YOSHIKI(X JAPAN)とジョシュ・グローバンによるYOSHIKI & JOSH GROBAN名義の「Forever Love」ライブ音源が、配信リリースされた。音楽ナタリーでは、メディア合同取材に応じたYOSHIKIの近況、そして名曲のリリースにあたっての心境を紹介する。
多忙なYOSHIKI
今回の音源は、2026年7月にアメリカ・ロサンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホールで開催された「YOSHIKI CLASSICAL 2026 IN LOS ANGELES AT WALT DISNEY CONCERT HALL」でのパフォーマンスを収録したものだ。世界的なボーカリストであるジョシュ・グローバンをゲストに、X JAPANの代表曲「Forever Love」が新たな形で披露された。YOSHIKIは現在、ディナーショー「『EVENING / BREAKFAST with YOSHIKI 2026 in TOKYO JAPAN』100th DINNER SHOW CELEBRATION」を開催中。多忙なスケジュールの中、今回の音源がリリースされるまでの経緯や、「Forever Love」という楽曲に込めてきた思い、そして現在の音楽活動について語った。
サビは日本語、ジョシュ・グローバンが歌う
今回の共演についてYOSHIKIは、ロサンゼルスに30年以上暮らしていることに触れ、「LAの象徴みたいな場所」であるウォルト・ディズニー・コンサートホールでの公演ということで、ゆかりのあるミュージシャンに直接声をかけたと説明。楽曲の候補を考える中で、「Forever Love」が選ばれた背景には、リリースから30周年を迎えたことに加え、同曲が主題歌となったCLAMP原作のアニメ映画「劇場版 X-エックス-」も30周年を迎えたというタイミングがあった。
ジョシュに歌ってもらうことが決まった段階で、YOSHIKIは「Forever Love」に新たな英語詞を加えることを提案。Aメロなどを英語、サビを従来の日本語とする構成にした。「あえて僕が新たな英語詞を書いてみて、サビはそのまま日本語で、というのを提案してみたら、彼も快く乗ってくれました」と、YOSHIKIはその制作の経緯を振り返った。
なぜ全編を英語にしなかったのかという質問に対してYOSHIKIは、X JAPANとしてワールドツアーを行い、海外フェスに出演した経験から、「日本語のまま歌ってほしい」という海外のファンの反応を感じるようになったと説明。「母国語が受け入れられる時代になってきているんだなというのを、すごく感じてきまして。この曲のサビというのは、その響きも含めて、日本語が最適だと思いました」と語り、「世界に通用する時代になったんじゃないかなと思えたからかもしれません」と今回あえて日本語を残した理由を説明した。
またYOSHIKIは取材当日、Spotifyから自身のリスナーについて興味深いデータを聞いたという。「僕のリスナーの90%以上が34歳以下で、音楽配信のリスナーの90%以上が日本国外だと言うんです」と明かし、「極めて特殊な、異例な、レアなケースだと言われまして。自分でもびっくりしました」と驚きを語った。自身がアメリカへ渡った頃には生まれていなかった世代が、現在海外でYOSHIKIの音楽を聴いていることについては、「それはそれでまたとても面白いなと思っています」と、現在のリスナー層の変化について言及した。
制作では、ジョシュの声域を生かすためキーも変更された。YOSHIKIはジョシュがこれまでリリースしてきた楽曲を数十曲聴いたうえで、最も合うキーを考えたといい、「もともとはToshlという素晴らしいボーカリストが歌ったこの曲ですが、Toshlはかなりキーが高くてB♭なんです。そこから7度、かなり下げました。ジョシュの声域の中の一番いいところはここだろうということで、E♭にキーを変えました」と説明。一方、ジョシュは本番の数日前までに日本語の歌詞を完璧に覚えていたという。終演後には関係者などから音源化を強く勧められたといい、「皆さんから共通で言われたのは、『これをリリースしないというチョイスはない』ということでした」と振り返り、日本へ戻る前にロサンゼルスで急遽仕上げ作業を行ったと明かした。
亡きHIDEと母「Forever Love」の記憶
「Forever Love」は、YOSHIKI自身の人生においても長く特別な位置を占めてきた。1990年代にこの曲を書いた当時について、YOSHIKIは「もともと僕は無茶苦茶な生き方をしてきまして。要するに人生観というか、けっこう『死』という言葉が常に目の前にありました」と振り返る。幼い頃に父親を亡くしていたこともあり、「自分が父親の年齢を超えることはないんだろうな」と考え、「あまり長生きするとは思っていなかったんです」と当時抱えていた胸中を明かした。
さらにYOSHIKIは「ガラスのように飛び散ってしまうような人生を生きるつもりでいたので。僕らは消えてなくなるけれど、僕らの思いであったり、愛みたいなものは永遠なんじゃないか、というのを形にしました」と、「Forever Love」に込めた思いを語った。その後、この曲は実際に人生の大きな別れの場面で演奏されることになる。特に印象に残っている「Forever Love」の記憶を尋ねられたYOSHIKIは、「やはりHIDE(hide)の葬式で弾いたことかな」と、静かに答えた。
