西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。氣志團の綾小路翔をゲストに招いた連載番外編では、敬愛してやまない作曲家・筒美京平の魅力を2人が前後編にわたりたっぷりと語り合っている。NONA REEVESと筒美のコラボ秘話や、綾小路が今も後悔しているという筒美とのニアミスエピソードなど貴重な話題が飛び出した前回に続き、今回は2人に筒美から学んだことや今後伝えていきたいことなどを語ってもらった。
取材・文 / 望月哲 イラスト / しまおまほ
サビを歌い上げる筒美京平マナー
西寺郷太 京平さんは作曲家としてはもちろん、優れた作詞家やアレンジャーを見極める目利きの才能を持っていたと思うんです。これもすごく重要なポイントで。松本隆さん、船山基紀さん、武部聡志さん、本間昭光さん、松尾潔さんなど、時代ごとに若くて才能のある人と組んで、常に最新のモードに感覚を合わせていたんでしょうね。それこそ今、「関ジャム」(テレビ朝日系「関ジャム∞完全燃Show」)に出ている大御所のクリエイターは、ほぼ京平さんと仕事されていますから。そういう意味でも、僕の中で京平さんは不世出の作曲家であることはもちろんですが、それ以上にプロデューサーというイメージが強いんです。小室哲哉さんあたりから「Produced by ●●」っていうのがトレンドになっていきましたけど、まさに京平さんはその先駆け的な存在なのかも、と。実際、ノーナの楽曲にもプロデューサー的に携わってくださって。
──ノーナをプロデュースした際、京平さんから「メロディを濡らしてみたら?」というアドバイスがあったとのことですが、例えば「LOVE TOGETHER」でいうと“濡らした”部分はどこになるんですか?
西寺 Bメロで「ダンスフロア / 夏が通り過ぎても / ダンスフロア / 君を忘れはしないから」ってところがあるんですけど、そこですね。あのブロックは最初なかったんですよ。あとから思うと南野陽子さんの「吐息でネット。」の「吐息でネット / 包んでしまいたいハート」っていうサビにどことなく似てるなって(笑)。
──ああ、確かに(笑)。
西寺 「吐息でネット。」の作曲家は誰なんだろう? ああいう感じの濡らし方……(PCで調べて)ああ、柴矢俊彦さん。
綾小路 翔 ジューシィ・フルーツのギタリストですね。
西寺 この感じの歌謡感。70~80年代の歌謡曲にあった、こういうウェットな部分を足そうっていう話を京平さんにされた記憶があります。あと、「LOVE TOGETHER」でいえばサビの最後の歌い方ですね。最初はサビの終わりのメロディ「踊るのさ今夜、ミソ#シシド#・ソ#ファ#(↓)」って下げて歌ってたんですけど、京平さんから「最後は上げて終わりなさい」って言われて。
綾小路 そうだったんですね!
西寺 「踊るのさ今夜ー、ミソ#シシド#・ミードー#!」って思いっきり上げて歌って。その瞬間、めっちゃ恥ずかしくて顔抱えてしゃがみこんだんですけど(笑)。隣で京平さんがドン・キホーテで安く売ってるようなキーボードを弾きながら「いいじゃない、その感じですよ」って(笑)。運転中に道をナビしてもらってる感じというか、後ろの席から「その道じゃない気がしますね」って言われて、「こっちかな?」「です!」みたいな。レコーディングが終わったあとに「これ、西寺郷太と筒美京平の共作ですよね?」って聞いたら、「いえ、郷太くんが作った曲ですよ」って言ってくれて。京平さんのアイデアや助言が随所に入ってはいるけど、確かに振り返ってみると実際には僕が考えたメロディなんですよ。
──筒美さんの導きによってメロディが生まれたわけですもんね。
綾小路 アドバイザーみたいな感じなんですね。
西寺 そうそう。そういう部分もひっくるめて、プロデューサーなんだと思う。
──確かに、「踊るのさ今夜」のところは少年隊だったら絶対に上げて歌いますもんね。
西寺 そうなんですよ。京平さんは「サビの最後は上がってください」ってよく言ってましたね。ただちなみにドレイクの曲とかは絶対に下がるんです。ここ10年くらいのトレンドでいえば、いわゆる歌謡的な歌い上げて終わるような曲って、まずないですよね。
──確かに下がりがちですね。
西寺 音楽ライターの柴那典さんが「歌い下げる」と表現してましたけど。僕も当時は歌い上げて終わることに対して照れくささがあったんです。
──さっきの「LOVE TOGETHER」みたいな感覚で、もしも筒美さんが氣志團の「One Night Carnival」にアドバイザー的に関わっていたらとか考えると、ちょっと面白いですね(笑)。
西寺 「One Night Carnival」は完璧だから何も言わなかったと思う。でも、京平さんが氣志團の楽曲を手がけたら面白いものになっただろうなと思いますね。
綾小路 本当にそこが心残りというか。ぜひ一緒に何か作ってみたかったですね。その気持ちが氣志團の筒美京平トリビュートアルバム(「Oneway Generation」)につながっていったんです。永遠に届くことのないラブレターを誰にも頼まれずに制作するという情熱に至ったというか(笑)。
ジャニーズ楽曲特有の“てんこ盛り感”
西寺 氣志團の京平さんトリビュートは選曲が絶妙だなと思って。どんなふうに曲を選んでいったんですか?
