世界がコロナ禍に突入してから3年目を迎え、ライブエンタテインメントも徐々に復活の兆しを見せ始めた2022年。10月に業界団体が改訂したガイドラインにより、ライブハウスの収容人数が条件付きで100%まで緩和され、観客の声出しを解禁した公演も増えてきている。「SUMMER SONIC」や「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」をはじめとした数多くのフェスや大型イベントも3年ぶりに開催され、ひさびさにライブの楽しさを実感した音楽ファンも多いのではないだろうか。
この記事ではそんな2022年に開催されたさまざまなライブの中から、音楽ナタリーの編集部員たちが“個人的に印象に残ったもの”を振り返る。
目次
- IDOLiSH7初単独公演の記憶――永遠より、このライブが奇跡だ
- AマッソとKID FRESINOは何をしたのか、不意に目の当たりにしたカテゴライズ困難なステージ
- 蓮沼執太&ユザーン、予定調和が嫌いな彼らのパフォーマンスに惹き付けられる理由
- PA卓の後ろから(吉田山田)
- 超ときめき♡宣伝部はもはや“ハードコア正統派”
- いい音のする現場には、あのもじゃもじゃパーマ(soraya)
- エモさを語ると野暮になる、安全地帯初ライブで感じた熱視線
- まるで夢みたいな「世界で一番綺麗なBiSH」、解散日の発表に涙止まらず
- 細部に宿る“神”を感じさせたKing Gnu&ラルクのドーム公演、剥き出しの姿を見せたGLAYと鬼龍院翔のリアル
- “おくりびと”としての卒コン悲喜こもごも(虹のコンキスタドール、lyrical school、フィロソフィーのダンス、私立恵比寿中学)
IDOLiSH7初単独公演の記憶――永遠より、このライブが奇跡だ
文 / 酒匂里奈
IDOLiSH7「IDOLiSH7 LIVE BEYOND "Op.7"」1月22、23日 さいたまスーパーアリーナ
推しのグループやバンド、アイドルがいる人は誰しも永遠を願ったことがあるのではないかと思う。ずっと仲よく、ずっと元気で、ずっと変わらずにステージで輝き続けてほしい。
1月に埼玉・さいたまスーパーアリーナで開催されたIDOLiSH7初の単独公演「IDOLiSH7 LIVE BEYOND "Op.7"」を観て、私は“アイドルの永遠“を超えたものを受け取った。
IDOLiSH7はスマートフォン向けアプリ「アイドリッシュセブン」から生まれたアイドルグループ。七瀬陸、和泉一織、二階堂大和、和泉三月、四葉環、逢坂壮五、六弥ナギの7人からなる。単独公演では声優キャストがライブを行い、キャラクターとのシンクロ率が高いパフォーマンスでファンを沸かせた。
IDOLiSH7のセンター・陸はゲームの作中でこう語っている。「オレたちは死なない星じゃない。限りある時間を生きて、かけがえのない時間を過ごしている。みんなと笑い合って、眩しいライトの下で、二度とない瞬間を生み出していく。永遠より、この毎日が奇跡だ」。この言葉を体現するかのように、この公演は永遠よりも価値のあるライブに感じた。
例えば環と壮五によるユニット・MEZZO”の絆を感じさせる美しいハーモニー。「解決ミステリー」での陸の“訴求力”が爆発した弾けるような笑顔と、トロッコに腰かけながら歌う一織の大人びた表情。「My Friend」で大和、三月、ナギがお互いを愛おしげに見つめ合いながら歌唱する仲睦まじい様子。そして7人の声が合わさったときのピースフルなムード。陸が作中で語る「オレたちが歌うたび、物語が蘇る。楽しい気持ちを、幸せな気持ちを、リフレインさせることが出来るんだ。真っ暗な夜空に、流れ星を降らせるみたいに」という言葉の通り、これらの記憶はある種、永遠と等しいほどの価値があると言えるのではないだろうか。会場を出て、7色にライトアップされたさいたまスーパーアリーナを見上げながらそんなことを考え、IDOLiSH7に思いを馳せた。単独公演から約1年経った今でも、脳裏にはステージで輝く彼らの姿が焼き付いている。
また作中で環が壮五にかけた言葉でこんなものがある。「いいとか、悪いとか、正しいとか、間違ってるじゃなくて。あんたが好きなもん、好きでいいんだよ」「遠慮しないで、好きなものは好きって言えばいい。もっと、大きな声で」。これからも私は声を大にしてIDOLiSH7というアイドル、そして「アイドリッシュセブン」という作品が好きだと言い続けたい。ゲームの第6部の特設サイトでは「物語はクライマックスへ!」という文字が躍っているが、彼らがどんな“クライマックス”を迎えるのか、その顛末を見守りたいと思う。
AマッソとKID FRESINOは何をしたのか、不意に目の当たりにしたカテゴライズ困難なステージ
文 / 橋本尚平
Aマッソ+KID FRESINO「QO」2022年1月30日 Spotify O-EAST
そもそもの話、僕は今までAマッソのライブはおろかお笑いのライブ自体をほとんど観たことがなかったので、これがほかのお笑いライブと比べて何が特殊なのかということについては語る言葉を持っていないんですが、終演後の客席から聞こえたざわつき、会場に広がる「何かすごいものを観てしまったぞ」という空気から、少なくともあの場にいた人たちは誰も似たものを観たことがなかったんだろうと思います。
