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ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE hosted by KEN THE 390 EPISODE.2(前編) UMB、KOK設立の立役者:漢 a.k.a. GAMI

左から漢 a.k.a. GAMI、KEN THE 390。
5か月前2023年10月17日 10:02

ラッパーのKEN THE 390がホストとなり、日本におけるMCバトルの歴史を紐解く「ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE hosted by KEN THE 390」。第2回は、2002年に「B-BOY PARK」(BBP)で優勝を飾り、2005年に「ULTIMATE MC BATTLE」(UMB)を設立した漢 a.k.a. GAMIが登場する。

プレイヤーとしてだけではなく、“仕掛け人”としてもバトルシーンを牽引してきた漢。前編では、KEN THE 390が所属していたDa.Me.Recordsとの関係性、BBPや初期のMCバトルについてエピソードを語ってもらった。

取材・文 / 高木“JET”晋一郎 撮影 / 斎藤大嗣 ヘアメイク(KEN THE 390) / 佐藤和哉(amis)

しょっちゅうやり合ってたMSCとダメレコ

──連載の第2回は、2005年に「ULTIMATE MC BATTLE」(UMB)を立ち上げ、現在につながるバトルシーンの基礎を築き、現在9SARI GROUPの代表として「KING OF KINGS」を運営している漢 a.k.a GAMIさんをお招きして、KEN THE 390さんとの対談でお話を伺えればと思います。

KEN THE 390 僕と漢さんが最初にバトルで当たったのは、確か「お黙り!ラップ道場」(UMBの前身となったMCバトル大会)だったと思うんですよ。

漢 a.k.a. GAMI UMBの前にも当たってるんだっけ?

KEN 僕は「お黙り!ラップ道場」で準優勝して、その流れでUMBに出場したんですよ。

 じゃあ「お黙り!」でも当たってるかもね。

KEN よく考えたら「お黙り!ラップ道場」というのも、すごいイベント名ですよね。テレビ番組の「お笑いマンガ道場」が元ネタになってるのは、今じゃ伝わりにくいかも(笑)。

 完全にふざけてたからね。

──漢くん率いるMSCと、KENくんの所属していたDARTHREIDER率いるDa.Me.Records(ダメレコ)は、2000年代中盤はさまざまな場所でバトルやフリースタイルセッションを展開していましたね。

 ダメレコと俺らがイベントでかち合えば、オープンマイクやバトルでしょっちゅうやり合ってたよね。本当に数え切れないくらいぶつかってた。

KEN 世代も近かったし、お互いに人数が多いクルーというのもあったかもしれないですね。

 そうだね。「また出てくるのか! まだ出てくるのか!」って感じだったよ。「KEN THE 390まで長えな」みたいな(笑)。

KEN 当時はバトルのメンツとライブのメンツが近かったから、ライブにしろバトルにしろ、イベントで一緒になることが多かったんですよね。だからオープンマイクになると、バトルの延長戦が始まったり。

 その積み重ねで因縁ができたりね。

KEN 続きを楽しみにしてる人もけっこう多くて。

 言い方は悪いけど、ダメレコは勇気があったよね、俺らに突っかかってくるんだから(笑)。

──はなびのような元プロボクサーがダメレコにいたとはいえ、「ストリート」と「文系」の両極な感じはありましたね。

 でも、ダメレコ勢も「あ、この人たちはむやみに腕力を振るわないな」ということが、やってるうちに肌感覚でわかったと思うんだよね。

KEN 僕らも一線を越えるような「言ったらトラブルになるような内容」はラップしなかったし。

 いや、「さすがに今日のはひどくないか!? それは言いすぎだよ、KEN THE 390!」みたいなことはあったよ(笑)。

KEN ははは!

