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西寺郷太のPOP FOCUS 第7回 長渕剛「JEEP」

4年以上前2020年06月11日 10:04

西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説するこの連載。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者として多くのメディアに出演する西寺が、私論も交えつつ愛するポップミュージックについて伝えていく。

第7回のテーマは長渕剛。長渕の長いキャリアの中で起こったさまざまな変化に注目し、1990年に発表された楽曲「JEEP」のアコースティックサウンドや文学的な歌詞の魅力に迫る。

文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ

衝撃を受けた「手拍子禁止発言」

1977年2月に船山基紀さんのアレンジによる「雨の嵐山」という楽曲でビクターエンタテインメントからデビューを果たした長渕剛さん。ただ、このときはデパートの屋上でアイドルの前座を強いられるなどフォークシンガーとしての姿勢を認められず、名前の読み方も「ながぶちごう」と変えられてしまって。本人の理想とまったく違う活動に嫌気がさしてすべてを白紙に戻し、一旦故郷の九州に帰られているんです。紆余曲折の末、持ち前のバイタリティで復活を遂げた彼は、改めて上京。翌78年10月、元はっぴいえんどの鈴木茂さん編曲によるシングル「巡恋歌」で再デビューを果たします。1stアルバム「風は南から」のメインアレンジャーは、前年にアリスの「チャンピオン」をグループ最大のヒット曲にし、「You're King Of Kings」の低音ボイスも聴かせた石川鷹彦さん。アルバム全体の手触りはThe Beatlesの「White Album」、特にポール・マッカートニーっぽい「不快指数100%ノ部屋」は1分8秒の小曲ですがシンプルな名曲で、今回テーマに掲げた1990年の「JEEP」と11年の日々を越えてつながっていると感じます。

1980年に「順子」で初めてチャート1位を獲得。もともと「順子」は2ndアルバム「逆流」の1曲で、有線放送で火が点き、ファンやリスナーの熱いリクエストによってシングル化されたという経緯があって。僕が最初に彼の存在を知ったのは、まさにこの「順子」のタイミングでした。ただ、歌そのものというよりも80年8月7日の「ザ・ベストテン」に中継で登場した彼がギター1本で弾き語りし始めたとき、その場にいた共演者が手拍子をするのを嫌がって「ちょっと待って。これは失恋の歌なんで1つ、手拍子は勘弁いただきたい」と演奏を止めて最初からやり直すシーンが衝撃的でした。最近調べたらその一連のやりとり自体、長渕さんがいろんな場面で何度もやってた“ネタ”みたいになっていたようですね。今で言う“バズった”みたいな感覚で、ともかく子供心には異常なインパクトがありました。あくまでもアルバム収録曲で、「順子」を代表曲として捉えられたくないと長渕さん自身もシングルカットを半年ためらった、と聞くとそのあたりのイメージ戦略の中に、「手拍子禁止発言」もあったのかな?という気がします。結局、その後も「ザ・ベストテン」の総集編が放送されるたびに何度もそのシーンは流されていました。

アコースティックサウンドへの回帰

僕が初めて買った長渕さんのシングルは、小学4年生の秋、1983年9月発売の「GOOD-BYE青春」。この曲は長渕さんの主演ドラマ「家族ゲーム」の主題歌です。忘れられがちですが、「GOOD-BYE青春」は秋元康さんがメインで歌詞、長渕さんが補作詞としてクレジットされているんですよね。ボブ・ディラン的な言葉の洪水と羅列、メロディの上下よりも歌詞のビートの連なりで聴かせる手法が当時小学生の自分には無骨で新鮮に感じたことをよく覚えています。その後、長渕さんは85年に「勇次」、87年に「ろくなもんじゃねえ」、88年にシングル化された「乾杯」「とんぼ」など、ティーンにも刺さるタイムレスなヒットを連発します。高校時代、友人たちの間で長渕さん人気はすごいものがあって、友達の家とかに遊びに行くと耳に入ってくるんですよね。で、僕が一番好きなのは高校2年生の夏、90年7月にシングルとして発売された「JEEP」です。今でも彼の楽曲の中で一番好きです。デビューしたての長渕さんって頭頂部がツンツンしたロッド・スチュワート的な長髪で痩せていて、ちょっと軟派な九州男児というか。のちのロンドンブーツ1号2号の田村淳くん的な悪戯好き、やんちゃな若者っていうイメージがあったんです。それが88年にドラマ「とんぼ」で主演を務めたとき、ひさびさに注目したら髪を切って武骨でハードボイルドな方向にイメージチェンジされていてめちゃくちゃ驚いたんですよね。

長渕さんと同じ九州出身で、70年代フォーク全盛期最後の世代として登場してきたCHAGE and ASKAが優秀なアレンジャーとの化学反応でアダルトコンテンポラリー、アーバン路線に舵を切っていく一方、90年代に突入すると同時に、長渕さんは「JEEP」でネオフォーク的な簡素で無骨なアプローチを試みていることがポイントだと思います。意識的に盛り上がりを抑えたシンプルなコード進行には、聞こえ方によってはヒップホップ的なフィーリングもあるというか。テレビや映画とタイアップを組んだ「とんぼ」「激愛」「しょっぱい三日月の夜」で連続1位を獲得したあとに、あえてノンタイアップでリリースした「JEEP」でその記録は途絶えてしまったそうですが、この楽曲を発表したことは純粋に長渕さんがやりたかったことを具現化するために必要なプロセスだったんじゃないでしょうか。

