来たる新生活に向けて住み慣れた街を離れ、期待と不安を胸に東京での暮らしを始める人も多いこの季節。本連載では地方出身のアーティストに「上京」をテーマにエッセイを依頼し、東京に“ウブ”だった頃の思い出をつづってもらいます。
今回は、滋賀出身・奥田健介さん(NONA REEVES)が登場。1990年代前半、早稲田大学への進学と同時に上京し、西武新宿線・下井草駅の風呂なしアパートで1人暮らしをスタートさせた奥田さんが、阿佐ヶ谷の風呂付き物件に引っ越すまでの2年間の甘酸っぱい思い出を機知に富んだ筆致で書いてくれました。これから上京する人はもちろん、かつて上京を経験した人もそうでない人も、奥田さんが紡ぐ上京物語をお楽しみください。
上京したその夜、自由と希望にうち震え、一晩中、思うがままに東京中を走り回った。しかし…
湖のほとりの地方都市。軽音楽部でギター三昧の高校三年生。バンドは続けながらも「早稲田大学」を目指し受験勉強をした。志望動機はひとつ。1990/12/24号の雑誌「宝島」(マルコシアス・バンプが表紙)の「全国大学ロック偏差値」特集で、早稲田がぶっちぎりで首位だったからである。確か、音楽サークルが大小含め100個ぐらいある、みたいな理由で。
「とにかくワセダに行けば思う存分バンドができるに違いない」の一心で受験の天王山である冬も越え、いざ迎えた本番。幾つかの幸運(おもに試験当日、ホテルの部屋の乾燥により風邪をひき、意識朦朧なあまり全く緊張しなかったこと)が重なり、受験した全学部中、唯一「商学部」に合格することができた。晴れて東京ひとり暮らし決定。1993年の春、「東京ウブストーリー」の幕開けである。
最初に住んだのは、西武新宿線の下井草。「上京一発目はやっぱり銭湯通いするもんよ」という父親の強固なイメージによって、駅徒歩7分の風呂無しアパート「M月荘」にて人生初のシングルライフをスタート。大家であるM月夫妻は同じ西武線の野方で鮮魚店を営んでおられた。余談だが、最初に部屋の鍵を受け取りに店に寄った際、「これ、持ってって」と鍵とともに立派な塩鮭を手渡された。2026年現在、あの日の切り身を越えるブツにまだ出会っていない。ともかくべらぼうに旨かった記憶があるのだが、その話は次回「東京鮭ストーリー」の時にでも。
「ウブ」といえば、当然ながらあの時期の自分の行い、そのすべてにウブ毛が生えていた。上京したその夜、最初の仕送りで購入した婦人用自転車で一晩中、思うがままに東京中を走り回った。18年の人生の中で最大級の自由と希望にうち震え、爆発しそうになりながら。明け方ふらつく足でアパートに戻り、これも買ったばかりの昭文社の東京都地図でルートを確認したところ、杉並区と練馬区の一部をグルグル立ち漕ぎしていただけだったことが判明したが、それでも満足で眠りについた。
当時の下井草には学生でも気軽に入れる気の利いた定食屋が何軒かあり、そのひとつが「キッチン南海」だった。特に580円だったカツカレーは、現在に至るその後の人生で「好きな食べ物は?」と聞かれた際に必ず「カツカレー」と即答するテンプレートを自身に埋め込ませるぐらいのインパクトと中毒性があった。墨汁のように真っ黒いルー、分厚すぎないカツ、明らかに小学生なのにいつも厨房で手伝いをしている店主の息子。週に3日は通っただろうか。それぐらい大好物だったのだが、その話はいつか「東京南海ストーリー」の際に詳しく。
ちなみにあの時代の下井草、気の利いた居酒屋は全然なかったので、早めにアル中にならずに済んだ。感謝している。
それなりに東京生活にも慣れた翌年1994年の夏休み、東京は猛暑に見舞われた(今にして思えば、せいぜい最高気温34℃ぐらいのもの。猛暑もまだウブだった)。当時アパートにエアコンがなかったので、ふたつ歳上の彼女の部屋に毎日のように入り浸っていた。ある日いつものように「今日も昼過ぎに行くね」と電話したところ、「うーん、今日は駄目」だという。「暑くて死にそうなんだけど。なんで駄目なの?」と食い下がる自分に返ってきた答えは、「最近、来すぎだから」。
暑さのあまり感情のコントロールがおかしくなっていたのだろう、その言葉を聞いた瞬間に涙が止めどなく流れ落ちたことを今でも覚えている。仕方なくその日は近所の区民センターのような場所に行き、用事もないのに閉館時間ぎりぎりまでベンチに居座り暑さを凌いだような記憶があるのだが、このくだりを特に今後掘り下げる気はない。
かように、特にドラマチックな出来事も起きず、平和で平坦な日々を私鉄沿線の小さな町でそれなりに楽しんでいたのだが、徐々に元・宝島読者である自分の中に、むくむくと「中央線カルチャー」への渇望が育っていくのを感じていた。そして遂に大学二年の終わり頃、慣れ親しんだ下井草に別れを告げ、阿佐ヶ谷の風呂付き物件への引っ越しを敢行した。今にして思えば、距離にしてたった2~3km、婦人用自転車にして15分の転居。その行動自体はまだ十分「ウブ」の範疇にあったと言えるが、良くも悪くもすでに上京当初のようなウブ毛は抜け落ちていた。反比例するように、もみあげは少しずつ濃くなっていた。
奥田健介
1974年4月27日生まれ。滋賀出身。“ポップソウル”バンド・NONA REEVES のギタリスト。1996年、早稲田大学の音楽サークル「トラベリング・ライト」にてNONA REEVESに加入し、1997年11月にメジャーデビュー。ソウル、ファンク、80'sポップスなどに影響を受けた独自の音楽スタイルで支持を集め、これまでに17枚のオリジナルアルバムを発表している。2026年4月3日に東京・ビルボードライブ東京にてワンマンライブ「Revisit the "POP STATION" at Billboard Live TOKYO」、5月7日に東京・新代田FEVERにてGOOD BYE APRILとのツーマンライブ「StoriAA」を開催する。またギタリストとしてレキシや坂本真綾、堂島孝平、一十三十一といったアーティストのライブやレコーディングに参加するなど、ソロでも活躍中。
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