綾小路 僕も筒美さんの楽曲の切なさが絶妙に混じった感じが大好きで、例えばC-C-Bでいえば「スクール・ガール」、沖田浩之さんでいえば「はみだしチャンピオン」が本当はやりたかったんです。ただ、どちらも却下されてしまって(笑)。
西寺 もうちょっとヒット曲をやったほうがいいという意見があった?
綾小路 そうですね。「お前の好きなものを全部やらせてあげたいんだけど」っていうメンバーの気遣いは感じつつ……。
西寺 ちょっと妥協しろと(笑)。
綾小路 はい(笑)。僕とメンバーって、おぎやはぎみたいな関係なんですけど、さすがに選曲がマニアックすぎないか?と(笑)。それでC-C-Bは「Romanticが止まらない」、沖田浩之さんは「E気持ち」をカバーすることになったんです。小泉今日子さんの楽曲もメンバーからは「ヤマトナデシコ七変化」とか「なんてったってアイドル」のほうがわかりやすくていいんじゃないか?という声が挙がったんですけど、自分のこだわりで、どうしても「迷宮のアンドローラ」をやりたくて。それでみんなに聴かせたら、バンドで演奏したら面白そうだねということになって。今回はバンドだけで演奏するという大きなテーマがあったので、そこも加味しながら選曲を進めていったんです。
西寺 僕も「迷宮のアンドローラ」は京平さんの曲でベスト10に入るくらい好きかも。
綾小路 いい曲ですよね。
西寺 元のアレンジもフェアライトCMIを効果的に使っていてカッコいいんですよね。たぶん「迷宮のアンドローラ」は京平さん自身もお気に入りの曲だったと思う。
綾小路 京平さんの曲ってホント面白いんですよね。郷ひろみさんの「花とみつばち」とかThe Kinksみたいで。アレンジもグラムロックみたいな雰囲気があるし。聴くたびに発見があります。
西寺 それでいうと僕はTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」。聴けば聴くほどすごい曲だなって思う。なかにし礼さんの歌詞や船山基紀さんのアレンジも含めて、歳を重ねるごとに楽曲の素晴らしさがわかってくる。TOKIOってバラエティのイメージが強すぎて、SMAPやKinKi Kidsなど、ほかのジャニーズグループに比べて音楽活動が過小評価されているように思うけど、「AMBITIOUS JAPAN!」という名曲を残しているのは本当にすごいことだと思いますよ。
綾小路 新幹線の車内チャイムとしても使われてますからね。
西寺 「AMBITIOUS JAPAN!」は、僕らが京平さんとご一緒させてもらった3年後の2003年にリリースされているんだけど、最初に聴いたときは正直ちょっと「昭和の作法」的過ぎて古いかなと思った。歌詞の世界観も含めて。でも今聴くとちょうどいいんですよね。普遍的な魅力がある。
綾小路 あの曲が流れるだけで、うれしい気分になりますよね。みんなで歌えるし。TOKIOのことを知らなくても歌える。
西寺 本当にいい曲。ジャニーズの曲はストリーミング配信されていなかったり、シェアすることが難しいんだけど本当に名曲ばかりなんで。その中でも「AMBITIOUS JAPAN!」は桁違いにいい曲。あの曲のすごさを毎日翔やんと語り合いたい(笑)。
綾小路 わかります。
西寺 ジャニーズ関連だと、田原俊彦さんの「抱きしめてTONIGHT」もすごい曲だと思います。あの曲、Aメロから最後まで全部よくて。僕が京平さんに言われた「サビを際立たせなさい」ってアドバイスと正反対なんですよ。「言ってることと全然違うじゃないですか!」って(笑)。
綾小路 あははは!
