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染谷大陽(Lamp)の音楽履歴書|国境を越えるエバーグリーンな音楽の礎

染谷大陽(Lamp)の音楽履歴書。
約1年前2025年02月03日 9:01

アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は2000年の結成以降コンスタントに作品を発表し、今や国内外で注目を浴びるバンド・Lampのギタリスト、染谷大陽の音楽遍歴に迫った。また、最後には染谷のルーツとなった楽曲プレイリストと、それに対する本人コメントを掲載している。

取材・文 / 柴崎祐二

“冨士夫くん”との思い出、考え方を育んだ宇宙の話

僕は東京の武蔵境というところで生まれたんですが、家の近所のマンションの一室を親父が借りて、リハーサルスタジオを経営していたんです。幼い頃、そのスタジオについていくのが好きでした。親父はそれ以前から自分でもギターを演奏していて、若い頃は山口冨士夫さんと一緒にバンドをやっていた経験もあったようです。ザ・ダイナマイツのあと、村八分が結成される少し前の話らしいんですが、親父はそのあたりの話を詳しくしたがらないので僕もよくわかっていなくて(笑)、母から少し話を聞いたのと、大人になってから本や雑誌を読んで経緯を知りました。母曰く、ボーカル担当の人、つまりチャー坊(柴田和志)が真面目に練習に取り組んでない感じが肌に合わなかったみたいで、一旦は彼らと一緒に京都に行ったらしいんですが、すぐ辞めて帰ってきてしまったみたいなんです。

そういうつながりもあって、山口冨士夫さん──僕は「冨士夫くん」って呼んでたんですけど、冨士夫くんは僕が幼いときに逗子に遊びに行き、オープンカーで海沿いの道をドライブしたり、遊んでもらったりした記憶があります。冨士夫くんは僕が音楽をやっていること自体知らないままだったと思います。

うちの親父はとにかくブルースギターが好きで、家では昔のブルースロックみたいなのがしょっちゅう流れていました。僕は延々とギターソロが続くようなそういう音楽には惹かれず、むしろ音楽はこうなってしまってはダメなんだなと反面教師にしていました(笑)。小学生の頃は寝る前に親父から宇宙の話を聞かせてもらうのが大好きでそのことにワクワクしていたのを覚えています。僕自身がなんでも物事を大きく俯瞰的に考えるようになっていったのはそのせいに違いないと、数年前に気付きました。

合唱コンクールが初の“共感体験”に

小学生の頃は、自分から進んで音楽を聴く感じはなくて。毎日近所の公園でサッカーや野球を楽しむ少年でした。音楽の授業も好きだったのかといえばそんなことはなくて、リコーダーとかも、普段はわりと普通に吹けていたんですけど、いざ「発表」の場になると緊張で震えてしまって最初の1音すら吹けなくて。あと、小2のときにピアノの教室に通っていたのですが、ある日、発表会というのがあると聞かされて、とたんに嫌になって辞めてしまいました(笑)。5年生のときに「歌声委員」というのになって、初めてマイクを持って人前で歌うという経験をしたんです。確か、校歌とか有名な唱歌とかを体育館で歌ったんだと思うんですけど、自分の声が大きくなって向こう側にいる人に届いているのがわかり、そのことがすごく楽しいなと感じたのを覚えていますね。それが人前で音楽をやることが楽しいと思った初めての体験でした。

中学では卓球部に入るんですが、並行して少しずつ音楽を聴くことにも興味が出てきて、Peter, Paul and MaryのCDを聴くようになりました。当時、駅の売店とかでよく売っていたような、廉価版のベスト盤が家にたまたまあって。親父がよく流していたジャニス・ジョプリンとかアレサ・フランクリンとかのよさはわからなかったけど、彼らの音楽に関しては子供心にもいいと思えたんです。歌声のハーモニーもきれいだし、曲も好きでした。

中学2年のときの合唱コンクールで、自分が推薦した「時の旅人」が自由課題曲に採用され入賞した経験も強く印象に残っています。音楽表現を通じた共感体験というか、「自分がいいと思う音楽はみんなもいいと思う」ということを勝手に感じたんです。余談ですが、どうやら「自分がいいと思う音楽はみんなもいいと思う」わけではないということに気付くのは20代中盤に差しかかってからのことでした(笑)。中3のときにはクラスの合唱の指揮者を務めたり、当時はことさら自覚していたわけではなかったんですが、徐々に音楽への関心が高まっていく時期でした。

