西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲セレクトし、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者として多くのメディアに出演する西寺が私論も織り交ぜつつ、愛するポップソングを紹介する。
第22回では今年結成25周年を迎えるモーニング娘。の大ヒット曲「LOVEマシーン」にフォーカス。一世を風靡したモーニング娘。の活躍と、プロデューサー・つんく♂の驚異的な才能を掘り下げる。またアレンジを担当したダンス☆マンに西寺本人がインタビューを行い、驚きの制作裏話を聞いた。
文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ
お茶の間だけでなく玄人も虜にした理由
「LOVEマシーン」は1999年9月9日に発売されたモーニング娘。7枚目のシングル。平成11年ですか。無数のポップミュージックがある中で「LOVEマシーン」は平成日本を彩った象徴的な曲と言えるでしょうね。平成28年から29年にかけて大ヒットした星野源さんの「恋」(2016年10月発売のシングル)、米津玄師さんが手がけられたFoorinの「パプリカ」(2018年8月発売のシングル)などと並んで「大人から子供まで幅広く愛された」という観点で、この楽曲は「平成の楽曲ベスト10」があれば上位にランクインするような社会現象を呼び起こしました。「LOVEマシーン」のリリース後には「次はどんな曲が聴けるんだろう」という世間の期待に応え、モーニング娘。は「恋のダンスサイト」(2000年1月発売のシングル)、「恋愛レボリューション21」(2000年12月発売のシングル)、「ザ☆ピ~ス!」(2001年7月発売のシングル)など次々とヒット曲を世に送り出します。曲や詞の素晴らしさ、グループのメンバーの魅力、さまざまな角度で時代と融合して生まれた魔力と言いますか……。特に2000年前後はそれまでヒップホップや海外のソウルミュージック、ダンスミュージックに夢中だったミュージシャンやDJの仲間、先輩がどんどんモーニング娘。のマニアに変貌していったのも印象的に思い出されます。いわゆるお茶の間だけでなく、そういった“玄人筋”からの評価の起爆剤、ポイントとなったのは、「LOVEマシーン」以降の主要曲の編曲を手がけられたダンス☆マンさんの働きかな、と。僕は、もともとシャ乱Qのダンスミュージック感に満ちたゴージャスなシングル「ズルい女」(1995年5月発売)がめちゃくちゃ好きでした。ホーン隊のアレンジを担当された森宣之さんはORIGINAL LOVEの元メンバー。今振り返っても90年代の中で指折りの素晴らしい楽曲、アレンジだと感じています。
つんく♂の不思議な歌詞に根付く王道の要素
つんく♂さんの書く歌詞は基本的に口語が多くてちょっと不思議で。「ザ☆ピ~ス!」には「選挙の日って ウチじゃなぜか 投票行って 外食するんだ」というフレーズがあったり、「恋のダンスサイト」には「SEXYビーム」という変わった決めゼリフがあったり、かなりアヴァンギャルドな歌詞なんですけど、作詞家の伝統を軸では守っていると言いますか、マナーに則ってるからどれも美しくて時代を越えても古びないんですよね。例えばデニムにしてもギターなどにしてもビンテージになって、穴が空いていたり、年数が経って汚れていたり色が褪せていたほうがカッコいいという文化があると思うんですが、だからと言ってただ単にめちゃくちゃにデニムを切り裂いたり、楽器を壊してしまったらまったく価値はなくなる。歌詞も単純にきれいだったり、ありきたりな形だと胸に引っかからないから、独自の“汚し”というか、“引っかかり”や“極端なフレーズ”、誰も先人が言葉にしてこなかった感情を忍び込ませたり、どこに遊び心をプラスするかが重要だと思うんです。例えば60年代、ジョン・レノンが書いたThe Beatlesの「Help!」も不思議な歌詞で、和訳すると「助けて」と歌い続けている。ネイティブの人が最初に聴いたときはびっくりしたと思うんですよね。しかも前奏がないわけで。The Beatlesは世界一のロックバンドとして一種の権威になったわけですが、かなりイビツな歌詞も多いです。そういう意味でもつんく♂さんの言葉選び、楽曲作りはおそらくご自身の根っこにThe Beatlesや筒美京平さんの“王道”の要素があるからトリッキーな試みをしても軸がブレないんじゃないか、と。
リリース1カ月前にアレンジの依頼
ダンス☆マンさんとは僕も交流があって、NONA REEVESのリアレンジも2001年に頼んだことがありますし、彼が楽曲をセレクトした「JADOES ゴールデン☆ベスト -JADOES FUNK LOVE CLUB-」というタイトルのアルバムで歌わせてもらったこともありますので、今回この時期のアレンジワークスとご自身のキャリアについて直接話させてもらいました。ダンス☆マンさんは宇宙から来られていますので、例えば彼が小学生の頃を思い返して話される場合、すべて「あなた方地球人で言えば小学生の頃」という前提で話してもらっていることをご了承ください(笑)。ダンス☆マンさんは5歳の頃からピアノを始められて、我々で言う中学生、高校生の頃にドラムも演奏するようになられたそうです。20歳の頃にベースに転向。ブラックミュージックに夢中になり、複数の楽器を操れるマルチプレイヤーとして音楽活動を続けられていました。1984年頃、それまでのChic「Good Times」、マイケル・ジャクソン「Off The Wall」などに代表される生演奏のディスコ、ファンクから、ユーロビート、ハイエナジーと呼ばれるDead or Aliveなどの新勢力が登場し始め、時代の変化を感じたそうです。