今年1月から2月にかけて、AマッソとKID FRESINOが「QO」と題したライブツアーを東京、福岡、大阪の3都市で開催しました。このことが発表されたときに、お笑いコンビとラッパーという異色すぎる組み合わせにSNSでは「どうして?」「何をするの?」とクエスチョンマークが飛び交っていましたが、その詳細が事前に何も明かされないままツアーは開幕。おそらく来場者の多くは直前まで「いわゆるツーマンライブのように、前半後半に分けてAマッソとKID FRESINOが順番にステージに立つイベント」をイメージしていたのではないかと思います。しかしその日に会場で繰り広げられたのは、その場にいた誰もが「思ってたのと違う!」と驚いたであろう、観客の想像の範囲から逸脱した不思議なステージだったのです。
東京公演の模様は現在Prime Videoで配信されているので、今からでも新鮮な感覚でそちらを観ていただけるように、ストーリーや演出などの詳しい内容については伏せますが、1つだけ言うと、このライブは「1本のコントと1曲の演奏が交互に披露される」という構成でした。しかしながらそれらのコントと音楽は、各々の領域に侵食してシームレスに混ざり合いながら、トータルで1本の物語を作り出します。「お笑いのライブ」とも「音楽のライブ」とも呼べない、どちらがメインでどちらが脇役ということのない均衡した力関係。とはいっても1曲ごとの演奏、1本ごとのコントが単体の作品としても成立していて、ミュージカルのように完全に混ざり合って一体化しているわけでもない。実際、三浦淳悟(B)、佐藤優介(Key)、斎藤拓郎(G)、石若駿(Dr)、小林うてな(Steelpan, MainStage, Cho)、西田修大(G)という凄腕プレイヤーを従えたバンドセットでのKID FRESINOのライブは、メンバーそれぞれの個性が高い次元でぶつかり合う見応えのあるパフォーマンスでしたし、ストーリーから切り離して「音楽のライブ」として観ても、あるいはAマッソによる「お笑いのライブ」として観ても満足できるものになっていました。
このツアーでライブ演出を担当したのは「そうして私たちはプールに金魚を、」「ウィーアーリトルゾンビーズ」「DEATH DAYS」といった、独特な映像表現の作品で知られる映画監督の長久允。確かに、劇中の時間帯ごとに分けて章立てながらストーリーが進む構成や、コミカルさの中に漂うどこか不穏な雰囲気は、長久監督のほかの作品にも共通するものがあるんじゃないかと感じます。「QO」がこのようにカテゴライズ困難な公演になったのは、映画監督という、音楽サイドでもなくお笑いサイドでもない存在が橋渡しの役割を受け持っていたからというのも大きいのかもしれません。
音楽ライブに限らずあらゆるエンタメのコンテンツに触れていると、鑑賞後に「誰かと感想を話し合いたい」「ほかの人の解釈や考察を聞きたい」という気持ちにさせられるものと出会うことがたまにあります。「ライブを観てそんな気持ちを味わってみたい」と思っていても、そういう体験はいつでも簡単にできることではありませんが、この「QO」はまさに“そんな気持ち”になれる公演でした。皆さんにもPrime Videoで観ていただき、ぜひ感想や考察などをSNSに書いてもらえたら幸いです。自分が読んでみたいので。
蓮沼執太&ユザーン、予定調和が嫌いな彼らのパフォーマンスに惹き付けられる理由
文 / 鈴木身和
蓮沼執太&ユザーン「Shuta Hasunuma & U-zhaan "Good News Live"」2022年4月8日~10月9日
蓮沼執太&ユザーンのライブでU-zhaanがよく口にするセリフがある。
「予定になかった曲やってもいい?」
ライブ中盤に聞くことが多い気がするが、アンコールで急に飛び出すこともある。
これを言われた蓮沼は「えー!?」と驚きつつ、どんな曲を提案されてもにこにこと引き受ける。
このやりとりを観るたび、私はおもむろに悟空とベジータのような、桜木花道と流川楓のような、強者同士のライバルバトルを想像してしまう。ヤムチャ視点の私には見えない高度な技を繰り出す2人が、打てば響く互いの力のぶつかり合いを楽しんでいるように感じるのだ。
蓮沼執太&ユザーンが5年ぶりにリリースしたアルバム「Good News」のレコ発ツアーでもこのセリフを聞いた。2人はツアー初日のBillboard Live OSAKAでグランドピアノでアレンジした表題曲「Good News」や、完全初演となるU-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESSの楽曲「七曜日」のカバーなど新たな試みの楽曲を次々と披露。ようやく初日の緊張が解けた頃合いのアンコールで、U-zhaanはさらりと「予定になかった曲をやるんで」と言い放ち、照明スタッフには「ダンスホールみたいな感じで」とリクエストまでして「テレポート」を演奏した。これは蓮沼だけでなく、Billboardという歴史ある会場のスタッフへの信頼もあってこそだろう。