 大和民族のインダラはかなり手を振ってラップするタイプで、その手がMSCの誰かに当たって「この野郎!」となったときもあった。それを俺が制止しにいったら、余計にステージ場がワチャワチャになったり。

KEN 漢さんがステージから人を投げ飛ばしてましたよね(笑)。

 「インダラもわざとじゃねえんだから」って俺は止めに入ってるっつーのに、みんな収まらないからさ(笑)。俺は深くは知らないけど、メシアTHEフライ(JUSWANNA)とKEN THEは、周りが心配になるくらいやりあったりしたときもあったでしょ。

KEN そうですね。

 でも結局は言葉で、ラップで、お互いに技術を磨き合ってたと思うんだよね。あと、DARTHREIDERは、あいつはあいつでちょっとぶっ飛んでる部分があるし。

──一緒に「月刊RAP」の冊子を作ってたときに痛いほど感じましたね(笑)。

 俺とDARTHREIDER(という両陣営のトップ同士)は、超アンダーグラウンドな現場での遭遇率も高かったんだよね。「こんな現場にいるの?」とか「そんなやつといると……あーあ」みたいな、あいつなりに痛い目にも遭って、いろんな学びがあったと思うし、俺らと関係が深まることでも、いろんな経験をしたと思う。だから肌感覚で「漢にはこれくらい言っても大丈夫だろ」みたいなのもあったのかな。それに(DARTHREIDERの真似をして)「ダメレコの社長として俺が行くぜ!」みたいな気持ちもあったと思うし(笑)。それがみんなに伝播してダメレコ勢に勇気を与えたんじゃない?

KEN でも「やめてくれー」と思う瞬間もありましたよ。ライブのMCで漢さんが何か言ったら「あれは俺のことじゃねえか!」ってステージに上がろうとして「いや、今のは絶対違うから!」と俺らが止めたり(笑)。

超ギラついていた現場とゲリラマイク

──ちなみに、漢くんがMCバトルの存在を知ったきっかけは?

 学生パーティからチーマー系のパーティまで含めて、10代の半ばくらいからいろんなパーティに顔を出すようになったんだけど、そこでラップをやるやつらがちょいちょい出てきたんだよね。

──90年代半ばの東京のシーンはそうなっていたと。

 ストリート的なちょっとコアなパーティになってくると、スキルのある、ヒップホップに対する知識のレベルも深い、ちゃんとアンダーグラウンドな感触のある、わかりやすく言うと“本物っぽい”雰囲気を持ったラッパーが登場するようになって。そういうやつが出てるパーティのショータイムのときに、出番が前後だったグループがケンカを始めたんだ。でも暴力で戦うんじゃなくてラップで戦うような、マイクバトルみたいな形だったから、「お! なんだそれ!」と驚いたんだよね。それが最初に生で見たMCバトルだったかも知れない。

KEN 「生で見た」ということは、それまでにMCバトルに対する知識はあったということですか?

 「そういうものがあるんだな」というのは知ってたかもね。10代の頃は音源だけじゃなくて映画とかビデオ……当時はVHSも情報源だったけど、そこにフリースタイルやバトルの映像が入ってたりして、それで「そういう方法論もあるんだ」と知った気がする。当時はそんなにビデオも種類がなかったから、おそらく俺が観たのと同じような映像をみんな観てたと思うし、そこでバトルのイメージが共有されてたのかもしれない。

KEN もしかしたら、同時多発的にバトルが行われていたのかもしれないですね。

 かもね。不良でもヒップホップの知識がすごいやつ、コアに歴史や文化を掘ってるやつはいたし、その中でラップバトルが手探りで形になっていった部分もあると思う。いわゆるオープンマイクの時間も、俺が行くようなイベントで始まってたんだけど、当時は超ギラついてたよ。出るやつはみんな自分の見せ場を探してたし、周りを圧倒したいからケンカ腰にもなるし、セッションというより、自分の主張を押し出す感じだった。俺たちはそれだけじゃ足りなくて、それこそゲリラマイクもやってたし。

──いわゆるマイクジャックやライブジャックですね。

 ライブ観てて「しょぼいなー」と思ったら、ライブをジャックしちゃうっていう(笑)。それは俺たちや、般若のいた妄走族、それから当時は朧車(OBORO)だったKEMUIとか。

KEN 宇多丸さんと漢さんの対談(引用:【漢 a.k.a. GAMI × 宇多丸】RHYMESTER結成秘話からラジオパーソナリティ、日本初のフリースタイルバトル、今のシーンに思うことなど。黎明期からシーンを見てきた男の人生を紐解く!)で、FG(FUNKY GRAMMAR UNIT)のイベントでフリースタイルを観ていたと話されていたのは意外でした。