1999年8月。ダンス☆マンさんは六本木のディスコ「ヴェルファーレ」(2007年に閉店)で箱バンを務められていました。「DJではなくバンドの生演奏で踊らせる」というミッションを日々、重ねられてアルバムもリリースされていたのですが、そのときにつんく♂さんの関係者から連絡が。ここからは彼がさまざまなインタビューでも話されているので、ファンの方々の間ではよく知られているエピソードですが「MIRRORBALLISM 2~New Generation Dance Classics」というダンス☆マンさんのアルバムの収録曲「ダンス部 部長南原」のサウンド感で、今度のモーニング娘。の新曲をアレンジしてほしいというオーダーがつんく♂さんから届いたそうです。
ただし、シングル発売日は決定していて9月9日。連絡がきたのが8月8日。お盆休みを挟んで1カ月しかない、という通常あり得ない過密スケジュール。ダンス☆マンさん曰く、あまりにも時間がないのでダンス☆マンの姿のままで移動してミーティングしたこともある、と。歌詞カードなどの印刷やCDのプレスもあるので、8月15日までに工場に入れなければいけない──つまりオファーから1週間でアレンジ、プログラムとバンド演奏、メンバーの歌録音、ミックス、マスタリングを終わらせなければいけない。ダンス☆マンさんの記憶では、もともとつんく♂さんが作られた「LOVEマシーン」のデモはアコースティックギターの弾き語りで歌詞はなく鼻歌。シャ乱Q、もしくはご本人が歌うために作られていた曲だったが、時期がズレたのでモーニング娘。のシングルに選ばれたという流れではないかと。
これらのエピソードを知ると、つんく♂さんが歌われた「ズルい女」のようなグルーヴィでセクシーなテイストを、主にティーンの女の子たちがファンキーに背伸びして歌い踊ることで、より新しいステージ映えした楽曲、世界観が生まれたのが発明だったのかな、と思います。ダンス☆マンさんも「“アイドル音楽”として簡単にしなければ」「お茶の間に受け入れられるように味を薄めよう」という意識では作られてはいなかったそうなので。この時期、僕も何度もモーニング娘。のライブに行きましたが、本当に時代を巻き込んだ革命に参加しているような気分になるすさまじいステージが観客も含めて繰り広げられていました。
クラブに満ちていた幸せな空気
かなり長い間、日本のクラブでは海外の洋楽ダンスミュージックがメインにかかっていたんですけど、90年代末にスタートした「申し訳ないと」というDJイベントが大きなきっかけとなって、日本の歌謡曲とかダンスミュージック、アイドルソングがメインにかかるイベントも増えてきました。僕も三宿Web(現在は閉店)を中心にイレギュラーですが携わっていて。全国に呼んでもらって「申し訳ないと」つながりでいろんな音楽仲間、先輩、後輩と仲よくなることができました。そこでもモーニング娘。の楽曲がかかると爆発的に盛り上がったのが懐かしいですね。2000年前後のモーニング娘。の快進撃が、それ以降の日本人の音楽の聴き方、楽しみ方を大きく変えたと思います。特に当時幼かった少女には多大なる影響をもたらしたんじゃないでしょうか。個人的には2000年代って、自分が好きな音楽、求めている音楽と世の中の空気がまったくリンクしない孤独な思い出が多いんですが、全力投球でアイドルを応援できたり、皆で飲んだり踊ったり、クラブの中に幸せな空気が満ちていたなと、コロナ禍になってつくづく思いますね。
ミュージシャンとしてのハロー!プロジェクトとの関わりで言えば、昨年秋にハロプロダンス部(ダンス好きの石田亜佑美[モーニング娘。’21]、加賀楓[モーニング娘。’21]、佐々木莉佳子[アンジュルム]、稲場愛香[Juice=Juice]、秋山眞緒[つばきファクトリー]、平井美葉[BEYOOOOONDS]で構成)とLIPPSのコラボ動画に曲を提供したんです。完成した映像を観て、それぞれのプロフェッショナルな魅力、満ちてくる“王道”としての歴史と重みに本当に感動しました。
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年7月には2ndソロアルバム「Funkvision」、2021年9月にはバンドでアルバム「Discography」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などに出演し、現在はAmazon Musicでポッドキャスト「西寺郷太の最高!ファンクラブ」を配信中。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」「スーベニア」「家族って」といった著作を発表。最新刊は「しまおまほのおしえてコドモNOW!」。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。