また博多の西林寺で行われたライブでは、いざ開演というタイミングでタブラの締め紐が切れてしまうというハプニングが発生した。タブラはリズム楽器なのだが、U-zhaanはサイズが異なる複数のタブラを並べるという独自の手法で音階を作り出している。1タブラにつき1キーしか出ないので、紐が切れてしまったそのタブラの音はもう出せない。当然、事前に考えたセットリストも白紙だ。いったいどうなるのか会場に不安がよぎったのもつかの間、2人はわずか二言三言の言葉を交わしただけにもかかわらず、蓮沼が「U-zhaanの機転で演奏できるようになりました!」と仕切り直した。U-zhaanは残りのタブラだけで演奏できるセットリストをその場で考えていくので、そもそも予定になかった曲だらけのはずなのだが、さらにここでも「やる予定のなかった曲やってもいい?」とタブラソロ曲「I Like Peshkar」を「半音上げで」と差し込んできた。もはやこの状況を楽しんでいるとしか思えない。あの短いやりとりで瞬時に互いの言いたいことを理解し、ライブを成功に導いた2人の余裕と強い信頼関係をまざまざと見せつけられた。
U-zhaanから蓮沼へのムチャぶりということで言えば、京都METRO公演で披露された時代劇「大岡越前」のテーマ曲もそうだろう。もともとU-zhaanが好きだった楽曲で、「何か京都っぽい曲をやりたい」という理由で選曲されたのだが、蓮沼はテーマ曲どころか、そもそも「大岡越前」を知らなかったという。アルトホルンとシンセサイザーでやけにクールにアレンジされた「大岡越前」のカバーはとてもカッコよかったが、曲が終わってオーディエンスにアンケートを取ると、オリジナル曲を知っている人は3割ほどという結果に。「いいメロディだと思うんですけどね」と肩を落とすU-zhaanに、蓮沼が「『~だと思うんですけどね』で終わる会話って寂しいよね(笑)」と独自の視点で寄り添う場面がほほえましかった。
蓮沼執太&ユザーンのライブはゆるゆるとした空気の裏で、とんでもない技の応酬がされている。しかしそれを背後に隠し、表立って見せないところも、彼らのパフォーマンスに惹き付けられる理由の1つかもしれない。予定調和が嫌いな2人がこれからどんなムチャぶりの応酬を見せてくれるのか、新しい企てが楽しみである。
PA卓の後ろから
文 / 倉嶌孝彦
吉田山田「吉田山田弾き語りツアー2022~愛された記憶~」2022年6月19日 Live House浜松 窓枠
長らく記者をやっていると、同一ツアーの公演を何度か拝見する機会がある。吉田山田の全国ツアー「吉田山田弾き語りツアー2022~愛された記憶~」では、セミファイナルの静岡公演に呼んでもらい、静岡のセミファイナルと東京のツアーファイナルどちらも見させてもらった。
早めに現地に着いてしまった静岡公演ではリハーサルからお邪魔させていただき、吉田山田の音作りの現場を見学することに。そこで出会ったのが、PAの箕輪勝利さんだ。リハーサルでは、ギターボーカルの吉田さんと二人三脚で音作りをしている姿が印象的だった。PA卓とステージを何度も行き来しながら自身の耳でも音の鳴りを確認し、納得のいく音作りをアーティストとともに探る。その姿勢に、同じくライブに携わる者として背筋が伸びる思いがした。
終演後、吉田山田の2人と箕輪さんと話す機会があった。そこで話していたのはこの日のライブハウスの鳴りについて、子供が観に来ていたのを受けて開演前に箕輪さんが子供の位置を確認していたこと、予定になかったダブルアンコールでのSEを切るタイミングが遅かったのではないか、など。ライブならではの不確定要素を予想し、ときにつまずきながら(この日の転換中、箕輪さんは実際に機材につまずいていた)アーティストとPAが二人三脚でライブを作り上げる様子を魅力的に感じた。
そんなセミファイナルを経てのツアーファイナル。記者として席に座った僕はもちろん、PA席の箕輪さんも、セミファイナルと同じくダブルアンコールがあることを予想していた。アンコールの2曲が終わったあとも箕輪さんはセットリストに書かれていた最後の候補曲を照明さんに示し、何が起きても対応できるよう気を緩めない。オーディエンスの拍手に応える形で再び姿を表した吉田山田は、ここで思わぬ行動に出る。客席にもっとも近いステージ端まで歩み寄った2人は、マイクやPAシステムを通さず、生音で「約束のマーチ」を歌い始めたのだ。これまでアーティストの歌唱中も絶えずツマミに手を添えて調整をしていた箕輪さんは、最後の曲を吉田山田の2人に委ね、そっとPA卓から手を離した。その背中がカッコよかった。
ライブには「特等席」というものがある。多くのファンにとっては最前列が特等席だろう。場所はどうあれ、大切な人の隣が特等席である人もいると思う。僕にとってのあの日のライブの特等席は、PA卓の後ろから箕輪さんの背中と2人のライブを見守れる、あの席だった。
超ときめき♡宣伝部はもはや“ハードコア正統派”
文 / 近藤隼人
超ときめき♡宣伝部「行くぜ!超ときめき♡宣伝部 in 幕張メッセ!~星をめざして~」2022年10月22日 幕張メッセ 幕張イベントホール
“アイドル戦国時代”という言葉が生まれた2010年以降、日本の女性アイドルシーンには数多くのグループが誕生してきました。ラウドやメタル系の楽曲を歌うアイドルも過激なパフォーマンスをウリにするアイドルも今や珍しくなく、ビジュアルや音楽性、活動形態は本当に種々様々。今後どんなに奇抜なコンセプトのグループが出てきても驚くことはないだろうと謎の自信を覚えるほど、女性アイドルシーンはこの約10年の間にあらゆるベクトルに手を伸ばし、すべてをやり尽くした飽和状態になってひさしいように思います。
