“地名をタイトルに冠した楽曲”を発表してきたアーティストに、実際にその場所でインタビューを行うこの連載。「なぜその街を舞台にした曲を書こうと思ったのか」「その街からどのようなインスピレーションを受けたのか」「自分の音楽に、街や土地がどのような影響を及ぼしているのか」……そんな質問をもとに“街”と“音楽”の関係性をあぶり出していく。
これまで「武蔵野市」「世田谷代田」「茗荷谷」と、東京の街を舞台に話を聞いてきたこの連載だが、今回はそんな東京を遠巻きに眺めた楽曲をテーマに扱う。「東京から少しはなれたところにすみはじめて」──そんなフレーズでおなじみのカーネーションの楽曲「Edo River」だ。30年前にリリースされたこの代表曲は、いかにして完成したのだろうか。ミュージックビデオの撮影場所であるという三郷と流山の間に位置する江戸川土手へ赴き、直枝政広(Vo, G)にその制作の裏側や、彼が身を置き続ける郊外への独特な眼差しについて話を聞いた。
なおYouTubeでは、約30年ぶりとなったMVロケ地への再訪の様子を公開している。
取材・文 / 石井佑来 撮影 / 細谷謙介
川を渡るだけでこんなに世界が変わるんだ
──直枝さんはもともと千葉県の松戸にずっと住んでいて、大学の頃は大井町のほうにいらっしゃったんですよね?
そうですね。生まれは品川の中延というところで、2歳までそこに住んでいたんですよ。それから松戸に移って18歳くらいまで過ごし、また品川に移って、10年後にはまた松戸に戻って……結局、30代まではその2拠点を行ったり来たりしていました。中学の頃は松戸から銀座の学校に通っていて。江戸川を渡るということを初めて意識したのは、その頃だったと思います。「川を渡るだけでこんなに世界が変わるんだ」って、中学生ながらに感じたんですよ。そこにいる人間も違えば、空の色も違う。初めて革靴を履いて、電車で東京の学校に通って、最初に感じたのはそんなことでした。
──その頃からすでに江戸川を意識していたんですね。
常磐線から見える風景が、川を挟んで本当にガラッと変わるんですよ。松戸の矢切あたりから田園地帯が広がっていたので、特に違いが鮮明で。初めてその違いを目の当たりにしたときに「なんだこれは」という驚きがありました。
──きっとその頃は今以上に違いがあったでしょうしね。
当時はまだ宿場町の雰囲気がところどころにありましたからね。常磐線で松戸から金町に行く途中に、すごく急なカーブがあって。その近くにかつての古い宿場や遊郭があったり。その景色を歌ったのが「いつかここで会いましょう」という曲で。そんなふうに、あのあたりで見たものはいろいろ曲にしています。学生の頃から今まで、常に江戸川を行ったり来たりしているので。
──そんな江戸川を舞台にした曲を作ろうと思ったのには、どういった経緯があったんですか?
「Edo River」というキーワードが浮かんできたのは1990年代の初め頃。当時、ムーンライダーズの鈴木博文さんがやってるメトロトロン・レコードから「国際アバンギャルド会議」(「International Avant Garde Conference vol.3」)というオムニバスアルバムがリリースされて。その作品のために、直枝政太郎名義で現代音楽風のノイジーな曲を作ったんですよ。いろんな音楽性をぶちこんだ、マイルス・デイヴィスとかサン・ラを感じさせるインストゥルメンタルだったんだけど、それが自分にとってのランドスケープとしてすごく心地よくて。その曲を作っているタイミングで、たまたま目にしたのが「Edo River」と書いてある看板でした。もともと江戸川を見たら心が洗われるような感覚が不思議とあったし、これは自分にとってのキーワードだなと。それで、まずその曲に「Edo River」というタイトルを付けたんです。
──カーネーション「Edo River」の言わば原型となる楽曲ということですよね。
そこから「気持ちよさ」みたいなものを念頭に置いて曲を作れないかな、という思いが出てきて。当時、ギターバンドとしての決まった形がちょっと嫌になっていたんですよ。ギターを弾くこと自体にあまり興味がなくなって、それよりもトラックメイキングに関心を持っていた。ヒップホップの12inchシングルの裏面に入っているインストをずっと聴いて、「こういう音を作りたい」と思っていたんです。Talkin' Loud周辺の動きも面白かったし、それ以外のアメリカのものも含め、90年代初頭は、ありとあらゆる12inchを買い漁っていて。そういう興味の流れがある中で、ある日譲り受けたのがRolandのS-50というサンプリングシンセ。それを使ってレコードからリズムを取り込んでループを作り、グルーヴに任せて曲を制作するようになりました。その中で呼吸をするように出てきた2コード、それが「Edo River」の元ですね。だから本当に何気なくできた曲なんですよ。メロディも何もなく、日常のスケッチをただラップするように歌っているだけですし。
無意識に歌われた“自分との別れ”
──日常をありのまま歌ったような感覚で、特にテーマなどは設けていなかったんですか?
