ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE hosted by KEN THE 390 EPISODE.1(前編) 「B-BOY PARK」前人未到の3連覇:KREVA
90年代の「B-BOY PARK」(BBP)、00年代の「ULTIMATE MC BATTLE」(UMB)などの大会や、10年代の「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」「フリースタイルダンジョン」といったテレビ番組。アンダーグラウンドで活性化し、独自の発展を遂げてきた日本のMCバトルは、今や日本武道館などアリーナ規模で大会が行われ、ユースカルチャーにとって欠かせないコンテンツとなった。
音楽ナタリーでは、日本におけるMCバトルの歴史を紐解き、現在に至るまでの変遷をたどる連載を始動。本連載では、BBPの時代から、リスナー、プレイヤー、審査員としてMCバトルの進化を現場で見続けてきたラッパーのKEN THE 390がホストとなり、バトルに縁の深いラッパーやアーティストを迎え、対談形式でその移り変わりをまとめていく。
EPISODE.1では、BBP MCバトル大会の第1回から3回に参戦し、前人未到の3連覇を成し遂げたKREVAが登場。これまで、MCバトルについてほとんど語ることがなかったKREVAが、フリースタイルを始めた頃の黎明期のエピソード、BBP出場に際して抱いていた“王者”としての思いを振り返った。
取材・文 / 高木“JET”晋一郎 撮影 / 斎藤大嗣 スタイリング(KREVA) / 藤本大輔(tas) ヘアメイク(KREVA) 結城藍 ヘアメイク(KEN THE 390) / 佐藤和哉(amis)
まさかクレさんにMCバトルについてお話ししてもらえるとは
KEN THE 390 こちらからオファーしておいてなんなんですが、まさかクレさんにMCバトルについてお話ししてもらえるとは……本当に驚きました。
KREVA 確かにこれまで、バトルについて話したことはほとんどないかもね。何を聞かれるか楽しみ。
──よろしくお願いします。まずKREVAさんがフリースタイルを始めたのはどんなタイミングだったんですか?
KREVA 高1、高2くらいかな? ターンテーブルを初めて買って。同じ団地に住んでて、一緒にBY PHAR THE DOPESTを組んだCUEZEROと、もう1人の友達とでヒップホップを聴いてたんだけど、仲間内で同じレコードを重複して買ったりするから、それを2枚使いして、そのうえでフリースタイルを始めたんだよね。
KEN 自分たちのノリで自然に始めたんですか?
KREVA 「2枚使いしたら、フリースタイルもするだろ」みたいな感じだったよ(笑)。
──ヒップホップの原点的な姿ですね。映画の「WILD STYLE」や「Style Wars」みたい。
KREVA 「ラッパーはフリースタイルをするらしいぞ」と知ってて始めたのか、クラブでみんながやっていたのを見て始めたのか、そのあたりの記憶が曖昧だけど、とにかくその時期にはフリースタイルを始めてたし、テープに録ってた。そのときにはもう「これはできるな」と思ったのは覚えてるね。
KEN そのときすでにオリジナルのラップもやっていたんですか?
KREVA 初めて書いたかな?ぐらい。RHYMESTERとかキングギドラの作品で、「日本語で韻を踏むとはこういうことだ」みたいなこともわかってきて。そういう理解のうえでフリースタイルしたら、ちゃんと言葉や韻が降ってきた感覚があって、それをクラブイベントのオープンマイクのときに披露したんだよね。
KEN 当時のオープンマイクはフリースタイルでもいいし、持ちネタをキックしてもいいし、とりあえず誰がやってもいい感じだったんですか?