そんな中、超ときめき♡宣伝部の路線はわかりやすく正統派ど真ん中。もちろん幅広い音楽性を持ってはいるものの、どの曲も「ときめく恋と青春」というテーマが一貫しており、清々しいほどに王道中の王道です。壮年である私には甘酸っぱい恋や心躍る青春を描いた歌詞はまぶしすぎるというか、少女マンガの世界のように他人事なのですが、そんな自分でも衣装や映像演出、ステージセットに至るまで“アイドルらしいかわいさ”を徹底したライブは観ていて爽快。6人の言葉や表情にわざとらしさやあざとさがなく、パフェばかり食べさせられている感覚なのに決して胃もたれしないのです。
前置きが長くなりましたが、超とき宣史上最大規模のワンマンライブとなり、見事チケットがソールドアウトした千葉・幕張メッセ 幕張イベントホール公演は、その正統派路線を凝縮し、大舞台用に昇華させた集大成のステージでした。センターステージのせり上がりなど、大箱定番の演出が6人の歌に見事にハマり、アイドルとしての破壊力を倍増させる。もはやハードコアな域の“アイドル的かわいさ”を携え、正面から笑顔で圧をかけていくパワータイプのアイドルです。TikTokで「すきっ!」がバズったことが彼女たちの人気拡大につながったのは間違いないですが、それが一過性のものに終わらなかったのは、この路線を簡単には真似できないレベルで続けてきたからこそ。幕張に集まった約7000人の観客の男女比率がほぼ半々だったことも特筆すべき点で、ハロー!プロジェクトやK-POPのグループなどのいわゆる“女性が憧れる女性グループ”とは逆のスタイルかもしれませんが、“アイドルらしさ”をもってしても女性ファンからの支持を得られることを超とき宣は証明しました。
王道があるからこそ、そこへのカウンターとして新奇なスタイルが生まれる。その逆も然りで、アイドルシーンではこの現象がすでに何周もしている印象ですが、王道が人気なのはそのジャンルがまだ元気な証であるような気がします。超とき宣は2024年1月に神奈川・横浜アリーナで2DAYSワンマンを開催予定。右肩上がりでスケールを大きくしている彼女たちの活動がシーン全体の活性化につながることを期待しています。
いい音のする現場には、あのもじゃもじゃパーマ
文 / 臼杵成晃
soraya「そのいち」2022年10月29日 晴れたら空に豆まいて
「耳の肥えた音楽ファン」「早耳のリスナー」みたいな言い回し、すごい嫌いなんですよね。何基準だよと思うし、早いことになんの価値があるんだろうと。「音楽シーンのことはまるでわからないが同じ曲だけを30年以上聴き続けている人」との音楽的幸福度にどのような違いがあるのか、などと考えてしまう。これは僕らの名刺に“ライター”ではなく“記者”と記されていることが大きいかもしれません。情報を取り扱うことが主たる仕事であって、音楽を論じる、評する立場には基本ないからです。純粋な音楽ライターであれば「肥えた早耳」に大きな価値があるだろうし、それは今の時代だとキュレーターとしての価値にもなるのでしょう。そうは言っても、今まで聴いたこともない音楽に出会ったときの快楽はなかなかほかでは味わえないもので、ついついレコ屋を、ネットを、サブスクを徘徊してしまう。これは「音楽で道を踏み外してしまった者」の性ですね。
上に書いた「キュレーター」、雑に言うならば「紹介屋」でしょうか。サブスクがない時代、SNSがない時代、もっとさかのぼればネットのない時代、それは音楽に関して言うならば、主に音楽雑誌と音楽ライターが担っていたところかなと思います。あとはDJやラジオのパーソナリティか。CDショップ、レコード屋の陳列棚やPOPも貴重なキュレーションスペースでしたし、そこは今でも変わらないですね。好きなライター、好きなDJ、好きな店&店員……自分好みのジャンルやシーンに詳しいキュレーターはいつの時代にもいて、頼りにしています。その点で少し特殊な例を挙げると、「いい現場に必ずいる人(客)」。ポップカルチャーの伝道師である故・川勝正幸さんは気になるアーティストのライブに行くと必ず先回りをするかのようにそこにいたし、ラッパーのA.K.I.さんもそうでした。1990年代、いわゆる“渋谷系”的な面白い現場には必ず川勝さんとA.K.I.さんがいたし、その熱が落ち着いてきた2000年代前半、うっかりのめり込んだメロン記念日の現場でA.K.I.さんを見かけたときは「俺がハローの現場に流れ着いたのは必然だったのか」と不思議な安堵を覚えました。
そしてもう1人、自分にとって「この人が現場にいるってことは間違いないな」と思える指標たる人がいます。おそらく2000年代前半から、渋谷系以降の流れを感じさせるポップ音楽の現場でかなりの高確率で遭遇する金髪もじゃもじゃパーマの青年。交流のある音楽家の知人曰く「パトリックくん」というんだそうです。どこの国の出身で、いつから日本にいるのか、何度も遭遇しているにもかかわらず会話をしたことがないので何も知らない。でも、ちょっと気になるなと足を運んだ会場で、あのもじゃもじゃパーマが目に入ると「きっとこの夜は間違いないものになるだろう」という確信が持てます。直近であのもじゃもじゃパーマを見かけたのは、今年10月に行われたsorayaの1stワンマンライブ。ベーシストでありながら国宝級の歌声を持つ石川紅奈さん、さわやかなルックスとは裏腹に脳がシビレるような演奏をするピアニスト壷阪健登さんというジャズシーンの新鋭が突如始めたポップユニットです。SAKEROCKのギタリストでありながら突然恥ずかしそうに歌を歌い始めた2005年の星野源を彷彿とさせる“いい予感”に誘われて向かった会場には50人ほどの観客。1時間ほどのステージでしたが「歴史的な瞬間に立ち会ってしまった」という興奮を覚えるには十分な時間でした。会場にはシュガー・ベイブやピチカート・ファイヴ、フリッパーズ・ギターを世に送り出した名プロデューサー牧村憲一さんもあの50人ほどの中にいらっしゃったようで、それだけでも「いい現場」感たっぷりなのですが、ホクホク顔で会場を出たところで、秋風にふわりとたなびくもじゃもじゃパーマが。やはりいたのかパトリックくん、と安心と興奮の入り混じった息をひとつ吐いて帰路につきました。