「こういうことについて歌おう」とか、特別決まったテーマはなかったですね。でも今考えると、幼年期から青年期にかけての“自分との別れ”みたいなことを歌いたかったのかな。東京から離れて生活を変えるということに対して、「ようやく新しい章が始まるかもしれない」とどこかで感じていたんだと思う。自分は社会とは関係ないところでずっと活動していたから、ほかの人よりも青年期が長かったんですよ(笑)。
──そのモラトリアムへの別れを歌っているというか。
そうそう。例えば「たまにはさかさまに世界をみてみよう」という歌詞は、自分の中の思い込みをなくして気持ちよさに身を委ねよう、という意味で。「そうすることで、これまでの生活がリセットされる」という予感があったんだと思います。「ゴメン ゴメン ゴメン ゴメン」という歌詞については、昔からよく「どういう意味なんですか?」と聞かれるけど、これも今までの自分との別れを意味していたのかな。語呂のよさだけで歌っていた部分もあるけど、やっぱり無意識下にあるものが曲になることはありますからね。生活の基盤を変えていく時期の“呼吸”が、知らず知らずのうちに言葉になっていたんだと思います。
──たまたま「Edo River」と書かれた看板を見て着想を得たという出発点から、そういったフレーズの細部まで、本当に自然な流れに身を任せてできた曲なんですね。
日常のだるい感覚の中からじわっと出てきた、本当にワンアイデアの曲ですよ。なのにNHKでミュージックビデオが流れたり、FMで曲がかかったりしていて。「なんでこれが?」とすごく不思議な感覚でした。ただ、そのおかげで“抜け感”を覚えたというのは確かにあって。「この呼吸でいけばいいんだな」という感覚をつかめたんです。「この気持ちよさを維持していこう」と意識していたら、その後の2、3作はとても楽しく作れたし、スランプなんて一切なかった。この曲のおかげで、人に届けるための周波数をようやく見つけることができました。
──結果的にカーネーションを象徴する1曲になったと思うのですが、完成当時はそこまでの存在になるとは思っていなかったんでしょうか?
思ってなかったですね。「これまでにない1曲ができたな」という満足感はありましたけど。バンドにこだわりながらも、ある意味それとは正反対のやり方で、だけど生っぽさもある。前例がないから確信は持てなかったけど、これでいいんだとは思っていました。低音の作り方も今までにない感じだし、時代感も出ているし。何よりメンバーのみんなが楽しそうなのが一番だったかな。
カッコいいものだけがすべてじゃない
──2017年リリースのアルバム「Suburban Baroque」にはストレートに「郊外」を意味する言葉が冠されていますし、「Edo River」に限らずカーネーションの音楽は“東京から少しはなれたところ”に住み続けてきた直枝さんの目線が重要な要素になっているように思えます。
僕は郊外の面白さについて「これでいいじゃん」みたいな開き直りがあるんですよね。「特に何もないけど、それすら歌にしちゃえばいいじゃん」という。それをどうサウンドに溶け込ませるかとか、そういうテクニックはどうでもよくて、ただそこに生きている自分の意見があればいい。自分の物語があれば、最低限自分らしいものができるんじゃないかなと。「Suburban Baroque」なんかは、まさにそういう考えを経てできた作品だと思います。
──郊外の景色を歌うということを選び取っているわけではなく、自分の物語を出そうとしたら自然とそうなっていく?
選び取るとか、そんな大袈裟なものでないですね。呼吸するように自分から出てくるものを、ただただメモしていくだけです。ただ、自分の心象風景についてのほうが無理なく書けるというのは大きいでしょうね。何十年もずっと見てきた世界のほうが、やっぱりフラットに書けるので。自分をその風景の中で遊ばせているうちに、だんだん言葉が降りてくるんです。自分から何かをつかみに行こうとはしない。曲を作るときは常にそういうスタンスです。説明がつかない、無意識の何かが1つ出てしまえば、あとは歌が何かを描いてくれる。例えばそれがろくでもない世界でも、理解できないものでもよくて。とにかく自分の意識を放し飼いにしてやるのが大事なんです。
──その結果できたのが「Edo River」であり「Suburban Baroque」であると。
その2つは、どちらも自分の中の心象風景から生まれた作品だと思います。僕は、電灯が少なくて周りが見えないような場所にも、その怖さを含めて物語があるような気がしているんです。カッコいいものだけがすべてじゃないですから。
──それは、実家が品川にあって、東京と千葉の両方を知っているからこその視点でもあるかもしれないですね。
そうかもしれないです。ただ、品川と言っても僕はダウンタウンの出身なんですよ。高校は全寮制で西東京、それも秋川のほうですごく田舎でしたし。中心から外れた場所で東京を眺めているような感覚はずっと持っていると思います。
──東京の中心よりも外側のほうが、居心地がいい?