KREVA そう。レゲエのラバダブ(※1)に近い感じだったな。自分をアピールする場であり、楽しむ場みたいな。その中でも、特にFG(FUNKY GRAMMAR UNIT。RHYMESTER、EAST END、RIP SLYME、MELLOW YELLOW 、KICK THE CAN CREWらを中心としたヒップホップコミュニティ)周りのイベントは必ずフリースタイルの時間があって、K.I.N(MELLOW YELLOW)さんやPES(ex.RIP SLYME)はトップオブザヘッド(完全即興)でやってたし、俺も同じようにガチの即興でそこに挑むみたいな。
KEN K.I.Nさんをはじめ、「KREVAはめちゃくちゃフリースタイルがうまかった」と話す人が多いんですよ。
KREVA 当時、俺はそれだけで名を馳せてたんじゃないかな。渋谷を歩いてるときにRhymehead(T.A.K The Rhymehead / T.A.K The Rhhhyme)に会って……余談だけどRhymeheadはそのときDATで音楽を聴いていたんだけど(笑)。
──デジタル音質で(笑)。時代ですね。
KREVA 初対面のRhymeheadから「お前、フリースタイルのやつだろ?」って言われたから、それくらい名は知られてたんだと思う。
──Rhymeheadさんは、ZEEBRAさんやUZIさんとともにT.O.P. RANKAZ / URBARIAN GYM(UBG)を結成されていましたが、UBGも当時フリースタイルを積極的にやられていたという話がありますね。今よりもシーンは狭いとはいえ、KREVAさんはFG、RhymeheadさんはUBGと別クルーではあったのに、フリースタイラーとしてKREVAさんの存在は伝わっていたという。
KREVA フリースタイルをさんざんやってたから。そういえばUZIくんが運転で、DJ KEN-BOくんが助手席、俺とCUEZEROが後部座席に乗って、遠くのイベントに行ったことがあったんだよね。
KEN 面白い組み合わせですね。
KREVA そのくらい狭い世界だったから。それでKEN-BOくんが「フリースタイル地獄」っていうカセットテープを流して(笑)。
──タイトルが最高すぎる(笑)。
KREVA ずーっとインストが入ってんの。それに乗せてUZIくんが「YO! 俺がするの右折! そして苦節10年……」みたいな。
一同 あははは!
KREVA UZIが話の筋通しすぎてた(笑)。俺らも参加して、会場に着くまでずーっと何時間もフリースタイルしてたな。当時は公園でラジカセ鳴らしながらサイファーするみたいなことも普通にやってたし、フリースタイルは日常だったかもしれない。
(※1)Deejay(ヒップホップにおけるMC)やシンガーが、持ち歌やフリースタイルをリディムに乗せて歌うこと。
言葉を入れ替えて韻を踏む“並び替え”システム誕生秘話
KEN クレさんが“バトル”を意識したのはどのタイミングなんですか?
KREVA KICK THE CAN CREW(KTCC)で一緒にやってるMCUがRADICAL FREAKSとして活動してた当時、彼のクルーは池袋のCLUB MADAM CARRASでイベントをやってたんだけど、あるとき彼らとFG周りが揉めてたんだよね。揉めたというか、MC JOEさんと士郎さん(宇多丸 / RHYMESTER)がバトルしたのがきっかけかな。
──1994年にMC JOEさんと宇多丸さんが「CHECK YOUR MIKE」で、日本で初めて公式にMCバトルをやったという流れでしょうか(引用:K.I.Nと宇多丸 日本のフリースタイルラップバトル誕生の瞬間を語る)。
KREVA それなのかな。俺もそのバトルは話を聞いただけで見てはなかったんだけど。で、そのイベントにFGから俺が刺客として送り込まれることになって(笑)。
──RADICAL FREAKSはMC JOEさんのレーベルからリリースしていましたが、その一派とFGの戦いに巻き込まれたと(笑)。
KREVA オープンマイクの時間に行ってジャックするっていう。本当にイベントを潰しに行くって気持ちだったし、毎回マジで八つ裂きにした(笑)。
KEN ははは。向こうのイベントなんですよね?
KREVA そう。だからアウェーなんだけど、オープンマイクの時間に乗り込んで、バチバチにフリースタイルやって、すぐ帰っちゃうの(笑)。
KEN 道場破りだ(笑)。
KREVA それで毎回行くようになると、MCUとか向こうの連中も俺のフリースタイルに返すようになって、だんだんMCバトルみたいな形になっていって。まあ、服装とか容姿ディスみたいな、しょうもない内容なんだけど。でも、そこで“見せるバトル”“見せ合うバトル”みたいな感じが生まれていったし、「そんなに毎回来るならちゃんと出たら?」という話になって、そのイベントにレギュラーで入ることになった。
──バトルから絆が生まれたと(笑)。それがなかったらKICK THE CAN CREWも生まれなかったかもしれないし、大きな事実ですね。
KEN めちゃくちゃ建設的ですね。「B-BOY PARK」(BBP)のMCバトルも含めて、クレさんはバトルやフリースタイルにおいても“見せ方”というのを意識されていたと感じるんですが、その気持ちは当時からありましたか?