また母を亡くした2022年の四十九日の法要で、思いがけずこの曲を耳にしたというYOSHIKI。「たまたま四十九日に僕が行ったときに、(街の)チャイムが5時に鳴って、そのメロディが『Forever Love』だったんです」と振り返る。その場所は寺だった。「これってどこで流れているんだろうと思ったら……そっか、これ街で流れているんだと思って、ちょっと涙が出てきてしまいました」と語った。自らが作った曲が、自分の想像を超えた場所で人々の日常に流れていることについて、「作った曲が想像もしていなかったところで流れるというのは、いい意味で不思議に思います」と語った。
「もっと愛が拡散される世の中になるといい」
「いろいろな場面でこの曲をやってきたので。そのときどきによって、走馬灯のように駆け巡りますね」とYOSHIKI。1990年代に“死”を意識しながら生み出した曲は、HIDEや母との別れなど、さまざまな経験とともに本人の中で新たな意味を持つようになっていった。YOSHIKIは、「今、世の中が分断化に向かっているなと感じています。なんでもっと愛でつながらないのか。そう思うと、今こそこの曲が必要なんじゃないかな」と話し、今ではこの曲を聴いたときに「癒やされる」という感覚があると明かした。
またSNSにおける情報の広がり方についても話がおよぶ。YOSHIKIは「憎しみというのは拡散されやすいですが、もっと愛が拡散される世界になるといいなと思っています」と重ねて語り、「現実的に悲しいことや嫌なことは、すごい勢いで拡散されます。美しい物事や愛が、もっと拡散される世の中になればいいなと思っています」と、現代社会への願いを口にした。
この思いは、YOSHIKIが長年続けてきたチャリティ活動の根底にある哲学にもつながっている。慈善活動を行う中で誹謗中傷の対象になった経験についても触れたうえで、「僕には音楽という、感情をぶつける場所があります。逆に言えば、批判にさらされるような過酷な状況にあるからこそ、それをエネルギーに変えて新たな芸術を目指すことができる。ですが、そういった感情の出口を持たない人たちもたくさんいます。自分の作る音楽が、そういう方たちの支えになればという思いがあるんです」と語った。
さらにYOSHIKIは、自身の内面にある脆さについても率直に明かした。「実は自分でも、自分のことが嫌いになってしまう瞬間がすごくあって。『自分はなんのために生きているんだろう』と考えてしまうこともあるんです」と吐露。そんなとき、「『自分には音楽がある、芸術作品を作れるんだ』と自分を説得したり、あるいはチャリティ活動を通して『自分の行動によって誰かが救われる』と信じることで、ようやく『自分も生きていていいんだ』と思える。チャリティによって、僕自身が救われているんですね」と続けた。音楽で感情を表現すること、そして誰かの支えになるという実感が、YOSHIKI自身の生きる理由にもなっていることを明かした。
HIDEとの役割分担
X JAPAN時代のHIDEについても話を聞いた。YOSHIKIは、当時のHIDEとの役割分担について「とりあえず、YOSHIKIはリーダーとして突っ走ってくれ。ファンの皆さんとのコミュニケーションは自分がやる、と言ってくれていたんです」と振り返る。
しかしHIDEが亡くなったあと、YOSHIKIは自身が突っ走る役割とコミュニケーションを取る役割の両方を担うようになった。「両方をやるようになりましたけど、やはり僕は不器用で。HIDEはとても器用だったんですね、ファンとのコミュニケーションを取るにしても」と語り、「がんばっているんですけど。相変わらず不器用ですね、そのあたりは」と笑った。
通算100回のディナーショーも「チャレンジの雨嵐」
現在開催中のディナーショーは、今回で通算100回を迎える。YOSHIKI自身、「自分がディナーショーをやるなんて想像もしていなかったです」と話す。「僕は歌わないじゃないですか、基本的には」と、自身がディナーショーという形式とは遠い存在だと思っていたことを明かした。
しかし、実際に始めてみると新たな可能性を感じた。「自分の心地よくない雰囲気のところに挑戦してみるというのは、嫌いじゃなくて」とYOSHIKI。アリーナやスタジアムとは異なり、「目の前にお客さんがいるというのはすごく刺激的」と、客席との距離の近さにも魅力を感じているという。
さらに、ワインやシャンパン、ファッションなど自身が手がけるさまざまな活動を1つの空間に凝縮できることから、YOSHIKIは「ディナーショーの定義を覆してしまおう」と考えるようになったという。通算100回を迎えた現在も、安定した形に落ち着くつもりはない。「毎回挑戦なので。今まで作り上げたものを今回さらに壊そうとしています」と語り、「常に進化していかなきゃいけないのかな。自分の中ではなぜかいつも刺激を求めていまして」と続けた。今回のディナーショーについては「チャレンジの雨嵐です」とも表現した。
未発表曲が多すぎることに気付いた
また現在の音楽活動への向き合い方についても語られた。音楽以外のさまざまなプロジェクトに携わる一方で、YOSHIKIは「今年に入ってからかな、特に東京公演、ロサンゼルス公演などもありましたし、この前はパリのイベントでも演奏する機会がありましたし」と振り返りながら、「音楽の比重がだいぶ増えてきまして、自分の中でモチベーションが上がってきました」と話した。
その中で改めて自身の過去の楽曲を振り返ったYOSHIKIは、「気付いたらリリースされていない曲だらけだなというのを、なんか本当に恥ずかしいんですけど、ここ数カ月で再認識しまして」と明かす。そのうえで、自身の楽曲について「メロディが中心の、記憶が切れない曲が多い」とし、「どの楽曲もクラシックになり得る」と説明。「極端に言うと、80%はリリースされていないですね。もっとかもしれません」と笑った。
すでにレコーディングまで済ませている曲もあるという。「これから出していきたいな」と語るYOSHIKIは、来年に向けて「アルバムをドカンと完成して出すというよりも、小出しでもいいから、少しずつでも出していけたらな」と今後の展望を語った。


