葉原という街に漂っていた空気をグルグルかき混ぜる中で生まれたグループだと思うんですよね。かたやAKB48は、みんなかわいくて、清潔で、何よりも臭くない(笑)。基本的にみんな臭いものって嫌いじゃないですか。そりゃ向こうのほうが一般受けしますよ。最初から別モノだなと思ってました。
<後編に続く>
もふくちゃん
東京都出身の音楽プロデューサー、クリエイティブディレクター。東京藝術大学音楽学部卒業後、ライブ&バー・秋葉原ディアステージやアニソンDJバー・秋葉原MOGRAの立ち上げに携わり、でんぱ組.incや虹のコンキスタドール、ミームトーキョー、ARCANA PROJECT、わーすたなどのアイドルに加えて、PUFFYをはじめとする多くのアーティストのクリエイティブおよび楽曲プロデュースを手がけている。6月21日には、Tahiti 80、ギターウルフ、桃井はるこ、ヤマモトショウら豪華な作家陣を迎えた、でんぱ組.incの新作EP「ONE NATION UNDER THE DEMPA」がリリースされる。
佐々木敦
1964年生まれの作家 / 音楽レーベル・HEADZ主宰。文学、音楽、演劇、映画ほか、さまざまなジャンルについて批評活動を行う。「ニッポンの音楽」「未知との遭遇」「アートートロジー」「私は小説である」「この映画を視ているのは誰か?」など著書多数。2020年4月に創刊された文学ムック「ことばと」の編集長を務める。2020年3月に「新潮 2020年4月号」にて初の小説「半睡」を発表。同年8月に78編の批評文を収録した「批評王 終わりなき思考のレッスン」(工作舎)、11月に文芸誌「群像」での連載を書籍化した「それを小説と呼ぶ」(講談社)が刊行された。近著に「映画よさようなら」(フィルムアート社)、「増補・決定版 ニッポンの音楽」(扶桑社文庫)がある。
南波一海
1978年生まれの音楽ライター。アイドル専門音楽レーベル・PENGUIN DISC主宰。近年はアイドルをはじめとするアーティストへのインタビューを多く行い、その数は年間100本を越える。タワーレコードのストリーミングメディア「タワレコTV」のアイドル紹介番組「南波一海のアイドル三十六房」でナビゲーターを務めるほか、さまざまなメディアで活躍している。「ハロー!プロジェクトの全曲から集めちゃいました! Vol.1 アイドル三十六房編」や「JAPAN IDOL FILE」シリーズなど、コンピレーションCDも監修。