KREVA そうだね。やっぱりフリースタイルやバトルといえどエンタテインメントだし。だからプロレスとかにマインドは近いのかな。
──戦いやセッションの中にも、そこに“ショーマンシップ”を持つというか。
KREVA そうだね。相手に伝えるというよりも、“オーディエンスに届ける”ほうを意識してたね。それから、どんな環境や状況でも、どこの会場でも通る“声の高さ”があるから、それも考えてた。ビートのキーと声のキーが合いすぎると声が埋もれちゃうから、合わせないで抜けるところを探して、とか。それは音響的に劣悪な環境のクラブの中でも、初めて観に来た人にも言っていることを届けて、コール&レスポンスできるようにというライブでの経験も含めて、実地で学んだし、それはバトルやフリースタイルにも影響してる。何言ってるかわかんなかったら勝てないからね。
KEN それはBBPの前からすでに意識してやっていたんですか?
KREVA そう。どんな劣悪な環境でも、まずは聴いてる側に届けるっていうか。ちなみにKENはリアルなバトルしたことある? 大会じゃなくて、イベントの流れでそうなった、みたいなやつ。
KEN オープンマイクでMSCとダメレコの団体戦みたいになって、延々やってるみたいなのはありましたね。
KREVA 勝敗のつかない感じ(笑)。
KEN そうなんですよ。どっちも負けを認めるはずもないし、みたいな。
KREVA 俺はあんまりそういう経験はないんだけど、茂千代とやったのを覚えてる。
KEN 僕もちらっとその話は聞いたことがあります。場所はどこだったんですか?
KREVA 渋谷FAMILYだね。大阪にBY PHAR THE DOPESTで行ったときにライブでフリースタイルしたんだけど、そこにいた茂千代がなんか気に食わなかったみたいで。それで東京で茂千代がライブするから観に行ったら、いきなりステージから呼び出されて。完全に客として観に行ってたから、本当に驚いた。
──「KREVA! 出てこい!」みたいな。すごい話ですね。
KREVA それで、ここで出ないのも違うなと思って、俺もステージに上がっていってリアルにラップでバトルする感じになった。たぶん、それが1999年のBBP前で、BBPでもやった“並べ替え”を茂千代とのバトルで披露したんだよね。それが自分としても手応えがあったし、会場的にもバチハマり、ライターの大前(至)さんに褒められて(笑)、この“並べ替え”システムはいけるんじゃないか、と思ったんだよね。
「B-BOY PARK」は「俺のための大会だな」
KEN そのバトルと近いタイミングで「BBPのMCバトルが始まる」という話が決まったんですね。
KREVA そうだね。BBPのMCバトルの話を聞いたときは、もう「俺のための大会だな」とリアルに思った。周りからの評価としても「KREVAが出るなら勝つでしょ」みたいな雰囲気があったし、FGはクルーとして甘く見られがちな部分もあったから、自分としても負けられないなと。
──FGはいわゆる不良性やハードコアな部分が強くない分、甘く見られがちだったと。
KREVA 「でも、スキルの部分ではそうじゃないから」というのを証明する気持ちもあったし、勝つことを決めていった部分はあるね。
──1999年に行われた「BBP」のMCバトル第1回は、一般応募枠とアーティスト推薦枠の2通りの出場枠があり、KREVAさんは推薦枠での出場でした。同時に、FGの棟梁たる宇多丸さんが司会でもあり、その状況で負けるわけにはいかないというプレッシャーはありましたか?