初めてCDを買ったのもその頃です。中学2年の3学期、「3年生を送る会」で、ある先生がTHE BOOMの「島唄」をカラオケで歌ったんですが、すごくいい歌だなと思って、すぐにCDを買いに行きました。そこから1年くらいはJ-POPも聴くようになっていくんですけど、当時ヒットチャートに入っていた中ではMr.Childrenの「CROSS ROAD」と「innocent world」のシングルCDを買ったのを覚えています。中3のときはBOØWYやBUCK-TICKも熱心に聴きました。音楽を真剣に聴くようになってからだんだんと「自分だったらもっとこうするのに」などと思うようになって、自分でも曲を作りたくなったんです。親父に相談してみたら「じゃあ、ギターをやってみたら」と言われて、家にあったギターを弾くようになりました。まずはAコードとDコードの押さえ方を教えてもらって、その日のうちにその2つのコードだけで曲を作ってみました(笑)。

洋楽に傾倒した高校時代、永井祐介との出会い

高校に進むとフォークソング同好会という、いわゆる軽音楽部のようなクラブに入るんですが、そこにいた同じ学年の人たちの影響で洋楽のロックにのめりこみました。当時はNirvanaにハマっていて、「Nevermind」をはじめ、アルバムごと順々にバンドでコピーしていきました。1年生のときはデヴィッド・ボウイとかSex Pistolsとか、古めのロックやパンクもコピーしましたね。僕たちの場合、ボーカルをやりたい人がとにかく全然いなくて、必ず最後に余るパートがボーカルで、仕方なく僕がボーカルをやっていたんです。だいぶひどい歌だったと思います(笑)。あと、僕の学年は「邦楽を聴いているヤツはダサい」みたいな空気が部員の中にあって、自分もそういう考え方に感化されました。ただ、実際にいろいろと聴いてみると、確かに海外の音楽のほうが圧倒的に好きでした。1年生の終わりくらいから2年生になる頃くらいにはThe Smashing PumpkinsとかWeezer、Oasis、Ben Folds Fiveみたいな同時代のロックを聴きつつ、The BeatlesやSimon & Garfunkelみたいなメロディとハーモニーで聴かせるような、自分が生まれるよりもずっと前の音楽も熱心に聴くようになりました。特にThe Beatlesはその存在も含めて自分の音楽家としての根幹にあると思うし、彼らの音楽は今でも聴き続けています。こないだ2024年の「Spotifyまとめ」を見てみたら、1位はやっぱりThe Beatlesでした。

Simon & Garfunkelも自分にとってとても重要な存在です。曲やハーモニーが素晴らしいというのはもちろんですが、ポール・サイモンの書く歌詞もすごくいいんですよね。歌詞でいうと「For Emily, Whenever I May Find Her」や「America」「The Dangling Conversation」あたりが特に好きで、自分が曲を書くにあたっても影響を受けている部分があると思います。僕より1年あとにフォークソング同好会に入ってきた永井(祐介。のちのLampのメンバー)は当時から完全にそういうメロディとハーモニーが中心となっている音楽が好きでした。高3になる頃にポップスのオリジナル曲を作ってみたい気持ちが高まり、フォークソング同好会とは別に学外でやるバンドにも永井を誘いました。リハスタにメンバー募集の紙を貼って、実際に応募してきた人たちと一緒に1年くらい活動したんですけど、途中で永井が「つまんないからやめる」と言ってやめてしまって。「永井がいないならやる意味ない」と思い、僕もやめ、そのバンドはそこで解散となりました。その頃に作った曲は人に聴かせられるようなものではなかったです(笑)。