何もないところが楽しいんですよね。自分にとって、不便なのは別に当たり前というか。ショッピングモールがあったり、スーパーがぽつんぽつんとあったり、かと思えばいきなり田園風景が広がったり。それが面白いんですよ。その面白さは何十年と変わらない。
──そういう“何もない場所”で暮らし続けていることは、ご自身の創作活動にどのような影響を与えていますか?
常に移動しているので、その間に何かを考えることは多いですね。今でも品川と松戸を往復して、毎日のように片道40kmくらい走ってますから。父親もハイヤーとかタクシーの仕事をやっていたので、車というのは自分の中で欠かせないものなんです。別に創作と結び付けているわけではないけど、移動時間が長いことが、結果的に自分と向き合う時間の長さにつながっているとは思います。
──ちなみに松戸近辺で直枝さんのお気に入りスポットはどこですか?
カレーがおいしいお店がいろいろあって。柏のボンベイと松戸のムンバイはオススメです。それと柏のディスクユニオン。そのあたりが僕の中心ですね。あとは子供の頃に七五三で行った小さな神社に今でも行っていますし、そういう地元に根付いた場所は大切にしています。
東京、王道、渋谷系との微妙な距離感
──先日直枝さんが出演されたYouTubeチャンネル「豪の部屋」で、「ポップなものを作ってるつもりだけど、ズレてしまっている」というお話をされていましたよね(参照:【カーネーション 直枝政広】最近ロングインタビューも行った2人によるインタビューには載らない!ここでしか話せないディープな話をする2時間!!)。自分では王道だと思っているものが、世間的には王道ではないと。
もう僕にはわかんないんですよ(笑)。本当に真ん中を狙ってるつもりなんだけど、何かが決定的に抜け落ちているみたいで。80年代後半から90年代半ばまで、僕の中ではワールドミュージックとヒップホップが王道だったんだけど、どうやらそれは違うらしい(笑)。The Beatlesとかボブ・ディランとか、自分の核はそういう太い幹で支えられているはずなんですけどね。それでも世の中の真ん中とは、なんとも言えないズレや距離感があるみたいなんです。
──住んでいる場所も東京の中心から離れているし、やっている音楽もド真ん中からはズレている。直枝さん自身に“中心からつい離れたくなる”という気質があるんですかね。
それはね、あると思う(笑)。中学の同級生に銀座で生まれ育った人たちがいたんですけど、そういう人は本当に銀座から出ないんですよ。どこかに行かずとも、そこにすべてがあるから。自分はその輪の中から出たり入ったりしながら、客観的に見ていて。そっちのほうが、僕にとっては面白いんですよね。
──あえて遠巻きに見ていたいというか。
そうなんです。ちょっとした茂みとか川とか、電車から見て「あそこに行ってみたいな」と何十年も思っている場所がたくさんあるけど、そういうところも実際に行くことはほとんどなくて。もったいなくて行けないんですよ。
──もったいない?
実際に行くと、何があるかわかっちゃうじゃないですか。それがもったいないなと思っちゃって。ずっと憧れていたいというか。“実際に足を踏み入れない”ということを選ぶだけで、その場所が自分にとって神聖な場所になるんです。だから「こういうものがあるんだろうな」と考えはするけど、そこは想像で止めておく。行けば何があるかすぐわかるけど、ドキドキがなくなっちゃうのが嫌なんです。そういうのも含めて“ちょっと離れて見る”というのが癖になっているのかもしれないですね。単に臆病なだけだろ、というのもありますけど(笑)。
──自分は完全に後追いなのですが、「Edo River」リリース当時に隆盛していた渋谷系のムーブメントとも、付かず離れずの微妙な距離感がおそらくありましたよね。
ありましたね。当時は完全に渋谷系が時代の中心にいたけど、僕らはそこにも属せない天然さを持っていて。どうしたって消せない臭みがあるというか。「Edo River」はちょっと渋谷系に寄ってはいたんですけど。
──それでも渋谷系のド真ん中では……。
ないですね。「今流行っているイギリスのグループはこれだよね」「ジャズを取り入れるならこうだよね」とか、そういうことをうまくやっている人たちが渋谷系の真ん中にいて。僕らは、そういうスタイリッシュなことは全然やろうとしなかったんですよ。自分の中に眠っている響きを思い起こしながら「俺たちには俺たちの鳴りがあるよね」と楽しんでいた。まあ、真ん中への行き方も、どう立ち回っていいかもわからないというのもありましたけど(笑)。そういうことを教えてくれる人もいなかったですし。なので、ただただ天然に、本当にやりたいことをやっていただけですよ。エスカレーターズのZOOCOとか、COSA NOSTRAの桃ちゃん(鈴木桃子)にコーラスを頼んでいたし、界隈としては近かったんですけどね。それでも、ひと言では言えない不思議な距離があったなと、改めて振り返って感じます。
同じような眺めでも歌になる
──先日、柏育ちの折坂悠太さんに取材をしたんですが(参照:折坂悠太はなぜ柏の映画館でライブをしたのか?減りゆく“実験の場”に感じる表現者としての危機感)、「『自分の住んでいる場所にはいったい何があるんだろう』というのを、つい考えてしまう」というお話をされていて。隣町である松戸で長年暮らしてきた直枝さんもそういったことを考えられますか?