西寺 もっと言うと、一番いいのは船山さんが考えた「パーパーパラッパラッパ」ってリフのフレーズ。EDMの走りというか。歌が終ってあのリフになるとさらに盛り上がるじゃないですか。
──ドロップですね(笑)。
西寺 ドロップですよ(笑)。全部いいけどドロップが一番いいっていう。
綾小路 イントロから最高ですよね。キターーーーーー!ってなる(笑)。筒美さんの現場では、作詞家やアレンジャーとのせめぎ合いみたいなものもあったんでしょうね。昔の歌謡曲って、おそらく詞先も多かったと思うんです。松本隆さんから届いた歌詞に触発されて筒美さんが曲を付けて、その時点ですごいメロディが3、4個あるのに、さらに船山さんがとんでもないイントロを足したり。C-C-Bのとき、それでちょっと揉めたみたいですけど(笑)。
西寺 「Romanticが止まらない」のレコーディングでね。船山さんが考えた派手なアレンジに、「大村雅朗くんならこんな感じにしてない」って京平さんが皮肉を言って、ドキっとされたこととか船山さんご自身もいつも面白おかしく話してくれます(笑)。
──もうちょっとバンドっぽいアレンジを想定されていたみたいですね。
綾小路 でも、そうやって全員が全力の仕事でやりあっていたからこそ、数々の名曲が生まれたんでしょうね。
西寺 少年隊の「仮面舞踏会」なんかまさにそうで。ジャニーズ系の、特に少年隊の曲のてんこ盛り感は、ちょっとほかでは味わえないですよね。
綾小路 二郎系ラーメンみたいにてんこ盛りなのに全然もたれないっていう(笑)。そこがやっぱりセンスなんでしょうね。
単純明快なようでいて複雑な楽曲構成
西寺 京平さんの仕事を追っていくと、1つのアーティストの仕事でも「ガンガン打ちまくるとき」と「守備の堅さで勝負するとき」で分かれていることに気付くんです。例えば少年隊に関していうと、僕は「ABC」が世界で一番と言っていいくらい大好きな曲だったんですけど、この3年くらいは「じれったいね」という曲が改めてめちゃくちゃ好きになってきて。この曲のチキチキチっていう3連のリズムは、たぶんTears for Fearsの「Everybody Wants To Rule The World」や、マイケル・ジャクソンの「The Way You Make Me Feel」など80年代にコンピュータで生まれた新しいグルーヴに刺激を受けて作ったと思うんですけど。ある種の謎解きというか、京平さんって即戦力で大ヒットするような曲と何十年後とかに評価されるような曲を混ぜているんじゃないかなあ、と。それがプロデューサーとしてのすごさですよね。あちこち、いろんなところにボールを放って、リアルタイムでヒットしなかった曲も、その後マニアックな音楽ファンに“発見”されたり。そこも長い間、活躍できた秘訣じゃないですかね。長く音楽を聴いているとリスナーの耳も当然肥えてくるわけで。本当の野球好きが四番打者のホームランじゃなくて、二遊間の守備の連携を見て「これこれ!」って楽しむ感覚というか(笑)。
──いぶし銀のプレイを(笑)。
西寺 そうそう。で、そういういぶし銀のプレイを京平さん自身も楽しんでいたんだろうなと思うんです。そのためにもホームランを飛ばさないと打席を与えてもらえないから、売れる曲を作ることで、自分が本当にやりたいことをやっていたんじゃないかな。マニアックな音楽ファンに喜ばれるような曲、そのアーティストが大人になっても歌える曲というか。