血肉と化した大学時代の膨大なインプット

大学に入って、バンド系のサークルをいくつか覗いてみたんですが、どうもピンとくるところがなくて、入学からLampを始めるまでの約2年間は音楽をやることからは離れて聴くだけの日々を送っていました。その頃の出会いで一番大きかったのは、のちに「Quiet Corner」というディスクガイド本を出すことになる山本勇樹くんと知り合ったことです。彼は当時からめちゃくちゃ音楽に詳しくて、60年代から70年代のソフトロックやソウルミュージック、ブラジル音楽その他、本当にたくさんの音楽を僕に教えてくれました。当時は、昔の知られざる名盤みたいなタイトルが続々とCD化されているタイミングで、そういう動きにも直に恩恵を受けました。学校帰りはいつも2人でCD屋やレコード屋へ寄ってました。

僕は60年代から80年代前半くらいまでの海外の音楽が大好きで、大学以降、今に至るまで基本的にそれしか聴いてないといっても言いすぎではないかなと。大学時代は具体的に絞り込むのも難しいくらいにいろいろないい作品に触れた時期だったし、そういう経験が今に続く自分の血肉になっていて、もう「自分そのもの」と言ってもいいくらいです。その頃に知った音楽で自分が影響を強く受けているアーティストを挙げるとすればカーティス・メイフィールドですかね。1stから1975年作の「There's No Place Like America Today」あたりまでは本当によく聴きましたし、今でも大好きです。あとは、ピエロ・ピッチオーニの1960~70年代の一部のタイトルやジャヴァンの70~80年代の作品あたりも自分にとってはかなり重要ですね。

榊原香保里との出会い、初期Lampの核となった2作品

大学入学以降も漠然と将来音楽をやっていきたいと思っていたのですが、永井と僕の2人だけだとどこか物足りないとも感じていました。そんなときに高校時代の友人を介して出会ったのが、(榊原)香保里さんでした。彼女と会ったとき、まず音楽や好きなカルチャーの話をしたのを覚えています。今となっては不思議ですが、彼女の歌声を聴く前から、3人でバンドを組んだらうまくいきいそうだなと直感したんです。僕の部屋に初めて3人で集まった日に、Simon & Garfunkelの「59番街橋の歌(フィーリン・グルーヴィー)」と、僕が直前に作っていたオリジナル曲をハードディスクのMTRに録ったのを覚えています。

その頃、僕は日本の音楽にはほとんど興味がなかったんですけど、香保里さんからはっぴいえんどの「風街ろまん」やシュガー・ベイブの「SONGS」を聴かせてもらって、こんないい音楽が昔の日本にもあったんだと感銘を受けました。その2枚は、初期のLampの活動にとって核とも言える存在でしたね。キリンジも香保里さんに教えてもらいました。それまで現在進行形で活動している好きなアーティストは特にいなかったのですが、キリンジの音楽を聴いたとき、すごくいいな、好きだなと思うと同時に、音楽にある種のシンパシーを感じたんです。Lamp結成の頃は彼らの作る音楽には否応なく意識させられました。

ストリーミング上でのヒットと音楽作りへの向き合い方

僕らは2003年に1stアルバム(「そよ風アパートメント201」)をMOTEL BLEUというインディーズレーベルから出すことになるんですが、その後の作品を含めて、大学の時代に聴いたものがやっぱり一番大きな蓄積元としてありますね。最新作の「一夜のペーソス」に至るまで、その時代に吸収したものをじっくりと出し続けてきた年月がこの20数年だったとも思っていて。これまで出してきたものは、その時々で新しい音楽に刺激を受けながら作っていったというより、自分たちの中にすでにある蓄積を元に都度自然と出てきたもの、という感覚です。

それだけに、例えば「ランプ幻想」(2008年発表のアルバム)に入っている「ゆめうつつ」のように、近年になってから突然火が付くという現象が不思議に思えたんです。自分たちの中ではもちろん好きな曲だけど、もともと売れるとも思っていなかったし、あくまで「アルバムの中の1曲」という印象だったので。逆に、そうやって本来あるべき自然な流れの中で作った音楽だからこそ、そういう結果にもつながったのかなと思ったりもしますが。

近年のストリーミング上でのヒットを受けて、自分たちの創作のスタンスとか音楽作りへの向き合い方が変わったかといえば、まったくそんなことはないんです。むしろ、オーディエンスの反応とかの「外側」の状況を、昔よりも一層意識しなくなっています。昨年のアメリカツアーでも若いお客さんから声援をもらったりもしたんですが、それはそれでとてもありがたかったですし、すごく感慨深い体験ではありましたが、それが創作のきっかけになるわけではありません。