どうでしょうね。何もない松戸が当たり前になりすぎちゃって。僕はもっとどっぷりなんですよ。
──松戸の“何もなさ”を受け入れきっている?
かもしれない。でも、たまに流山とかで知らない景色を見るとうれしいですよ。あそこはまだ「昔はこうだったんだろうな」と匂ってくるものがあったりして。川を中心に産業が成り立っていた頃の風情や香りが漂っている。あとは我孫子と柏の間にある布施弁天も大好きです。近くのあけぼの山公園とかも、冬はイルミネーションがすごくてね。あのあたりでミュージックビデオを撮ったこともありました。周りが広大な田園地帯で、寂しい感じも含めて最高です。
──直枝さんは、そういう郊外にしかないものを見つけて楽しんでいらっしゃるんですね。
もともと、地図を見たりするのが大好きなんです。遠い昔の交通網とか川とか、そういうことについて考えるのがすごく好き。地図を見ながら「ここはどんなところなのかな?」とよく想像しますし、昔は地図帳に鉄道の路線を引いて遊んでいたくらいで。
──架空の路線を?
そうです、そうです。それぐらい土地の流れみたいなものが好きなんですよね。
──最近では「郊外の景色が均一化されてきている」という問題もよく上がったりしますが、そういったことについて思うところはありますか?
それすら歌になるでしょう。だから受け入れてますよ。同じような眺めであっても歌になる。
──そこにネガティブな感情は持っていない?
景色が変わっていくのはもうしょうがないですから。僕は変わっていく街並みを見て「ここは昔、川だったんだろうな」とか想像するのを楽しんでるし、それでいいんだと思います。どんな場所にもそれぞれの面白さがある。郊外の不気味な感じも、地方の広大な土地も、同じくらい好きなので。
──なるほど。
この前も車で走っているときに、すごく細い路地を見つけたんですよ。「この先に何があるんだろう」と、ものすごく気になって。でも、行かないんです(笑)。
──あくまで遠くから見ている(笑)。
そう。余談ですけど、僕、Laura day romanceというバンドがすごく好きで。2ndアルバム(「roman candles|憧憬蝋燭」)のジャケットが、河川敷の寂しい感じの景色ですごくいいんですよ。ああいうのを見ると「絶対買わなきゃ」と思っちゃう。あの冬枯れてる感じね。すごく親近感を覚えます。
──Laura day romanceはいろんなところでレコメンドされていましたけど、そういったところにもシンパシーを感じているんですね。直枝さんより下の世代のアーティストで言うと、Summer Eyeこと元シャムキャッツの夏目知幸さんが最近ライブで「Edo River」をカバーされています。
そうだそうだ。1回生で聴きましたよ。最高でした。
──夏目さんも千葉県の浦安市出身なんですよね。
あ、そうなんだ! 「青べか物語」の浦安ね。あそこは旧江戸川が流れてますからね。
──そんな夏目さんが「Edo River」を歌うというのは、千葉県北西部のバトンが下の世代へと受け渡されている証拠なのかなと。
渡します! あはははは。ぜひ音源化してほしいですね。
プロフィール
直枝政広(ナオエマサヒロ)
1959年生まれ、東京都出身。1983年12月にカーネーションを結成し、シングル「夜の煙突」でナゴムレコードからデビュー。幾度かのメンバーチェンジを経て、現在は大田譲(B, Vo)と2人で活動している。最新アルバムは2023年11月リリースの「Carousel Circle」。2025年7月、書籍「星の峡谷 夢日記 二〇二二~二〇二五」を上梓。カーネーションのほか、ソロ活動や執筆、プロデュースなど、精力的に活動している。
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