エモさを語ると野暮になる、安全地帯初ライブで感じた熱視線
文 / 望月哲
安全地帯「40th ANNIVERSARY CONCERT "Just Keep Going!"」2022年11月30日 東京ガーデンシアター
すごいものを観てしまった。
さる11月30日に東京・有明の東京ガーデンシアターで行われた安全地帯40周年ツアーフィナーレ「40th ANNIVERSARY CONCERT "Just Keep Going!"」。僕にとって初の安全地帯ライブ体験だ。初めて生で聴く玉置浩二の歌声は言葉にできないほど、ただただ素晴らしかった。
「ワインレッドの心」「真夜中すぎの恋」「恋の予感」「熱視線」「じれったい」etc……子供の頃から聴き慣れている名曲の数々に心がときめく。決して懐メロ的な感傷ではなく、それらの楽曲は生々しい色気を伴って心の奥深くに迫ってきた。現在進行形のアダルトオリエンテッドロック。ツアータイトル通り“Just Keep Going!”だ。40年以上にわたり活動を共にしてきた安全地帯のメンバーと、武嶋聡(Sax, Flute)やゴンドウトモヒコ(Euphonium, Flugelhorn)といった手練れぞろいのサポート陣、そして3人組女性コーラス隊AMAZONSが玉置の歌声をガッチリと支える。ツアーのサウンドプロデューサーはポルノグラフィティ、aiko、あいみょん、石崎ひゅーいといった、そうそうたるアーティストのプロデュースやアレンジを手がけるトオミヨウ。まさに盤石なんである。
「今、玉置浩二と目が合ってる?」──明らかに錯覚でしかないのだが、ライブの間、玉置の爆レス(熱視線)を猛烈に感じるような瞬間が幾度となくあった。
「もしかして俺に向かって歌ってる?」──ここまでくると、もはや妄想でしかないのだが、初めて体感した玉置の生の歌声は聴き手にそこまで思わせてしまうくらいの圧倒的な魅力と魔力に満ちあふれていた。
虚空を切なげに見つめながら唇を震わせて歌う玉置。昂ぶる感情を破裂させるがごとく短くシャウトする玉置。観客とのディスタンスを1mmでも縮めんばかりに狂おしい表情で客席に手を伸ばす玉置……かと思えば安全地帯のメンバーとさりげなく戯れるお茶目な玉置もいて。そんな玉置浩二の一挙手一投足に会場全体が恋に落ちていく感覚と言うか。1人1人が安全地帯の楽曲に出てくる「あなた(貴女 / 貴方)」になれる恍惚のひととき。間違いなく今まで味わったことのないライブ体験だった。
人は本当にすごいものや大好きなことを説明するとき、とめどなく言葉があふれてしまう。ヲタが推しの魅力を説明するとき、ついつい早口になってしまうように。そして、そんなとき言葉は悲しいくらい無力だ。説明すればするほど言葉が上滑りしていく、あのもどかしい感覚……じれったい。かつて、とある日本酒のCMで中尾彬が「うまさを語ると野暮になる」 と言っていたが、同じ意味で、エモさも語ると野暮になると思う。「エモい」「ヤバい」「カワイイ」「尊い」……時代ごとに生まれるそうした言葉の数々には、言葉で表現しえない無数のエモーションが蠢いている。
そしてライブ終了後、安全地帯のメンバーたちと肩を組みステージから去っていく玉置の後ろ姿を見つめながら、僕の頭に浮かんでいたのはこんな言葉だった。
玉置浩二、神ってる。
まるで夢みたいな「世界で一番綺麗なBiSH」、解散日の発表に涙止まらず
文 / 田中和宏
BiSH「世界で一番綺麗なBiSH」2022年12月22日 国立代々木競技場第一体育館
BiSHは12月22日に東京・国立代々木競技場第一体育館で行ったワンマンライブ「世界で一番綺麗なBiSH」のアンコールにおいて、“2023年6月29日の東京・東京ドーム公演をもって解散すること”を発表しました。セントチヒロ・チッチさんがアンコールで放った「私たちBiSHには結成した当初から大きな夢がありました。私たちBiSHは夢だった東京ドームで……6月29日に解散します」という言葉には自然と涙があふれました。人目もはばからず、大粒の涙がボロボロと出るなんて、そう多くは経験したことがありません。
さかのぼることほぼ1年前。2021年12月24日に東京・中野heavysick ZEROで行われたBiSHの早朝ライブ「THiS is FOR BiSH」では、チッチさんが「私たちBiSHは、2023年で解散します」と発表。その模様はYouTubeで生中継され、7万人を超える視聴者が解散発表をリアルタイムで見届けました(参照:BiSH、2023年で解散することを発表)。しかし、その際は「2023年をもって解散」という情報しかなく、解散が1月1日なのか、はたまた12月31日なのか、わからないままでした。
