西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲取り上げ、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する新連載がスタート。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者としてさまざまなメディアに出演する西寺が私論も交えつつ、ポップソングの魅力を発信する。
初回から第3回にかけては、西寺がファンであることを公言し、プライベートでも交流があるという少年隊の楽曲にフォーカス。今回は少年隊ファンのみならずジャニーズファンの間で高い人気を誇る「星屑のスパンコール」を紹介する。
ジャニー喜多川の最高傑作
僕はよく、自分には四天王がいる、っていう言い方をするんですね。マイケル・ジャクソンおよびThe Jacksons、プリンス、ジョージ・マイケルおよびWham!、少年隊。少年隊はトークも歌もすごいんですけど、何よりもダンスが世界中の“ボーイバンド”史上一番のグループだと僕は思うんです。
今現在、彼らの映像作品は正規に手に入りにくいので、ファンとかマニアがダビングして僕の事務所に貴重な映像を送ってくださったりもするんですけど。一種のシンジケートのようにファン同士が連帯して次世代に伝えているといいますか。
少年隊は3人での活動は2008年の「少年隊 PLAYZONE FINAL 1986~2008 SHOW TIME Hit Series Change」以降はないんですが、彼らのファンって今、若い世代にも実は増えていて。なんらかの方法で観てるんでしょうね。観ればすぐわかりますから、これはすごいと。生前のジャニー喜多川さんが「自ら作ったグループの中で最高傑作は?」という国分太一(TOKIO)さんの質問に「少年隊だよ」と食い気味で答えられた、と井ノ原快彦(V6)くんから直接聞いて感動したことがあります。公表していい話かな?と迷っていたら国分さんがテレビでも話されていて。ある世代までのジャニーズのアーティストたちは、「少年隊が一番だよ」と言われることを素直に喜んでるように思えるんですよね。実際に、歌い踊る背中を見て学んだ彼らは誰よりもわかるでしょうし。
僕が錦織一清さんを知ったのは、1982年11月から1983年2月にかけて放送された、彼がバク宙をピタッと決める「キャンパスリップ」のCMで。第一印象は「トシちゃんかな? あれ? 違う?」というか(笑)。それから1年後くらいですかね、少年隊という3人組になった錦織さんを認識したのは、明治製菓の「DELA」というチョコレートのCM。少年隊はデビュー前からテレビで流れまくるCMに出ていたんですよね。で、テーマ曲のレコードを子供なりに必死で探したんですけど、まだデビューしてなくて驚いたり(笑)。
彼らの前に活躍していたアイドルは10代半ばでデビューすることが多かったんですけど、少年隊はマイケル・ジャクソンの振付師だったマイケル・ピータースの指導を受けたり、海外でもトレーニングを積まれていて。錦織さんが20歳、東山紀之さんと植草克秀さんが19歳のときにシングル「仮面舞踏会」(1985年12月発売)で満を持してデビューを果たしました。最近、編曲担当の船山基紀さんと20th Centuryの「グレイテスト・ラヴァー」を共同アレンジさせてもらったりして、スタジオやご自宅で何度もお話する機会があるんですけど、「少年隊のデビュー曲のときは、ジャニーさんが情熱的で、大ヒットが前提のプレッシャーがすごかった」と回想されてましたね。
30年以上歌い継がれるクラシック
少年隊の曲のうち20曲くらいはほぼ同率で好きなので、この連載で3曲だけ選ぶのは正直悩みました。ただ今回取り上げる「星屑のスパンコール」(1986年9月発売の1stアルバム「翔 SHONENTAI」収録)は、僕が考えるジャニーズソングの金字塔で外せないな、と。この曲はKAT-TUNやKing & Prince、SixTONESといった後輩グループたちに長きにわたり歌い継がれてきましたから、若い世代のジャニーズファンも好きな人が多いんじゃないでしょうか? オリジナルが少年隊だということを知らない世代も多いかもしれないと思って選曲しました。個人的には6人時代のKAT-TUN版も大好きです。少年隊にはないアウトローの匂いもあって、あまりにもカッコよすぎるなと(笑)。でも、結局ジャニーズの世界に留まっている間はギリギリのラインで、やっぱりみんな“上品”なムードに包まれるんですよね。そこが絶妙なバランスです。ただのアウトローなら、珍しくはないので。
“男性アイドル”ってたくさん定義があると思うんですが、「星屑のスパンコール」を歌いこなせたとき初めて“真のジャニーズアイドル”になっていく、そんな気がしていて。少年隊が歌うオリジナルバージョンを後輩たちも研究して、それが遺伝子として伝わっていく大事なエッセンスになっているというか。4年前かな? 一緒に舞台を作ったとき、A.B.C-Zの橋本良亮くんも「星屑のスパンコール」が大好きだと言ってました。彼の普段のイメージからするとオールドスクールなジャニーズソングをそこまで熱く語るなんて、ちょっと意外でうれしかったのでよく覚えていますね。
和泉常寛さんによる作曲も、ジャニーズの楽曲の屋台骨を支えてきた馬飼野康二さんによるアレンジも素晴らしいですが、「星屑のスパンコール」はやはり安藤芳彦さんによるシアトリカル、演劇的な歌詞設定がこの楽曲を30年以上歌い継がれるクラシックに導いた、と思います。歌詞の主人公は、まさに当時の少年隊のような女の子にとって雲の上のスーパースターのアイドル。彼がリムジンに乗って全国のライブツアーを回っているという設定で。今も昔もリムジンで移動するアイドルっていないと思うし(笑)、逆に目立つだろうとも思うんですけど(笑)。知らない街でサングラスをしてこっそり歩いていると、ある女の子が彼の存在に気付くんですよ。2人は迷い込んだディスコで暗がりに紛れて一緒に踊るんだけど、別れの時間が来る。その後、女の子への気持ちを募らせていた主人公は、リハーサルを終えたコンサート会場の客席にその女の子の姿を見つけたというストーリーです。
スターとファンとの間に生まれるファンタジー
いまだにジャニーズのアイドルって、いい意味で通常の事務所よりもファンとの関係性を隔てるバリアがありますよね。ネットにもほぼ登場しないし。基本、ライブ会場でしか憧れのアイドルに会える機会がない。ただ、もしも会えたら?というファンタジー。僕は普段、街中でめちゃくちゃ人を見てるんです。車を運転してる人とかも見ちゃうんですよね、なぜか。そうすると有名人によく遭遇するんですよ。もっと目を凝らして歩けば、有名人が意外と近くを歩いているかもしれない。「星屑のスパンコール」のようなシチュエーションに陥る可能性もなくはないです(笑)。
最後に。この曲を選んだもう1つの理由は、やっぱり楽曲を音だけで聴いていても完結しない部分がジャニーズ的だな、と。あくまでも「星屑のスパンコール」は照明のキラめくライブ会場で客と、本来は手が届くわけもないスター、両者が共鳴した瞬間完結する。そしてそれは儚くて、同じメンバーがずっとそこにいるとは限らないし、関係性も年齢も永遠ではないから響いてくるんじゃないかな、と。
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。文筆家としても活躍し、代表作は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などさまざまなメディアに出演している。
しまおまほ(シマオマホ)
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」といった著作を発表。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。
文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