音楽への憧れとその強度

3年前、初めての子供が生まれたんですが、それ以来1曲も新曲を作っていないという事実にこの前気付きました。もしかすると、もう作れないんじゃないかとも思っていて。曲を作ることって、まずは気持ちや環境を整えなくちゃいけなくて、そういうことはずっと強く意識して活動してきたのですが、今、日々子供と向き合っている中で、何かものを作ることに集中する精神的なゆとりや実際の時間を作るのはなかなか難しいですしね。今後また曲を作るには、曲作りとどう向き合っていけばいいか、最近だんだんと意識するようになってきています。

自分はミュージシャンとしての特別な才能があるとは思っていませんし、むしろ歌を歌うとか楽器を演奏する才能という意味では僕が所属した高校のフォークソング同好会などでも人並みくらいでした。ただ、音楽に限らず何か芸術をユニークに創作することとか、現象全体を俯瞰的に捉えるのが得意だったりするので、才能という話でいうと、バンド活動をやっていくこと、自己プロデュースしたり活動を継続させるために施策することはかなり向いていると思ってます。あと才能というほど大きな話ではないですけど、楽しいことに対する執着心が昔から人一倍強くて、修学旅行の夜は必ず最後まで起きている生徒でした。「楽しい夜が終わってほしくない」という、僕にとってLampがまさにその「楽しい夜」なんです。人生の流れの中で音楽に興味を持ち、好きで音楽を作り続けてきたことでこうして生活できるようになって、結果としてその音楽でこの社会の中で自分の位置を得ることができたというのは、改めて奇跡のようなことだなと感じています。

そして改めて思うのは、昔も今も、自分は音楽を作るよりも前に、聴くのが好きなんだということですね。僕にとって音楽を作るという行為は常に聴く感動の延長線上にあります。音楽を聴いている時間って、音楽の向こう側にある景色を自分なりに想像したり、好きな女の子のことを考えたり、または思いを乗せて歌ってみたり、そのアーティストが考えていることを勝手に想像したり、これに近いアーティストはどんな人がいるだろう、どんな音楽だろう、もっとこんな音楽はないかなと妄想したり、思考をたくさん巡らせますよね。結果、音楽そのものだけではなく、そういう付随的な価値も音楽への憧れとなり、自分が音楽を作る原動力となっていて、長く活動するにはその強度ってとても大事だと思います。

最近、初めてアップライトピアノを買ってみて、ほとんど何も弾けないんですが、1日1回はピアノに触れるようにしています。子供が生まれる前は自分の音楽環境だけを考えていたのですが、親になってみて、音楽に限らず、子供のためにどんな環境を作ってあげるかということも自然と考えるようになりました。無意識に自分が幼少期に耳にしていた音楽を多く流していたり、そういう自分に気付くと不思議な気持ちになります。

プレイリストについて 染谷大陽 コメント

自分にとって何がルーツミュージックなのかってことを考えると、それは「匂い」と同じようなものなのかなと思いました。聴いた瞬間に「昔(それを聴いていたとき)に戻されるような感覚にさせられる音楽」こそが自分のルーツと言えるのかなと。

1. 芹洋子「白い道」

NHK「みんなのうた」の中でも特に好きだった曲。ヴィヴァルディ「四季」の冬の第2楽章を基本にして、そこに歌詞を付けた曲だと思います。この曲を再生するたびに、寒い冬の日に、今はもう亡くなってしまった母がいた家のリビングで一生懸命この曲を聴いていた、そのときに引き戻されます。ちなみに「みんなのうた」の冬の曲でもう1曲大好きだったのが「こだぬきポンポ」です。

2. Peter, Paul and Mary「Gone The Rainbow」

Peter, Paul and Maryを熱心に聴き始めたのは中学校入学後だと思うのですが、小学校低学年(おそらく2年生)のときにこの曲が大好きになり、一緒に歌えるようになりたくて、CDをかけては止め、かけては止めを繰り返し、歌詞を1曲まるごとメモ帳にカタカナで書き出した記憶があります。