「世界で一番綺麗なBiSH」はBiSHの解散日が発表された日というだけでも、大きな節目のライブになったと思います。しかしそれ以上に、この日のライブそのものが非常に素晴らしい内容でした。“世界で一番綺麗なBiSH”が何を意味しているかは開演するまでわからなかったのですが、イントロダクションの演奏が始まって緞帳が上がったときにわかりました。ステージに立つBiSHの後ろにいたのは、バックバンドのメンバーと大所帯のフルオーケストラ。過去にもストリングス隊が参加したBiSHのライブはあったけれど(2018年12月に千葉・幕張メッセ9~11ホールで開催されたワンマンライブ「THE NUDE」)、全曲をフルオーケストラとともに届けるライブを実現させたアーティストは数えるほどしかいないのではないでしょうか。ダンスボーカルグループやアイドルの枠で考えるとなかなか類を見ない規模だと思います。個人的な感想で恐縮ながら、「世界で一番綺麗なBiSH」には、Metallicaが1999年にオーケストラと共演した際のライブアルバム「S&M(Symphony & METALLICA)」における「Master of Puppets」(特にイントロ)に近い高揚感を感じました。
BiSH with オーケストラ+バンド編成の「世界で一番綺麗なBiSH」ではバラード調にアレンジされた楽曲もありましたが、基本的にはポップな曲も激しい曲も原曲にオーケストラをプラスするイメージ。全曲においてオリジナルの持つグッドメロディな部分やキャッチーな部分、エモーショナルな部分がより胸に響くような、そんな広がりのある素晴らしいアレンジでした。「遂に死」「MONSTERS」といった激しい曲とオーケストラの融合は、新鮮そのもの。過激な歌詞の「NON TiE-UP」はスタジオ音源自体がオーケストラをイメージした音像だったので、生のオーケストラが原曲を“完全再現”するというかなり豪華な仕立てだったと思います。BiSHが繰り広げる壮大なステージに、1曲終わるごとに「おおー」という感動の声、どよめきが漏れるフロアの様子も印象的でした。アンコールの「beautifulさ」ではオーケストラの皆さんも楽しそうに動いていて、夢みたいな光景が広がっていました。解散日を発表したあとだったこともあって、涙であまりはっきり見えていませんでしたが、そんなシチュエーションも含めて夢みたいな時間でした。
初めてBiSHのステージを観たのは2017年6月。代々木公園の野外ステージで行われたミニアルバム「GiANT KiLLERS」のリリース記念フリーライブで、私が音楽ナタリー編集部におけるWACK所属グループの番記者的な立ち位置になったばかりの頃でした(参照:BiSH、野外で「GiANT KiLLERS」全曲披露&ゲテモノツアー行きの2人が決定)。あれから5年半の間に代々木公園野外ステージの近くにあるNHKホールでワンマンライブをしたときもそうですし、代々木第一体育館で3回もライブをしたという事実にも深い感慨を覚えます。2021年に「NHK紅白歌合戦」に出場したときは、「BiSHがついに紅白に出たぞ……!」と一介のWACK担当記者ながら誇らしい気持ちになりました。キャパ80人の小さなライブハウスから始まったBiSH。彼女たちが有終の美を飾る場所は、ひときわビッグな東京ドームです。「BiSH解散」が現実味を帯びてきたことには悲しさもありますが、“最高”を更新し続けてきたBiSHが最後に見せる最高な景色を楽しみにしていたいと思います。
細部に宿る“神”を感じさせたKing Gnu&ラルクのドーム公演、剥き出しの姿を見せたGLAYと鬼龍院翔のリアル
文 / 中野明子
King Gnu「King Gnu Live at TOKYO DOME」2022年11月19日・20日 東京ドーム
神は細部に宿る。
King Gnu初の東京ドーム公演を観終わった瞬間、漏らしたひと言はこれに尽きる。巨大かつ美麗なスクリーンに映し出される新旧のミュージックビデオをオマージュしたオープニングムービーに始まり、メンバーが奏でる卓越したアンサンブル、5万人のオーディエンスを前にしながらも以前と変わらないフランクで等身大のMC……すべてが有機的に絡み合っていたのだ。ひときわ脳裏に残っているのは8階建てビルの高さもあろうかという廃墟を想起させるセット。それはただ建っているだけではない、照明の色や細かなニュアンスによって紡がれる空気、呼び起こされる感情が変わっていく。軸にあるのはあくまでもKing Gnuの音楽だが、そこから派生して生み出される景色はめくるめくものだった。徹頭徹尾こだわりが詰まったライブの中で、もっとも鳥肌が立ったのはメンバーがステージ上に残っているシチュエーションでスクリーンに映し出されたスタッフロール。観客の前に立っているのは4人だが、多くのクリエイターやスタッフがKing Gnuを成している証拠だった。そんな演出は映画のクライマックスのようで、いつまでも深い余韻を残し続けた。
L'Arc-en-Ciel「30th L'Anniversary LIVE」2022年5月21日・22日 東京ドーム