綾小路 僕もそういう曲が好きなタイプなので。結果、同時期に出た公式トリビュートアルバムと1曲も被らないっていう奇跡が生まれたんですけど(笑)。向こうは4番・サードがそろってるんですよ。最強のオールスターチームみたいな。それに比べて僕らのほうは渋めなんですよね(笑)。まさに、いぶし銀ぞろいで。
西寺 確かに、「夏色のナンシー」とかって、あえて1曲選ぼうと思ったら選ばないかもしれない。今の時代のテンションからすると「ザ・80年代のアイドルソング」すぎて。
綾小路 そうなんですよ。めちゃくちゃアイドルの子がやるならアリかもしれないですけど。今の時代に取り上げるには、ちょっとテンションが違うかなっていう。やりづらそうな曲は確かに多いかもしれないです。
──でも別に“裏ベスト”という感じでもないですもんね。
西寺 ないない。本当にいい曲ぞろいですよ。藤井フミヤさんの「タイムマシーン」、僕も大好きだったなあ。CDも買いましたよ。
綾小路 実際に演奏してみてわかったんですけど、「タイムマシーン」は曲の構成が本当にシンプルで。僕らが今回カバーした曲はワンコーラスを繰り返して終わるようなものが多くて、余計なことをあまりしていないんだなということに気付かされました。もっと複雑な構成だと思っていたんですけど実は意外とシンプルで。
西寺 たぶんジャニーズ楽曲などに関しては意識して要素をてんこ盛りにしてたんでしょうね。
綾小路 確かに。そしてジャニーズ曲が入らなかったために、結果的に僕らのアルバムはシンプルな構成の楽曲が多くなったっていう。
西寺 すっきりとした感じに(笑)。
綾小路 はい(笑)。でも本当に「もう終わりだっけ?」みたいな曲が多くて。僕が80年代の曲を好きだというのが大きいと思うんですけど。90年代に入ると情報量がモリモリになってポップソングが4分半とかになっていくじゃないですか。でも今は曲の作りがコンパクトになって3分くらいの曲が世界的に見ても増えてますよね。なのでポピュラーミュージックのトレンドが、筒美さんの楽曲のようなシンプルな感じに戻ってきてるのかなと思うんです。歌詞がこんなに長いのに、すごくコンパクトな構造になってるんだとか。それもやってみて気付いたことなんですけど。
──実際に演奏して初めて気付くことがあったわけですね。
綾小路 はい。メンバーは「これは変態だわ」って言ってました(笑)。筒美さんの曲ってシンプルなメロディなのに、コード進行がおかしなことになってたりするんですよ。メンバーが言うにはシンプルな中にクセみたいなものがあるらしくて。このメロディに対して、こういうコードは普通乗せないんだけど、みたいな。もしかしたらアレンジャーとの兼ね合いとかもあると思うんですが、そこらへんがとにかく不思議だと言ってました。
西寺 ボーカリストとして、翔やんはどの曲が難しかった?
綾小路 一番難しかったのは「夏色のナンシー」です。歌ってるとメロディを見失いそうになるんですよ。「あれ? どうしてこっちに行くんだろう?」みたいな。単純明快に聞こえるのに、実際に歌ってみるとこんなに難しいのかっていう。バンドで演奏して楽しかったのは平山三紀さんの「真夜中のエンジェル・ベイビー」。この曲は近田春夫さんやクレイジーケンバンド、キノコホテルもやってましたよね。皆さんがこの曲をカバーする気持ちがすごくよくわかりました。バンドで演奏するとすごく気持ちいいんです。
筒美京平から学んだもの、伝えていきたいこと
──では最後に、筒美さんが亡くなられて約1年半が経ちますが、お二人の中にはそれぞれどのような思いがありますか?