3. The Rolling Stones「Ruby Tuesday」

小学校低学年のとき、The Rolling Stonesで一番好きだった曲で、飼うことになった犬の名前を「ルビー」と名付けました。空気感が独特なせいか、聴く度に脳内が小学校低学年の、当時夢中だったキン消しとかで遊んでいた頃に飛ばされます。

4. Bob Marley & The Wailers「Waiting In Vain」

Bob Marleyは幼少の頃から家で頻繁にかかっていた音楽の1つで、その中でもわりとよく耳にしていたのは「Chant Down Babylon」(曲中のコーラスが「たいよー」と聞こえる)や「Buffalo Soldier」、1975年のライブ盤「Live!」あたりなのですが、どこまで行っても優しさに包まれるようなこの曲をひさびさに聴いたとき、ほかの曲では感じられないような赤子のような感覚になりました。

5. ジミ・ヘンドリックス「Angel」

ジミ・ヘンドリックスは父が最も好きなミュージシャンだったので、僕が耳にしてきた回数も断トツトップのアーティストです。中でもこの「Angel」は父がギターで演奏するのも好きだったので、強く印象に残っています。武蔵境で過ごしていた幼少期(0~4歳)の空気感を思い出します。

6. The Beatles「Because」

The Beatlesはそれこそ幼少期から少年期、自発的に洋楽を聴くようになった高校生の時期も含め、人生でずっと頻繁に聴いてきましたし、それこそ最も影響を受けたバンドなので、ここに挙げているほかのルーツミュージックとちょっと違う気もするのですが、「Because」は特に父が好んで聴いていたり、曲が持つ雰囲気がミステリアスであったりするせいなのか、数あるThe Beatlesの曲の中でも昔聴いていた印象を特別深く残している曲に感じ、選びました。

7. マイケル・ジャクソン「I Just Can't Stop Loving You」

「Bad」がリリースされたのは僕が小学校2年生のとき。中でもこの曲の出だしからサビ前までの優しさが大好きでした(サビはそうでもない)。アルバムを見渡すと「Liberian Girl」や「Just Good Friends」、「Man in the Mirror」等、ほかにもっと好きだった曲がいくつかあるのですが、どういうわけかこの曲をかけたときが一番当時を思い起こさせられます。

8. Simon & Garfunkel「Wednesday Morning, 3 A.M.」

僕が高校2~3年生の頃、永井(Lamp)がよく彼の友達と歌っていた曲で、その時期に存在を知り聴くようになりました。これまで挙げた7曲と違って、高校時代によく聴いた曲ともなるとわりと最近のことですし、The Beatles同様にそれ以来ずっと聴き続けて来た音楽なので、「過去に戻されるルーツミュージック」というよりも、自分の中で芯となっている音楽という意味合いで選びました。

9. The Smashing Pumpkins「Galapogos」

高校時代に最も聴いたのがThe Smashing Pumpkinsであることは間違いなく、また、大学に入って以降長い間遠ざかっていた時期もあったので、それゆえ、これを聴くと今でも高校生のときの空気感に浸れます。The Smashing Pumpkinsって多くのオルタナ系のバンドと違って、ライブの延長線上にスタジオ録音があったわけではなく、特に静かめの曲で顕著ですが、録音物としてかなり丁寧に作りこむタイプのバンドだったんだなと感じます。そういう点でこの曲が収録された「Mellon Collie And The Infinite Sadness」は今でも聴き応えのある作品だと感じるのですが、アルバムとしては「Siamese Dream」のほうがさらによいなと感じます。

10. Stan Getz / Joao Gilberto「Desafinado」

Lamp結成以降の活動のルーツとなる1曲考えるとこの曲かなと思い、選びました。僕がボサノヴァに魅了されるきっかけとなった1曲でもあります。

染谷大陽(ソメヤタイヨウ)

3人組バンド・Lampのギタリスト。高校時代の後輩である永井祐介、大学時代に出会った榊原香保里とともに2000年にバンドを結成。これまでに9枚のオリジナルアルバムをリリースした。Lampは国内に留まらず海外でも人気を誇り、Spotifyの月間リスナーは217万人超え。2023年、Spotifyの「今年最も再生された2000年代の楽曲」ベスト10に3曲がランクインした。

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