King Gnuが初の東京ドーム公演を完遂した半年前、同地でL'Arc-en-Cielが行った結成30周年公演「30th L'Anniversary LIVE」でも「神は細部に宿る」という言葉が頭に浮かんだ。ラルクが初めて東京ドームに立ったのが1997年なので、今から25年前。以降、節目節目で大規模なライブを行なっている彼らは、その都度最先端の技術を駆使した演出とともに極上のパフォーマンスを見せてくれるが、このときも期待を上回るステージで“非日常”の世界へと誘ってくれた。衰えを知らぬ4人のストイックなプレイ、もはや時が止まっているのではないかと錯覚するほどの4人の麗しいビジュアル、楽曲の世界を細やかに具現化した映像にダイナミックな特効の数々。目にするもの、耳に飛び込んでくる音、その1つひとつに魂が宿る。バンド名のように色とりどりの楽曲で彩られたライブの中で、印象深かったのはラストナンバーの「虹」。オーディエンスがグッズのバットマラカスライトの光で作った虹と、7色の照明からなる虹がドーム内で交差し“ダブルレインボー”がかかる。ちなみに“ダブルレインボー”は「新しいスタートを切る」「祝福」といった幸運をもたらすサインとも言われており、バンドとファンが作り出した光景を前に妙に納得してしまった。なお、このライブ映像は、生々しすぎる舞台裏に迫ったドキュメンタリーとともにPrime Videoで配信されている。結成30周年バンドの裏側はいったいどんなものなのか。そこはあなた自身の目で確かめてほしい。
GLAY「GLAY Anthology presents -UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY 2022-」2022年10月24日 アクトシティ浜松 中ホール
ドーム会場でのエンタテインメント性の高いライブ体験も最高だが、コンパクトな会場ではアーティストの剥き出しの一面が楽しめるのもライブの醍醐味だろう。例えば、GLAYが今年10月に開催した7thアルバム「UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY」の再現ツアーはホール会場が舞台となり、照明演出こそあれど映像も特効も一切なしという、ドームクラスのバンドには異例とも言える潔さだった。さすれば観客の視線はメンバーの一挙手一投足に注がれるわけだが、そこは流石の百戦錬磨のライブバンド。アルバムリリース当時の“若者”では奏でられなかったというアンサンブルを、学生によるコーラス隊の生命力あふれる歌声を交えながら説得力を持って響かせる。そんな心を震わせるような2時間に、涙腺は緩みっぱなし、ペンを持つ手は震えっぱなしであった。
鬼龍院翔「もう誕生日に24時間ソロキャンプ配信なんてしない こんにちは大阪・こんばんは東京バースデーライブ」2022年6月20日 チームスマイル・豊洲PIT
と、ここまで書いたところで、「剥き出し」という点でGLAYと共通点のある1つのライブがふと頭をよぎる。それはゴールデンボンバーの鬼龍院翔(Vo)が自身の誕生日に行ったバースデーライブだ。1日で東阪2都市開催、入場時にファンからリクエストを受け付け人気曲でセットリストを決め、ライブ冒頭で牛すじ煮込みを仕込み、アンコールでスタッフに振る舞う。さらにセットリストから漏れたランク外の楽曲もアカペラで全曲ワンフレーズずつお届け……文字にするだけでカオス! しかも、ステージに立っているのは鬼龍院1人というワンオペ状態なのだ。全身全霊、満身創痍、抱腹絶倒、サービス過剰etc……そんな言葉が次々と浮かぶ中、“素”を丸出しにした捨て身の鬼龍院の姿に不思議な感動を覚えたのも事実。同時に次々と画面に映し出される予測不可能な出来事に笑いを禁じ得ず、PCのキーボードが打てないという事態に見舞われた。ひと口にライブとは言っても千差万別だなと改めて感じ入った公演でもある。
“おくりびと”としての卒コン悲喜こもごも
文 / 臼杵成晃
解散、脱退、引退、卒業……音楽の情報を取り扱う身として、お別れの記事を書くことはいつだってさびしいものです。「ラストライブ」という形で、ファンの前できっちり最後のお別れを告げられる場合はまだ幸せで、たった1つの「大切なお知らせ」のみで終止符が打たれる場合もある。前者の場合、我々には「ラストシーンを記録に残す」という使命めいた気持ちが生まれます。ライブレポートですね。そういったラストライブ、卒コンにおける「最後のライブレポ」を、我々(というか主に私個人ですが)は“おくりびと業務”と呼んでいます。
音楽ナタリーのレポート記事は基本的に「その場で起きたことを淡々と書く」というスタイルで、主観や個人的な感想を差し込むことはありません。たまに「熱いレポート」という感想をいただくことがありますが、実際には熱い描写は基本ないはずで、それを読んでいるあなたの記憶が熱くたぎっているだけですよ、という。もちろん、その場の熱気を呼び覚ますような描写や構成は心がけていますが。とはいえやはり、ラストライブや卒コンの類だと、どうしたって漏れ出てしまう「エモみ」のようなものがあるかもしれません。また、“おくりびと”レポは「この記事を出してしまったら、本当にこれで終わりだ」という事実を突き付けることになってしまう側面がある。逆に言えば「このレポを出すまでは完全に終わりではない」という思いから、通常のレポよりもったいぶって出すことも多いです(笑)。「“ニュース”の一種として出す以上、できれば翌日、なんなら即日。1週間過ぎたものは掲載しない」と鮮度を重んじているメディアなのですが……。
