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アーティストの音楽履歴書 第1回 志磨遼平のルーツをたどる

5年以上前2019年04月28日 9:07

毎回、1人のアーティストの“音楽遍歴”を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにする本企画。第1回は志磨遼平(ドレスコーズ)に話を聞いた。

きっかけは「音楽の授業」

音楽の魅力に気付いたきっかけは、小学4年生頃に音楽の授業で聴いた映画「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」。歌詞の物哀しい描写に、音楽室で泣いてしまったんです。初めてCDを買ったのもその頃で、槇原敬之さんの「もう恋なんてしない」の8cmシングル。その頃から毎日FMラジオにかじり付くようになりました。

ビートルズとの“再会”

中学生になっていろいろ音楽雑誌を読むようになると、誰もが「影響を受けたアーティスト」にThe Beatlesの名前を挙げている。「ビートルズのレコードある?」って親に聞いてみたら、「小さい頃によく聴いてたやないか」と言って、その場でかけてくれたんです。すると幼少期の記憶が一気に蘇って、ポロポロ涙がこぼれまして……それからは毎日ビートルズ漬け。ちょうどその年の大晦日にテレビで「The Beatles Anthology」という5時間の特番が放映され、家族で観ていたんですが、時間が深くなってくると裏番組で毎年恒例の野球拳が始まるんですね。そっちはそっちで観たくてたまらない。「The Beatles Anthology」が解散間際の、メンバー仲が険悪になる時期に差しかかったタイミングで「つらいからここからは1人で観るわ……」って言って自分の部屋にこもって、そこからは野球拳を観ました。ちなみにその日、僕は精通を迎えますね(笑)。95年12月31日に。

パンクとの出会い

同じ頃THE BLUE HEARTSや結成直後のTHE HIGH-LOWSに夢中になりまして、(甲本)ヒロトさんのインタビューはすべて熟読して。「僕もパンクを聴くぞ」とCD屋に入ったはいいものの、どれがパンクかわからない。唯一、CDの背帯に「パンク」と書いてあったジョニー・サンダースの「追憶のライブ」を買いました。とにかくヘタで、音も悪くて。「これがパンクか、カッコいいな」と。いまだにジョニー・サンダースは僕のアイドルです。

ある日急に曲ができた

それから自分もなんとなくミュージシャンを志すんですが、楽器なんか弾けないし、曲を作れる自信もなかった。ただ、当時聴いていたかせきさいだぁさんの影響で、古いレコードを流しながらそこに純文学的なリリックを乗せるということをしていたら、ある日メロディがふっとできて。それが中3くらいですね。それからギターも覚えてどんどん曲を作るようになり、THE YELLOW MONKEYに心酔したことが決定打となって、これは絶対ロックスターになろう、と決心しました。吉井和哉さんが影響を受けたというグラムロックも知って、そのあたりから自分はきちんとしたルーツを持つ、王道のロックンロールが好きなんだな、という意識をはっきりと持つようになりました。

L.R.Uからうつろ結成

中学時代から、いつか自分がボーカルで作詞作曲をするバンドを作ろう、と虎視眈々と狙っていて、いろんなコピーバンドから水面下でメンバーをスカウトして結成したのがL.R.Uです。高校を1年で中退してからはもう本格的にバンドだけの生活です。当時は周囲の影響で日本のハードコアパンクをよく聴いてました。そういった友人の前ではグラムロックが好きなことを隠していたんですけど、ジョニー・サンダースが在籍していたNew York Dollsを知ってグラムロックとパンクが地続きであることがわかってからは、「もう恥ずかしがることなくメイクできるぞ」ということで、うつろを結成します。

毛皮のマリーズ結成

そこからはブリティッシュビートやガレージパンク、日本のグループサウンズといった60年代の音楽ばかり聴いたり……RCサクセションの影響でソウルやブルースの魅力に取り憑かれてからは2年くらいブラックミュージックしか聴けない時期もあったり。ちょうど毛皮のマリーズが始動する頃でした。初期のマリーズは「ビートルズみたいに綺麗なメロディをイギー・ポップみたいにステージで血まみれになって演奏すれば絶対に有名になれる!」なんて思ってやってましたが、The Libertinesが登場して「先にやられた……!」と(笑)。The Strokesなんかも出てきて、あの時期は海を超えた連帯感みたいなものがありました。

メジャーデビューへ

僕はあまのじゃくで、ずっと同じことを続けるのが大の苦手なので、その時々の「いちばんカッコいいな」と思うスタイルを作品に反映させてきました。メジャーデビューした頃は筒美京平さん、浜口庫之助さん、都倉俊一さん、加瀬邦彦さん、ジェリー・ゴフィン=キャロル・キング、バート・バカラックのような職業作曲家に憧れて。それと、なんと言ってもセルジュ・ゲンスブール。曲は美しいけど、人格は退廃の極みというか……もともと僕自身文学少年だったこともあるのか、そういうデカダンな美学に惹かれるんです。

ドレスコーズ結成

中学からの友人と「夢を叶えよう」とやってきたのが毛皮のマリーズで、純粋に音楽のために結成したのが初期のドレスコーズです。だからメンバーからはいろいろな音楽を教わりました。丸山康太くん(G)からはジャズを、山中治雄くん(B)からは新しいUSインディーのバンドなんかをよく教わりました。

音楽人生で初めての挫折

ドレスコーズのメンバー脱退は、自分の音楽人生で初めての挫折だったと言えると思います。思い出してもつらい。そこからは、持ち前の一人上手というか一人っ子気質をいかんなく発揮して(笑)、ツアーや録音のたびにまったく違うメンバーを集める今のスタイルができ上がりました。いつも結成したてのようで、いつも解散ツアーのようで……そこには“バンドならではのロマン”が確かにあると思っています。

最近聴いている音楽

アルバム「ジャズ」がまさにそれなんですが、最近はロマ(ジプシー)音楽をよく聴いていました。きっかけはエミール・クストリッツァの映画。映画自体はもちろん、劇中の音楽にものすごく興奮して。映画に登場する楽隊が実在のバンドだということを知り、一昨年の来日公演も観に行きまして。「これをいつか自分でもやってみたい」と思っていたところに、去年、クルト・ヴァイルの音楽劇「三文オペラ」の音楽監督の依頼があり、ますます古典的な管弦楽に惹かれていったんです。掘り下げると、デヴィッド・ボウイやジム・モリソン、ルー・リードといった僕のアイドルたちもクルト・ヴァイルのカバーをやっていたことを知り、「僕が好きになる人の源流はここだったんだな、やっぱり好きな音楽って1本につながるんだな」と納得しています。

志磨遼平

1982年和歌山県出身のアーティスト、文筆家、俳優。2006年に毛皮のマリーズとしてデビューし、2011年まで活動。翌2012年にドレスコーズを結成する。2014年にバンドを解体し、現在ドレスコーズは志磨のソロプロジェクトとして、メンバーが流動的に出入りする形態で活動中。2019年5月1日には6枚目となるフルアルバム「ジャズ」をリリースする。また6月6日の東京キネマ倶楽部を皮切りに、全国9箇所でのツアー“the dresscodes TOUR 2019”も開催。

取材・文 / 柴崎祐二

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