 FGのフリースタイルやMCバトルは衝撃的だったよ。エンタメというか、人を盛り上げようとしていたし、ショーとして成り立ってた。俺らのバトルやゲリラマイクは、「俺の方がカッケーだろ! スキルあるだろ! 強いだろ!」みたいな主張ばっかりだったし、それを見せたかったんだよね。だから、FGのフリースタイルでも内容や考え方の違いには驚いた。今になればそういうふうに言語化できるんだけど、当時は純粋に「すげえことやってるな」と。渋谷FAMILYにコアなファンが集って、KREVAとMCUのバトルを観て盛り上がってるというのは、興味深い状況が生まれてると思ったし、自分も単純に楽しく観てた。ただ、それが「カッコいい」かというと、ちょっと違ったよね。

KEN 美学の違いですか?

 そう。FGのイベントでやってたバトルは、純粋に100%の即興ではなかったと思うんだよね。もちろん、すごい技術のフリースタイルではあるんだけど、すでにそのときには1つの型になってたと感じてた。それは「B-BOY PARK」(BBP)のMCバトルで、KREVAやほかのKREVAフォロワーのラッパーからも受けた印象で。俺はもっと自由な形でやりたいと思ってたから、求めてるものが違うんだろうなと思ってたね。

KREVAとはまったく逆のスタイル

KEN BBPは初回から知っていたんですか?

 いや、99年に第1回が開かれたときは存在を知らなかった。誰かに「こういうイベントがあったんだよ。KREVAが優勝してさ」みたいな話を聞いて、BBPでMCバトルが行われてたのを知ったんだよね。

──知ったのは事後だったと。

 それで第2回に初めて応募したんだけど、当時は自分のラップに自信が生まれて、ほかのやつよりも一歩先に行ってると自負してる時期だったんだ。フリースタイルに関しても、即興で韻も踏めるし、リアルなバトルの現場を体験してるし、絶対誰よりも俺のほうがうまいという手応えがあったし、「絶対優勝できるわ」と思ってて。1次審査の「1分間のフリースタイルをテープに録って送る」というオーディションも、俺は10分フリースタイルしたテープを送ってるからね。バトルっ気ムンムンの内容を10分録って、「これだけやりゃあ大丈夫だろ!」みたいな(笑)。

KEN 足りないよりはいいかな、と(笑)。

 とにかくみなぎってたし、「10分もひたすらラップしてれば、これが即興だとわかるだろう」という思いもあったね、そのときは。

──2回目にはいわゆる“KREVAスタイル”と呼ばれるシステムを取り入れたラッパーが増えました。

 ゆっくり乗せて、わかりやすく韻を踏んで、目の前のものをネタにして、というKREVAのスタイルはお手本にしやすかったと思う。だけど、俺はそのスタイルをやると、自分がフリースタイルをやる意味がなくなると思ってたんだよね。だから「KREVAスタイルもやろうと思えばできるけど」くらいの気持ちだったし、いざとなったらKREVAの“並び替え”も真似してやろうかなと。

KEN 相手のお株を奪おうと思ってたんですね。

 だけど言葉の入れ替えって、会話としては成立してないじゃない?

──例えば「タオル」という言葉を「オルタ」に入れ替えたとき、「オルタ」は単語としての意味は喪失しているし、文章や文脈としては破綻している、ということですか?