2022年もたくさんの“おくりびと業務”がありました。特に今年は、個人的に長く接してきたアイドルグループの卒コンが非常に多かった。残念ながら自分で立ち会えなかったものもありますが、執筆もしくは撮影で入った“おくりびとモノ”を数えてみたら8本ありました。その中で特に印象的だったものをいくつか。
虹のコンキスタドール「Over the RAINBOW~なんたってアイドルなんですっ!!~ in 日本武道館」2022年4月16日・17日 日本武道館
根本凪「月と、真っ赤な目をした兎の夢」2022年4月30日 東京キネマ倶楽部
虹コンはグループの念願であった日本武道館でのワンマン2DAYSライブが、メンバー2名の卒業ライブに。この武道館に向けての虹コンの一連の動きに、初めて全国大会の決勝戦に進んだ体育会系部活動のような爽快感があり、部外者ながら大きく感情移入してしまいました。ことさらドラマチックな演出をしない、2時間超フィールドを走り回るスポーツのような2日間でしたが、体育会系(全員オタクなのに)な虹コンならではのさわやかなステージでした。まさかその2カ月後に卒業した的場華鈴さんの復活劇があるとは想像もしていませんでしたが……。武道館のあとに行われた根本凪さんのソロ公演「月と、真っ赤な目をした兎の夢」は彼女のアイドル人生をSF的ストーリーに落とし込んだ半ドキュメントで見事すぎる幕引き。舞台演出の中で二次元化し、これからVtuberとして活動することを示すという見せ方もお見事。音楽レポートでは通常使うことのないワードや文法、筆運びが必要な、書き手として非常に試される刺激のある内容でした。
lyrical school「lyrical school tour 2022 “L.S.” FINAL」2022年7月24日 日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)
lyrical schoolもまた、目標としていた“野音ワンマン”で前体制の有終の美を飾りました。ヘッズ(ファン)との距離感が近いこともリリスクの大きな魅力のひとつですが、あのフレンドリーさは僕らのような“仕事相手”に対しても同様で、がゆえに5人中4人がグループを離れるという決断には一抹のさびしさを覚えました。最後のステージがあまりにいつも通り、否、いつも以上に「楽しいリリスクのライブ」だっただけに、これ本当に最後なのか? 週明けまたどこかでリリイベでもやってるのでは?という気持ちになりましたが、それはもしかしたら本人たちも感じていたのではないかと。今ではそれぞれの道を進み、リリスクはminanさんを中心に新たな形での準備を進めているようなので、2023年の動きに期待しています。
フィロソフィーのダンス「フィロソフィーのダンス 十束おとは卒業コンサート~ベスト・フォー・フォーエバー~」2022年11月19日 日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)
虹コンやリリスクと違い、フィロソフィーのダンスは「この“ベスト・フォー”での最後のライブ」をしっかりと印象付けよう、メンバーにとっても思い出に残るステージにしようという思いが伝わる内容でした。十束おとはさんはこの8カ月前に卒業を発表。じっくり時間をかけて4人+ファンとの時間を育んでいき、いざ迎えた卒業公演のラストでは新メンバー2名を迎えた次の一歩を早くもお披露目するという、フィロのスの「これまでとこれから」を凝縮したステージになっていました。ひとつ新鮮で「これはいいな」と思ったのは、卒業スピーチをライブ中盤に差し込んだこと。卒コンの多くはライブの終盤もしくはアンコールで最後のスピーチを行うことがフォーマット化していますが、中盤にドラマチックな山場を置き、後半もうひと暴れしてカラッと明るく終わろう!というやり方はあまりにフィロのスらしく、ほかのグループにも真似してほしいとすら思いました。
私立恵比寿中学「私立恵比寿中学 柏木ひなた卒業式『smile for you』」2022年12月16日 幕張メッセ 幕張イベントホール
そして年末のエビ中。柏木ひなたさんは“転入”(加入)間もない頃から観ているので、メジャーデビュー前のイベントで地団駄を踏んでいたあのチビっ子が……と感慨もひとしお。柏木さんも4月には“転校”(脱退)を発表して、そこからはエビ中としての“終活”を行うかのように1つひとつの活動を噛み締めていた印象です。実際の卒コンは12月16日の「私立恵比寿中学 柏木ひなた卒業式『smile for you』」ですが、今年の(なんなら転校発表前のライブから)すべての公演を含めて卒コンだったような。「卒業式」は選曲も演出もその総決算とばかりに高濃度で、正直公演中は感傷に浸る間もなくあっという間に終わってしまった。その夜、写真を選定しているときに初めて「ああ、これで最後なんだ」としんみりしてしまいました。翌日すぐに新体制ライブ、というのは2018年1月の6人体制初公演「ebichu pride」をなぞる手法で、この余韻にひたる間もなく走り出すやり方はファンにとってもメンバーにとっても酷かもしれない。が、前回同様「これは面白いことになりそうだぞ」と非常にポジティブな印象を与え、期待感をより高める結果になっているのでは。どうしてもアイドルの卒業を「ドラえもん」第6巻になぞらえてしまう藤子信者目線で言うと、「ウソ800」のない第7巻もよいものですね。柏木さんのソロ活動にも大いに期待します。