KREVA いや、負けられないと思ったのは自分の中の気持ちで、周りからのプレッシャーはそんなになかったかな。「負けんなよ!」みたいな声をかけられたこともないし、士郎さんが司会だったことも今言われて思い出したぐらい。楽屋の様子すらほとんど覚えてなくて。ILLMURAと戦ってるんだね。
KEN ILLMURAさんは言葉を詰め込んだ、今のフリースタイルに近いスタイルですよね。
KREVA アンダーグラウンドっぽい感じだったよね。
──そのILLMURA戦で、KREVAさんは“並べ替え”を披露しています。「BLAST」2000年9月号掲載のBBPレポートから引用すると「カッコいいお前の挑戦 / でも俺にとってみればお前は少年 / 少年並び替えるとネンショウ / 俺が勝ち取るぜこの懸賞(と並べられた商品を指す) / イエス DJはKEN-BO / 俺をみて……(その場で走る仕草をして)マジで健康 / イエッサー健康並べ替えるとコウケン / 日本のラップの発展に貢献」とラップされていますね。脚韻を抜き出すと「挑戦」「少年」と踏み、「少年」を「ネンショウ」と並べ替え、そこから「懸賞」「KEN-BO」「健康」とつなぎ、さらに「健康」を「コウケン」に並べ替え、「貢献」と展開します。
KEN あれはすごい発明だと思うんですよね。その当時は「これが即興なのかどうか」「本当に即興なのかどうか」を判断するだけのリテラシーがまだ高まってなかったと思うし、その意味でもオーディエンスや審査員に「即興であることを証明する必要」があったと思うんですよ。だから、その場の状況をラップに織り込むだけじゃなくて、さらにその言葉を並べ替えてラップに組み込むことで、「今ラップしてる内容がトップオブザヘッドであること」を証明できたと思うし、すごく効果的だったんだろうなと。
KREVA でも、そこまで意識的だったというよりは、「並び替えって面白くね?」ぐらいだったと思う。それを茂千代とのフリースタイルでは試したけど、「これが俺の武器だ! BBPでも必ずやろう!」とはまったく思ってなかったし、むしろ急遽やった気がするな。
KEN 並び替えって、めちゃくちゃ難しくないですか? ライミング自体は、現場で初めて踏む韻もあれば、踏んだことがある韻がパッと出てくることもあるし、バリエーションはあると思うんですよ。でも、その場の状況を言葉にして、それを並び替えて、さらに韻を用意するのはかなり難しい気がする。
──そもそも、言葉を並び替えるということ自体、韻とは違う脳の使い方ですよね。
KREVA 確かに。流れを変えたかったんじゃないかな。対戦相手や観客から“韻を読まれる”ことを避けたかったというのもあったかもしれない。
KEN あと、クレさんのラップには、そこに“間”があったと思うんですよ。例えば「お前は〇〇」と言ってから1拍置いて、言葉を並び替えたうえで韻を踏んで、さらに1拍置くみたいな。お客さんに考える間を与えつつ、“フリとオチ”を成立させてたと思う。
KREVA 意識的にそうしてたわけでもないけど、俺がやりたいことがそれだったのかな。みんなを巻き込んで楽しむというかさ。負けたいわけではないし、勝とうとは思ってるけど、その前に“楽しむ”という気持ちが強かった。でも、第1回は本当にあんまり覚えてないんだよな。JAY-Zの替え歌をやったのって第1回?
──決勝戦で「Impeach The President」に乗せて「自画~自賛~」と替え歌してますね。
KREVA 我ながら、よく出たな(笑)。たぶん、サイファーとかフリースタイルで遊んでたんだと思うし、そこで言ってたことが生きた感じじゃないかな。いきなりそんなの出せないでしょ。
KEN 積み重ねから出てくる部分は大きいですよね。
B-BOYたちの姿勢に撃ち抜かれた
KREVA その意味でも、俺が完全に編み出したものというのは、そんなにないと思うんだよ。それこそ「亜熱帯雨林」(ヒップホップユニット・雷が中心となって開催した伝説的イベント)とか雷のイベントに行ってもみんなフリースタイルしてたし、俺も含めてマイク握りたいやつはそこに参加して、いろんな影響をみんなで受け合ってたり、積み重ねたと思うんだ。例えばステージングもそう。
KEN バトルだからこそのステージングですか?
KREVA “相手を睨む”とか、普段のステージではあり得ないでしょ。
──確かに“ステージ上に敵がいる”という状況はよく考えたら特殊ですよね(笑)。
KREVA だから“睨む”みたいな行動をあえてやったりした。それはさっきも話したように「バトルを見せる」という部分でね。(当時の雑誌記事、中でもBBPのダンスパートに目を通しながら)今、鮮明に思い出したけど、B-BOYのダンスバトルは参考にした。六本木のR?HALLでやってたROCK STEADY CREWのイベント「B-BOY NIGHT」に呼んでもらえるようになって、そこでB-BOYたちの姿勢にめちゃくちゃ撃ち抜かれたんだよね。大技を決めるときだけじゃなくて、相手をダンスでアップロック(挑発)したり、顔でキメたり、相手のダンス中にも動きで煽ったり、相手にもオーディエンスにもアピールするでしょ。そういう“バトルだけど、単に1対1で戦うだけじゃなくて、オーディエンスも意識しながらパフォーマンスすること”には、すごく影響を受けたと思う。
KEN 確かにBBPのMCバトルの映像を観直しても、バトルでのアティチュードや煽り方、キメのポーズとか、B-BOY的ですね。
──その意味でも、ヒップホップのエレメンツがつながっていたんですね。
KREVA 「やられたあ! これだよ!」と思った。それこそ、RHYMESTERが「ヒップホップ5番目の要素:顔」とか言ってたけど、B-BOYのダンスのときのフェイシングを見て、このことか! 間違いないな!って(笑)。それから、レゲエの影響も大きかった。
KEN サウンドクラッシュ(※2)ですか?