綾小路 一瞬すれ違ったことがあるにせよ、直接の面識があるわけじゃないんで僕にとって筒美さんはドラゴンとか空想上の怪物みたいな感じなんです。すさまじい数の曲を量産していて、“筒美京平”というのは個人名じゃなくてユニット名で、複数の作家がチームとして動いているという噂もあったみたいですから。空想上の存在が、ある日ふっと消えてしまったような感覚があります。亡くなられたあとに、筒美さんが音楽を制作されたゲーム「いただきストリート2」のサントラが話題になったから聴いてみたんだけど、「こんな音楽も作ってたんだ!」って改めて引き出しの多さに驚かされましたね。そりゃ複数人説も出るだろうなって(笑)。筒美さんは新しいことにチャレンジするにあたって、なんの恐怖感も持たなかったんだろうなと思うんです。めちゃくちゃこだわってる部分がある反面、こだわりがないというか「こんなことまでやっちゃうんだ!」っていうおちゃめな感じもあって。もちろんプロフェッショナルとして、売れることを第一に曲を作っていたんでしょうけど、それと同じくらい「聴いた人をドキドキさせたい!」という気持ちだったり、もっと言えば自分自身ドキドキしたいという気持ちがあったと思うんです。
──作曲家以前に根っからの音楽好きとして。
綾小路 これだけのヒットメーカーですから、ある程度ヒットの方程式みたいなものをつかんでいたと思うんですけど、そんなことよりも純粋に音楽を作る楽しさみたいなものが筒美さんの曲からは伝わってくるんです。「こういう曲がヒットしてる」とか「こうすれば売れる」とかじゃなくて、面白そうなものに誰よりも早く飛び込んでいく姿勢がカッコいいですよね。そして、誰よりも早いから、「二匹目のどじょう」ではなくてオリジネイターになることができるわけで。僕らもついつい売れ線を気にして曲を作り始めてしまうようなことがあるんですけど、京平さんのように聴く人をドキドキさせたいという気持ちを常に失わないようにしたいですね。
──郷太さんはいかがですか?
西寺 京平さんはジョン・レノンと同い年の1940年生まれなので、キャリアを計算しやすいんです。30代が1970年代で、40代が1980年代っていう感じで。そう考えると少年隊の「ABC」や田原俊彦さんの「抱きしめてTonight」を作曲したのが47、8の頃で、自分が今ちょうどそのくらいの年齢なので、改めて京平さんのすごさに気付かされますね。僕がお仕事をご一緒させていただいたとき京平さんは60歳だったんですけど、2年弱の間、親密にやり取りさせていただいたことは自分にとって大きな財産になっていて。たまに頼まれて原稿を書いたりこうして話したりする機会があるんですけど、ある意味、京平さんの功績を次世代に伝える役割を託されているような部分が自分にはあると思うんです。例えば、前編でお話しした炭酸水とアルコールの話だとか、京平さんの曲を聴き続けることで、ようやく言語化することができた感覚だったりするので。僕とか翔やんって珍しい立場だと思うんですよ。パフォーマーとして活動する一方で、音楽の魅力を書いたり語ったりする機会も多いっていう。
綾小路 そうですね。
西寺 僕らの上の世代でいえば近田さんとか小西康陽さんが京平さんの魅力を伝えてきてくれましたけど、僕や翔やんは、また違った感覚で京平さんのことを解釈している世代だと思うので、その役割を受け継いでいければ。そういう意味でも僕は気志團がこういう作品を残してくれたことって、すごく意味があると思うんです。1曲じゃなくて、アルバム1枚作るのって、相当な愛がないとできないですから。翔やんと、1年くらい前からこうやって仲よくなれて話せるようになったのも京平さんというファクターが大きいですから。
綾小路 本当に筒美さんのおかげですね。
西寺 一緒に京平さんの楽曲をカバーしたり、そういう形で魅力を伝えることもできると思う。今回だけに終わらず、いろんな展開があるといいなと思いますね。
綾小路 頼まれてもいないのに広めたくなる曲がいっぱいあるんですよね。筒美京平の世界には。
西寺 誰か1人の手に負える存在じゃないですから。それこそ何人かでやらないと(笑)。
綾小路 はい、よろしくお願いします。
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年7月には2ndソロアルバム「Funkvision」、2021年9月にはバンドでアルバム「Discography」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などに出演し、現在はAmazon Musicでポッドキャスト「西寺郷太の最高!ファンクラブ」を配信中。
綾小路 翔(アヤノコウジショウ)
氣志團のボーカリスト。1997年に千葉県木更津で氣志團を結成。“ヤンクロック”をキーワードに、学ランにリーゼントというスタイルでのパフォーマンスが話題を集め、2001年12月にVHSビデオで“メイジャーデビュー”を果たす。「One Night Carnival」「スウィンギン・ニッポン」などヒット曲を連発し、2004年には東京ドームでのワンマンライブも開催。2012年からは地元千葉県にて大規模な野外イベント「氣志團万博」を主催し、ほかのフェスとは一線を画するラインナップで多くの音楽ファンの支持を集めている。2021年4月に筒美京平のトリビュートアルバム「Oneway Generation」をリリースした。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」「スーベニア」「家族って」といった著作を発表。最新刊は「しまおまほのおしえてコドモNOW!」。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。