この連載で何度か話してきましたが、時代感覚を語るうえでも1989年というのは激動の年で。昭和が平成に変わり、ベルリンの壁が崩壊し冷戦が終了。シンセサイザー、プログラミング至上主義の“足し算”の音楽作りが飽きられ、ルール変更が起こった年です。ただし、世の中の多くの人々はその変化の重大さに気が付いてはいなかった。僕の大好きなジョージ・マイケルはコンピュータプログラミングを前面に押し出したアルバム「FAITH」(1987年)を大ヒットさせ、グラミー最優秀アルバム賞も獲得しました。彼は90年に、同じプログラミング路線での「FAITH 2」を待ち望んでいたファンやレコード会社の予想を裏切る「Listen Without Prejudice Vol. 1」という作品を発表するんです。このアルバムは、生楽器中心のアコースティックサウンドで。このとき、ジョージはレコード会社から「地味だ」「売る気がないのか?」と作品を否定され大激怒してトラブルに発展するんですが、その後すぐ、90年代の音楽シーンに巻き起こった一大潮流がアンプラグドブーム。つまりアコースティックサウンドへの回帰でした。92年8月にリリースされたエリック・クラプトンの「UNPLUGGED / アンプラグド~アコースティック・クラプトン」の2600万枚の大ヒットとグラミー賞の最優秀アルバム賞受賞が象徴的ですが、90年代になると生ドラムやアコースティックギターによるシンプルな音楽のよさが見直されていくんですよね。

ヘミングウェイのような文学的歌詞

「JEEP」は天才シンガーソングライター長渕剛の魅力を凝縮した楽曲だと僕は思っています。冒頭の「ワークブーツにはきかえ 赤いジャンパーひっかけ」という1ラインで、主人公のワイルドだけど派手好きな趣味趣向をまず説明。例えばこの主人公が着ているジャンパーの色を「黒ーい」「青ーい」「黄色ーい」「茶色ーい」と試しに変えてみてほしんですが「赤い」以外、響きの“答え”がないんですよ(笑)。「赤ーい」は、英語の“I Can”に似た口触りで、“ワーク”“赤い”でのカ行の使い方こそがリズムを作れる秘訣で最高に気持ちいいんです。この曲の主人公=長渕さんとして聴いてるファンも多いと思うんですが、「夜明けまえの湾岸道路を 俺は西へと走らせ 背中に東京(まち)が遠ざかり」というフレーズから長渕さんが実家のある鹿児島や九州に近い方向を目指しているようにも思えます。世田谷あたりから、第三京浜に乗って神奈川方面に進んで海を見に行っているみたいな。そのあと「フロントガラスの向こうから やっと太陽が昇った」で彼が早朝に家を出たことを描写、そして「俺はできたばかりの唄を カーステレオから流した」、ここも並みの作詞家には書けない仰天フレーズですよね。全部がすさまじすぎますが、ミュージシャンにしてみればこの1行は本当に“あるある”で。正直、曲を作ってる最中に車をドライブしながらラフミックスなどを聴いて「どうしたらもっとよくなるかな?」って試行錯誤してるときが一番楽しいんですよね。でも、ミュージシャンがデモテープやラフミックスや完成音源を車の中で聴いた瞬間の、そうしたアーティスト特有の景色や心情は、単なる一般層への共感だけを求めていれば書けないですよね。できたばかりの歌をカーステレオから流すなんて人の数は少ないはずですから……。

そして、特にこの「JEEP」の中でもっとも僕が驚嘆するのが、「ウエットスーツの若者が 朽ち果てた流木とたわむれ 俺は無性にコーヒーが飲みたくなった」という歌詞です。おそらく長渕さんが本当にJEEPで早朝に海に行って、実際に見た景色が歌詞につづられているんでしょう。逆に100%の想像だとしても「ウエットスーツの若者が」って、歌詞にはしづらい。でもめちゃくちゃ情景が浮かぶすごいワードです。主人公がジャンパーを着て外に出て、次に「シーズンOFFのドライブイン」と言ってるから、たぶん季節は冬、春や秋にせよ朝は寒い時期。でもウエットスーツを着た若者は、単純に好きだから超早起きして海辺でサーフィンしているわけです。このあたりの情景描写、ヘミングウェイの小説のように小刻みで、ハードボイルド、ドライな言い切りは文学的で、1行たりとも無駄がない。出発時に悩みを抱えていたこの曲の主人公も“もともとは単純に好き”だから音楽の道を選んだんだよな、と。自分のそもそもの出発点に気付いたのかな?とそんなふうに思えるまでの描写があまりにも自然ですよね。再デビューから12年、芸能の世界でも頂点を極めた彼の心の独白、その細かい部分はあえて説明されないんですが、最後「Oh my JEEP 幌をはずした」というフレーズで、主人公の新たな決意が表明されています。JEEPは一般的な車と違って天井の幌が外せる構造になっていて、寒い季節だけれど、剥き身になってもう一度街に戻って前進するんだ、と……こうやって歌詞をたどっていくと、細かな描写から「JEEP」こそ、デビュー時のシンプルな路線への原点回帰に賭けた長渕さんの勝負作だったんだろうな、と思えるんです。僕が長渕さんをリアルタイムで聴いて夢中になったのは「JEEP」が最後だったんですけど、この作品の素晴らしさはもっと取り上げられるべきだと思います。

西寺郷太(ニシデラ ゴウタ)

1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。文筆家としても活躍し、代表作は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などさまざまなメディアに出演している。

しまおまほ

1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」といった著作を発表。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。

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