 そういうこと。それは単なる言葉遊びであって、それで韻を踏んだとしても、自分にはそれがあんまり魅力に感じなかった。でも、やろうと思えばできるから、KREVAと当たったとき(2000年大会の2回戦)に、4小節くらい「お前のスタイルなんて簡単だぜ」みたいな感じで、入れ替えをやったんじゃないかな。結局負けちゃうんだけど、自分の中ではそういう気持ちでいた。それから、そのときのKREVAは(2回戦の指定ビートであるファロア・モンチ「Simon Says」の冒頭のリリックである)「Get the f**k up」の部分を「目が真っ赤」と歌ったんだよね(編集注:「BLAST」誌2000年10月号より引用すると「ゲッタ・ファッカ / お前は涙目で目が真っ赤」とラップしたと記載)。だから「この曲がきたら、この言葉で」という仕込みや、引き出しを作っていたと思うし、「そういう考え方があるのか」と。

──実際、「BLAST」(2000年10月号)のインタビューでも「倍速ものとか日本もののトラックは今年来ると思ってて、ツイギー君の『もういいかい』でやってみたり、(ZEEBRAの)『MR.DYNAMITE』とかも聴き込んでました」と話されていますね。

 どんなビートが来るかの予習をするという発想は俺にはなかったから。ただ、あと1、2発パンチラインを残せてれば、トントンか勝ってたとは今でも思ってる。KREVAも俺のようなスタイルのラッパーとは戦ったことがなかったと思うし、彼なりに衝撃とまではいかなかったとしても、「ヤベえな」とは思ったはず。それは判定が出た瞬間に、マイクを通して「うまかったけど、モノマネが短かったね」みたいなこと言ってくれたときに感じたね。「なんだよ、食らってくれてんじゃん」って。

KEN KREVAさんはこの連載の第1回でも、バトルであってもお客さんに内容を届けることは意識していたと話していて。

 俺とはまったく逆のスタイルだよね。KREVAはもっとエンタテインメントを意識してたんだろうけど、俺はラップの内容が観客に届かなかったとしても、「見たことねえだろ、この本物感」みたいな空気が伝わればいいと思ってた。ターゲットは超狭いけど、わかる人にわかればいいというかさ。だから評価自体もまったく別になるのは当然だと思うし、判定も難しかったんじゃないかな。

KEN そうでしょうね。

 ほかのラッパーとは考え方が違うなというのは予選のときから感じてた。予選も進行だけじゃなくて、ルールのガイダンスの説明も宇多丸さんがやってたんだよね。そこで周りにカマす意味も含めて「手を出さなきゃいいということですけど、当たらなければいいんですよね?」って(笑)。

──トンチじゃないんだから(笑)。

 だから予選でも対戦相手がラップしてるときに、ずっと目の前でシャドウボクシングをするっていう。

KEN 威嚇ですよ(笑)。

 ステージ袖でも、相手の後頭部に向かって「てめえ、ステージ降りたら覚えとけ」とか延々言ってたし(笑)。でもルール上はセーフだし、究極、ラップしないで勝ってやるよという意気込みだった。このときの目標は「戦わずして勝つ」だから(笑)。

一同 (笑)。

 その意味では、大事にしてるところが違い過ぎた(笑)。

ヒップホップはオリジナルが大事なアート

──漢さんは著書「ヒップホップ・ドリーム」の中で、「KREVAスタイルがスタンダードならば、自分のやってることは逆に注目されると思っていた」と大意でおっしゃられていますね。ただ、歴史が積み重なっていない分、判定する際の「評価軸の基準」はどうしても前回王者側に傾くし、新しいスタイルは不利になりがちな部分もあったのかなと思うんですが、それは気にならなかった?

 確かに当時は参考資料が少なかったと思うし、KREVAのスタイルが3連覇もしたら、当然そこが基準になるよね。でも、俺は昔から他人に興味もないし、「人がこうだから、こうしなきゃ」という考えが薄い。ましてや自分が「ヤバい」と感じるものは、もっと個人的な興味だから、周りの評価よりも自己評価の方を信じてたということだよね。結局、自分がカッコいいと思ってることを曲にもフリースタイルにも持ち込まないとそれは意味がなくない?