KREVA そう。LITTLEがTAXI HI-FIとつながりがあったりしたから、レゲエの情報も当然入ってきてたし、MIGHTY CROWNやTOKIWAのクラッシュの熱さとかバイブスは、MCバトルでもすごく参考になった。クラッシュはかける曲ももちろんだけど、マイク捌きも重要だから。「この現場でそんな曲かけんじゃねえ!」みたいな荒々しさとか、ときにはまっすぐすぎるぐらいのメッセージの熱量みたいな部分は、MCバトルのスタイルとしても影響を受けたよね。それにクラッシュも「サウンド対サウンドの戦い」ではあるけど、お客さんを向いてるし、お客さんをどっちが盛り上げるかという勝負じゃん。その見せ方やアプローチ、表現方法も、自分にとって大きかったよね。だから、仲間内で楽しくフリースタイルしていたものが「MCバトル」という形式になったときに、アティチュードとしてB-BOYやサウンドマンからいろんなものを学んで、それを取り入れていたと思う。
KEN なるほど。これは聞かなきゃ絶対にわからなかったな。
KREVA 「この現場でそんな曲かけんじゃねえ!」という煽りだって、単にディスってるわけじゃなくて、「ダサい曲、ダサいダブをかけて、俺が信じているものを汚すんじゃねえ」という信念に基づいてるからこそ、説得力があるんだよね。それはすげえカッコいいと思ったし、俺はフリースタイルにおいてトップオブザヘッドを信条にしてたから、バトルではそれをテーマにしたんだよね。
KEN クレさんは当時からトップオブザヘッドにこだわってたと思うし、相手を攻撃する材料としても“仕込んできたネタか、即興でのトップオブザヘッドなのか”をテーマにすることが多かったと思うんです。
KREVA なるほど。確かにそういうところはあったかもしれないね。
(※2)セレクター(ヒップホップでいうDJ)とDeejayのサウンド(チーム)が、曲とMCで戦うスタイル。
<後編に続く>
KREVA(クレバ)
BY PHAR THE DOPEST、KICK THE CAN CREWでの活動を経て2004年にシングル「音色」でソロデビューを果たす。2006年2月リリースの2ndアルバム「愛・自分博」はヒップホップソロアーティストとしては初のオリコンアルバム週間ランキング初登場1位を記録し、2008年にはアジア人のヒップホップアーティストとして初めて「MTV Unplugged」に出演した。2012年9月08日に主催フェス「908 FESTIVAL」を初開催。“9月08日”は“クレバの日”と日本記念日協会に正式認定されている。さまざまなアーティストへの楽曲提供やプロデュース、映画出演、ブロードウェイミュージカル「IN THE HEIGHTS」、「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」の日本語歌詞を担当するなど幅広い分野で活躍しており、2011年には初の著書「KREAM ルールなき世界のルールブック」(幻冬舎)を刊行。本書は2021年6月に電子書籍化された。2023年9月8日に新曲「Expert」を配信リリース。同年9月14日に主催ライブイベント「908 FESTIVAL 2023」を、翌9月15日には「KREVA CONCERT TOUR 2023『NO REASON』」を東京・日本武道館で開催する。
衣装協力 / IM MEN、Ray-Ban
KEN THE 390(ケンザサンキューマル)
ラッパー、音楽レーベル・DREAM BOY主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年、アルバム「プロローグ」にてデビュー。これまでに11枚のオリジナルアルバムを発表している。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも精力的に行う。テレビ朝日で放送されたMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演。その的確な審査コメントが話題を呼んだ。近年は、テレビ番組やCMなどのへ出演、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、活動の幅を広げている。10月28日にはKEN THE 390が立ち上げたヒップホップフェスティバル「CITY GARDEN 2023」が東京・豊洲PITで行われる。