KEN 確かにそうですね。

 オリジナルが大事なアートだからさ、ヒップホップは。それに当時は、今ほど「音楽としてのラップ」と「ヒップホップ」が離れてはいなかったから、「どっちのスタイルのほうが内容や雰囲気、ライフスタイルも含めて『ヒップホップ』をラップに落とし込めてると思う?」という勝負でもあったと思うし、何をして本物かどうかの判断は難しいとはいえ、少なくとも俺は「自分のほうが本物だろ」と主張したかったし、してた。俺の見てきたこと、やってきたことのほうが絶対ヒップホップだろ、ストリートだろ、という自信もあった。

KEN 見てる側のリテラシーもありますよね。今の価値基準でジャッジしたら、けっこう判定が変わるだろうな、と。

 そうかもね。俺はフリースタイルと普段のラップに境目を感じてなかったのもあるかな。リリックもラップのスタイルも、曲とフリースタイルで基本的には一緒だし。

──それは当時のインタビューでもすでに話されていますね。

KEN 漢さんのフリースタイルと楽曲とライブは、全部つながってるじゃないですか。「バトルだからこれは言うけど、音源では言わない」という断絶はない。

 例えばAXISとか秋田犬どぶ六のように、俺のネットワークの中にはヒップホップのコアな情報を知ってたり、和訳できるやつがけっこういたんだよね。だから、フリースタイルだけで曲を作っちゃうアーティストの話も知ってたし、「え、この曲、フリースタイルで作ってて超カッコいいけど、鼻くそについて歌ってんの?」とか(笑)、そういう情報を教えてもらったりしてた。そこにフリースタイルの凄味みたいなのは感じてたし、ゾーンに入っちゃったときのフリースタイルって、書いた歌詞よりすごいものが生まれるということも知ってたから、それを目指してたり、シンパシーを感じてたんだ。だから2009年のBBPでやった「3 ON 3 PROFESSIONAL MC BATTLE」くらいのときまでは自分で自分のバトルを見返したりしてたんだよ。「この日の俺、やべーじゃん!!」とか言いながら(笑)。フリースタイルから自分の歌詞やリリックに発展していくこともあるからこそフリースタイルを重視してたし、ほかのバトルに出てる人とはかなり考え方が違ってたと思うね。

KEN 自分のフリースタイルを見直して、そこからインスパイアされることもあるんですね。

 あるある。バトルライムとかはそうだね。バトルでパッと出た言葉をさらに膨らませて曲にしていったり、フリースタイルから生まれたパンチラインはけっこうある。

KEN 僕もフリースタイルと音源で言ってることやスタイルはつながっていたいと思うので、そういう発想はすごくわかります。

 BBPのときに不思議だったのは、「みんなKREVAスタイルでバトルには出るのに、なんで音源では違うラップをするんだ?」ということで。だからこそ、それは単にスタイルだったと思うし、「いやいや、それは違うでしょ」という意識を、俺だけが提示したとは思わないけど、少なくともそう気付かせるきっかけに俺の存在はなったんじゃないかな。

KEN だからKREVAさんが3連覇した翌年の2002年に、般若さんと漢さんが決勝で当たるというのは、反動という部分でもすごく象徴的に感じました。あの決勝で、バトルシーン自体のムードがかなり変わったと思うんですよね。

 個性がちゃんとできてきたと思うね。

──2002年で準決勝に進んだ志人や、2003年優勝の外人21瞑想(MEISO)なども、その象徴的な存在だったかも知れないですね。

 志人はいろんなところに影響を与えてるよね。湘南乃風とか。

KEN 湘南乃風に!?

 湘南乃風がラバダブにフリースタイルの要素を強く入れたのは、志人や降神の影響なんだよ。なんかの現場で志人のフリースタイルを湘南乃風のメンバーと一緒に観てて、「なんだあれ!」「志人ってやつなんですよ。大学生なんですけど」って俺が紹介したんだもん。

KEN それは知らなかった! 俺は志人と同じサークルで一緒にグループもやってたから、彼が漢さんとバトルで出会ったあとに、MSCのデモを持ってきたり、逆に降神の音源を漢さんに渡したという話をしてて、「MCバトルはそういうつながりもできるんだ」と思ったんですよね。ちなみに、フリースタイルと楽曲がつながってるのは、般若さんも当時は感覚として近かったと思うんですよ。

 そうだね。般若とはだいぶ感覚が近かったと思うし、俺の中で、般若という存在はすごく意識してた。般若とは同い年で学区も同じだったから、俺の中学の同級生が般若と同じ高校に行ってて、彼の情報は以前から入ってたし、マイクジャックの現場でもカチあったりしてたんだよね。そして、何より般若は妄走族として俺より先にデビューしてた。

──2000年には妄走族としてアルバム「君臨」をリリースしていましたね。

 今じゃプロとアマの差は曖昧だけど、当時は作品をリリースしてるかどうか、レーベルに所属してるかどうかは、すごく大きかったんだ。

KEN 今みたいに制作からリリースまで1人で完結できるような時代じゃないですからね。

 だから般若には一歩先に行かれてると思ってたし、ライバル視してたし、焦らさせる存在だったんだよね。少なくとも俺は勝手にそう認識してた。だけど決勝で般若がバトルの中で「ライバル」と言ってくれたことで、般若もそういう気持ちを持ってたんだなと思ったな。その2002年の決勝や、俺が優勝したことで、「あ、それぞれのスタイルでいいんだ。じゃあ俺もできそうじゃん」「それまでのスタンダードとは違うカッコよさがあるっぽいぞ」という感覚が伝染していった部分はあると思う。

──感覚の違いという部分では、2001年のMS CRUとしてのインタビュー(「BLAST」2001年10月号掲載)で「仲の良いやつとバトルすること自体が無理」と言っていて、MSCのメンバーであるPrimalとGOが予選で当たったことに関しても「それ(仲間同士で戦うこと)でテンションが下がった」というお話をされていますね。同じクルー同士で戦う、仲間同士で戦うことが珍しくない現在において、その証言は新鮮にも感じます。

 今のMCバトルはスポーツだから、仲間同士で戦うのも普通だけど、当時の俺らにとってラップは“音楽だけの存在”じゃなかった。エンタテインメントではなかったし、ましてや仲間同士で“バトル”をするというのは、ケンカになってもおかしくないことで。だから今話に出たPrimalとGOの試合も、当時はまだMSCとは親しくなかったMEGA-Gに対戦相手の交換を持ちかけてたんだよね。

KEN というと?

 予選でMEGA-Gは、やつの友達だったD-ASK(練マザファッカー)と対戦することになってたから、「仲間同士で戦うのも違うから、対戦相手をお互いに交換しないか? そのほうが楽しいじゃん」と持ちかけたんだよね。結果、それはルール違反だから流れたんだけど、それくらい“言葉の重み”“発した言葉の意味”をとにかく大事にしてたし、それが人を惹きつける表現になってたのかなって。まあ今にして思えば、これだけ言葉数の多いアートの中で、一言一句を気にしてたら、ラップなんて本当はやってらんないんだけど(笑)。それでも軽いものじゃないとは今でも思ってる。

<後編に続く>

漢 a.k.a. GAMI(カンエーケーエーガミ)

2000年、新宿発のヒップホップクルー・MS CRU(現MSC)のリーダーとして活動を開始する。2002年に1st EP「帝都崩壊」でデビュー後、多数のアルバムをリリース。ソロラッパーとしても多岐にわたる活動を展開している。2002年、「B-BOY PARK」のフリースタイルバトルで優勝を飾り、2005年にMCバトル大会「ULTIMATE MC BATTLE」を設立。2015年には、自伝にして日本のヒップホップシーンのリアルを描いた著書「ヒップホップ・ドリーム」を刊行したほか、同年、真の日本一を決めるMCバトル大会「KING OF KINGS」を立ち上げた。テレビ朝日で放送されたMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」には初代モンスターとしてレギュラー出演。現在YouTubeで配信中の料理番組「漢 Kitchen」ではMCを務めている。

9SARI GROUP
漢 Kitchen

KEN THE 390(ケンザサンキューマル)

ラッパー、音楽レーベル・DREAM BOY主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年、アルバム「プロローグ」にてデビュー。これまでに11枚のオリジナルアルバムを発表している。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも精力的に行う。テレビ朝日で放送されたMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演。その的確な審査コメントが話題を呼んだ。近年は、テレビ番組やCMなどのへ出演、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、活動の幅を広げている。10月28日にはヒップホップフェスティバル「CITY GARDEN 2023」を東京・豊洲PITで開催。

KEN THE 390 Official

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